読めないのは、読み方を知らないからではない
文章が読めない。この問題に対して、教育は長く「読み方の技能」を教えることで応えてきました。要点をつかむ、推論する、要約する、予測する。これらは読解ストラテジーと呼ばれ、指導の対象になっています。
研究が示してきたのは、別の説明です。読解の成否を最も強く左右するのは、その文章が扱っている事柄についてどれだけ知っているかである。技能ではなく知識が効いている。
この主張は、カリキュラムの設計に重い含意を持ちます。技能なら教科を問わず訓練できますが、知識は内容ごとに積むしかありません。
1. 野球の実験
この論点を最も鮮明に示した研究として引かれるのが、ドナ・レクトとローレン・レスリーが1988年に発表した実験です。
中学生を、読解力の高低と野球の知識の高低で四群に分けました。全員に野球の試合を描写した文章を読ませ、内容の理解と再生を測りました。
結果は明快でした。野球を知っている生徒は、読解力の測定値が低くても、野球を知らない読解力の高い生徒より内容をよく理解していました。知識の有無が、読解力の差を上回ったということになります。
この結果の解釈は、テキストの理解が何を要求しているかに関わります。文章は、読み手が知っていることを前提に省略を含みます。野球の描写で「送りバント」と書かれていれば、その状況の意味は明示されません。知識がある読み手は空白を埋められますが、ない読み手は語の連なりとして処理するしかありません。
2. ストラテジー指導の効果はどこまでか
読解ストラテジーの指導が無効だというわけではありません。効果は報告されています。問題は、効果の形です。
複数のレビューが示しているのは、次のような傾向です。ストラテジー指導は比較的短期間で効果が現れ、その後は追加の訓練を重ねても伸びが鈍る。要約の仕方や自己質問の手順を知らなかった学習者がそれを知ると改善しますが、いったん習得すると、それ以上の訓練からは得るものが少なくなります。
この形は、ストラテジーが比較的少数の手続きであることと整合します。知らなければ教える価値があるが、教え続ける価値はない。
ダニエル・ウィリンガムは、この点を「読解ストラテジーは薬ではなく、ちょっとしたコツに近い」という趣旨で整理しています。効果はあるが、上限が低い。読解の伸び代の大部分は、別のところにあるということになります。
実務的な含意は、時間配分に関わります。ストラテジー指導に長期間を割く設計は、収穫逓減の領域に資源を投じていることになります。
3. 語彙——知識と読解をつなぐ経路
背景知識の効果は、語彙を通じて働く部分があります。語を知っているかどうかは、その語が指す事柄を知っているかどうかとほぼ同じです。
語彙の量が読解を予測することは、多数の研究で確認されています。問題は、どうやって増やすかです。
研究が示しているのは、語彙の大部分は明示的な指導ではなく、読書を通じて付随的に獲得されるということです。学校で直接教えられる語数には限りがあり、学習者が実際に習得する語数はそれを大きく上回ります。
ここに循環があります。語彙が多いほど読めるものが増え、読めるものが増えるほど語彙が増える。逆向きにも働くため、初期の差が時間とともに拡大します。この現象はマタイ効果と呼ばれています(キース・スタノヴィッチによる整理)。
この循環が意味するのは、読解の問題を読解の指導だけで解こうとしても間に合わないということです。語彙と知識を増やす経路——読む量、扱う話題の広さ——を確保しなければ、循環の向きは変わりません。
4. カリキュラムへの含意
この知見を最も強く政策に接続したのが、E・D・ハーシュらの議論です。読解力を技能として訓練するのではなく、内容の豊かなカリキュラムを順序立てて積むことが読解力の向上につながるという主張です。
この主張には検証も行われています。内容重視のカリキュラムを導入した学校と、そうでない学校を比較した研究では、読解の測定値に差が生じたと報告されています。ただし、学校の選択や実施の質が交絡するため、因果の識別には限界があります。
批判もあります。誰が内容を決めるのかという問題です。共有すべき知識の範囲を定めることは、文化的な選択を伴います。この論点は実証研究では決着しません。
また、知識重視が暗記の推奨と誤読される危険も指摘されています。ここで言う知識は、事実の断片ではなく、領域についてのまとまった理解を指します。前の記事で扱ったスキーマの概念に近いものです。
5. 読解テストは何を測っているか
この議論は、測定の問題にも及びます。読解力テストは、一般的な技能を測っているつもりで、実際には出題された話題についての知識を測っている可能性があります。
この点を扱った研究では、同じ受験者に対して複数の話題の文章を出題し、話題ごとの成績のばらつきを検討しています。個人内で話題によって成績が変動することが確認されており、単一の「読解力」という構成概念で説明しきれないことを示唆します。
実務上の含意が二つあります。
第一に、一回のテストの結果を能力の指標として過度に信用しない。扱われた話題との相性が結果に含まれています。
第二に、対策として話題の幅を広げることに意味がある。入試の現代文で扱われる領域——近代、言語、身体、科学技術、他者——は繰り返し出ます。それぞれについて基本的な議論の構造を知っていれば、読みの負荷が下がります。前の連載で扱った小論文の材料集めと同じ作業です。
6. 読解の単純観——分解して考える
読解を分析する枠組みとして広く使われるのが、フィリップ・ゴフとウィリアム・タンマーによる読解の単純観です。読解は文字を音に変換する力(デコーディング)と言語理解の力の積であると整理します。
積である点が重要です。どちらかがゼロなら、読解は成立しません。デコーディングが自動化していなければ、意味の処理に資源が回りません。デコーディングができても、聞いて理解できない内容は読んでも理解できません。
この枠組みは、読解の困難を診断する道具になります。音読させて詰まるなら前者、音読は流暢だが内容を説明できないなら後者。対処はまったく異なります。
日本語では、この枠組みをそのまま当てはめられません。仮名は表音的ですが、漢字は表語的で、読みの習得過程が異なります。ただし、文字の処理が自動化しているかどうかと、言語としての理解ができるかどうかを分けて診るという発想自体は移植できます。
英語圏の研究では、この枠組みから「流暢だが理解していない読み手」という類型が特定されています。音読は滑らかで、一見問題がないように見えるが、内容が残らない。語彙と背景知識の不足が原因であることが多いとされます。
7. 流暢性という中間項
デコーディングと理解の間に位置するのが流暢性です。正確さと速さ、そして適切な区切りで読めること。
流暢性が重要なのは、それ自体が目的だからではなく、資源を解放するからです。文字の処理に注意を使っていれば、意味の統合に回す余裕がありません。前の記事で扱った認知負荷の枠組みがここにも当てはまります。
流暢性を高める手続きとして検証されているのが繰り返し読みです。同じ文章を数回読む。ただし、効果の範囲には議論があります。練習した文章では改善するが、新しい文章への転移は限定的だとする結果があります。
より効果が安定しているとされるのは、読む総量を増やすことです。ただしこれも、ただ読ませるだけでは効果が薄いという指摘があります。学習者が理解できる水準の文章を、十分な量、継続して読む条件が要ります。
8. 格差の再生産という経路
知識が読解を決めるという知見には、社会的な含意があります。知識は家庭によって偏って分配されるからです。
この論点で参照されるのが、家庭での言語環境の差を扱った研究群です。会話量や語彙の露出量に家庭間の差があることを報告した初期の研究は広く引用されましたが、標本の小ささや測定方法について批判があり、追試では差が当初より小さいとする結果も報告されています。数値をそのまま引くことには慎重さが要ります。
方向としての知見は残ります。学校に入る前の段階で、知識と語彙には差がある。そして読解が知識に依存する以上、この差は読解の差として現れ、教科の学習全体に波及します。
ここから導かれる政策的な含意は、前の記事で扱った教育経済学の議論と接続します。技能訓練より、知識を系統的に供給するカリキュラムのほうが、格差の縮小には寄与しうるという主張です。ただし、この主張自体の因果的な検証は十分ではありません。
実務のレベルでは、より限定的な含意を取り出せます。読解ができない学習者に対して、読み方の訓練を追加することは的を外している可能性がある。何を知らないために読めていないのかを特定するほうが先になります。
9. 何が原因かを見分ける
「文章が読めない」という訴えに対して、原因を切り分ける手順を整理します。単純観と知識の枠組みを組み合わせます。
手順1:音読させる。詰まる、読み間違える、区切りが不自然。これらがあればデコーディングか流暢性の問題です。意味の処理に資源が回っていません。
手順2:読み上げて聞かせる。同じ文章を聞かせて理解できるなら、問題は文字の処理にあります。聞いても理解できないなら、言語理解の側です。
手順3:語を確認する。文章中の抽象語・専門語を抜き出し、意味を説明させます。説明できない語が多いなら語彙の問題です。
手順4:話題について尋ねる。その文章が扱っている事柄について、読む前に知っていたことを言わせます。何も出てこないなら背景知識の問題です。
手順5:構造を問う。語も話題も分かるのに読めない場合、文の構造か、段落間の関係の把握に問題があります。ここで初めて、ストラテジー指導の出番になります。
この順序が重要です。多くの場合、実際の原因は手順3か4で見つかります。にもかかわらず、指導は手順5から始まりがちです。技能の指導は形式化しやすく、教材も豊富だからです。
10. この知見をどう扱うか
この分野の知見は、二つの極端に読まれがちです。どちらも正確ではありません。
極端1:ストラテジー指導は無意味だ。そうではありません。効果は確認されており、知らない学習者には教える価値があります。主張は、上限が低いということです。
極端2:知識さえ詰め込めばよい。そうでもありません。ここで言う知識は、断片の暗記ではなく、領域についての構造を持った理解です。そして知識の獲得自体が、読むことを通じて進みます。
穏当な整理は次のようになります。読解は独立した技能ではなく、知識の関数である。したがって読解力を上げる最も確実な経路は、扱える話題を増やすことである。技能の指導は、その過程を補助する短い工程として位置づけられる。
この整理が実務にとって厄介なのは、即効性がないことです。知識は積むしかなく、来月の試験には間に合いません。技能の指導が好まれる理由の一端は、ここにあります。短期の需要と、実際に効く経路が食い違っているという構造です。
11. 推論という接点
知識と技能を対立させる整理には、補足が必要です。両者が出会う場所が推論だからです。
文章の理解には、明示されていない関係を補う作業が含まれます。「彼は傘を置いてきたことを後悔した」という一文を理解するには、雨が降っていること、傘があれば濡れずに済むことを補う必要があります。この補完は、知識がなければ起きません。同時に、補完しようとする構えがなければ、知識があっても使われません。
読解に困難を抱える読み手を対象とした研究では、必要な知識を持っているのに、それを使って推論することをしていない例が報告されています。知識の有無と、知識を動員するかどうかは別の問題だということです。
この観察は、ストラテジー指導の位置づけを明確にします。有効なストラテジーの多くは、推論を起動させる手続きです。「なぜそうなったのか」と自問する、前の段落との関係を言葉にする。これらは知識の代わりではなく、知識を呼び出す引き金として働きます。
この見方を取ると、前節の整理はより正確になります。知識がなければ推論は起きない。知識があっても、起動しなければ使われない。指導が扱えるのは後者で、前者は積むしかない。
12. 自己説明という手続き
推論を起動させる手続きとして、最も証拠が蓄積されているのが自己説明です。読みながら、あるいは読んだあとに、内容を自分の言葉で説明する。
ミシェリーン・チーらの研究は、物理の例題を学習する場面でこの効果を検討しました。同じ教材を使っても、学習中に自分で説明を生成した学習者のほうが、後の問題解決の成績が高いという結果が報告されています。説明の量ではなく、説明の中で推論を行っているかどうかが差を生んでいました。
この効果は、読解にも適用されています。段落ごとに「ここで何が言われたか」「前とどうつながるか」を言葉にする手続きです。
実務上の利点は二つあります。第一に、特別な教材を必要としない。第二に、知識の欠落がその場で露出する。説明しようとして詰まる箇所が、知らない箇所です。前節の診断手順を、学習者自身が実行していることになります。
注意点もあります。説明の生成には時間がかかり、読む量は減ります。語彙と知識を増やすには読む量が要る以上、精読と多読のどちらかに寄せすぎない配分が必要になります。この配分についての決定的な研究は、まだありません。
まとめ
- 読解の成否を強く左右するのは技能ではなくその話題についての知識。
- レクトとレスリー(1988)では、野球を知る「読解力の低い」生徒が、知らない「読解力の高い」生徒を上回った。
- ストラテジー指導は効果があるが短期間で頭打ちになる。長期間を割く設計は収穫逓減の領域に投資している。
- 語彙の大部分は読書を通じて付随的に獲得される。初期の差が拡大する(マタイ効果)。
- 内容重視のカリキュラムという主張には検証もあるが、誰が内容を決めるかという論点は実証では決着しない。
- 読解テストは、一般的技能のつもりで出題話題の知識を測っている可能性がある。
- 読解の単純観——デコーディング×言語理解。どちらが欠けているかで対処が変わる。
- 流暢性は目的ではなく資源を解放する手段。繰り返し読みは転移が限定的。
主な参照研究
- Recht, D. R. & Leslie, L.(1988)野球の知識と読解力が理解に与える影響を分離した実験。
- Gough, P. B. & Tunmer, W. E.(1986)読解の単純観。デコーディングと言語理解の積としての定式化。
- Stanovich, K. E.(1986)読解におけるマタイ効果。初期の差が拡大する機構。
- Willingham, D. T. 読解ストラテジーの効果の上限についての整理。
- Hirsch, E. D. Jr. 内容重視のカリキュラムと読解力に関する議論。
- National Reading Panel(2000)読解指導に関する体系的レビュー。
※ 英語圏の研究が中心です。表記体系の異なる日本語へは、枠組みの移植と個別の検証が要ります。
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