99%の人が誤解している国語の勉強法

01 誰もが国語の勉強を誤解している

国語という科目についてすぎのように思っていませんか?いい点数を取るためには、「センスが必要だ」と思っている。あるいは、「読書すればできるようになる」と思っている。こういう思いこみは多いと思います。また、「理系だから国語は苦手」だとか「国語は苦手なのは、算数や数学と違って答えがいくつもある」と思っている。「作者の考え」を聞かれても分かるはずがないと思っている。このような、さまざまな理由から、国語は勉強しても点数があまり変わらないと思っている方は少なくないと思います。これらの考えは絶対とは言いませんが、殆どの場合誤解です。なぜほとんどの考えが誤解に基づくものなのか、一言ずつ理由を説明していきましょう。

02 国語はセンスの問題だという誤解

まず、一つ目、「国語はセンスの問題だ」という誤解です。「良い点数を取るためにはセンスが必要だと思っている」という誤解は、お子さまだけではなく、保護者の方にも多い誤解です。はっきりいいますが、少なくとも中学受験、高校受験、大学受験、大学院受験までの受験では、センスは一切関係なく、「読み方」を知って「解き方」を知ってある程度の回数トレーニングをすれば、誰でも合格ラインには達することができます。

03 国語力を上げるには読書が必要だという誤解

「読書をすればできるようになっている」という誤解は、もっと簡単な理由です。読書の対象って、私は推理小説から専門書まで幅広く読みますが、少なくとも小学生・中学生・高校生の読書の対象というのは、だいたい小説ですよね。武蔵野個別指導塾でも、読書好きの生徒に何を読んでいるか聞くと「ジュブナイルサスペンス」であったり、大人も知っている有名な作家をあげると東野圭吾であったりします。しかし、国語のテストには、小説だけではなく、随筆や説明文、論説分、詩もでます。和歌とか短歌、俳句ですね。

小説をいくら読んでもそれは国語の一部のジャンルだけにしか対応できませんし、後述しますが、小説を10冊、いあ100冊読んだくらいで国語力はつきません。後述するように、かの有名な文芸評論家、小林秀雄は5万冊は最低限度必要だ、と言いましたが、受験国語に限って言えば、1500~2000冊は最低読んでおくと、効果が出てくるでしょうが、1000冊以下しか読んでいないというのは、1や2冊しか読んでいない人と大差はありません。それどころか、その中途半端な知識が足かせになる場合が多いです。

そもそも、読書によって培われている読解力は、何年もかけて身につくものです。繰り返しになりますが、10冊20冊読んだところで国語の点数にそう影響は与えません。語彙力も同様で、10冊20冊読んでも語彙力が増えることはありません。そもそも、本には「問題」がついていませんが、「国語のテスト」には「問題」がついています。読解力だけではなくて「解く力」もつけて初めて国語のテストの点数はあがります。

04 理系だから国語は苦手だと思っている誤解

次に「理系だから国語は苦手だと思っている」誤解についてですが、受験国語(受験国の語と、日本語ではなく、受験国の言語だと揶揄して読むこともあります)こそ理系思考のアプローチが必要です。受験国語の文章は数式が文章になっただけなんです。論理を数字で通じて学ぶと算数や数学と呼んで論理を文章で学ぶのが「国語」だと私は思います。大学受験の最難関レベルでなければ、つまり中学受験や高校受験、一般の大学受験では、理系も文系もないと思います(古文や漢文は英語のようなものです)。

そして、「国語は算数や数学と違って答えがいくつもあると思っている」という誤解ですが、国語は算数と違って答えがいくつもあると思っている原因として、選択肢問題は確かに一つしか答えがありませんが、たとえば記述問題の存在が考えられると思います。記号問題は当然答えは一つですが、記述問題には○と書かなければならないという一通りの正解があるわけではありません。

確かに、これは模範解答はあっても、これしか答えじゃないというわけではありません。このように記述問題では、答えが一つとは限らないわけですが、それでも、記述問題は記述の答えの枝葉末節の部分にはバリエーションがありますが、正解の大筋に大きな違いはありません。

たとえば、「親に勉強をしろと怒られてないている花子は、勉強することが嫌いだし、今の親の理不尽な要求に腹が立ちつつも、お母さんは私の将来のことを心配して敢えて厳しくいってくれているんだと思い、勉強に取りかかった。」と書いてある文章で、花子の親に対する心境を説明せよ。という問題が出ても、答え方の大筋としては、「親に対して腹が立つ一方で、自分のことを考えてくれているという感謝の気持ちが入り交じった複雑な感情を持ってはいるが、感謝の気持ちを大きく持っている」ぐらいに書けば大筋正解なわけです。

要するに、親に対してアンビバレントな気持ち(複雑な気持ち)を持ちつつ、感謝しているという話の大筋を書けばよいわけですね。これを「親に対して苛立っている」だとか「親が怖いと思っている」と書くと方向性がまるで違ってきてしまって×になるわけです。いってしまえば、選択肢問題よりも記述の問題の方が核心ポイントを抑えていれば○になるので、よりロジカルに、より柔軟に答えられるわけですね。

05 作者の考えを聞かれてもわかるはずがない、という誤解

次、「作者の考えを聞かれてもわかるはずがない」と思っている方、少なくないと思います。しかし、国語で作者の考えを聞かれることはありません。聞かれても分かるわけがありません。小学校や中学校の国語の先生は、少し誤った指導法で、作家の考えや小説に対する感性を押しつけてくるケースがありますが、実際の著名な作家、たとべあ村上龍や吉本ばななも「作者の狙いなど分かったら小説家などをやっていない」と答えたりもしています。実際、実際、過去のセンター試験に自身の小説を載せられて間違えてしまった作家は数多くあります。最近の例で言えば、芥川賞、大江健三郎賞、谷崎潤一郎賞を受賞した長嶋有もしっかり自分の小説文が試験に出されて間違えています。ちなみに、小説の書き手は「作者」、説明文や論説文の書き手は「筆者」といいます。

そして、そもそも考えるべきなのは、「筆者の考え」ではなく、「問題作成者の考え」です。なので、一見客観的に見える評論文でも日本政治思想史の権威でもある藤田省三が「精神史的考察」が共通一次試験(昔の共通テストやセンター試験のようなものです)で間違えたり、最近の例で言えば、日本でも第一人者クラスの鷲田清一が間違えて、予備校講師に逆に解説されて、「あーそういう風に解くのか」と逆に感心した例もあります。また、大物でいえば吉本隆明が文章を解いている最中に「なんだこの文章は!ちっとも分からん。誰だこんな文を書くやつは!?」と言って、最後のページをめくると、「あ、自分の著作だ」と気づいたという例もあります。こうした例は枚挙にいとまがつきません。書いた本人の作者や筆者が間違うのですから、当然読者は間違えます。

確かに、問題文には「筆者の考えと合致するものを選べ」とか「筆者の考えを要約しろ」とあったりしますが、筆者の本当の考えなんて筆者しかわかりません。わかりやすい例をあげれば、多少ジョークが入っていますが、「この文章を書いたら冷やし中華食べたいなあ」と思って筆者なり作家は書いていたかもしれないわけですね。国語は、筆者の考えではなく、問題作成者の考える正解を論理的に考える科目なんです。

06 国語は勉強しても点数があまり変わらないという誤解

「国語は勉強しても点数があまり変わらない」という誤解についてですが、その前に、私はすべての科目のなかで国語の勉強の成果が、もっとも点数に現れやすい科目だと思っています。実際3ヶ月間くらい集中して国語の対策の指導をすれば国語が苦手な生徒でもそこそこ得意な子に育て上げることに成功してきました。

ということで、国語に関するよくある誤解について、それが誤解であることをお伝えしました。これらの誤解の本質は「国語力をつけること」と「受験国語の得点力をつけること」を同じに考えているから起こってしまう誤解だと思います。国語力をつけることと受験国語の得点力をつけることは、全くの別物なんです。

国語力をつけるためには、長い年月がかかります。先ほどの読書の例でいえば、私は電子書籍で12000冊くらい持っており、以前家の保管の問題で処分した本の数は4トントラック二台分はあったので、最低でも2万5千冊はあったかと思いますが、この全部を読みきっているかと言えばそうではありませんが、少なく見積もってもこれまで20000冊くらいは読んできています。

実際、有名な逸話で、日本最高の文芸評論家であった小林秀雄が弟子の柄谷行人に、「キミはどれくらい本を読んできたかい?」と問うたとき、柄谷が「3万冊くらいは・・・」と答えたところ、小林秀雄は「柄谷くん、文芸評論家になりたいのであれば、最低5万冊は読まないと話にならないよ」という逸話が残っているくらいです。つまり、これくらいの読書量でようやく国語力が養われ、発揮してくると言っても良いかと思います。1000冊本を読みました程度では、国語力など一ミリもつきません。それにもかかわらず、小林秀雄のような要求を、小学生や中学生、高校生に要求するのはかなり酷なことだということはすぐにおわかりになると思います。

それに対して、受験国語の点数を上げるには、三ヶ月くらいの対策であがることができます。日本語力は先ほどの小林秀雄の逸話ではありませんが、生半可な努力ではつきません。しかし、受験国語の対策は、かなりポイントが決まっています。

そのポイントを以下に紹介しましょう。1つ目は漢字の読み書きや文法や慣用句を覚えること、また国語によく出てくるキーワードを覚えること、たとえば「主観」や「客観」、「相対」や「絶対」、「偶然」や「必然」、「主体」や「客体」、「能動」や「受動」、少し難しいものでいえば、「近代」や「ポストモダン」、「科学革命」や「人間中心主義」、「国民国家」や「ナショナリズム」、「資本主義」や「共産主義」、「パロール」や「ラング」、「構造主義」や「ポスト構造主義」、「エスノセントリズム」や「文化相対主義」などがあげらるでしょう。これらの言葉の意味や概念は知っておく必要があります。

二つ目は、小説や評論文などのジャンル毎の読み方を知ること、小説の読み方であれば、登場人物の心情を問われることが多い一方、ダイレクトに本文に登場人物の心情が書かれていないので、情景描写や台詞、登場人物たちの動作から、登場人物の心情を推し量っていく必要があるのに対して、評論文では、筆者の主張は基本的に1つであるので、そのキーポイントを抑え、それに対する抽象論や具体論を見極めたり、反対説として検証している説を抑えることが必要です。

三つ目のポイントは、問題パターンごとの解き方を知ることです。国語の問題には色々なパターンがありますが、こと記述問題に限っていえば、傍線部のひかれている箇所の内容を説明する内容説明問題と、傍線部のひかれている箇所に至った経緯を尋ねられる理由説明問題の2パターンしかありません。もちろん、指示語の問題であれば、どこを指しているのかを探すことが必要ですし、空欄補充の問題であれば、どの語を入れるのか考えなくてはなりませんし、接続語を入れる問題であれば、前後の文脈をよく読む必要があります。

このような三つのポイントを抑えて、国語の問題に取り組めば、「受験国語」では必ず、短期間で偏差値60はもちろん、70以上も可能です。それでは、また別の記事で、国語の解き方についての解説の記事を書きますので、お楽しみにしてください。

ご紹介しました。

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。

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ryomiyagawa
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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