「動画を家で見る」が本体ではない
反転授業(flipped classroom)は、講義を授業時間の外に出し、教室では演習や議論に時間を使う方式を指します。日本では「家で動画、学校で演習」という説明が広まりましたが、研究上の関心は動画そのものにはありません。問われているのは、対面の時間を何に使うかです。
この区別は重要です。反転授業の効果を検証した研究の多くは、比較対象を「従来型の講義」に置いています。そのため効果が観測されても、それが①事前に動画を見たことによるものか、②教室で能動的な活動をしたことによるものか、③単純に学習時間が増えたことによるものかを切り分けられません。この交絡が、反転授業の文献を読むときの最大の注意点です。
1. どこから来た考え方か
教室の外で知識を入れ、教室では応用に時間を使うという発想自体は新しいものではありません。大学の演習形式や、医学教育の問題基盤型学習(PBL)には同じ構造があります。
広く知られるきっかけになったのは、高校化学の教員だったジョナサン・バーグマンとアーロン・サムズが、欠席した生徒のために講義を録画して配信した実践です。2000年代後半のことでした。彼らは録画そのものより、教室で生徒が詰まっている場面に教員が立ち会えるようになったことを成果として述べています。
同じ時期、物理教育の分野ではエリック・マズールによる「ピア・インストラクション」が定着しつつありました。講義中に概念問題を出し、まず個人で回答させ、次に近くの学生と議論させ、再度回答させる方法です。マズールは、ハーバード大学の学生が力学の公式を使えるのに概念を理解していないという診断結果に直面したことを、この方法を始めた動機として記しています。
この二つの流れは出自が異なりますが、「説明を聞いている時間を減らし、学習者が自分で処理する時間を増やす」という一点で重なります。反転授業を評価するときは、この一点が実現できているかどうかを見るのが筋です。
2. 効果を示した最も影響力のある研究
この領域で最も引用されるのは、スコット・フリーマンらが2014年に発表した、STEM分野(科学・技術・工学・数学)の学部教育を対象としたメタ分析です。225件の研究を統合し、能動的学習を取り入れた授業と伝統的な講義を比較しました。
結果は二つに分かれます。試験成績は能動的学習群のほうが高く、効果量はおよそ0.47標準偏差でした。これは同じ試験で平均点が半標準偏差ほど上がることに相当します。もう一つは落第率で、伝統的講義では能動的学習の約1.5倍の学生が単位を落としていました。
この研究が強いのは、対象が実際の大学の授業であり、成績や落第という実務的に意味のある指標を扱っている点です。一方で限界もあります。統合された研究の多くは無作為割当ではなく、同じ教員が方法を変えた前後比較や、クラス間の比較です。熱心な教員が新しい方法を試すという選択が働いていれば、効果は上振れします。
また、この分析が扱ったのは「能動的学習」であって「反転授業」ではありません。反転授業は能動的学習を実現する一つの手段にすぎず、両者を同一視すると議論がずれます。
3. 反転授業そのものを検証した研究
反転授業に限定した検証も蓄積されています。傾向としては、効果は正だが小さく、研究間のばらつきが大きいというものです。
ばらつきの原因として繰り返し指摘されるのが、実装の質の差です。同じ「反転授業」でも、教室で何をしているかは研究によって大きく違います。個人演習をさせるだけの実装もあれば、構造化された協同学習を行う実装もあります。前者では従来型の講義と大差がないという結果が出やすくなります。
もう一つは、事前学習が実際に行われているかという問題です。動画を配信しても視聴されなければ、教室では結局説明から始めることになります。研究の中には視聴ログを取り、視聴率が成績を予測することを示したものがありますが、その場合「反転授業が効いた」のか「もともと勉強する学生が視聴した」のかを区別できません。
生物学の授業を対象としたジェニファー・ジェンセンらの研究は、この交絡に正面から取り組んだ例として知られています。反転群と非反転群の両方で教室での活動を同一にそろえたところ、両群の成績差は消えました。効いていたのは動画による反転ではなく、教室での能動的な活動だったという解釈になります。
4. 学生の満足度は逆に下がることがある
反転授業や能動的学習を導入した授業では、学生の主観的な評価が下がる場合があります。この現象を正面から扱ったのが、ルイ・ドローリエらが2019年に発表した実験です。
ハーバード大学の物理の授業で、同じ内容を同じ教員が二通りの方法で教えました。一方は洗練された講義、もう一方は能動的学習です。学生は途中で両方を経験し、「自分はどれだけ学べたと感じるか」と「実際にどれだけ学べたか(テスト)」の両方を測定されました。
結果は明快に食い違いました。テストの成績は能動的学習のほうが高かったのに、学生の主観的な学習感は講義のほうが高かったのです。著者らは、流暢に進む講義は理解している感覚を生みやすく、自分で考える活動は苦しさを伴うため、学習感が下がると説明しています。
この結果には二つの含意があります。第一に、授業評価アンケートを改善の指標にすると、効果の高い方法が淘汰されうるということです。第二に、導入時に学習者へ説明を行う必要があるということです。実際この研究では、能動的学習の意義を事前に説明した群では主観的評価の低下が緩和されました。
5. 反転授業がうまくいかない条件
文献を通して見ると、失敗が報告されやすい条件はいくつかに整理できます。
条件1:事前学習の負荷が高すぎる。家庭学習の時間が確保できない学習者にとって、動画視聴は追加の負担になります。学習時間の格差が成績の格差に直結する設計は、教育機会の面で問題を生みます。
条件2:教室での活動が設計されていない。「動画を見てきたから各自演習」では、教員がいる意味が薄くなります。効果が報告される実装では、教室での活動に明確な構造があります。
条件3:前提知識が不足している。後述する認知負荷理論の観点からは、前提知識の少ない学習者ほど手厚い説明を必要とします。反転授業は、ある程度の自力処理ができる学習者を暗黙に前提しています。
条件4:評価が講義型のまま。教室で応用や議論に時間を使いながら、試験が知識の再生を問うものであれば、学習者は反転授業を非効率と感じます。
6. この分野の研究をどう読むか
反転授業の文献には、方法論上の弱点が繰り返し現れます。読む側が意識しておくとよい点を挙げます。
比較対象は何か。「従来型の講義」と書かれていても、その質は研究によって異なります。質の低い講義と比較すれば、どんな方法でも優位に見えます。
学習時間は統制されているか。反転授業では総学習時間が増えることが多く、これを統制しない比較は方法の効果を過大評価します。
アウトカムは何か。知識の再生を問う試験と、転移を問う課題では結果が異なることがあります。能動的学習の利点は、概念理解や転移の指標で大きく出る傾向があります。
誰が教えたか。新しい方法を導入する教員は熱意が高い場合が多く、方法と教員の効果が分離できません。同一教員が両方を担当した研究のほうが信頼できます。
公表バイアス。効果が出なかった実践は報告されにくく、メタ分析の推定値は上振れしがちです。ファンネルプロットなどで検討している研究のほうが慎重に読めます。
7. なぜ効くのか——説明されている機構
効果が観測されるとき、その原因として挙げられる機構は主に四つです。いずれも独立した研究領域を持っています。
機構1:検索練習。教室で問題を解くことは、記憶から情報を取り出す作業です。取り出す行為そのものが記憶を強化することは、ヘンリー・ローディガーとジェフリー・カーピキらの一連の研究で示されています。講義を聞くだけでは、この作業が起こりません。
機構2:誤りの早期発見。学習者が自分の理解の欠落に気づくのは、多くの場合それを使おうとしたときです。教室で応用させれば、誤りはその場で表面化します。家庭で誤ったまま定着させるより修正が速くなります。
機構3:即時のフィードバック。誤りが表面化しても、修正されなければ学習は進みません。教員が教室にいる時間を演習に充てることは、フィードバックの機会を増やすことを意味します。
機構4:説明することによる学習。ピア・インストラクションのように学習者同士が説明し合う設計では、説明する側の理解が整理されます。これは自己説明効果として独立に研究されています。
注意すべきは、これら四つはいずれも「反転」を必要としないことです。講義の途中に演習を挟む設計でも同じ機構は働きます。反転授業の価値は、機構そのものではなく、対面時間を確保するための運用上の工夫にあると考えるほうが整合的です。
8. 日本の文脈で考えるときの補正
海外の研究を読むときは、制度の違いを補正する必要があります。反転授業の文献の大半は、米国の大学、それも大人数の入門科目を対象にしています。
第一に、比較対象となる「従来型の講義」の姿が違います。数百人規模の講義室で一方向に進む授業と、日本の中学・高校の授業とでは、学習者が受け身でいる時間の長さが異なります。効果量をそのまま移植することはできません。
第二に、家庭学習の前提が違います。米国の学部教育では、授業時間の二倍程度の授業外学習が制度的に想定されています。同じ想定を置けない環境では、事前学習の負荷設計が結果を左右します。
第三に、評価の仕組みが違います。成績が試験一回で決まる制度と、平常点や課題が積み上がる制度とでは、学習者が何に時間を配分するかが変わります。
これらを踏まえると、日本の中等教育で参照すべきは「反転授業を導入するかどうか」ではなく、「対面の時間のうち、学習者が自分で処理している時間は何分あるか」という問いだと言えます。この問いであれば、制度の違いを超えて比較できます。
9. 設計の要点——文献から抽出できること
個別の研究を横断して見ると、効果が報告される実装にはいくつか共通点があります。導入の可否とは別に、設計の原則として取り出せます。
事前学習には答え合わせを付ける。動画を見るだけでは、理解したかどうかを学習者自身が判定できません。短い確認問題を添えると、視聴が受動的な作業に留まらなくなります。ここで得られる正答率は、教員が教室の設計を変える材料にもなります。
教室では、個人で考える時間を先に置く。ピア・インストラクションが個人回答→議論→再回答の順序を取るのは、議論の前に自分の考えを持たせるためです。いきなり議論から入ると、声の大きい学習者の答えに収束し、他の学習者の思考が起動しません。
誤答を素材として扱う。概念問題では、典型的な誤りを選択肢に組み込む設計が取られます。誤答が集まる選択肢は、その集団が持っている誤概念を示しており、次に説明すべき内容を教えてくれます。
事前学習をしていない学習者の受け皿を用意する。視聴率が100%になることはありません。冒頭の数分で要点を扱う、教室内で短時間の代替経路を用意するなど、置き去りにしない設計が要ります。
評価の形を活動に合わせる。教室で応用や説明を扱うのであれば、評価にも応用や説明を含めます。活動と評価がずれていると、学習者は活動を「本番と関係のないもの」として扱います。
10. 過大評価を避けるために
最後に、この方法をめぐる議論で繰り返し起きてきた過大評価の型を挙げます。
「新しさ」による効果。方法を変えた直後は、学習者の注意が高まり成績が上がることがあります。短期間の比較研究では、この一時的な効果と方法本来の効果を区別できません。長期にわたる追跡があるかどうかを確認する必要があります。
平均だけを見ること。効果量は集団の平均を表します。前提知識の多い学習者と少ない学習者では、同じ方法が逆向きに働くことがあります。平均が正でも、一部の学習者にとって不利になっている可能性は残ります。
成功例の一般化。研究として報告されるのは、実装に資源を投じた事例です。教材の準備、問題の設計、教室での運営はいずれも手間がかかります。同じ手間をかけられない環境で同じ結果を期待することはできません。
技術との混同。動画配信システムや学習管理システムの導入は、反転授業の必要条件ではありません。技術の導入を目的にすると、対面時間の使い方という本題から離れていきます。
反転授業についての研究が示しているのは、特定の形式が優れているということではなく、学習者が自分で処理する時間を増やすと学習が進むという、より一般的な事実です。形式は、その事実を実現するための手段のひとつにすぎません。
11. この論争の前史——「発見学習」をめぐる四十年
反転授業の議論は、突然現れたものではありません。教室の時間を学習者の活動に充てるという発想は、少なくとも1960年代から繰り返し提案され、そのたびに批判を受けてきました。
1960年代にはジェローム・ブルーナーらによる発見学習が広まりました。学習者が自ら原理を見いだす過程を重視する立場です。これに対し、デイヴィッド・オーズベルは「有意味受容学習」を対置しました。説明を受けること自体は受動的ではなく、既有知識と結びつけながら聞けば十分に能動的であるという主張です。
1990年代には構成主義にもとづく探究型の学習が広まり、2006年にはポール・キルシュナー、ジョン・スウェラー、リチャード・クラークによる批判論文が発表されます。指導を最小限にする方法は、初学者に対しては機能しないという主張で、この分野で最も論争を呼んだ論文のひとつです。
この前史を踏まえると、反転授業の評価も同じ軸の上に置けます。問題は「活動か説明か」ではなく、「どの段階の学習者に、どれだけの足場を与えるか」です。前提知識のない段階で活動だけを与えれば失敗し、十分な知識がある段階で説明を続ければ時間を浪費します。
反転授業が多くの場合で機能するように見えるのは、それが「説明を取り除く」方法ではなく「説明の場所を移す」方法だからだと整理できます。説明は残したまま、対面時間を活動に回している。これは、キルシュナーらの批判が向けられた「指導の最小化」とは別のことです。
12. 自分の教室で確かめる方法
研究の効果量をそのまま持ち込むことはできませんが、同じ問いを自分の環境で確かめることはできます。研究の作法に近づけるための最小限の手順を示します。
手順1:測る対象を先に決める。「理解が深まった」では検証できません。特定の単元について、概念を問う問題を数問用意し、事前と事後に同じものを使います。
手順2:比較の相手を決める。同一教員が別のクラスで従来型を行う、あるいは単元ごとに方法を入れ替える設計が現実的です。前者はクラス差、後者は単元の難易度差が混じるため、どちらの弱点も自覚しておきます。
手順3:学習時間を記録する。方法の効果と時間の効果を分けるために、家庭学習を含めた総時間を把握します。これを無視した比較は、結論を出せません。
手順4:主観評価と成績を別々に見る。ドローリエらの結果が示すとおり、この二つは食い違うことがあります。片方だけで判断すると方向を誤ります。
手順5:うまくいかなかった記録も残す。公表バイアスは研究の世界だけの問題ではありません。失敗した実装の条件こそ、次の設計に効きます。
まとめ
- 反転授業の本体は動画ではなく、対面時間の使い方である。
- フリーマンら(2014)のメタ分析では、能動的学習で試験成績が約0.47標準偏差向上し、落第率は伝統的講義が約1.5倍だった。ただし対象は「能動的学習」であって反転授業ではない。
- 教室での活動をそろえると反転の効果が消えた研究があり、効いているのは活動のほうだと解釈される。
- ドローリエら(2019)では、成績は上がるのに学生の主観的な学習感は下がった。授業評価を指標にすると有効な方法が淘汰されうる。
- 失敗しやすい条件は、事前学習の負荷過多・教室活動の未設計・前提知識の不足・評価の不一致。
- 効果の機構は検索練習・誤りの早期発見・即時フィードバック・説明による学習。いずれも反転を必要としない。
- 日本で参照すべき問いは「導入の可否」ではなく「学習者が自分で処理している時間は何分か」。
主な参照研究
- Freeman, S. ら(2014)STEM分野の学部教育における能動的学習のメタ分析。225件を統合し、試験成績と落第率を比較。
- Deslauriers, L. ら(2019)能動的学習における「学んだ感覚」と実際の学習量の乖離を検証した実験。
- Jensen, J. L. ら(2015)教室での活動をそろえた条件で反転の効果を検証した研究。
- Mazur, E.(1997)ピア・インストラクションの方法と、概念理解の診断にもとづく問題意識。
- Bergmann, J. & Sams, A.(2012)反転授業の実践記録。録画より対面時間の使い方を重視する立場。
- Roediger, H. L. & Karpicke, J. D.(2006)検索練習が記憶保持を高めることを示した一連の研究。
※ 効果量や比率は各研究の報告値です。研究ごとに対象・条件が異なるため、数値をそのまま別の場面に当てはめることはできません。
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