学んだことは、なぜ別の場所で使えないのか
ある単元を理解した生徒が、少し形を変えた問題で手が止まる。授業で解けた問題が、試験では解けない。数学で扱った比例を、理科の実験データでは使えない。
この現象は、教育に関わる誰もが日常的に観察するものです。そして教育心理学では、100年以上にわたって研究され続けてきた主題でもあります。学習の転移と呼ばれます。
転移をめぐる研究史は、期待と失望の繰り返しでした。期待されたほど転移は起きないという結果が、方法を変えても繰り返し得られてきた。この記事では、何が確かめられ、何が使えるのかを整理します。
1. 「精神を鍛える」という考えの失墜
19世紀の教育では、特定の科目が精神の一般的な能力を鍛えると考えられていました。ラテン語や幾何学は、内容そのものより、それを学ぶことで論理的思考力や記憶力が鍛えられるから価値がある、という論法です。形式陶冶説と呼ばれます。
この考えを実験で検証したのがThorndikeらでした。ある課題の訓練が、別の課題の成績を改善するかを測定したのです。
結果は否定的でした。訓練の効果は、訓練した課題と要素を共有する範囲にしか及びませんでした。図形の面積を見積もる訓練をしても、別の図形の面積の見積もりはほとんど改善しない。長さの見積もりには、まったく及ばない。
Thorndikeはここから同一要素説を提出しました。転移が起きるのは、二つの課題が具体的な要素を共有する場合だけである、という主張です。
さらに彼は、大規模な調査も行いました。高校で履修した科目と、後の学力の伸びの関係を調べたものです。ラテン語を学んだ生徒の伸びが大きく見えたとしても、それはもともと成績の良い生徒がラテン語を選んでいたためであり、科目そのものの効果ではないと論じました。
この結論は、当時の教育課程の正当化を直撃しました。そして現在でも、同じ構造の主張が繰り返し現れます。プログラミングが論理的思考力を育てる、古典が教養を育てる、部活動が人間力を育てる。いずれも、検証されるときには同じ問いが立てられます。それを学んだ人は、学ばなかった人と比べて、その領域の外で何ができるようになったのか。
2. 類推はなぜ働かないか
転移の失敗を、最も鮮明に示した実験があります。GickとHolyoakによる一連の研究です。
参加者には、まず物語が与えられます。要塞を攻める将軍が、大軍で一つの道を進むと地雷が爆発するため、軍を分割して複数の道から同時に進ませ、要塞に集結させたという話です。
その後、別の問題が与えられます。体内の腫瘍を放射線で破壊したいが、強い放射線は周囲の健康な組織も傷つける。どうすればよいか。
構造は同じです。分割して別方向から集中させればよい。しかし、ヒントを与えられない条件では、正解にたどり着いた参加者は1割程度でした。直前に物語を読んでいたにもかかわらずです。
「さっきの物語が役に立つかもしれない」と伝えると、正答率は大きく上がりました。つまり、知識は持っているのに、使うべき場面でそれを想起できない。これは不活性知識と呼ばれる状態です。
その後の研究で、転移を改善する条件も分かってきました。最も効果があったのは、構造が同じで表面が異なる事例を複数与え、それらを比較させることでした。二つの物語を読ませ、共通点を書き出させると、正答率は大きく上がります。
この操作が効く理由は、比較によって表面的な要素が削ぎ落とされ、構造だけが抽出されるためだと説明されています。一つの事例からでは、何が本質で何が付随的かが分かりません。
3. 学習者は表面で分類する
関連する観察が、物理の問題解決の研究から得られています。Chiらは、初心者と専門家に物理の問題を分類させました。
初心者は、斜面が出てくる問題、ばねが出てくる問題といった具合に、登場する物体で分類しました。専門家は、エネルギー保存で解く問題、ニュートンの第二法則で解く問題と、解法の原理で分類しました。
この差は、知識量の差であると同時に、知識の組織化の差です。前の記事で扱った熟達研究と同じ構造で、専門家は領域に固有のまとまりを蓄積しており、そのまとまりが分類の単位になっています。
実務上の含意は明確です。学習者が「似ている」と感じる基準は、表面です。教える側が構造の類似を見ているのに対し、学習者は物体や語句の一致を見ている。同じ「似た問題」という言葉が、両者で違うものを指しています。
4. 遠転移という幻想
転移は、距離によって区別されます。訓練した課題に近いほど起きやすく、遠いほど起きにくい。
この連載で扱ってきた複数の主題が、いずれも同じ壁に突き当たっています。作業記憶訓練は、訓練課題には効くが学力には転移しない。チェスや音楽の訓練は、その領域の外へは広がらない。批判的思考の一般的な訓練は、内容から切り離すと機能しない。
これらを横断する所見として、領域を超える広い転移は、確認されることが稀であると言えます。教育の議論では「応用力」「汎用的能力」という語が頻繁に使われますが、それらを領域から独立に育てられるという証拠は乏しい。
ただし、この結論を極端に受け取ることにも問題があります。転移がまったく起きないわけではありません。読み書きと数量の扱いは、明らかに広い範囲で使われます。研究者が否定してきたのは「内容と切り離した一般能力の訓練」であって、知識の適用範囲そのものではありません。
また、転移の測定そのものへの批判もあります。実験室の課題は、学習と適用の間隔が短く、文脈も限られます。日常の学習で起きる緩やかな転移は、この設計では捉えられないという指摘です。転移を「準備された未来の学習」として捉え直し、新しい内容をどれだけ速く学べるようになったかで測るべきだという提案も出されています。この枠組みでは、従来「転移していない」とされた学習にも効果が見いだされる場合があります。
5. 文脈が記憶にくっついてくる
転移が起きにくい理由の一つに、記憶が学習時の文脈と一緒に符号化されるという性質があります。
古典的な実験に、潜水士を使ったものがあります。陸上と水中で単語を覚えさせ、陸上と水中で思い出させる。四つの組み合わせを比べると、覚えた場所と思い出す場所が一致した条件の成績が高くなりました。内容は同じでも、環境が変わるだけで想起が落ちる。
同種の効果は、気分、時刻、匂い、さらには身体の状態についても報告されています。効果量は大きくありませんが、方向は一貫しています。
教室に置き換えると、次のことが起こります。いつも同じ席で、同じ教材で、同じ単元名の下で練習した内容は、その文脈と結びついて符号化される。試験会場で、単元名の手がかりがない状態で出題されると、想起の手がかりが失われます。
対処は、文脈を一つに固定しないことです。場所、教材の見た目、問題の並び順を変える。前の記事で扱った分散学習や交互練習が効く理由の一部も、ここにあると説明されています。同じ内容を異なる文脈で扱うことで、特定の文脈への依存が弱まります。
ただし注意点があります。文脈を変えると、練習中の成績は下がります。同じ形式を繰り返すほうが、その場では速く正確になる。これは連載の冒頭で扱った「望ましい困難」と同じ構図で、練習中の手応えと後の保持・転移が逆を向きます。
6. 教える側が陥りやすい誤り
転移の失敗は、しばしば学習者の努力不足として解釈されます。しかし、研究が示しているのは、転移しないのが既定の状態だということです。起きないことを責めるより、起きる条件を作るほうが合理的です。
実務で観察されやすい誤りを挙げます。
「応用問題」を難しい問題と混同する。計算量が多い問題は、難しいだけで、原理の適用としては同じです。表面が変わっていなければ、転移の練習にはなりません。
解法を名前で管理させる。「つるかめ算」「和差算」と名前で覚えると、名前が与えられない場面で使えません。名前は検索の手がかりとして有用ですが、それだけでは構造の理解になりません。
成功した転移を、理解の証拠と見なしすぎる。直後の類題が解けたことは、文脈が残っている間の成績にすぎません。時間を空け、単元名を伏せて出し直したときに、はじめて保持と転移が測れます。
一般的な思考法の指導で代替する。「まず図を描く」「条件を整理する」といった助言は、それ自体は妥当ですが、領域の知識がなければ何を図にすべきかが決まりません。方法の指導は、知識の指導を置き換えられない。
7. 抱きしめる転移と噛みつく転移
Perkinsらは、転移を二つに分けました。この区別は実務的に有用です。
低路転移は、十分に練習された手続きが、似た状況で自動的に起動するものです。自転車に乗れる人が別の自転車に乗れる、計算が別の文脈でもできる、といった転移です。条件は多様な状況での十分な反復です。
高路転移は、原理を意識的に抽象化し、新しい状況へ意図的に持ち込むものです。こちらは自動的には起きません。条件は抽象化と、適用の意識的な試みです。
教育で期待されるのは高路転移ですが、設計されるのは低路転移の条件であることが多い。同じ形式の問題を大量に反復させれば、その形式には強くなりますが、原理の抽出は起きません。
8. 転移を起こしやすくする設計
研究が支持している条件を整理します。
複数の事例を比較させる。単一の事例からは構造が抽出されません。表面が異なり構造が同じ事例を2つ以上並べ、共通点を言語化させる。これが最も再現性の高い操作です。
表面と構造を分けて扱う。「この問題とあの問題は、何が同じで何が違うか」を問う。学習者は表面で判断しているという前提に立つ。
交互練習を使う。単元ごとにまとめた練習では、どの原理を使うかの判断が要りません。混ぜることで、はじめて「どれを使うか」の練習になります。連載の分散学習の記事で扱った論点と同じです。
抽象化を明示的に求める。「この方法が使えるのはどういう場合か」を書かせる。原理を自分の言葉で述べさせる。自己説明の効果として報告されているものです。
適用の練習を、学習と分けて配置する。学んだ直後の適用は、文脈が残っているため成功しやすい。時間を空け、単元名を伏せた状態で出す。
領域の知識を軽視しない。転移させるには、転移させる中身が要ります。方法だけを教えて中身を薄くすると、転移する対象がなくなります。
10. 日本の文脈で
日本の教育課程では、近年「資質・能力」や「汎用的スキル」を軸に据える方向が示されてきました。個別の知識ではなく、領域を超えて使える力を育てるという方針です。
この方向自体は、転移研究と矛盾しません。問題は実装です。汎用的な力を、汎用的な活動で育てようとすると、研究が否定してきた形式陶冶説に戻ります。思考力を育てるために思考する時間を設けても、思考する対象の知識が薄ければ、思考は成立しません。
研究が支持しているのは逆の順序です。領域の知識を十分に蓄えたうえで、表面の異なる複数の事例を比較させ、構造を抽出させる。汎用性は、領域の学習の結果として、事後的に得られるものとして扱う。
もう一点、入試という制度が転移に与える影響も無視できません。出題範囲と形式が安定していれば、その形式への最適化が合理的な戦略になります。形式が固定された練習は、低路転移を生みますが、高路転移は生みません。この構造は、指導法の工夫だけでは動かせない部分です。
11. 証拠の限界
この領域の知見を使う際の留保を述べます。
第一に、転移の実験の多くは短時間・実験室・成人の条件で行われています。学校での長期的な学習に、効果量をそのまま当てはめることはできません。
第二に、転移がないことの証明は難しい。測定した課題に転移しなかったことは、どこにも転移しなかったことを意味しません。測定の範囲の問題が常に残ります。
第三に、比較による構造抽出の効果は頑健ですが、効果量は中程度です。この操作を入れれば転移が保証されるわけではありません。
第四に、「汎用的能力は育たない」という結論を、教育課程の設計にそのまま持ち込むのは飛躍です。研究が示しているのは訓練と測定の関係であって、教育の目的の妥当性ではありません。
まとめ
転移は、期待されるほどには起きません。Thorndike以来、訓練の効果は要素を共有する範囲に限られるという所見が繰り返し得られてきました。構造が同じ問題でも、表面が違えば、直前に解いた経験すら想起されないことが実験で示されています。
学習者は表面で類似を判断します。教える側が見ている構造の類似とは、別のものを見ている。この非対称が、転移の失敗の中心にあります。
改善の条件として最も再現性が高いのは、表面の異なる複数の事例を比較させ、共通の構造を言語化させることです。加えて、交互練習、時間を空けた適用、抽象化の明示的な要求が支持されています。
一方で、内容から切り離した一般的能力の訓練は支持されていません。転移させるべき中身がなければ、転移は起こりようがない。この連載で繰り返し現れてきた領域固有性の論点が、ここでも同じ形で現れます。
主な参照研究
- Thorndike, E. L., & Woodworth, R. S. (1901). The influence of improvement in one mental function upon the efficiency of other functions.
- Thorndike, E. L. (1924). Mental discipline in high school studies.
- Gick, M. L., & Holyoak, K. J. (1980, 1983). Analogical problem solving / Schema induction and analogical transfer.
- Chi, M. T. H., Feltovich, P. J., & Glaser, R. (1981). Categorization and representation of physics problems by experts and novices.
- Salomon, G., & Perkins, D. N. (1989). Rocky roads to transfer.
- Barnett, S. M., & Ceci, S. J. (2002). When and where do we apply what we learn? A taxonomy for far transfer.
- Godden, D. R., & Baddeley, A. D. (1975). Context-dependent memory in two natural environments.
- Bjork, R. A., & Bjork, E. L. (1992). A new theory of disuse and an old theory of stimulus fluctuation.
- Bransford, J. D., & Schwartz, D. L. (1999). Rethinking transfer: A simple proposal with multiple implications.
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