「わかった気がする」は学習量と一致しない
授業を受けたあと、学習者は自分がどれだけ学べたかを見積もります。この見積もりが実際の学習量とどの程度一致するのかは、教育研究の中心的な問いのひとつです。
結論から言えば、一致しません。しかも、ずれ方には方向があります。流暢に理解できた感覚を与える方法ほど実際の定着は低く、苦労を伴う方法ほど定着が高い。この逆転は複数の領域で繰り返し確認されており、学習の設計と評価に直接影響します。
1. 決定的な実験——成績と学習感の逆転
この問題を最も明確に示したのが、ルイ・ドローリエらが2019年に発表したハーバード大学での実験です。設計が周到なので、詳しく見る価値があります。
物理の入門科目で、同じ内容を二つの方法で教えました。一方は経験を積んだ教員による講義、もう一方は同じ教員による能動的学習の授業です。学習者は期間中に両方を経験するよう割り当てられ、各回のあとに「自分はどれだけ学べたと感じるか」「この方法をもっと受けたいか」を回答し、あわせて内容の理解度テストを受けました。
結果は二重に食い違いました。テストの得点は能動的学習のほうが有意に高く、主観的な学習感は講義のほうが高かったのです。しかも学習者は、講義形式の授業をもっと受けたいと答えました。
著者らの解釈は、処理の流暢さに関わるものです。整理された講義は、内容が理解可能なものとして滑らかに提示されます。この滑らかさが「わかった」という感覚を生みます。一方、自分で問題に取り組む時間は、詰まり、間違え、考え直す時間です。この摩擦が「わかっていない」という感覚を生みます。
重要なのは、この感覚は理解度と逆向きだったという点です。摩擦のある処理のほうが記憶に残り、応用が利いていました。
2. 流暢性が判断を誤らせる仕組み
この現象は、認知心理学で「処理流暢性」として研究されてきた領域と接続します。人は、情報が処理しやすいかどうかを、内容の真偽や自分の理解度の手がかりとして使ってしまいます。
読みやすい書体で書かれた文章は、読みにくい書体のものより正しいと判断されやすい。繰り返し聞いた主張は、根拠が増えていなくても確からしく感じられる。こうした知見は、判断の場面で広く確認されています。
学習の場面では、これが「復習したつもり」という形で現れます。教科書を読み返すと、書かれている内容は見覚えがあり、滑らかに読めます。この滑らかさが既知の感覚を生み、学習者は理解できていると判断します。しかし、読み返しは記憶から取り出す作業を含んでいません。
この点を実験的に示したのが、ジェフリー・カーピキとジャネル・ブラントが2011年に発表した研究です。学習方法として①繰り返し読む、②概念地図を作る、③検索練習を行う、の三条件を比較しました。学習直後に学習者自身が予測した成績は、繰り返し読む条件が最も高く、検索練習が最も低いものでした。一週間後の実際のテストでは、順序がほぼ逆転しました。
つまり、学習者は最も効果の低い方法を最も効果的だと感じていたことになります。
3. 望ましい困難——摩擦が学習を作る
この逆転を理論的に整理したのが、ロバート・ビョークとエリザベス・ビョークによる「望ましい困難(desirable difficulties)」という概念です。学習中の成績を下げるが、長期の保持と転移を高める操作が存在する、という主張です。
代表的なものを挙げます。
分散学習。同じ総時間を、まとめて使うより間隔を空けて使うほうが保持が高まります。まとめて学習すると練習中の成績は良く見えますが、時間が経つと失われます。
交互学習。一種類の問題を続けて解くより、複数種類を混ぜて解くほうが、後の判別能力が高まります。混ぜると練習中の正答率は下がります。
検索練習。読み返すより、思い出そうとするほうが保持が高まります。思い出す作業は失敗を伴い、苦しく感じられます。
手がかりの削減。常に手本を示すより、徐々に手がかりを減らすほうが、自力での遂行が身につきます。
ビョークらが強調するのは、これらが「望ましい」のは条件つきだという点です。困難であれば何でもよいのではありません。学習者がその困難を乗り越えられる場合にのみ効果が出ます。前提知識がない状態で難度を上げれば、ただの失敗になります。この境界を「望ましい困難」と「望ましくない困難」の区別として論じています。
4. 学習曲線を測定値として信用しない
この論点は、教育の実務に一つの厄介な帰結をもたらします。学習中のパフォーマンスは、学習の進み具合の指標として信用できないということです。
練習中の正答率が高い状態は、二通りの解釈が可能です。内容が身についているのかもしれないし、条件が易しすぎて記憶から取り出す作業が起きていないのかもしれません。区別するには、時間を空けてから、条件を変えて測るしかありません。
この点は、授業や教材の評価にも及びます。授業直後の理解度確認テストで高得点が出ても、それが一週間後の保持を保証しません。実際、直後の成績と遅延後の成績が逆転する例は繰り返し報告されています。
研究を読むときも同じです。アウトカムをいつ測ったのかを確認する必要があります。直後のテストだけを報告している研究は、望ましい困難の効果を検出できません。
5. 学習者の判断はどこまで改善できるか
では、学習者に正しい判断をさせることはできるのでしょうか。この問いは、メタ認知の研究として蓄積があります。
まず、単に正しい方法を教えるだけでは行動は変わりにくいことが分かっています。検索練習が有効だと説明されても、学習者は読み返しを選び続ける傾向があります。感覚のほうが強いためです。
有効性が報告されている介入は、感覚そのものを修正するものです。たとえば、二つの方法を自分で試し、遅延後のテストで結果を比較させると、選好が変わることが示されています。他人の説明ではなく、自分のデータで経験させる設計です。
もう一つは、判断の時点をずらす方法です。学習直後に自己評価させると流暢性の影響を強く受けますが、しばらく時間を置いてから評価させると、判断の精度が上がることが知られています。
ドローリエらの実験でも、能動的学習の意義を事前に説明した条件では主観評価の低下が緩和されました。説明は無力ではないが、単独では弱いというのが現時点の整理です。
6. 授業評価アンケートという制度上の問題
学習感と学習量が乖離するという事実は、制度の設計に直接影響します。多くの教育機関は、学習者による授業評価を教育の質の指標として使っています。
ドローリエらの結果が正しければ、効果の高い方法を採用した授業ほど評価が下がることになります。評価が人事や予算に連動していれば、教員には効果の低い方法を選ぶ誘因が働きます。
この懸念は、授業評価と学習成果の関係を扱った研究群とも整合します。両者の相関は一貫して弱く、条件によっては負になることが報告されています。とくに、同一の内容を複数の教員が教え、後続科目の成績で追跡した研究では、評価の高い教員の学生が後続科目で高い成績を示すとは限らないという結果が示されています。
この知見の扱いには慎重さが要ります。授業評価が無意味だという結論にはなりません。授業評価は、説明の明瞭さ、質問のしやすさ、進行の公平さといった側面については有効な情報源です。問題は、それを学習成果の代理指標として使うことにあります。
実務的な含意は、指標を分けることです。学習成果は成果で測り、体験の質は体験として測る。両者を一つの数字に混ぜると、どちらの改善にも使えなくなります。
7. 教える側の判断も同じ誤りに陥る
流暢性の影響を受けるのは学習者だけではありません。教える側も、授業の手応えを流暢さで判断します。
説明が滑らかに進み、学習者がうなずき、質問が出ない授業は、うまくいったように感じられます。しかしこの状態は、内容が易しすぎて処理の負荷がかかっていない場合にも生じます。逆に、学習者が詰まり、質問が出て、進行が予定どおりにいかない授業は、失敗したように感じられます。
この非対称は、実践の改善を難しくします。手応えを頼りに調整すると、摩擦の少ない方向へ流れていくためです。
対処は、学習者の場合と同じです。手応えではなく、遅延後の測定を判断材料にする。単元の終わりではなく、数週間後に同じ内容を問う。そこで残っていないものは、その場でどれだけ滑らかに進んでいても定着していません。
8. この知見の限界
ここまでの議論には、いくつかの留保が必要です。
第一に、対象の偏りです。ドローリエらの実験はハーバード大学の物理の授業です。学習者は選抜を経ており、前提知識も学習習慣も一般的とは言えません。前提知識の少ない学習者では、能動的学習の負荷が過大になり、結果が変わる可能性があります。
第二に、期間の短さです。多くの実験は一つの単元や数回の授業を対象にしています。一学期、一年という期間で同じ逆転が持続するかは、別の検証を要します。
第三に、主観評価の測り方です。「どれだけ学べたと感じるか」という問いは、快適さや好みと分離しきれません。学習感と満足度を分けて測る設計は、まだ十分に整理されていません。
第四に、望ましい困難の境界です。どの程度の困難が望ましく、どこから有害になるのかを事前に決める一般的な基準はありません。実務では、学習者の反応を見ながら調整するほかないのが現状です。
9. 能力の低い者ほど自己評価が高いという主張の扱い
自己評価の誤りを論じるとき、しばしばダニング=クルーガー効果が引き合いに出されます。能力の低い者ほど自分の能力を過大評価する、という主張です。
この効果については、統計的な人工物である可能性が繰り返し指摘されています。測定誤差がある指標で、下位群と上位群の自己評価と実測を比べれば、平均への回帰だけで同じ形のグラフが生じます。実際、無作為なデータを使って同様のパターンを再現できることが示されています。
教育の文脈では、この論争に深入りする必要はありません。重要なのはより穏当な事実、すなわち自己評価の精度は総じて低く、学習が進むほど精度が上がる傾向があるという点です。前提知識が増えれば、何を理解していないかを認識するための枠組みも増えます。
実務上の含意は明快です。初学者に自己評価で学習計画を立てさせるのは無理がある。外部からの測定を組み合わせる必要があります。
10. 設計に落とすと何が変わるか
ここまでの知見を、学習の設計に反映するとどうなるかを整理します。
理解度の確認は、時間を空けてから行う。説明の直後に確認しても、短期記憶に残っているだけの状態を測ることになります。次回の冒頭で前回の内容を問う設計にすると、保持を測れます。
教材の「わかりやすさ」を目的にしない。読んで滑らかに理解できる教材は、読者に理解した感覚を与えます。そのこと自体は悪くありませんが、確認の問いが伴わなければ、感覚だけが残ります。
学習者に自分のデータを見せる。方法を変えるよう説得するより、二つの方法を試して遅延後の結果を比較させるほうが行動が変わります。これは研究上も、実務上も一貫して報告されています。
難しさの意味を共有する。詰まることが失敗ではないと事前に伝えるだけで、主観評価の低下は緩和されます。学習者が難しさを「自分に向いていない証拠」と解釈すると、方法ごと放棄されます。
指標を分ける。成果の指標と、体験の指標を別々に持つ。両方を見なければ、片方を犠牲にした改善に気づけません。
最後に、この分野の知見はいずれも「苦しければよい」という主張ではありません。困難が有効なのは、学習者がそれを乗り越えられる範囲にある場合に限られます。どこが境界かを見極める作業そのものが、教える側の仕事だということになります。
11. 具体例で見る——同じ内容、違う残り方
抽象的な話を、実際の学習場面に落として確認します。ここでは英単語、数学の解法、歴史の因果関係という性質の違う三つを取り上げます。
英単語。単語帳を眺めて日本語訳を確認していく方法は、流暢さの極致です。見た瞬間に意味が浮かぶため、既知だという感覚が強く出ます。一方、意味を隠して思い出そうとすると、出てこないものが露出します。後者のほうが不快ですが、遅延後の保持は高くなります。ここでの誤りは、覚えていないことを「覚えている」と判定してしまう点にあります。
数学の解法。解答を読んで理解する作業は、論理の流れが整っているため滑らかに進みます。「わかった」と感じます。しかし、解答を読む作業には、方針を自分で選ぶ段階が含まれていません。試験で要求されるのは方針の選択なので、読んで理解した状態と解ける状態の間には隔たりが残ります。ここでは、交互学習の効果が関わります。単元ごとにまとめて解くと方針の選択が不要になり、練習中の正答率は上がりますが、判別する力は育ちません。
歴史の因果関係。教科書の記述は因果が整理されて書かれているため、読めば納得できます。しかし納得は、自分で因果を構成する作業とは別です。出来事を並べ替えたり、原因を自分の言葉で説明したりすると、理解の穴が見えます。ここでは自己説明の効果が関わります。
三つに共通するのは、入力の理解と出力の生成は別の能力であり、入力側だけを繰り返しても出力側は育たないという構造です。学習感が生じるのは主として入力側なので、感覚に従うと出力の訓練が不足します。
12. この知見を誤用しないために
最後に、この分野の知見が実務で誤用される典型を挙げます。
誤用1:難しくすればよいと考える。望ましい困難は、学習者が処理できる範囲でのみ成立します。前提知識が不足した状態で難度を上げれば、単に失敗が積み重なります。効果の条件を落とした一般化は、この分野で最も多い誤りです。
誤用2:わかりやすい説明を否定する。流暢な説明が学習感を過大にするという知見は、説明を雑にせよという意味ではありません。説明は明瞭であるべきで、そのうえで出力の機会を設けるという話です。
誤用3:学習者の主観を無視する。主観評価が学習量の指標にならないことと、主観がどうでもよいことは違います。継続を左右するのは主観です。難しさの意味を説明せずに負荷だけを上げれば、学習は中断されます。
誤用4:一度の測定で判断する。遅延後の測定が重要だという主張自体が、単一の測定では確かめられません。複数の時点、複数の形式で測ってはじめて、定着の有無が見えてきます。
まとめ
- 学習者の「学べた感覚」と実際の学習量は一致せず、しばしば逆向きになる。
- ドローリエら(2019)では、同一教員・同一内容でも、成績は能動的学習が高く、主観的学習感は講義が高かった。
- 原因は処理の流暢さ。滑らかに処理できることを理解の手がかりにしてしまう。
- カーピキとブラント(2011)では、学習者が最も効果的だと感じた方法(繰り返し読む)が、遅延テストで最も効果が低かった。
- ビョークらの「望ましい困難」——分散・交互・検索練習・手がかりの削減は、練習中の成績を下げ長期の保持を上げる。ただし乗り越えられる範囲でのみ有効。
- 学習中のパフォーマンスは進捗の指標として信用できない。遅延後に、条件を変えて測る必要がある。
- 授業評価を学習成果の代理指標に使うと、効果の高い方法が不利になる。指標は分けるべき。
主な参照研究
- Deslauriers, L., McCarty, L. S., Miller, K., Callaghan, K., & Kestin, G.(2019)能動的学習における学習感と実際の学習の乖離。
- Karpicke, J. D. & Blunt, J. R.(2011)検索練習・概念地図・反復読解の比較。学習者の予測と実測の逆転。
- Bjork, R. A. & Bjork, E. L. 望ましい困難の概念と、学習中の成績を学習の指標としないことの重要性。
- Kornell, N. & Bjork, R. A.(2008)交互学習が帰納的な判別課題の成績を高める一方、学習者の評価は逆だったことを示した研究。
- Alter, A. L. & Oppenheimer, D. M.(2009)処理流暢性が判断に与える影響のレビュー。
※ 各研究の対象や条件は異なります。効果の方向は再現されていますが、大きさは文脈に依存します。
この連載の他の記事
教育学・認知心理学・社会心理学・行動経済学・教育経済学の研究をもとにした連載です。
- 反転授業は何を変えるのか——「動画を家で見る」が本体ではない
- 検索練習——思い出す作業が記憶を作る
- 分散学習と交互学習——同じ時間の配り方で結果が変わる
- 認知負荷理論と「指導の最小化」論争
- 学習スタイル説はなぜ検証に耐えないのか
- マインドセット研究の現在——再現性の検証を経て何が残ったか
- 社会心理学的介入——短時間の介入が長期に効く条件
- 教育経済学——同じ費用で何が一番効くのか
- 行動経済学と教育——ナッジは何を変え、何を変えないか
- フィードバックはなぜ逆効果になりうるのか
- 読解は技能か知識か——背景知識が理解を決める
- リーディング・ウォーズ——初期の読み指導をめぐる論争
- 数学の概念理解と手続き習熟——どちらが先かという問いの誤り
- 作業記憶は訓練で増やせるか——「脳トレ」研究が示した転移の限界
- 能力別編成は誰の利益になるか——ピア効果と習熟度別指導の実証
- 睡眠は学習の一部である——記憶の定着、思春期の体内時計、始業時刻の実証
- 報酬は意欲を壊すのか——過剰正当化効果から大規模実験まで
- 「1万時間の法則」は何を言っていないか——意図的練習研究の実際
- 学歴は何の対価か——人的資本とシグナリングをめぐる実証
- 学んだことはなぜ別の場所で使えないのか——学習の転移をめぐる100年
- 「分かったつもり」はなぜ生じるか——メタ認知的モニタリングの研究
- 試験で実力が出ないという現象——テスト不安とステレオタイプ脅威
- 就学前教育の効果はなぜ「消えて、残る」のか
- 宿題は効くのか——学年・内容・家庭環境で符号が変わる
- ノートは何をしているのか——手書き優位説の再検証
- 教育に技術を入れると何が起きるか——60年分の評価
- 外国語は早いほどよいのか——臨界期をめぐる実証
- グループにすれば学ぶ、わけではない——協同学習の条件
- 教育研究をどう読むか——因果推論と効果量の作法
