同じ教室に誰がいるか
学習の成果を左右する要因として、教材や指導法が語られることは多い。しかし、教室という単位で考えると、もう一つ大きな変数があります。同じ教室に誰がいるかです。
能力別にクラスを編成すべきか。これは教育制度をめぐる論争のなかで、最も長く続いているものの一つです。日本では習熟度別指導、英語圏ではtrackingやability groupingと呼ばれます。
賛成論はこうです。学力が揃っていれば、授業の水準を全員に合わせられる。上位層は先に進め、下位層は基礎に時間を割ける。教員は一つの水準に向けて準備すればよい。
反対論はこうです。下位クラスに置かれた生徒は、低い期待を向けられ、質の低い授業を受け、意欲を失う。編成の基準は学力だけでなく、家庭の背景や行動評価に影響される。結果として、格差が固定される。
どちらの主張にも、それらしい根拠があります。しかし、この論争が長く決着しなかったのは、比較が難しいからです。能力別編成を採用する学校と採用しない学校は、他の点でも違う。同じ学校の中でも、どのクラスに入るかは無作為ではありません。
1. ケニアでの無作為化実験
この難しさを回避した研究があります。Duflo、Dupas、Kremerが実施したケニアの小学校での実験です。
設計はこうです。多数の学校で一年生の学級を二つに分ける必要が生じた際、一部の学校では成績順に分け、一部の学校では無作為に分けました。学校単位で割付が無作為なので、編成方法の効果を取り出せます。
結果は次のとおりです。能力別に編成された学校の生徒は、無作為に編成された学校の生徒より、平均して成績が高くなりました。効果は18か月後にも持続していました。
重要なのは、この効果が上位層にも下位層にも観察されたことです。能力別編成の下位クラスに入った生徒も、無作為編成のクラスにいた同程度の生徒より成績が高かった。
この結果は、単純なピア効果の理論と整合しません。優秀な同級生から受ける影響が学力を押し上げるのであれば、下位クラスに集められた生徒は不利になるはずです。
2. なぜ下位クラスでも上がったのか
著者たちの解釈は、教員の行動が変わったというものです。
学力の散らばりが大きい教室では、教員はどこかの水準に授業を合わせざるを得ません。多くの場合、その水準は中位から上位に寄ります。カリキュラムの進度に縛られるからです。結果として、下位の生徒は理解できない授業を受け続けることになります。
散らばりが小さくなると、教員は実際の到達度に合わせて教えられます。下位クラスでは、より基礎に時間を割く授業が可能になる。この変化が、下位層の成績を押し上げたと考えられます。
この解釈を支持する観察もありました。能力別編成の学校では、教員の出席率や授業への従事が高まる傾向が見られました。
ここから導かれるのは、微妙な結論です。能力別編成そのものが良いのではなく、それが教員に到達度へ合わせた授業を可能にする限りにおいて良い。下位クラスの授業が単に薄められるだけなら、この効果は生じません。
3. 米国の研究が示してきたこと
米国では、能力別編成に批判的な研究が長く優勢でした。下位トラックに配置された生徒は、教育内容が乏しく、経験の浅い教員が配置され、進学の機会が狭まるという報告が積み重ねられました。
また、配置の決定に人種や家庭背景が影響しているという指摘も繰り返されました。同じ成績でも、背景によって配置が変わるという分析です。
これらの批判は、ケニアの結果と矛盾するように見えます。しかし、注意深く読むと矛盾ではありません。米国の研究が批判しているのは、配置が固定的で、下位トラックの教育内容が実際に劣化している制度です。ケニアの実験が示したのは、散らばりを減らすこと自体の効果です。
制度の設計次第で、同じ「能力別編成」という語が、まったく違うものを指します。この点を曖昧にしたまま賛否を論じても、議論は噛み合いません。
4. 設計の違いが結果を分ける
研究を横断して見えてくるのは、次のような条件です。
科目別か、全科目一括か。数学だけを習熟度別にするのと、すべての授業を同じクラスで受けるのとでは、影響が大きく異なります。全科目一括は、生徒の自己認識と社会関係に強く作用します。
移動可能か、固定か。定期的に見直され、実際に移動が起きる制度と、一度決まると変わらない制度では、意味が違います。
下位クラスの内容を薄めるか、密度を上げるか。ここが決定的です。下位クラスでゆっくり少なく教えると、差は拡大します。基礎に時間を割きつつ、到達目標は下げない設計であれば、差は縮まりうる。
教員の配置。経験の浅い教員を下位クラスに配置する運用は、効果を反転させます。
5. ピア効果は線形ではない
「優秀な集団に入れば伸びる」という考えは、直感的です。しかし、ピア効果を推定した研究は、この直感を単純には支持しません。
Carrellらは、米空軍士官学校での配属を利用した研究を行いました。学生は無作為に近い形で編成単位へ配属されるため、周囲の学力の効果を推定できます。
最初の分析では、周囲の学力が高いほど、下位の学生の成績が高いという関係が見られました。そこで研究者たちは、この関係を利用した介入を設計しました。下位の学生を、上位の学生が多い編成単位に意図的に配置したのです。
結果は予測と逆でした。下位の学生の成績は、むしろ悪化しました。
理由の分析から見えたのは、集団内部での分離です。学力差の大きい集団では、学生は自分と近い水準の相手と関わります。下位の学生は下位どうしで固まり、上位の学生との接触が生じない。結果として、期待された恩恵は届かず、比較による不利だけが残りました。
この研究が示しているのは、観察されたピア効果の推定値を、そのまま政策の予測に使うことはできないという点です。構成を変えれば、相互作用の仕方も変わります。
6. 「井の中の蛙」効果
関連して、繰り返し確認されている現象があります。学力の高い集団に属する生徒は、同じ学力の生徒が平均的な集団に属している場合より、自分の能力を低く評価する傾向があります。
この現象は多数の国のデータで確認されており、学業的自己概念に対して集団の平均が負の影響を持つという形で定式化されています。
自己評価は、その後の選択に影響します。難しい科目を選ぶか、上級の課程に進むか、といった判断です。優秀な集団に入ったことで自己評価が下がり、結果として挑戦を避けるなら、長期的な不利が生じうる。
一方で、高い水準の集団に属することによる利点もあります。カリキュラムの質、教員の期待、進路情報へのアクセスなど、自己評価以外の経路です。これらが差し引きでどうなるかは、状況によって変わります。
実務的な含意として言えるのは、同じ成績でも、置かれた集団によって自己評価が変わるという事実を、判断材料に入れておく必要があるということです。ある集団で「できない」と感じている学習者が、客観的には十分な水準にあることは珍しくありません。
7. 期待は伝わるか
能力別編成をめぐる批判の中心にあるのが、期待の問題です。低い期待を向けられた生徒は、実際に成績が下がるという主張です。
この主張の出発点は、1960年代の教室実験でした。教員に対し、一部の生徒が今後伸びると偽って伝えたところ、その生徒の知能検査得点が実際に上昇したという報告です。
この研究は広く知られましたが、方法上の批判も強く受けました。効果が観察されたのは低学年に限られていたこと、用いられた検査の信頼性、追試の結果が一貫しないことなどです。後続のメタ分析では、期待の効果は存在するが、当初報告されたほど大きくないとされています。
より頑健に確認されているのは、逆方向の関係です。教員は生徒の成績や行動から期待を形成し、その期待は妥当性を持つことが多い。期待が成績を作るというより、成績が期待を作る部分が大きい。
ただし、期待が行動を通じて伝わることは確認されています。指名の頻度、待ち時間の長さ、誤答への対応、与える課題の難度。これらが系統的に違えば、機会の差が生じます。
ここでも、前の記事で扱ったフィードバックの質が関わります。「よく頑張ったね」という慰めの言葉が、難しい課題のあとに繰り返し与えられると、能力が低いという推論を誘発することが報告されています。同情的な反応が、低い期待の信号として受け取られる。
8. 日本の文脈
日本の公立小中学校は、国際的に見て学級内の学力の散らばりが比較的小さく、学校間の差も小さい部類に入ります。習熟度別指導は、主に算数・数学や英語で、学校の判断によって部分的に導入されてきました。
国内の検証は、無作為割付を伴うものが少なく、結論は限定的です。報告されている傾向としては、効果は導入の仕方に依存し、一律の結論は出しにくい、という程度にとどまります。
一方、高校段階では、入学試験による学校単位の学力分離が強く働いています。これは学級内編成よりはるかに強い形の能力別編成です。学級編成の是非を論じる際、制度全体としてすでに強い分離が存在していることを前提に置く必要があります。
この構造の下では、「学級を均質にするか否か」という問いの実質的な範囲は、思われているより狭い。より大きな変数は、どの学校に進むかの段階にあります。
9. 隣接する論点——学級規模
教室の構成をめぐるもう一つの論点が、学級規模です。少人数にすれば成果が上がるという主張は広く共有されていますが、実証はやや込み入っています。
最もよく引用されるのは、1980年代に米国テネシー州で実施された無作為化実験です。児童と教員を、少人数学級、通常規模、通常規模に補助員を配置した学級に無作為に割り付けました。
結果として、少人数学級の児童の成績は高くなりました。効果は低学年で大きく、低所得層や少数派の児童でより大きいという分析も報告されています。追跡研究では、後年の進学に関する指標にも差が見られたとされます。
一方で、この結果の一般化には留保がつきます。第一に、効果が観察されたのはかなり大きな規模の削減でした。数人減らす程度の変更で同じ効果が出るとは限りません。第二に、学級規模を減らせば必要な教員数が増えます。大規模に実施した場合、経験の浅い教員を大量に採用することになり、質の低下が効果を打ち消しうる。実際、州全体で規模削減を実施した事例では、実験ほどの効果が確認されていません。
第三に、規模が小さくなっても指導が変わらなければ効果は生じにくいという指摘があります。人数が減った分、個々に目が届くようになるかどうかは、教員の行動次第です。これは能力別編成と同じ構造の論点です。
10. 最大の変数は誰が教えるか
編成や規模より大きな効果を持つ変数として、繰り返し指摘されてきたのが教員の違いです。
行政データを用いた分析では、同じ学校内でも、担当する教員によって生徒の学力の伸びに無視できない差が生じることが示されています。この差は、教員の学歴や資格の有無からはほとんど予測できず、実際の授業の結果からしか把握できないという点も、繰り返し報告されています。
この所見には注意も必要です。教員の効果を測る指標は年ごとの変動が大きく、少数の年の結果から個人を評価することの妥当性については批判があります。測定誤差、クラス編成の偏り、測定対象となる学力の範囲の狭さが論点です。
それでも、方向としては一貫しています。誰と同じ教室にいるかより、誰が教えるかのほうが効果が大きい。編成をめぐる議論は、この点を見落としやすい構造を持っています。編成は制度として動かしやすく、指導の質は動かしにくいからです。
この非対称は、制度をめぐる議論の一般的な性質でもあります。観察しやすく操作しやすい変数に議論が集まり、効果は大きいが把握しにくい変数が後回しになる。能力別編成、学級規模、時間割の構成は、いずれも数字で書ける。授業の中で実際に何が起きているかは、書けません。証拠に基づく議論を標榜するとき、この偏りは意識しておく価値があります。
11. 個別の学習設計に落とすと
制度の話を、個々の学習の設計に翻訳すると、次のようになります。
到達度に合わせることには効果がある。ケニアの実験が示したのは、この点でした。理解していない内容の上に積み上げても定着しません。散らばりを減らすことの価値は、到達度に合わせた授業が可能になることにあります。
ただし目標を下げてはいけない。下位クラスで内容を薄める運用が、批判の対象になってきた中心です。基礎に時間を割くことと、到達目標を下げることは別です。
配置は固定しない。定期的に見直し、実際に移動が起きる設計であれば、配置が自己成就的な予言になる度合いは下がります。
周囲の水準が自己評価に影響することを織り込む。同じ学力でも、置かれた集団によって自己評価は変わります。学習者が「できない」と述べるとき、それが客観的な到達度の話なのか、周囲との比較の話なのかを区別する必要があります。
期待は言葉より行動で伝わる。どの問題を与えるか、誤答にどう応じるか、待つ時間をどれだけ取るか。これらが実際の期待を伝えます。
まとめ
能力別編成の是非は、賛成か反対かで答えられる問いではありません。無作為化実験は、学力の散らばりを減らすことが上位層・下位層の双方に利益をもたらしうることを示しました。一方、米国の観察研究が批判してきたのは、配置が固定的で下位トラックの教育内容が実際に劣化している制度です。両者は矛盾していません。
ピア効果は線形ではなく、集団の構成を変えれば相互作用の仕方も変わります。優秀な集団に配置すれば伸びるという単純な予測は、実際の介入では裏切られました。また、高い水準の集団に属することは、自己評価を下げる方向にも働きます。
制度設計としても、個別の学習設計としても、効いているのは編成そのものではなく、編成の結果として何が変わるかです。到達度に合った内容が、目標を下げずに提供されるかどうか。ここが分岐点になります。
主な参照研究
- Duflo, E., Dupas, P., & Kremer, M. (2011). Peer Effects, Teacher Incentives, and the Impact of Tracking: Evidence from a Randomized Evaluation in Kenya.
- Carrell, S. E., Sacerdote, B. I., & West, J. E. (2013). From Natural Variation to Optimal Policy? The Importance of Endogenous Peer Group Formation.
- Marsh, H. W., & Hau, K.-T. (2003). Big-Fish-Little-Pond Effect on Academic Self-Concept.
- Oakes, J. (1985). Keeping Track: How Schools Structure Inequality.
- Slavin, R. E. (1990). Achievement Effects of Ability Grouping in Secondary Schools: A Best-Evidence Synthesis.
- Jussim, L., & Harber, K. D. (2005). Teacher Expectations and Self-Fulfilling Prophecies.
- Krueger, A. B. (1999). Experimental Estimates of Education Production Functions (Project STAR).
- Chetty, R., Friedman, J. N., Hilger, N., Saez, E., Schanzenbach, D. W., & Yagan, D. (2011). How Does Your Kindergarten Classroom Affect Your Earnings?
- Rivkin, S. G., Hanushek, E. A., & Kain, J. F. (2005). Teachers, Schools, and Academic Achievement.
- Graham, S. (1984). Communicating Sympathy and Anger to Black and White Children: The Cognitive (Attributional) Consequences of Affective Cues.
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