自分がどれだけ分かっているかを、人は正しく知らない
試験のあとで「できたと思ったのに」と言う。試験前に「もう大丈夫」と判断して勉強をやめる。教科書を読み終えて理解したつもりになる。
これらはいずれも、同じ一つの問題に帰着します。自分の理解の程度を測る精度が低いということです。
この能力はメタ認知的モニタリングと呼ばれます。そして、学習の成果を左右する要因として、知識そのものと同じくらい重要である可能性が指摘されてきました。理由は単純です。学習者は、自分の判断に基づいて、いつ勉強をやめるかを決めているからです。
どれだけ効率的な学習法を知っていても、「もう覚えた」という判断が早すぎれば、学習は途中で打ち切られます。逆に、判断が正確であれば、資源を弱い部分に集中させられます。
この記事では、モニタリングがどの程度不正確なのか、なぜ不正確なのか、そして精度を上げる方法として何が確かめられているのかを整理します。
1. 学習判断の精度は低い
研究で標準的に使われる測定が、学習判断です。ある項目を学習した直後に「あとでテストされたら思い出せそうか」を予測させ、実際のテスト成績と照合します。
報告されている相関は、条件によって幅がありますが、概して低い水準にとどまります。とくに、学習直後に判断させた場合の精度が低い。
理由として提出されているのが、手がかりの取り違えです。学習者は、記憶の強さを直接観察できません。代わりに、利用可能な手がかりから推測します。そして、その手がかりが妥当でないことが多い。
使われている手がかりとして、次のものが確認されています。
処理の流暢さ。すらすら読めた、すぐに理解できた、という感覚。しかし流暢さは、多くの場合、後の想起可能性と対応しません。むしろ逆の関係になる場合があります。
親近性。見覚えがある、聞いたことがある、という感覚。再認できることと、想起できることは別です。
提示形式。フォントが読みやすい、図がきれいに整理されている、といった表面的な特徴が判断に影響することが報告されています。
いずれも、実際の記憶の強さとは独立した手がかりです。学習者は、記憶の強さではなく、処理のしやすさを測っている。これがモニタリングの誤差の中心にあります。
2. 遅延して判断すると精度が上がる
この誤差を大きく減らす操作が見つかっています。判断を、学習の直後ではなく、時間を空けてから行わせることです。
Nelsonらが報告したこの効果は、この領域で最も再現性の高い所見の一つとされています。学習直後の判断と実際の成績の相関が低いのに対し、数分以上の間隔を置いた判断では、相関が大きく上がります。
説明としては、次のように考えられています。学習直後は、項目がまだ短期的な保持の中にあり、すぐに取り出せます。この取り出しやすさが判断の手がかりになるため、長期的な保持を反映しません。時間を置くと、短期的な保持が消え、長期記憶からの取り出し可能性そのものが判断の手がかりになる。
実務的な含意は明確です。覚えた直後に「覚えたか」を判断してはいけない。翌日、あるいは数日後に確認する。この一点だけで、学習の配分の精度は上がります。
3. 再読がもたらす錯覚
モニタリングの誤差が、学習方略の選択に直結する例があります。
教科書を繰り返し読む方略は、学生が最も多く採用する方略として繰り返し報告されています。そして、効果が乏しい方略としても繰り返し報告されています。
それでもこの方略が選ばれ続ける理由が、モニタリングの誤差です。再読すると、テキストは確実に読みやすくなります。この流暢さの上昇が、理解が深まった感覚として受け取られる。
実際に測ると、再読による成績の上昇は小さい。とくに、間隔を空けずに続けて読み直した場合はほとんど効果がありません。一方、主観的な理解度の評価は明確に上昇します。この乖離が問題の本体です。
対照的に、検索練習は主観的な手応えが悪い。思い出せない項目に直面するため、理解が浅いという感覚が生じます。しかし後の保持は明確に良い。方略の効果と、方略の手応えが、逆を向いている。
この連載で扱った「わかった気がする」の記事と同じ構造です。学習者が方略を選ぶとき、頼りにしているのは手応えであり、その手応えが系統的に誤っている。
4. 未来の自分を読み違える
もう一つの誤差の源が、知識の呪いと呼ばれる現象です。いま分かっている状態から、分かっていない状態を想像することが難しい。
答えを見た後で問題を見ると、その問題は簡単に見えます。解説を読んだ後では、自分でも解けそうに思える。この感覚が、実際に自力で解く能力の推定を歪めます。
関連する実験があります。学習中に答えを見ながら学習した群と、自力で想起を試みてから答えを見た群を比べると、前者は後の成績を高く予測しますが、実際の成績は低い。予測の誤差が、方略によって変わることになります。
この現象は、教える側にも起こります。自分にとって自明な手順が、学習者にとっても自明だと感じられる。説明を省略した箇所が、学習者にとっては断絶になっている。
5. 「できない人ほど自信がある」という主張の扱い
モニタリングの話題では、下位層ほど自己評価が過大になるという主張がよく引かれます。
元になった研究では、成績の下位層が自分の順位を大きく過大に見積もり、上位層はやや過小に見積もったと報告されました。解釈として、能力が低いと、自分の能力の低さを認識する能力も欠くという説明が提出されました。
しかし、この解釈には強い批判があります。主な論点は次のとおりです。
第一に、統計的な回帰で同じパターンが生じます。測定に誤差がある二つの変数を比べると、一方の下位層は他方で平均に近づきます。能力と無関係に、下位層は過大評価、上位層は過小評価のパターンが現れる。
第二に、尺度の端の効果があります。最下位の人は、自分を最下位より低く見積もることができません。
第三に、無作為なデータを用いた模擬でも、同様の図が再現されることが示されています。
これらの批判は、元の観察そのものを否定するものではありませんが、「能力の低さが自己認識の欠如を生む」という因果的な説明は、支持が弱いということになります。
実務的には、この主張を人の評価に使うべきではありません。使えるのは、自己評価は誰にとっても不正確であり、外部の測定で補う必要があるという、より穏当な結論のほうです。
6. 採点のあとで起きること
モニタリングの誤差は、結果を見た後にも形を変えて現れます。
答案が返却され、誤答の解説を読むと、多くの学習者は「うっかりミスだった」「分かっていたのに書き間違えた」と判断します。この判断が正しい場合もありますが、系統的に過大になることが指摘されています。
解説を読んだ後の状態から、解説を読む前の状態を復元することができないためです。理解した状態から見ると、誤答の原因は些細な不注意に見える。実際には、手順の選択そのものが分かっていなかった場合でも、同じように見えます。
対処として提案されているのは、誤答を、解説を読む前に分類させることです。手順を知らなかったのか、手順は知っていたが選べなかったのか、選べたが実行を誤ったのか。この分類を先にやっておけば、解説後の再構成に引きずられません。
同じ理由で、やり直しは時間を空けてから行うほうが情報量が多くなります。解説を読んだ直後に解き直せば、ほぼ確実に解けます。それは解けるようになった証拠ではなく、解説がまだ短期的な保持に残っている証拠です。
7. 自信と正答率の対応
モニタリングを測る別の方法に、解答ごとに自信の度合いを申告させるやり方があります。自信と正誤の対応を集計すると、較正の程度が分かります。
報告されている一般的な傾向は、全体として過信の方向へ偏るというものです。自信80%と申告した問題群の正答率が、80%に届かない。
ただし、この偏りは一様ではありません。難しい問題では過信が強く、易しい問題では逆に過小評価が起きるという報告があります。難易度によって偏りの向きが変わるため、「人は過信する」という一般化には注意が要ります。
実務上有用なのは、自信の申告を復習の優先順位づけに使うことです。正答かつ高確信の項目は復習の優先度が低い。誤答かつ高確信の項目は、誤った知識が定着している可能性が高く、最優先で扱う必要があります。
この最後の類型は、単なる知識の欠落より厄介です。前の記事で扱った誤概念の持続と同じ構造で、正しい情報を一度与えただけでは置き換わりません。誤りが発動する場面を再度作り、対比させる必要があります。
また、高確信の誤りは、フィードバックが与えられたときの修正効果が大きいという報告もあります。予測と結果のずれが大きいほど、修正が起きやすい。この所見は、誤りを避けさせるより、誤りを表に出させてから直すほうが有効な場合があることを示唆します。
8. 精度を上げる方法
モニタリングの精度を上げる操作として、検証されているものを挙げます。
時間を空けてから判断させる。最も効果が確認されている操作です。学習直後の判断は使わない。
想起を判断の材料にする。「覚えたか」を内省で判断せず、実際に思い出させてから判断させる。検索練習は、記憶を強めると同時に、モニタリングの手がかりを妥当なものに置き換えます。この二重の効果が、検索練習の価値の一部を説明します。
自己説明を書かせる。「なぜそうなるか」を自分の言葉で説明させると、説明できない箇所が可視化されます。読んで分かった感覚と、説明できることの差が明確になる。
基準を外に置く。模範解答、採点基準、他者の答案。内省ではなく外部の基準と照合する。
フィードバックの遅延を利用する。答えをすぐ見せると、想起の試行が省略され、判断の材料が失われます。
いずれにも共通するのは、内省を、外形的な証拠で置き換えるという方向です。感覚の精度を上げようとするのではなく、感覚に頼らない材料を用意する。
9. モニタリングと制御は別の問題
モニタリングが正確になっても、それだけでは学習は改善しません。判断に基づいて行動を変える段階が別に存在します。
研究では、この二つを分けて扱います。モニタリングは状態の把握、制御は次に何をするかの決定です。
制御の段階でも、系統的な偏りが報告されています。学習者は、弱い項目より、中程度の項目に時間を配分する傾向がある。まったく分からない項目は諦め、よく分かる項目は飛ばし、その中間に時間を使う。
この配分は、限られた時間では合理的な面もあります。しかし、諦めの判断が早すぎる場合が多いことも指摘されています。
また、学習をやめる判断の基準そのものにも偏りがあります。一度正解できたら終わりにするという基準が広く観察されますが、一度の正解では保持は保証されません。間隔を空けて複数回正解できるまで続けたほうが、後の保持は良くなります。
10. 証拠の限界
留保を述べます。
第一に、測定の多くは単語対や短い文章を使った実験室課題です。教科書一章分の理解の判断に、同じ効果量が当てはまるかは別問題です。
第二に、モニタリングの訓練が学力を上げるという証拠は、限定的です。判断の精度が上がっても、学習行動が変わらなければ成績は動きません。介入研究の効果量は小さいものが多い。
第三に、遅延判断の効果は頑健ですが、実務に組み込むには手間がかかります。学習の場面で、判断だけを後回しにする設計は自然に生じません。
第四に、メタ認知という語は広く使われすぎており、異なる現象が同じ名前で呼ばれています。方略の知識、モニタリング、制御、自己調整。これらを区別せずに効果を論じると、議論が噛み合わなくなります。
まとめ
自分がどれだけ理解しているかという判断は、系統的に不正確です。学習者は記憶の強さではなく処理の流暢さを測っており、この二つは一致しません。読みやすさ、見覚え、整理された見た目が、理解の証拠として誤って使われます。
この誤差は、方略の選択に直結します。再読は手応えが良く効果が乏しい。検索練習は手応えが悪く効果が高い。手応えを基準に選ぶ限り、効果の低い方略が選ばれ続けます。
精度を上げる方法として最も確かなのは、判断を時間的に遅らせることと、内省ではなく実際の想起を判断の材料にすることです。どちらも、感覚の精度を上げるのではなく、感覚に頼らない証拠を用意するという方向です。
そして、モニタリングが正確になっても、行動が変わらなければ成績は動きません。「一度できたらやめる」という基準を、「間隔を空けて複数回できるまで続ける」に変えること。判断の精度と、判断に基づく行動は、別々に設計する必要があります。
主な参照研究
- Nelson, T. O., & Dunlosky, J. (1991). When people’s judgments of learning are extremely accurate at predicting subsequent recall: The delayed-JOL effect.
- Koriat, A. (1997). Monitoring one’s own knowledge during study: A cue-utilization approach.
- Rhodes, M. G., & Castel, A. D. (2008). Memory predictions are influenced by perceptual information.
- Dunlosky, J., Rawson, K. A., Marsh, E. J., Nathan, M. J., & Willingham, D. T. (2013). Improving students’ learning with effective learning techniques.
- Karpicke, J. D., Butler, A. C., & Roediger, H. L. (2009). Metacognitive strategies in student learning.
- Kruger, J., & Dunning, D. (1999). Unskilled and unaware of it.
- Krueger, J., & Mueller, R. A. (2002). Unskilled, unaware, or both? The better-than-average heuristic and statistical regression.
- Butterfield, B., & Metcalfe, J. (2001). Errors made with high confidence are hypercorrected.
- Nickerson, R. S. (1999). How we know—and sometimes misjudge—what others know.
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