機械が教えるという構想の、60年
教育に技術を導入すれば学習が改善するという主張は、新しいものではありません。1950年代の教授機械、1960年代のコンピュータ支援教育、1980年代の知的教授システム、2000年代の電子黒板とノートパソコン、2010年代の個別最適化。名称は変わりましたが、構造は繰り返されています。
そして、そのたびに大規模な評価が行われ、期待された効果量が確認されないという結果が報告されてきました。
ただし、この歴史を「技術は効かない」と要約するのは正確ではありません。効果が確認された条件も存在します。この記事では、何が効き、何が効かないのか、そしてなぜ効果が小さく出やすいのかを整理します。
1. 教授機械という出発点
Skinnerが提案した教授機械は、行動分析の原理を教育に適用したものでした。小さな単位に分割された内容を順に提示し、学習者が反応し、即座に正誤が返る。正答率が高くなるように単位を細かくする。
この設計の含意は明確でした。一斉授業では、一人ひとりの反応に即時に応答することができない。機械であれば、それが可能になる。
この構想は、現在の学習アプリケーションにもそのまま受け継がれています。即時フィードバック、細分化された単位、個人のペース。60年間、基本設計はほとんど変わっていません。
一方、連載のフィードバックの記事で扱ったとおり、即時フィードバックが常に最良とは限りません。正誤だけを返す形式は、手順の理解を促さない場合がある。また、想起の試行を省略させると、検索練習の効果が失われます。反応の速さと、学習の深さは別の軸です。
2. 知的教授システムの評価
1980年代以降、学習者の状態を推定し、それに応じて課題を選ぶシステムが開発されました。知的教授システムと呼ばれます。
代表的なものは、数学の問題解決過程を細かく追跡し、どの手順でつまずいたかを推定して、対応するヒントを出す設計でした。
この領域は、教育技術のなかでは比較的良好な評価を得てきました。メタ分析では、従来の一斉授業と比較して、小さいながら一貫した正の効果が報告されています。
ただし、比較の相手によって結果は変わります。人間による個別指導と比較すると、劣るという報告が一般的です。一斉授業と比較すると優る。「効果がある」という主張は、常に何と比べてかを伴わなければ意味を持ちません。
効果が確認されやすい条件も整理されています。手順が明確で、正誤が機械的に判定でき、つまずきの類型が限られている領域——具体的には初等中等の数学やプログラミングの入門——で効果が出やすい。逆に、論述や探究のように評価基準が曖昧な領域では、システムの設計自体が困難です。
3. 端末を配れば何が起きるか
2000年代後半、低所得国の児童に安価なノートパソコンを配布する大規模な取り組みが行われました。この施策は、無作為化を含む形で評価されています。
ペルーで実施された大規模な評価では、次の結果が報告されました。端末の使用量は増えた。認知能力を測る一部の指標に小さな改善が見られた。しかし、数学と読解の成績には差がなかった。
ウルグアイやその他の地域での評価でも、学力指標への効果は確認されにくいという結果が積み重ねられています。
説明として提出されているのは、次のような点です。端末が配られても、教育内容と授業の方法が変わらなければ、学習は変わらない。教員への訓練が伴わなければ、端末は既存の授業に付加されるだけで、置き換えにはならない。家庭での使用時間の多くが、学習以外の用途に向かう。
この所見は、より一般的な形で繰り返されてきました。技術の導入は、それ自体では学習の設計を変えない。
4. 家庭への導入の効果
家庭にコンピュータや通信環境を導入した場合の効果も、検証されています。
いくつかの無作為化研究では、家庭への端末配布が学力に与える効果は確認されないか、負の効果が報告される場合もありました。使用時間の多くが娯楽に向かい、学習時間を置き換えたという解釈が提出されています。
一方、明確な学習目的をもって設計された利用——特定の教材を、一定の頻度で、監督のもとで使う——では、正の効果が報告されています。
この対比は、実務的な含意を持ちます。手段へのアクセスを増やすことと、学習を増やすことは別です。アクセスは必要条件ではあっても、十分条件ではない。
5. 「個別最適化」という語の曖昧さ
近年広く使われる個別最適化という語は、複数の異なるものを指しています。
進度の個別化——同じ内容を、各自のペースで進める。難度の個別化——到達度に応じて課題の難度を変える。内容の個別化——学習する内容そのものを変える。方法の個別化——提示の形式を学習者の特性に合わせる。
このうち、進度と難度の個別化については、効果が報告されています。連載の能力別編成の記事で扱ったとおり、到達度に合わせた内容を提供することの価値は、実証されています。
一方、方法の個別化については、支持されていません。学習者の好む提示形式に合わせるという発想は、連載の学習スタイルの記事で扱ったとおり、検証に耐えていません。「個別最適化」を掲げる製品が、実際には学習スタイル説の再パッケージである場合があります。
また、内容の個別化には別の論点が伴います。何を学ぶかを到達度に応じて変えると、到達目標そのものが分岐します。これは技術の問題ではなく、教育課程の設計の問題です。
6. 比較の基準としての個別指導
教育技術の効果を評価するとき、比較の相手として繰り返し参照されるのが、人による個別指導です。
1980年代にBloomが提示した主張は広く知られています。個別指導を受けた学習者の成績が、一斉授業を受けた学習者の平均より大きく上回ったという報告で、その差の大きさから二シグマ問題と呼ばれました。
この数値には批判があります。元になった研究は小規模で、対象も限定的でした。測定に用いられた課題が指導内容に近く、差が大きく出やすい設計だったという指摘もあります。後年のメタ分析では、効果量はこれより小さく推定されています。
それでも、個別指導が一斉授業より効果的であるという方向自体は、繰り返し確認されています。近年の大規模なメタ分析でも、構造化された個別指導の効果は、教育介入のなかでは大きい部類に入ると報告されています。
効果が出やすい条件も整理されています。頻度が高く、指導者が一貫しており、学校の時間内に組み込まれ、内容が教育課程と接続している場合に効果が大きい。逆に、頻度が低く、指導者が入れ替わり、内容が授業と切り離されている場合は効果が小さい。
この整理は、技術の評価にとっても基準になります。技術が目指すべきなのは、個別指導が持つどの要素を、どこまで代替できるかという問いです。即時の応答と反復の管理は代替しやすい。学習者の状態を読み取り、説明の仕方を変え、関係を通じて関与を保つ部分は、現時点では代替されていません。
7. 費用対効果で見ると何が変わるか
効果量だけを比べると、多くの教育技術は分が悪く見えます。しかし、連載の教育経済学の記事で扱ったとおり、実務的な判断には費用が入ります。
同じ効果量でも、費用が10分の1であれば、同じ予算で10倍の対象に届きます。逆に、効果量が2倍でも費用が5倍なら、総量では劣ります。
この観点から見ると、技術の評価は変わります。反復練習の自動化は、効果量は小さいものの、一度作れば追加費用がほぼかからない。個別指導は効果量が大きいものの、人件費が対象人数に比例します。
ただし、費用の計上には注意が要ります。端末の購入費だけでなく、通信環境、保守、教員の訓練、使用時間の機会費用が加わります。これらを計上すると、見かけ上安価な施策が実際には高くつく場合があります。
また、費用対効果の比較は、効果が測定された指標に限定されます。測られていない副作用——使用時間が他の活動を置き換える、依存的な使用が生じる——は計上されていません。
8. なぜ効果が小さく出るのか
教育技術の評価で効果が小さく出やすい理由は、いくつかの構造に由来します。
置き換えなのか追加なのか。技術が既存の授業を置き換えるなら、比較は技術と従来法の比較になります。追加されるだけなら、時間の増加分の効果が混ざります。多くの評価で、この区別が曖昧です。
実装のばらつき。同じシステムでも、使用頻度、教員の習熟、環境によって実態が大きく異なります。平均効果は、実装のばらつきを含んだ値になります。
新奇性の効果。導入直後は、注目と期待によって成績が上がることがあります。期間が長くなると差が縮まる。
対照群の変化。技術が普及すると、対照群も類似の環境を持ちます。比較の相手が動くため、効果は縮小します。
測定されている学力の範囲。標準化されたテストで測れる範囲は限られています。効果が別の側面に出ている可能性を、この設計では捉えられません。
9. 効果が確認されている使い方
否定的な結果が多い領域ですが、比較的良好な結果が報告されている使い方もあります。
反復練習の自動化。基礎的な計算や語彙の習得で、即時判定と間隔を空けた再出題を機械が管理する形式。連載の分散学習と検索練習の記事で扱った原則を、機械が実行しやすい領域です。人が管理するより正確に間隔を制御できます。
到達度の把握。誰がどこでつまずいているかを、細かい粒度で可視化する。指導の判断材料として使う。これは学習そのものではなく、指導の情報基盤としての利用です。
アクセスの拡大。地理的・経済的な制約で受けられなかった指導を届ける。効果の比較対象が「指導なし」である場合、効果は大きくなります。
個別指導の補完。人による指導と組み合わせ、機械が反復と診断を担い、人が説明と動機づけを担う形式。単独よりも良好な結果が報告されています。
共通するのは、機械が得意な処理——正確な反復、間隔の管理、記録と集計——に限定して使っている点です。人の判断を置き換えようとした設計より、分業した設計のほうが結果が良い。
最後に、判断の順序について述べておきます。教育技術の導入は、しばしば手段から始まります。ある製品や端末が先にあり、それをどう使うかが後から検討される。
この順序では、評価が難しくなります。解こうとしている問題が特定されていないため、何が改善すれば成功なのかが定まらないからです。
実証に耐える順序は逆です。まず、どの学習上の問題を解きたいのかを特定する。次に、その問題に対して効果が確認されている介入を探す。その介入を実行する手段として技術が適しているかを判断する。技術は手段の候補の一つであって、出発点ではありません。
この順序を踏むと、多くの場合、技術以外の選択肢が先に見つかります。連載の教育経済学の記事で扱ったとおり、費用あたりの効果が高い介入には、技術を要さないものが多く含まれます。
10. 証拠の限界
留保を述べます。
第一に、技術は速く変わり、評価は遅い。評価が終わる頃には、対象となった製品が使われなくなっていることがあります。過去の評価をそのまま現在の製品に当てはめることはできません。
第二に、評価の多くが製品の開発者によって実施されています。利益相反のある評価は、効果量が大きく出やすいことが複数の領域で報告されています。
第三に、効果量の比較が難しい。対照群の設定、期間、測定指標が研究ごとに異なり、統合した数値の解釈には注意が要ります。
第四に、この領域は主張の規模と証拠の強さの乖離が特に大きい。導入の判断が、実証ではなく期待に基づいて行われることが多い分野です。
まとめ
教育に技術を導入する構想は60年繰り返されてきました。そのたびに、期待された効果量は確認されませんでした。端末を配布した大規模な無作為化研究では、使用は増えても学力指標に差が出ないという結果が報告されています。
理由は単純です。技術の導入は、それ自体では学習の設計を変えません。教育内容と授業の方法が変わらなければ、端末は既存の授業に付加されるだけになります。
一方、効果が確認されている使い方もあります。反復練習の間隔管理、到達度の細かい把握、指導へのアクセスの拡大、そして人による指導との分業。いずれも、機械が得意な処理に限定した設計です。
そして、「個別最適化」という語には注意が要ります。進度と難度の個別化には根拠がありますが、提示方法を学習者の好みに合わせるという発想は、検証に耐えていません。新しい語で提示されている中身が、すでに否定された主張であることがあります。
主な参照研究
- Skinner, B. F. (1958). Teaching machines.
- VanLehn, K. (2011). The relative effectiveness of human tutoring, intelligent tutoring systems, and other tutoring systems.
- Kulik, J. A., & Fletcher, J. D. (2016). Effectiveness of intelligent tutoring systems: A meta-analytic review.
- Cristia, J., Ibarrarán, P., Cueto, S., Santiago, A., & Severín, E. (2017). Technology and child development: Evidence from the One Laptop per Child program.
- Malamud, O., & Pop-Eleches, C. (2011). Home computer use and the development of human capital.
- Vigdor, J. L., Ladd, H. F., & Martinez, E. (2014). Scaling the digital divide: Home computer technology and student achievement.
- Escueta, M., Quan, V., Nickow, A. J., & Oreopoulos, P. (2017). Education technology: An evidence-based review.
- Bloom, B. S. (1984). The 2 sigma problem: The search for methods of group instruction as effective as one-to-one tutoring.
- Nickow, A., Oreopoulos, P., & Quan, V. (2020). The impressive effects of tutoring on preK-12 learning: A systematic review and meta-analysis.
- Banerjee, A. V., Cole, S., Duflo, E., & Linden, L. (2007). Remedying education: Evidence from two randomized experiments in India.
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