私大や国公立前期試験で8割取るための世界史~大学受験・高校受験・中学受験にも役立つ(13)

第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

3 西ヨーロッパ中世世界の変容

  • 十字軍とその影響

温和な気候が続いた西ヨーロッパでは,11世紀ころから三圃制①の普及や農業技術の進歩によって人々の生活は豊かになり,人口もふえた。それとともに,ドイツの東方植民,イベリア半島の国土回復運動など西ヨーロッパ世界は外に向かって拡大に転じたが,そのもっとも大きな運動が十字軍であった。

11世紀後半,トルコ人のセルジューク朝は聖地イェルサレムを占領,さらにアナトリアにも進出したため,ビザンツ皇帝はローマ教皇に救援を求めた。教皇ウルバヌス2世は1095年クレルモン宗教会議をひらき,聖地回復の戦いをおこす必要を人々に訴えた。こうして翌96年,多数の諸侯・騎士からなる第1回十字軍が出発し,以後13世紀後半までの約200年間に,7回にわたる十字軍がおこされた。

この運動には,社会の安定にともなう民衆の巡礼熱から教皇による東西教会統一のくわだてまで,さまざまな欲望や野心が背景にあった。なかには第4回十字軍のように,ヴェネツィア商人の要求に応じて,聖地に向かわずビサンツ帝国の首都コンスタンティノープルを占領するという,当初の目的からはずれた結末におわったものもあった。聖地回復という目的は最終的にははたせなかったが,この遠征はその後の西ヨーロッパ世界に大きな影響をあたえた。あいつぐ遠征の失敗により教皇の権威はゆらぐ一方,逆に遠征を指揮した国王の権威は高まった。また十字軍の輸送によりイタリアの諸都市は大いに繁栄し,ビザンツ帝国やイスラーム世界からすすんだ技術や文物が流入して,西ヨーロッパの人々の視野は大きく広がった。

  • 商業と都市の発展

社会の安定と農業の発展は,商業の活性化をうながした。あまった生産物を交換する定期市が各地でひらかれ,貨幣経済が大きな広がりをみせるようになった。さらに11~12世紀は,十字軍の影響で東西交易がさかんになり,古代のローマ人が建設した都市などの復活に加え,遠隔地貿易で発達する都市もあらわれた。

遠隔地貿易は,まず地中海で発達した。ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどイタリアの港市は,東方から香辛料・絹織物などを西ヨーロッパにもたらして富をたくわえ,またミラノ・フィレンツェなどの内陸都市も毛織物産業や金融業で栄えた。地中海につづいて北海・バルト海でも交易がさかんになり,リューベック・ハンブルクといった北ドイツ諸都市は海産物・木材・穀物で,ブリュージュなどフランドル地方の都市は毛織物の生産や取引で繁栄した。この地中海と北海・バルト海の二つの商業圏は,南ドイツのアウクスブルクや,定期市で繁栄したフランスのシャンパーニュ地方などを中継拠点として結ばれていた。

  • 中世都市の成立と市民たち

経済力を高めた西ヨーロッパの中世都市は,11~12世紀以降,皇帝や国王,諸侯や司教といった封建領主からつぎつぎに自治権を獲得し,自治都市になった。有力な都市は,北イタリアのロンバルディア同盟や北ドイツ諸都市のハンザ同盟のように,共通の利害のために都市同盟を結成し,大きな政治勢力になった。

これらの自治都市は,外部勢力の侵入や領主の介入を防ぐために周囲を城壁でかこみ,広場や時計台とともに自治の中心として市庁舎をたてた。自治をおこなう中心となった組織が,ギルド②とよばれる同業組合である。職種別の同職ギルドの組合員は,経営者である親方(マイスター)に限られ,そこで働く職人や徒弟とのあいだにはきびしい身分序列があった。ギルドは,自由な競争を禁じ,商品の品質や価格などをこまかく定めて,たがいの利益をまもった。

上層市民のなかからは,アウクスブルクのフッガー家のようにその資金力で皇帝の地位を左右したり,フィレンツェのメディチ家のように一族から教皇を出す富豪もあらわれた。一方,都市でおもに商業・金融業を営んだユダヤ人をはじめとする社会的少数派の人々は,飢饉・疫病・戦乱により社会不安が高まると,しばしば激しい迫害をうけた。

  • 封建社会の衰退

貨幣経済が広まるにしたがって,14世紀ころから自給自足の封建社会のしくみはしだいにくずれていった。貨幣を手に入れたい領主は,賦役をやめて地代を生産物や貨幣でおさめさせるようになり,農民はおさめた残りの貨幣をたくわえて経済的に力をつけていった。また,気候の寒冷化にともなう凶作や飢饉,黒死病(ペスト)の流行などで農村の人口が激減すると,領主は労働力を確保するために農民の待遇の改善をせまられた。その結果,さまざまな身分的な束縛はゆるめられ,西ヨーロッパでは多くの農民が地位を向上させて自営農民に成長していった。

やがて経済的に苦しくなった領主がふたたび農民への束縛を強めようとすると,農民たちはこれに抵抗し,各地で大規模な農民一揆をおこした。14世紀後半のフランスのジャックリーの乱やイギリスのワット=タイラーの乱がその代表的なものである。

一方,支配者階層間の結びつきであった封建的主従関係もしだいにくずれていった。国王は成長してきた都市の市民たちと協力して諸侯の力をおさえ,中央集権をめざすようになった。諸侯や騎士はしだいに国王の宮廷につかえる廷臣となり,領地では農民から地代をとりたてるだけの地主となっていった。とくに中小領主である騎士は火砲の普及による戦術の変化も加わって,没落が著しかった。封建社会の政治体制は解体に向かい,各国は近代的な中央集権国家に向けてそれぞれの歩みをはじめた。

  • 教皇権の衰退

十字軍の失敗や王権の強化にともなって,ローマ教皇の権威は衰えをみせるようになった。13世紀末に教皇権の絶対性を主張したボニファティウス8世は,聖職者への課税をめぐって対立したフランス国王フィリップ4世にとらえられ,屈辱のうちに死んだ(アナーニ事件)。その後,教皇庁は南フランスのアヴィニョンに移され,以後約70年間,教皇はフランス王の支配下におかれた③。ようやく教皇がローマにもどると,アヴィニョンにも別の教皇がたつ教会大分裂がおき,教皇と教会の権威は著しくそこなわれた。

一方,イギリスのウィクリフやベーメンのフスは,聖書を信仰のよりどころとして,教会はその教えから離れていると批判した。しかしコンスタンツ公会議で彼ら2人は異端と宣告されたため,フスは火刑に処せられた。一方ベーメンではフス派の人々の反乱が長く続いた(フス戦争)。

  • イギリスとフランス

ノルマン朝が征服によってたてられたことから,イギリスでは他国にくらべて王権が強かった。その断絶後,12世紀にフランスからはいったプランタジネット朝は,フランス西半部をもふくむ広大な領土を保持していた。ところがジョン王はフランスにおける領地の大半を失うなどの失政をかさねたため,貴族は結束してジョンに反抗し,あらたな課税には身分の高い聖職者と貴族の会議の同意を必要とすることなどを定めた大憲章(マグナ=カルタ)を王に認めさせた(1215年)。これ以降イギリスではじょじょに身分制議会④のしくみがととのえられていき,14世紀なかばには,議会は高位聖職者と大貴族を代表する上院(貴族院)と,州と都市を代表する下院(庶民院)とにわかれた。

フランスのカペー朝は,当初弱い勢力であったが,13世紀初めにジョン王から領土をうばった国王フィリップ2世のときから発展し,その後王権は南フランスにも広がった。さらにフィリップ4世は,ローマ教皇との争いに際して,1302年に聖職者・貴族・平民の代表者が出席する三部会をひらき,王威を高めた。

  • 百年戦争とバラ戦争

フランスでカペー朝が断絶してヴァロワ朝が成立すると,毛織物の産地フランドル地方をめぐってフランスと対立していたイギリス国王エドワード3世が,カペー朝の王位継承を主張して,百年戦争がはじまった。

戦いは長弓兵をもちいたイギリス軍が優勢で,フランス国内は黒死病の流行などで荒廃し,シャルル7世のときに王国は崩壊寸前となった。このとき,農民の娘ジャンヌ=ダルクがあらわれてオルレアンの包囲を破ると,フランスは勢いをもりかえし,ついにほぼ全国土からイギリス軍を追い出した。

一方,戦後のイギリスではランカスター・ヨーク両家による王位継承の激しい内乱がおこった。これをバラ戦争⑤という。戦いにまきこまれた諸侯・騎士は疲弊し,1485年ランカスター派のヘンリ7世が即位してテューダー朝をひらき,絶対王政の基礎をつくった。

  • スペインとポルトガル

イベリア半島の大半を支配していたイスラーム勢力に対し,北部に追われていたキリスト教徒は,8世紀初めから約800年にわたる国土回復運動(レコンキスタ)の戦いを続けた。回復された領土にはカスティリャ・アラゴン・ポルトガルの3王国がたてられたが,その後カスティリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚により,1479年両国は統合されてスペイン王国が成立した。スペインは,92年イスラーム勢力最後の拠点であるグラナダを陥落させて国土の統一をはたし,さらに積極的に海外進出にのりだした。

ポルトガルも12世紀にカスティリャから独立した後,インド航路の開拓をすすめ,大航海時代を切りひらいていった。

  • ドイツ・スイス・イタリアと北欧

ドイツ(神聖ローマ帝国)は諸侯や自由都市の力が強く,歴代の皇帝はイタリアの支配にこだわり続けて国内の統治をおろそかにした。そのため事実上皇帝がいない「大空位時代」といった混乱が続いたが,14世紀には,皇帝カール4世が「金印勅書」を出して,神聖ローマ皇帝を選ぶ資格を聖俗の七選帝侯に認めた。15世紀以降,皇帝はハプスブルク家から選ばれるようになったが,国内には大小の諸侯や自由都市など,あわせて300ほどの領邦⑥が分立し,統一はますますむずかしくなった。

その一方でドイツ人の勢力拡大は続き,エルベ川以東の地に大規模な植民がおこなわれ(東方植民),ドイツ騎士団領などの国がつくられた。

またスイス地方の農民は,13世紀末にハプスブルク家の支配からの独立闘争をはじめ,今日のスイス連邦の母体をつくった。彼らは15世紀末には神聖ローマ帝国から事実上独立し,1648年のウェストファリア条約で正式に認められた。

イタリアも中世末期には,南部ではシチリア王国とナポリ王国⑦,中部の教皇領をはさんで,北部ではヴェネツィア・フィレンツェ・ミラノなどの都市国家が分立していた。さらに神聖ローマ皇帝の介入によって,諸都市の内部では教皇と皇帝を支持する両勢力が争い,国内統一をむずかしくした。

北ヨーロッパでは,14世紀末にデンマークが中心となってスウェーデン・ノルウェーとのあいだにカルマル同盟が結ばれ,3国は同君連合⑧の王国として,ヨーロッパの一大勢力となった。

①耕地を三つにわけ,それぞれを秋耕地・春耕地・休耕地として年ごとに順次利用していき,3年で一巡する土地利用法。

②当初は大商人を中心とした商人ギルドが市政をにぎっていたが,手工業者が同職ギルドをつくり,市政へ参加していった。

③この事態はのちに古代のバビロン捕囚にたとえて,「教皇のバビロン捕囚」(1309~77年)といわれた。

④シモン=ド=モンフォール(1208ころ~65)が1265年高位聖職者・大貴族の会議に州や都市の代表を加えて国政を協議したのがイギリス議会の起源とされ,95年にはエドワード1世(在位1272~1307)によって「模範議会」が招集された。

⑤両家の記章がそれぞれ赤バラと白バラであったとする後世の想像から,このようによばれる。

⑥皇帝支配から事実上独立した,ドイツを構成する諸侯の領地。

⑦両シチリア王国は,13世紀末にシチリア王国とナポリ王国に分裂した。

⑧複数の独立した国々が,一人の君主のもとに連合すること。

【コラム】

スペインのユダヤ人

中世ヨーロッパのユダヤ人のおもな居住地はスペインとドイツであり,12世紀にはユダヤ人人口の90%はスペインに集まっていたといわれる。彼らは西ゴート王国の支配下で自治権をあたえられ,その後のイスラーム王朝の時代には多くの宮廷の要職にもつき,スペインのユダヤ人共同体は黄金期をむかえていた。しかし,黒死病が流行した際には毒を入れた犯人と疑われ,国土回復運動が進展していくなかでは,すでにキリスト教に改宗したものさえきびしい弾圧をうけ,けっきょく多くのユダヤ人が追放される事態となった。しかし,彼らは移住先のイスタンブルや北のイェルサレムといわれたアムステルダムに巨大な共同体をきずき,宗教圏をこえた地中海・大西洋にまたがる国際的な商業のネットワークをつくりあげていった。

▼ユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグに集うユダヤ人

【人物コラム】

▼フス 1370ころ~1415

彼の教会批判は,ベーメン聖職者の大半を占めるドイツ人への批判と結びつき,チェック人に熱狂的に支持された。スメタナ作曲の「わが祖国」でもたたえられているように,19世紀のチェコ民族運動の高揚期には,フスは英雄として大きな精神的支えとなった。

▼ジョン王 1167~1216

父ヘンリ2世からは領土をまったく相続することができず,「欠地王」とよばれた。フィリップ2世にフランス北西部の広大な家領をうばわれたり,教皇インノケンティウス3世に破門されるという屈辱をうけ,以後ジョンの名をうけついだイギリス王は出ていない。

▼ジャンヌ=ダルク 1412~31

フランス北東部ドンレミの農家にうまれた。一連の活躍を国王側近にねたまれ,イギリス側に売りわたされた。異端・男装などの罪で火あぶりとなったが,燃えた遺体は心臓のみ動いていたという伝説がうまれた。1920年,ローマ教皇により聖人とされ,フランスの守護聖人に加えられた。

【地図・図版】

▼十字軍と西ヨーロッパ勢力の拡大

純粋な宗教的使命感にささえられた第1回十字軍は,イェルサレムの征服に成功した。

▼中世都市・交通路と二大商業圏

シャンパーニュ地方やアウクスブルクは商品の集積地であると同時に,金融市場でもあった。

▼イベリア半島の国土回復運動

▼15世紀末のドイツ・スイス・イタリアと北欧

分立状態であったドイツとイタリアの統一は,19世紀後半まで待たなければならなかった。

▼ウルバヌス2世

彼のクレルモン宗教会議における聖地回復の訴えは,「神の御業」といわれるほど聴衆の心を動かした。

▼船にのる十字軍兵士

▼サンチャゴ=デ=コンポステラの大聖堂と巡礼者のステンドグラス

聖遺物(聖人の遺骨など)の崇拝とともに,聖人にゆかりのある聖地へおもむく巡礼が信仰の証とされた。巡礼地としては,とくにローマ,イェルサレム,スペインのサンチャゴ=デ=コンポステラが三大巡礼地とされた。

▼中世の店先

当時流行した先のとがった靴や帽子を身につけて,人々が食器屋や靴屋・両替商などの商店をのぞいている。

▼ヴェネツィア

「アドリア海の女王」とたたえられた,海上につくられた都市である。

▼中世都市

左は南ドイツにあるネルトリンゲン。城壁でかこまれた典型的な中世都市である。右は北ドイツにあるブレーメンの市庁舎。市庁舎やギルドの館は,都市の中心である広場をかこむようにたてられた。

▼親方と弟子

石工(左)と大工(右)の職人が親方(中央)から資格の審査をうけている場面。職人たちは遍歴をかさねて腕を磨いた。

▼ユダヤ人の迫害

14世紀なかばに迫害をうけて焼き殺されるユダヤ人。

▼黒死病の流行

この病気により,当時のヨーロッパの人口の3分の1が死亡したと考えられている。図は死者を埋葬する人々。

▼ワット=タイラーの乱

乱の指導者ジョン=ボール(中央馬上)は「アダムが耕しイヴが紡いだとき,だれが貴族だったか」と説いて身分制度を批判した。左手前の人物がワット=タイラー 。

▼アヴィニョンの教皇庁

ローヌ河畔に建つ壮麗な教皇庁宮殿。アヴィニョンは1791年にフランスに併合されるまでローマ教皇領であった。

▼大憲章(マグナ=カルタ)

総数63条からなり,名称はその膨大な条文からつけられた。

▼百年戦争初期のクレシーの戦い(1346年)

イギリス軍の長弓(右側)は速射性でフランス軍の弩に勝っていた。

▼スペイン女王イサベル(右)・国王フェルナンド(左)と娘のフアナ(中央)

▼ヴィルヘルム=テル像

弩の名手ヴィルヘルム=テルはスイス独立の伝説的英雄。ハプスブルク家の代官から命じられて息子の頭上のリンゴを射落としたとされる説話は有名である。

4 西ヨーロッパの中世文化

  • 教会の権威と修道院

西ヨーロッパ中世はキリスト教の時代であり,出生・結婚・臨終といった人生の節目やあらゆる日常生活に,ローマ=カトリック教会の絶大な権威がいきわたっていた。修行の場であった修道院も大きな文化的役割をはたした。6世紀のベネディクト修道会にはじまる「祈り,働け」という生活原則は,従来の労働観を大きくかえた。12世紀以降,各地の森林を切りひらいた大開墾運動の先頭にたったのも修道院であった。また,13世紀に修道会をたてたフランチェスコのような「聖人」の活躍は,信仰に新しい息吹をもたらし,民衆の教化に大きな役割をはたした。

中世では神の栄光を示すために学問があると考えられ,神学が最高の学問とされた。また,当時の学者・知識人である聖職者たちは学問の国際共通語であったラテン語をもちいていた。

  • 中世のルネサンスと大学

カール大帝の時代におこったラテン語による文芸復興運動を,カロリング=ルネサンス①という。また,12世紀にはビザンツ帝国やイスラーム世界に継承されていたギリシアの古典がラテン語に翻訳されて学芸が大いに発展したが,これを12世紀ルネサンスという。

このようななか,キリスト教の信仰を学問的に体系化しようとするスコラ学が,『神学大全』を著したトマス=アクィナスにより大成された。

大学が誕生したのも12世紀ころからである。大学は都市の発展を背景に,教員や学生の組合としてできたのが始まりで,一種のギルドであった。彼らは西ヨーロッパのいくつもの大学を渡り歩きながら学問をおさめたり,研究を深めていった。最古の大学といわれるイタリアのボローニャ大学は法学で,またパリ大学は神学で有名であった。イギリスではパリ大学を模範に創設されたオクスフォード大学が,独自の学寮(コレッジ)制をもとに発展した。

  • 美術と文学

中世都市は信仰心の高まりとその経済力を背景に,きそって石造の教会をたてた。教会建築は中世ヨーロッパの美術を代表するものである。11世紀にはあつい石壁に小さな窓をもつ重厚なロマネスク様式がうみだされたが,つづく12世紀には,尖頭アーチと空高くそびえる塔を特徴とするゴシック様式があらわれた。技術の進歩で広くなった窓は美しいステンドグラスでかざられ,外壁や柱にも聖書を題材としたさまざまな彫刻がほどこされた。

学問にラテン語がもちいられたのに対し,騎士の武勲や恋愛をテーマに口語(俗語)で表現されたものが騎士道文学である。なかでもフランスの『ローランの歌』やドイツの『ニーベルンゲンの歌』,イギリスの『アーサー王物語』などがとくに名高い。また,南フランスやドイツには吟遊詩人があらわれ,宮廷において騎士の恋愛をテーマに叙情詩をうたった。

①ルネサンスとは「再生」を意味するフランス語。一般的には,14世紀からイタリアではじまった文化運動をさす。

【写真キャプション】

▼「小鳥に説教する聖フランチェスコ」

フランチェスコ(右の人物)は動物にも敬虔に接し,小鳥も兄弟とよんで説教をしたといわれる。ジョット画。

▼開墾する修道士

修道院は開墾運動を指導するとともに,農業技術の向上にも力をつくした。その先頭にたったのがシトー修道会などであった。

▼ドイツの大学の講義風景

大学は教会・修道院の付属学校に起源をもつ教育機関で,授業は講義形式でおこなわれた。ここには居眠りや雑談をする学生もえがかれている。

▼ピサ大聖堂

12世紀後半に完成したイタリアにあるロマネスク様式の聖堂。右奥にガリレイの物体落下の実験で有名な斜塔がみえる。

▼「最後の審判」を題材としたロマネスク様式の浮き彫り

終末のとき最後の審判をくだすキリスト(上部)。下部の右側には地獄,左側には天国にむかえ入れられた人々がえがかれている(フランス,サント=フォワ修道院,11世紀)。

▼ケルン大聖堂

高さ157mの2本の尖塔がそびえるドイツにあるゴシック様式の代表的な聖堂。13世紀に起工したが,たびかさなる中断をへて1880年に完成した。

▼シャルトル大聖堂のステンドグラス

フランスにあるシャルトル大聖堂のステンドグラスは,とくにその青色の美しさが有名である。12~13世紀の建造。

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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