私大や国公立前期試験で8割取るための世界史~大学受験・高校受験・中学受験にも役立つ(11)

第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

1 西ヨーロッパ世界の成立

  • ヨーロッパの風土と人々

ヨーロッパとは,地理的にはユーラシア大陸のウラル山脈より西の地域をいう。アルプスをはじめとする中央部の山脈より北では平らな土地が広がり,ライン川・ドナウ川などの大河が古くから重要な水路となっていた。現在のフランスなど,その大西洋に面した地方は温暖で,肥沃な農地と豊かな広葉樹の森林におおわれていた。この西ヨーロッパの中心をなす地域では,おもにインド=ヨーロッパ語系のケルト人・ゲルマン人が活躍した。

また,東ヨーロッパは,ロシアの大森林に向けて東にいくほど寒さと乾燥がきびしい大陸性気候となり,同じくインド=ヨーロッパ語系に属するスラヴ人に加え,マジャール人らアジア語系の人々も活動した。一方,中央部の山脈より南の地中海沿岸は山がちで大河がなく,夏にあつく乾燥する地中海性気候に属し,かつてギリシア人・イタリア人らが古典文明をきずいた。

東や北に向かうほど自然条件がきびしくなるヨーロッパの風土は,東から西へ,また北から南へという人間の移動をたえず引きおこし,それにともなうさまざまな文化の混合は,ヨーロッパの歴史の大きな特徴となった。

  • ゲルマン人の大移動と西ローマ帝国の滅亡

バルト海沿岸を原住地としたゲルマン人は,ヨーロッパの先住民であったケルト人を西に追いながら,紀元前後ころにはライン川やドナウ川一帯でローマ帝国と境を接するようになっていた。

ゲルマン人は数十の部族にわかれ,重要な決定は成年男性による民会でおこなっていた。ローマ帝政後期になると,彼らのなかには,人口の増加による耕地の不足から帝国内に移住し,小作人(コロヌス)や,ローマ軍の傭兵となるものも多くなった。またこの時期,小さないくつもの部族が力のある指導者のもとにまとめられ,大部族へと成長していた。

4世紀後半,東方からアジア系のフン人が侵入すると,ゲルマン人の一派である西ゴート人は375年に南下をはじめ,翌年にはドナウ川をわたってローマ帝国領内に移住した。これをきっかけに約200年におよぶゲルマン人の大移動がはじまり,統合がすすんでいたゲルマン諸部族は移住した帝国内につぎつぎと部族国家をたてた。

一方フン人は,5世紀前半にアッティラ王がパンノニア(今日のハンガリー)を中心に一時大帝国をたてたが,西ローマとゲルマンの連合軍に敗れておとろえた。この混乱のなか,すでに皇帝の権力が領内におよばなくなっていた西ローマ帝国は,476年ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによってほろぼされた。

  • フランク王国の発展

ゲルマン諸国家の大半が短命だったのに対し,その後も領土を広げ,もっとも有力な国として西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割をはたしたのは,フランク王国であった。

5世紀後半,メロヴィング家のクローヴィスは全フランクを統一し(メロヴィング朝),他のゲルマン人がローマ帝国で異端とされたアリウス派キリスト教を信仰するなかで,正統派のアタナシウス派に改宗した。これによってフランク王国は,ローマ人支配層の支持をとりつけると同時に,他部族との争いを正当化し,6世紀なかばには全ガリアの統一をなしとげた。しかし,8世紀になるとメロヴィング朝の力はおとろえ,かわりに宮廷の長官①であったカロリング家が王国の実権をにぎるようになった。

このころ,活発な征服活動をすすめていたイスラーム勢力が,イベリア半島からガリアに侵攻してきた。カロリング家のカール=マルテルは,732年トゥール・ポワティエ間の戦いでこれを撃退し,西方キリスト教世界をまもった。751年,その子ピピンはローマ教会の支持のもと,メロヴィング朝を廃してみずから王位について,カロリング朝をひらいた。

  • ローマ=カトリック教会の成長

6世紀以降,ローマ教会はゲルマン人への布教や修道院運動②などによって西ヨーロッパに勢力を広げ,ビザンツ皇帝が支配するコンスタンティノープル教会から自立する動きをみせはじめた。そして使徒ペテロの後継者を自任するローマ司教は,他のすべての教会をしのぐ権威をもつと主張し,教皇(法王)③の称号をもちいはじめた。

このようななか,8世紀にビザンツ皇帝レオン3世が発布した聖像禁止令④によって,ローマ教会とコンスタンティノープル教会との溝はより深まった。ゲルマン人への布教に聖像を必要としたローマ教会は,ビザンツ皇帝に対抗できる強力な保護者を求め,フランク王国に接近をはかった。折しもカロリング家のピピンによるフランク王位の継承を教皇が認めると,ピピンはイタリアに侵攻し,うばった領土の一部をその返礼として教皇に寄進した。これが教皇領の始まりであり,フランク王国と教皇はさらに結びつきを強めていった。

  • カール大帝と西ローマ帝国

ピピンの子カール大帝(シャルルマーニュ)は外部勢力を撃退し,西ヨーロッパの大半の地域を征服してフランク王国の領土とし,住民をローマ=カトリック⑤に改宗させた。そして広大になった領域を州にわけ,地方の有力豪族を各州の長官である伯に任命し,巡察使を派遣して彼らを監督させた。こうしてフランク王国は,カールの時代に強大な国家に発展した。

ここにビザンツ皇帝に対抗できる後ろ盾を見出したローマ教皇レオ3世は,800年のクリスマスの日に,カールにローマ皇帝の帝冠をあたえ,「西ローマ帝国」の復活を宣言した。これにより,ローマ以来の古典文化とキリスト教に,あらたにゲルマン的な要素が加わった西ヨーロッパ中世世界が誕生することとなった。ローマ教会はビザンツ皇帝への従属から独立し,のちにキリスト教世界は,教皇を首長とするローマ=カトリック教会と,ビザンツ皇帝を首長とするギリシア正教会の二つに完全にわかれた。

  • フランク王国の分裂

カールが死ぬと,フランク伝統の分割相続制と内紛の結果,843年にヴェルダン条約,870年にメルセン条約が結ばれた。西ローマ帝国は東・西フランクとイタリアの3国に分裂し,10世紀にはカロリング王家はすべて断絶した。

東フランク(ドイツ)では,オットー1世がマジャール人やスラヴ人の侵入をしりぞけ,962年イタリアに遠征して教皇からローマ皇帝の冠をうけた。これが神聖ローマ帝国の始まりである。以後ドイツ王が皇帝位を兼ねるようになったが,歴代の皇帝はイタリアの支配に熱心であり,本国ドイツの支配は安定しなかった。

西フランク(フランス)では,10世紀末にパリ伯ユーグ=カペーが王に選ばれてカペー朝をひらいた。しかし12世紀まで王権はパリ周辺などせまい領域にしかおよばず,弱体であった。

イタリアは神聖ローマ帝国の介入やイスラーム勢力のシチリア島侵入などで,国内が乱れた。またローマ教皇領やヴェネツィアなどの諸都市が分立し,国家としてのまとまりはうまれなかった。

  • 外部勢力の侵入とヨーロッパ世界

8世紀から10世紀のあいだ,西ヨーロッパはスラヴ人やイスラーム勢力などの侵入にみまわれ,混乱の時代が続いた。なかでも北ヨーロッパのノルマン人(ヴァイキング)の海賊・略奪行為や移動はとくに大きな影響をあたえた。10世紀初め,その一派は北フランスにノルマンディー公国をたて,一部は地中海にも進出して両シチリア王国(ノルマン=シチリア王国)を建国した。大ブリテン島にも,ノルマンディー公ウィリアムが侵入してイングランド(イギリス)⑥を征服し,ノルマン朝をたてた。

一方,リューリクを首領とする一派(ルーシ)はスラヴ人地域に進出し,9世紀にノヴゴロド国を,ついでキエフ公国を建設した。これがロシアの起源とされる。さらにアイスランド・グリーンランドに移住したり,遠く北アメリカまで到達したものもいたが,キリスト教化がすすみ,原住地にデンマーク・スウェーデン・ノルウェーの諸王国がたてられると,ようやく彼らの移動もおわった。

  • 封建社会の成立

民族移動やノルマン人の侵入といった社会不安が続くなか,国王や貴族などの支配階層のあいだには,みずからの安全をまもるため,主君が騎士などの家臣に封土(領地)をあたえて保護するかわりに,家臣は主君に忠誠を誓って軍事奉仕の義務を負うという,人と人との結びつきがうまれた。これを封建的主従関係という。

有力者たちは,それぞれ荘園とよばれる自給自足の農場を所有する領主であった。荘園で働く農民は農奴とよばれる不自由身分で,彼らは領主直営地で労働する義務(賦役)と,自分の保有地から生産物をおさめる義務(貢納)を領主に負った。また移動の自由はなく,結婚や死亡したときには領主に税をおさめなければならないなど,その社会生活はきびしく制限されていた。一方領主は,国王の役人が荘園にたちいったり課税したりすることをこばむ不輸不入権をもち,農民を領主裁判権によってさばくなど,荘園と農民を自由に支配することができた。

このようにローマ帝国の解体と民族大移動後の混乱のなかから,地域を防衛するしくみとしてうまれた封建社会は,西ヨーロッパ中世世界の新しい社会秩序となった。

  • ローマ教会の権威

地方分権的な封建社会にありながら,民衆の精神的な支えとなり,フランク王の手あつい保護をうけたローマ=カトリック教会の権威は,西ヨーロッパ世界全体におよぶようになった。教皇を頂点とし,大司教・司教・司祭・修道院長など,聖職者の序列を定めたピラミッド型の階層制組織がつくられ,多くの教会や修道院は王や貴族から荘園の寄進をうけて封建領主となっていった。高位の聖職者が貴族とならぶ支配階層となると,皇帝や国王などの世俗の権力が教会に介入するようになり,俗人が聖職者になったり,聖職売買が日常化するといった,さまざまな弊害が生じた。

これに対して,10世紀以降フランスのクリュニー修道院を中心に改革の運動がおこった。教皇グレゴリウス7世はこの改革をおしすすめ,聖職売買や聖職者の結婚を禁じたうえに,聖職者を任命する権利(聖職叙任権)を世俗権力から教会の手に移そうとした。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はこれに反発し,叙任権闘争がはじまったが,破門⑦された皇帝は,1077年イタリアのカノッサで教皇に謝罪した(カノッサの屈辱)。その後皇帝はドイツ以外での聖職叙任権を事実上放棄し,教会の主導権が確立した。教皇権は13世紀のインノケンティウス3世のとき絶頂に達した。

①「宮宰」とよばれるメロヴィング朝の宮廷における最高職。もともとは王家の家政の管理者を意味した。

②世俗から離れ,共同生活をいとなみながら敬虔・禁欲といったキリスト教の原点にもどろうとする運動。

③カトリック教会の最高位の聖職者。「父(Papa)」が語源。

④偶像崇拝を禁ずるイスラーム教と対抗する必要にせまられたビザンツ帝国は,キリスト・聖母・聖人の聖像を礼拝することは,キリスト教の教理に反すると主張した。

⑤ローマ教皇を最高の権威として認めるキリスト教宗派。

⑥「イギリス」という国名は大ブリテン王国が成立する1707年まで,イングランドの意味でもちいる。

⑦キリスト教会から追放されることで,政治的な権力や信用を失うことを意味した。

【コラム】

カール大帝におくられた象

動物園は,しばしば権力を示す政治的な道具とされてきた。カール大帝は百獣の王ライオンを主役とする動物園をフランク王国の都アーヘン(現ドイツ)にもっていたが,800年の戴冠式を前にして,より人々を圧倒するような象徴的な動物を求めていた。それは巨大な象であった。彼はバグダードのカリフ,ハールーン=アッラシードに使者をおくり,膨大な贈りものをもらったが,そのなかには希望どおり象もふくまれていた。大きな1頭の白象はアッバース朝初代カリフの名をとって「アブールアッバス」という名をつけられ,人々の人気を博した。ローマ帝国の崩壊以来,400年以上象をみたものはいなかったからである。象の伝説は現在まで伝えられ,アーヘンの宝物庫にある楽器のホルン(エレファン)はこの象の牙の1本とされており,2003年アーヘンでひらかれた博覧会では,象のパレードがおこなわれた。

▼白象の牙でつくられたとされるホルン

【人物コラム】

▼クローヴィス 465ころ~511

敗色濃厚な戦いの最中,彼がカトリック改宗を決意すると形勢が逆転したことから,妻クロティルドのすすめに従い部下3000人とともに洗礼をうけた。彼が編纂させた『サリカ法典』は,復讐を認めるといったゲルマン伝統のしくみを廃し,のちの西欧世界に大きな影響をあたえた。

▼カール大帝 742~814

背が非常に高くたくましい体つきで,髪は美しい銀色で眼はらんらんとかがやき,威厳に満ちていた。甲高い声でよどみなく話したものの,生涯文字を読むことはできなかった。現代でもヨーロッパ統合の象徴的存在で,その肖像はEU共通通貨のユーロ貨幣に刻まれた。

▼インノケンティウス3世 1160ころ~1216

イタリアの名門にうまれ,神学・教会法の天才といわれて,37歳で教皇となった。温厚と評された人柄とは逆に,異端排撃と教皇権の絶対性にはきわめて厳格で,「教皇は太陽,皇帝は月」とのべ,西ヨーロッパ世界の支配者として君臨した。

【地図・図版】

▼ヨーロッパの地勢

▼ゲルマン人とスラヴ人の移動

ゲルマン人が西方に移動した東ヨーロッパ地域にスラヴ人が進出した。

▼カール大帝の「西ローマ帝国」

▼ヴェルダン条約(左)とメルセン条約(右)によるフランクの分裂

カール大帝の後をついだルートヴィヒ1世の死後,長男ロタールと兄弟間の相続争いが激化し,けっきょくヴェルダン条約でフランク王国は3分割された。その後のメルセン条約で,北イタリアをのぞく中部フランクが東・西フランクに併合された。

▼9~12世紀のヨーロッパ

西ヨーロッパ世界はイスラームやノルマン人らの勢力に包囲された状態になった。

▼荘園の構造

三圃制の農場を中心に,農民の生活は営まれた。

▼現在のヨーロッパの大森林

ドイツ西南部,シュヴァルツヴァルトの森。

▼ゲルマン人の移動

ゲルマン人の移動は,たんに武力による侵入ではなく,牛車に家財道具を積んだ家族ぐるみの移住でもあった。

▼オットー1世

3次にわたるイタリア遠征やマジャール人の撃退で,その権威を高めた。

▼ノルウェーの木造教会

12世紀ころより,数多くの素朴な木造建築の教会がたてられた。

▼ノルマン人のイングランド征服

ヴァイキング船から戦場に向かうノルマン軍。彼らは騎馬技術もすぐれていた。バイユーの刺繍画の一場面。

▼『ベリー公のいとも華麗なる時書』にえがかれた農民の1年

時書とは祈りのことばをしるした本である。3月(左)には有輪犂での畑の土おこしとブドウの手入れ,7月(中)には羊毛の刈り込みと小麦の収穫,11月(右)にはドングリを豚に食べさせる様子がえがかれている。

▼騎士の叙任式

主君(中央左)から剣をさずけられ,忠誠を誓う騎士。

▼カノッサの屈辱

カノッサの女城主(右)に,クリュニー修道院長(左)をつうじて教皇へのとりなしをたのむ皇帝ハインリヒ4世(中央)。

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。

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