ノートを取ることは、何をしていることになるのか
授業を聞きながらノートを取る。この行為は、学習の基本動作として疑われることが少ない。しかし、何のためにやっているのかを分けて考えると、二つの異なる機能が含まれています。
符号化機能——書くという行為そのものが、情報の処理を促す。書くために内容を選択し、言い換え、構造化する必要があるため、聞き流すより深い処理が生じる。
外部保存機能——後で見返すための記録を作る。記憶の外に情報を置き、復習の材料にする。
この二つは独立しています。書いたけれど見返さない場合は符号化機能だけが働き、他人のノートを見返す場合は保存機能だけが働きます。研究では、この二つを分けて測定する設計が使われてきました。
報告されている所見を先に書けば、どちらの機能も効果があり、両方が揃うと最も成績が高い。そして、書き方によって符号化の深さが変わる。
1. 書くこと自体の効果
符号化機能を測るには、ノートを取った群と取らなかった群を、どちらも復習させずにテストすればよい。この設計の研究では、ノートを取った群の成績が高いという結果が一般に報告されています。
効果の大きさは、書き方によって変わります。板書や発話をそのまま書き写す場合の効果は小さく、自分の言葉に言い換える場合に大きくなります。
この差は、連載で扱ってきた処理の深さの議論と一致します。言い換えるには、意味を理解し、既有知識と照合し、表現を選ぶ必要がある。この処理が記憶の痕跡を強くします。
一方、逐語的な書き写しは、意味の処理を経由せずに実行できます。音を文字に変換するだけなら、内容を理解していなくても可能です。
この観察は、ノートの「質」を判断する基準を与えます。板書と一字一句同じノートは、書き写しが成立しているだけで、処理が起きたことの証拠にはならない。
2. 見返すことの効果
保存機能については、より大きな効果が報告されています。ノートを取り、かつ復習した条件が、どの条件より成績が高い。
ただし、現実には見返されないノートが多いことも指摘されています。取ったノートを一度も開かないまま試験を迎えるという行動が、調査で繰り返し報告されています。
また、見返し方によっても効果が変わります。連載のメタ認知の記事で扱ったとおり、読み返すだけの復習は効果が乏しく、手応えだけが良い。ノートを閉じて内容を思い出す形にすれば、検索練習になります。
この観点からは、ノートの設計自体を変える余地があります。ページの片側を空けておき、後から自分で問いを書き込む。見出しだけを見て内容を再生できるか試す。ノートを、読む材料ではなく問う材料として作るという方向です。
もう一点、ノートの共有についても検討があります。他者のノートを借りて復習した場合、自分で取ったノートを復習した場合より成績が低いという報告があります。保存機能だけが働き、符号化機能が欠けるためだと解釈されています。
ただし、欠席した場合や、記録が追いつかなかった場合には、他者のノートは何もない状態よりは有効です。比較の相手を間違えないことが、この種の所見を実務に使うときの要点になります。自分のノートの代わりに使えば劣りますが、空白の代わりに使えば有効です。
3. 手書きとタイピングの比較
2014年、MuellerとOppenheimerが発表した研究が広く知られました。
講義を聞きながら、手書きでノートを取る群と、ノートパソコンで入力する群を比較したものです。報告された結果は次のとおりでした。
入力群のほうが記録した語数は多い。しかし、講義内容の逐語的な一致度も高い。つまり、書き写しに近い状態になっていた。
そして、事実を問う設問では差がなかったのに対し、概念の理解を問う設問では手書き群の成績が高かったと報告されました。
解釈として提出されたのが、速度の制約が処理を強制するという説明です。手書きは入力より遅いため、すべてを書き取ることができない。必然的に、選択と要約が生じる。この処理が理解を深める。
この研究は、教育の実務に大きな影響を与えました。ノートパソコンの使用を制限する方針の根拠として引用される例も多くありました。
4. 追試で何が起きたか
この知見も、再現性の検証を受けました。
複数の追試が行われ、結果は一貫しませんでした。大規模な直接的追試では、概念問題における手書きの優位が確認されなかったという報告があります。逐語性の差は再現される一方、成績の差は再現されにくいという整理が示されています。
メタ分析の水準でも、手書きの優位を示す効果量は小さく、条件によって符号が変わるとされています。
一方で、元の主張の核心である逐語的な記録が理解を妨げるという部分は、独立に支持されています。書き写しの度合いが高いほど成績が低いという関係は、媒体によらず報告されてきました。
したがって、現時点で言えるのは次の範囲です。手書きかタイピングかという媒体の違いより、逐語で写しているか言い換えているかのほうが効いている。手書きが有利に見えたのは、手書きが言い換えを強制しやすいためであり、媒体そのものの効果ではない可能性が高い。
この整理は、実務的にも扱いやすい。媒体を制限する必要はなく、入力であっても言い換えを求める設計にすればよいことになります。
5. ノートパソコンの本当の問題
媒体の効果とは別に、より頑健に報告されている問題があります。並行して別のことをするという問題です。
講義中のノートパソコン使用を扱った研究では、使用者の相当割合が講義と無関係な操作を行っていることが観察されています。そして、その時間と成績の間に負の関連が報告されています。
さらに、無作為化を用いた研究では、近くの席で別の操作をしている人がいるだけで、周囲の人の成績も下がるという結果が報告されています。視野に入る動きが注意を奪うという説明です。
この効果は、媒体そのものの認知的な性質ではなく、使用環境の問題です。したがって対処も異なります。媒体を禁止するか、並行使用を制限するか、座席の配置を変えるか。
連載の作業記憶の記事で扱った論点と接続します。注意の分割は、容量の制約に直接触れる。同時に二つの課題を処理しているとき、どちらの成績も単独より落ちます。
6. 記録量と成績の関係
ノートの評価指標として最も測りやすいのが、記録された情報の量です。研究では、講義で提示された要点のうちいくつが記録されたかを数えます。
報告されている観察の一つは、記録率が想定より低いことです。大学の講義を対象とした複数の調査で、提示された要点の3割から5割程度しか記録されていないという結果が示されてきました。
そして、記録率と成績には正の関連があります。ただし因果の向きは自明ではありません。理解できている内容ほど記録しやすいという経路も同時に存在します。
記録率を下げる要因として挙げられているのは、提示の速度、内容の難度、既有知識の不足です。とくに既有知識の影響は大きく、何が重要かを判断するには、その領域の知識が要ります。初学者は、重要な箇所と付随的な箇所を区別できないため、すべてを書き取ろうとするか、書き取れずに止まるかのどちらかになりやすい。
この観察は、連載の読解の記事で扱った論点と同じ構造です。要約するには何が重要かの判断が要り、その判断は知識に依存します。ノートの取り方の指導だけでは、知識の不足を補えません。
実務的な含意として、初学者には記録すべき箇所を明示することが有効です。「ここは書いてください」と指定する、重要度を記号で示す、といった操作は単純ですが、記録率を上げることが報告されています。
7. 止める時間を作る
講義中に短い停止を入れる操作が検討されています。数分ごとに1分から2分、話すのを止め、学習者にノートを補完させたり、隣と確認させたりする方式です。
報告されている結果は、おおむね肯定的です。停止を入れた条件で、記録量と後のテスト成績が高くなったという研究が複数あります。
説明としては、二つが提案されています。第一に、聞くことと書くことの並行処理が解消される。話を聞きながら書くと、書いている間の情報が欠落します。第二に、停止の間に処理を行う余地が生じる。言い換えや構造化は、聞き続けている状態では実行しにくい。
この操作は、連載の認知負荷の記事で扱った枠組みと整合します。同時に処理できる量には限りがあり、提示の速度を学習者が制御できない形式では、その限界が直接成績に効きます。
録画された講義であれば、学習者が自分で停止できます。この点は、連載の反転授業の記事で扱った形式の利点の一つとして挙げられてきました。ただし、実際に停止して処理する行動が生じるかどうかは別問題で、再生し続けて終わる場合が多いことも報告されています。
8. 誰がノートを作るか
ノートを学習者に作らせるか、教える側が用意するかという設計上の選択があります。
完成した配布資料を渡す方式は、記録の正確さを保証します。一方、符号化機能は働きません。書く必要がないからです。
研究で比較的良好な結果が報告されているのが、部分的に空欄を残した資料です。構造と重要な用語は印刷されており、学習者は要点を埋める。構造の把握に認知資源を使わずに済み、かつ書く処理は残ります。
この設計は、連載の認知負荷の記事で扱った枠組みと整合します。初学者にとって、構造を自力で見いだしながら同時に内容を処理することは負荷が高い。構造を与えることで、内容の処理に資源を回せます。
ただし、習熟が進んだ学習者では逆転しうる。構造を自分で作る作業自体が処理になるためです。支援は、習熟に応じて外していく必要がある。これも連載で繰り返し現れた原則です。
9. 設計に落とす
研究の知見を実務に翻訳すると、次のようになります。
逐語で写させない。これが最も一貫した所見です。板書をそのまま書き取る作業は、処理を伴いません。自分の言葉で短く書くよう求める。
媒体は問題の中心ではない。手書きでなければならないという証拠は弱い。ただし入力は逐語になりやすいので、言い換えを明示的に求める。
並行使用を切り離す。媒体の議論より、こちらのほうが効果が確認されています。周囲への影響もあるため、座席と環境の設計も含めて考える。
ノートを問う材料として作る。余白に問いを書く、見出しから内容を再生する。読み返す復習は手応えだけが良い。
止める時間を作る。聞きながら書くと、書いている間の情報が落ちます。数分ごとに短い停止を入れ、補完と言い換えの時間にする。
初学者には構造を与える。空欄補充型の資料は、構造の把握と内容の処理を分離できる。習熟に応じて支援を減らす。
取ったノートを使う設計にする。取りっぱなしのノートは保存機能を果たしません。いつ見返すかを、ノートを取る時点で決めておく。
10. 証拠の限界
留保を述べます。
第一に、多くの研究が大学生を対象とした一回の講義で実施されています。長期の学習や、低年齢の学習者に一般化できるかは別問題です。
第二に、手書き優位の効果量は小さく、再現性に幅があります。この知見を根拠に媒体を制限する方針を採るのは、証拠の強さに対して踏み込みすぎです。
第三に、ノートの質の測定は容易ではありません。逐語性は測れますが、良いノートの定義は研究によって異なります。
第四に、手書きの運動が記憶に与える影響については、脳活動を用いた研究が報告されていますが、行動指標での差が小さい以上、実務的な含意を引き出すには早い段階です。連載の作業記憶の記事で述べたとおり、脳活動の差は行動の改善を保証しません。
まとめ
ノートを取る行為には、書くことによる処理と、後で見返すための記録という二つの機能があります。両方が揃ったときに最も成績が高く、どちらか一方でも効果があります。
書き方の違いは大きい。逐語的な書き写しの効果は小さく、自分の言葉への言い換えの効果は大きい。この関係は、媒体を問わず報告されています。
手書きがタイピングより優れるという広く知られた知見は、追試で一貫せず、効果量も小さいという評価に移行しています。手書きが有利に見えた理由は、速度の制約が言い換えを強制したためであり、媒体そのものの性質ではない可能性が高い。一方、並行して別の操作をすることの悪影響は、より頑健に報告されており、周囲の人にも及びます。
実務的に効くのは、媒体の選択ではなく、逐語で写させないこと、取ったノートを問う材料として使うこと、初学者には構造を与えることの三点です。
主な参照研究
- Di Vesta, F. J., & Gray, G. S. (1972). Listening and note taking.
- Kiewra, K. A. (1985). Investigating notetaking and review: A depth of processing alternative.
- Mueller, P. A., & Oppenheimer, D. M. (2014). The pen is mightier than the keyboard.
- Morehead, K., Dunlosky, J., & Rawson, K. A. (2019). How much mightier is the pen than the keyboard for note-taking? A replication.
- Urry, H. L., et al. (2021). Don’t ditch the laptop just yet: A direct replication of Mueller and Oppenheimer’s study.
- Sana, F., Weston, T., & Cepeda, N. J. (2013). Laptop multitasking hinders classroom learning for both users and nearby peers.
- Carter, S. P., Greenberg, K., & Walker, M. S. (2017). The impact of computer usage on academic performance: Evidence from a randomized trial.
- Ruhl, K. L., Hughes, C. A., & Schloss, P. J. (1987). Using the pause procedure to enhance lecture recall.
- Kobayashi, K. (2006). Combined effects of note-taking/reviewing on learning and the enhancement through interventions.
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