重要判例_東大ポポロ事件

【判例番号】 L01810181
暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件
【事件番号】 最高裁判所大法廷判決/昭和31年(あ)第2973号
【判決日付】 昭和38年5月22日
【判示事項】 一 憲法第二三条の趣旨
二 大学における学生の集会が、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合に、大学の学問の自由と自治を享有するか
【判決要旨】 一 憲法二三条の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含み、同条は広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、大学が学術の中心として深く真理を探求することを本質とすることにかんがみ、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨としたものである。
二 学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない。
(補足意見、意見がある)
【参照条文】 憲法23
学校教育法52
【掲載誌】 最高裁判所刑事判例集17巻4号370頁
最高裁判所裁判集刑事147号299頁
裁判所時報378号1頁
判例タイムズ145号209頁
判例時報335号5頁
【評釈論文】 経済研究(大阪府大)29号58頁
警察学論集16巻8号1頁
警察研究36巻10号109頁
思想470号129頁
ジュリスト277号10頁
ジュリスト277号38頁
ジュリスト276の2号54頁
別冊ジュリスト21号58頁
別冊ジュリスト33号106頁
別冊ジュリスト41号16頁
別冊ジュリスト44号80頁
別冊ジュリスト64号20頁
別冊ジュリスト68号96頁
別冊ジュリスト95号140頁
別冊ジュリスト118号14頁
別冊ジュリスト245号186頁
捜査研究136号64頁
東洋法学7巻1号83頁
時の法令465号40頁
時の法令466号36頁
日本法学29巻2号90頁
判例評論59号51頁
判例評論59号54頁
法学セミナー88号9頁
法学論叢73巻4号121頁
法経学会雑誌13巻1号91頁
法曹時報15巻7号111頁
法律のひろば16巻8号11頁
法律論叢37巻3号1頁
 
       主   文 原判決および第一審判決を破棄する。 本件を東京地方裁判所に差し戻す。 理   由 東京高等検察庁検事長花井忠の上告趣意について。 論旨のうちで、原判決には憲法二三条の学問の自由に関する規定の解釈、適用の誤りがあると主張する点について見るに、同条の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含むものであつて、同条が学問の自由はこれを保障すると規定したのは、一面において、広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、他面において、大学が学術の中心として深く真理を探究することを本質とすることにかんがみて、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨としたものである。教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれに含まれるものではない。しかし、大学については、憲法の右の趣旨と、これに沿つて学校教育法五二条が「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究」することを目的とするとしていることとに基づいて、大学において教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由は、これを保障されると解するのを相当とする。すなわち、教授その他の研究者は、その研究の結果を大学の講義または演習において教授する自由を保障されるのである。そして、以上の自由は、すべて公共の福祉による制限を免れるものではないが、大学における自由は、右のような大学の本質に基づいて、一般の場合よりもある程度で広く認められると解される。 大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治は、とくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の権能が認められている。 このように、大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである。もとより、憲法二三条の学問の自由は、学生も一般の国民と同じように享有する。しかし、大学の学生としてそれ以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。 大学における学生の集会も、右の範囲において自由と自治を認められるものであつて、大学の公認した学内団体であるとか、大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによつて、特別な自由と自治を享有するものではない。学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。また、その集会が学生のみのものでなく、とくに一般の公衆の入場を許す場合には、むしろ公開の集会と見なされるべきであり、すくなくともこれに準じるものというべきである。 本件のA演劇発表会は、原審の認定するところによれば、いわゆる反植民地闘争デーの一環として行なわれ、演劇の内容もいわゆる松川事件に取材し、開演に先き立つて右事件の資金カンパが行なわれ、さらにいわゆる渋谷事件の報告もなされた。これらはすべて実社会の政治的社会的活動に当る行為にほかならないのであつて、本件集会はそれによつてもはや真に学問的な研究と発表のためのものでなくなるといわなければならない。また、ひとしく原審の認定するところによれば、右発表会の会場には、B大学の学生および教職員以外の外来者が入場券を買つて入場していたのであつて、本件警察官も入場券を買つて自由に入場したのである。これによつて見れば、一般の公衆が自由に入場券を買つて入場することを許されたものと判断されるのであつて、本件の集会は決して特定の学生のみの集会とはいえず、むしろ公開の集会と見なさるべきであり、すくなくともこれに準じるものというべきである。そうして見れば、本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがつて、本件の集会に警察官が立ち入つたことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない。 これによつて見れば、大学自治の原則上本件警察官の立入行為を違法とした第一審判決およびこれを是認した原判決は、憲法二三条の学問の自由に関する規定の解釈を誤り、引いて大学の自治の限界について解釈と適用を誤つた違法があるのであつて、この点に関して論旨は理由があり、その他の点について判断するまでもなく、原判決および第一審判決は破棄を免れない。 よつて刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条本文に従い、主文のとおり判決する。 この判決は、裁判官入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一、同石坂修一、同山田作之助、同斎藤朔郎の補足意見および裁判官横田正俊の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。 裁判官入江俊郎、同奥野健一、同山田作之助、同斎藤朔郎の補足意見は次のとおりである。 憲法二三条にいう「学問の自由」には、教授その他の研究者の学問的研究及びその発表、教授の自由と共に、学生の学ぶ自由も含まれるものと解する。すなわち、教授その他の研究者が国家権力により干渉されることなく、自由に研究し、発表し、教授することが保障されると同時に、学生においても自由にその教授を受け、自由に学ぶことをも保障されているものと解する。そして、大学は学術の中心としての教育の場であり、学問の場であるから、右学問の自由の保障は、また、その自由を保障するため必要な限度において、大学の自治をも保障しているものと解する。けだし、若し大学の教育の場、学問の場に警察官が常に立ち入り、教授その他の研究者の研究、発表及び教授の仕方を監視したり、学問のための学生集会を監視し、これらに関する警備情報を収集する等の警察活動が許されるとすれば、到底学問の自由及び大学の自治が保持されないことは明白であるからである。従つて、警察官が特に、警察官職務執行法(本件当時は警察官等職務執行法)六条所定の立入権の行使としてではなく、単に、警備情報の収集の目的を以つて大学の教育の場、学問の場に立ち入ることは、憲法二三条の保障する学問の自由ないし大学の自冶を侵す違法行為であるといわねばならない。 しかし、本件A劇団の集会は、原判決の認定事実によれば、反植民地闘争デーの一環として行なわれ、演劇の内容も裁判所に係属中の松川事件に取材し、開演に先き立ち右事件の資金カンパが行なわれ、更にいわゆる渋谷事件の報告もされたというのであつて、真に学問的な研究や、その発表のための集会とは認められない。従つて、本件警察官の立入行為が前記の学問の自由ないし大学の自治を侵した違法行為であるということはできない。 しかし、本件集会が、少くとも大学における屋内集会であることは否定できない。憲法二一条で集会の自由を保障する所以のものは、集会において、各自が相互に、自由に思想、意見の発表、交換をすることを保障するためであるから、若し、警察官が警備情報収集の目的で集会に立ち入り、その監視の下に集会が行なわれるとすれば、各自の表現の自由は到底保持されず、集会の自由は侵害されることになる。そして、本件集会が平穏なものでなかつたという資料はなく、警察官は警察官職務執行法六条の立入権によらず、単に警備情報の収集を目的とする警察活動を行なうため、これに立ち入つたことは、たとえ、学問の自由ないし大学の自治を侵害したものでないにしても、憲法の保障する集会の自由を侵害することにならないとは断じ難い。(本件において、警察官が入場券を購入して入場したものであつても、一私人または一観客として入場したものではなく、警備情報収集のための警察活動を行なうため入場したものであることは、原判決の認定するところであり、また、本件集会が公開に準ずべきものであつたとしても、集会の自由が侵害されないとはいえない。) しかし、本件警察官の立入行為が違法であつたとしても、その違法行為を阻止、排除する手段は、当該集会の管理者またはこれに準ずる者がその管理権に基づき警察官の入場を拒否するか、入場した警察官の退去を要求すべきであつて、若し警察官が右要求に応じないため、これに対して実力により阻止、退去の措置に出で、それが暴行行為となつた場合に、始めてその暴行行為につき違法性阻却事由の有無が問題となるわけである。 然るに、原判決の認定するところによれば、被告人は警察官が自発的に立ち去ろうとしているのに、無理に引き止めて、判示の如き暴力を加えたというのである。然らば、本件暴行は警察官の立入行為を阻止、排除するために必要な行為であつたとはいえず、警察官が警察活動を断念して立ち去ろうとしている際に、もはや現在の急迫した侵害は存在せずその排除とは関係なく、被告人が警察官に対し暴行を加えたものというべきであるから、違法行為を排除するため、緊急にして必要已むを得ない行為であつたとは到底認めることはできない。 わが刑法上、加害行為の違法性を阻却するのは、例えば正当防衛、緊急避難等の場合におけるように、法益に対する侵害または危難が現在し、これを防衛するために行なわれる加害行為が緊急の必要にせまられて已むを得ないものと認められる場合でなければならないものと解すべきである。然るに、被告人の本件加害行為については、かかる緊急性は認められないのみならず、過去において違法な警察活動があつたとか、また将来における違法な警察活動の防止のためとかいうが如き理由では、到底本件加害行為の違法性を阻却するに足る緊急性あるものと認めることができないことは明白である。第一、二審判決は、法益の比較均衡のみに重点をおきすぎて、右の緊急性について十分な考慮をめぐらしていない憾みがある。それは、ひつきよう、判決に影響を及ぼすべき刑法の解釈に誤りがあることになり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるから、第一、二審判決はいずれも破棄を免れない。裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。 一 学問 憲法二三条にいう「学問」とは、まず、本来の意味では、深い真理(真の事実を含む)の専門的、体系的探究解明をいい、哲学およびあらゆる自然科学、社会科学を含む。けれども、倫理学、文学、美学等には世界観、人世観等哲学や高い美の探究創造が含まれることがあり、高い芸術の探究創造は本来の意味の学問と同様に自由が保障されるべきであるから、憲法二三条にいう「学問」には芸術を含むと解される。(学校教育法五二条が「大学は学術の中心として……深く専門の学芸を教授研究……することを目的とする。」という所以である。)現代の学問芸術は人類数千年の文明、文化の遺産に現代の学者、芸術家が加えたもので出来ており、これが、万人が健康で高等な文明的、文化的生活をなしうる基をなしており、また、同時に次の世代の文明、文化の基となるものである。国民の間に、真に学芸に専念する人々の多いことは国民の大いなる福祉である。 二 憲法上の学芸の自由は誰が持つかそれはその意思と能力を持つて専門的に学芸を研究する学者、芸術家個人であると思う。かような学者、芸術家の多数が自由独立の立場で学芸を研究、解明する永続的、組織的中心である公私立の大学はまたその構成員たる学者、芸術家個人とは別に大学自体として学芸の自由を憲法上保障される。だが、学問芸術の新規な理論や傾向や、諸流派の芸をみて何が学問、芸術であり、何が非学問、非芸術であるかを専門家でない者が判断することは至難のことであるから、この判断には権威ある学者、芸術家の良識判断を尊重するほかないが、しかし、憲法ないし法律にいう「学問」「学芸」「その自由」とは法概念であるからこれが訴訟で争点となつた場合には裁判所は学者、芸術家の意見を尊重しつつ究極には自己の見解により法的判断をしなければならないのではないか。国会や行政機関が法的判断を下すに当つても憲法に従うかぎり、やはり学者らの意見を尊重しつつ自から憲法の許すと考える範囲内でこれをなすほかないのではないか。問題であるが、本判決の多数意見はこの立場に立つて学問の自由を観念し、これと、その自由に属する事項と左様でない事項とを区別しているのではないか。多数意見第二段は説示して要するに次のようにいう「大学の学問の自由と自治は、直接には、大学の本質に基づき、教授その他の研究者の研究、その結果の発表、教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味する。これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も一般国民以上に学問の自由を享有し大学当局の自治的管理による施設を利用できる。大学における学生の集会も右の範囲において自由と自治を認められる。」と。しかし、大学における或る教授の担任学科が演劇ないし芸術である場合に、その学科を研究する学生がその教授を受け若しくはその指導の下に演劇を行い或いは鑑賞する行為はまさに憲法上の自由に属するけれども、私は、演劇専門外の法学、理学、医学部等の学生がかような行為をすることは深い学問又は高い芸術の専門的研究ではない、と考える。教育基本法八条が「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」というのは大学教育に限らず、高等学校等についてもいうことであつて、右のような演劇を行う如きは一般教養の一部にすぎない。大学内で学生が自己の専攻に属しない事項について科学的研究、芸術的修養をすることは自由であり、大学生であるだけに余程尊重されるべきであろうが、かような活動は高等学校、中学校でも、一般市民でも、固より自由に行うことを妨げられるものではなく、これを大学生が大学内で行うからといつて「大学の学問の自由」とはいえないと思う。演劇をその専門の教授その他の研究者の指導、意向から全く離れて行うことは教授、研究者の研究でもなく、また、学生が選んだ自己の専攻学芸の専門的研究に必ずしも当らない。いわんや、本件において、若し学生らが反植民地闘争デーの一環として松川事件に取材した演劇を行うべきことを告げずして教室使用許可を受けてかかる演劇を行わんとしその際資金カンパや渋谷事件の報告が行われたとすれば、それは、教室の許可外目的のための使用であつて、無許可使用若しくは使用権の濫用であり多数意見の判示する如く右上演集会は実社会の政治的、社会的活動に当るものというべきで、学芸の研究には属しない。(私は、わが国今日の大学前期は実は大学でなく予科にすぎず、その学生は未だ深い専門的学問研究を教授されていないのではないかと疑う。) 三 大学の学問の自由の侵害はどんな場合に起るか立法、裁判により又は行政権をもつて、或る大学又は或る学者、芸術家に或る事項の研究、発表を困難ならしめ、制限するが如き、或いは個人が学者の研究を圧迫、妨害し、資料を隠匿し、又は反対に誘惑するが如きはその侵害となろう。大学当局ないし学生自ら学問の自由を放棄するなら学問の自由は失われるであろう。例えば、所定の授業時間に教授や一般学生の教室に入場できないよう一部学生が勝手に教室入口に机や椅子を積み重ねてピケを張る如き行為や、これを大学当局が黙視する如きである。(大学は治外法権を持つものではないから、右のような授業妨害行為を実力で排除しうる自警隊を持ちえないとはいえ。)刑法は別段大学の自由を侵す罪を規定していないが、これは何故か。前記の外、私人のする大学の自由の侵害は、概ね刑事法上の教授、研究者らに対する暴行、共同暴行、脅迫、強要、住居侵入、傷害、業務執行妨害、詐欺、名誉毀損、物の隠匿、損壊等々の犯罪の形で行われると思われ、その場合にはかような犯罪として処罰されうるからであろう。だが、貴重な学問的研究報告書を窃取する目的で、大学構内に紛れ込んだだけでは大学の自由は未だ侵されまい。侵されるとしてもそれは少くとも抽象的な意味での大学の自由である。又、大学の研究用の顕微鏡の窃取は研究者の業務妨害罪なり学問の自由の侵害に、常になるであろうか。 四 大学の自由の擁護手段と本件本件起訴状記載の如きB大学法文経二五番教室における劇団Aの演劇が、たとえ同大学における学芸の研究であり、警察員が入場券を買い自己の警察員たる身分を秘して入場したこと(これは刑法二三三条、二三四条の業務妨害罪成立の要件を欠く)が、大学の学芸研究の自由の侵害であるとしても、警察員が着席して静止し、又は、退場すべく出入口に向つて歩み寄つた際に、学生がその手を押え手拳で腹部を突き或はその洋服の内ポケツトに手を入れオーバーのボタンをもぎ取り或いは洋服の内ポケツトに手を入れボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引張つてその紐を引きちぎるなどその他の暴行を加える如きは、大学の自由の侵害を排除するに適せず、起訴にかかる刑事法上の犯罪を構成するものというほかない。この場合の暴行こそかえつて演劇の進行、鑑賞を妨害するものでなくて何であろう。原判決が犯罪の成立を阻却すべき事由として認めた事情の如きは刑法上何ら右犯罪の成立を阻却するに足るものでなく、右の場合超法規的犯罪成立阻却事由があるとした原判決の法律判断も失当である。右の如き場合、学生としては演劇の進行を妨げないよう静かに警察員に質し、理由を告げて退場を求め、或いは大学当局に急報して適切な措置を求めるに止めるべきであつた。にも拘わらず、若し起訴状記載の行為に出でたものとすればこれこそ最高学府に相応しくない、学生自身による暴力犯罪であるといわねばならない。 裁判官石坂修一の補足意見は次の通りである。 (1)本件公訴事実は、「被告人はB大学経済学部四年在学中の学生であるがC外数名と共同して、(一)昭和二七年二月二〇日午後七時三〇分頃東京都文京区a町b番地B大学法文経二五番教室に於てA劇団主催の演劇を観覧中の本富士警察署員Dに対し同人の右手を押え手拳で腹部を突き或は同人の洋服内ポケツトに手を入れオーバーのボタンをもぎとる等の暴行を加え、(二)其の頃前同所に於て同様演劇観覧中の同署員Fに対し同人の両手を押え洋服の内ポケツトに手を入れボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引張つて其の紐を引きちぎる等の暴行を加えたものである」というにあるものであり、その起訴状には適条として、暴力行為等処罰に関する法律一条一項が記載せられておる。 したがつて、第一審としては、果して、被告人自身に右公訴事実となつておる、右両巡査に対する暴行の所為があつたか否か、C外数名の者にも同公訴事実となつておる同様の暴行の所為があつたか否か、及び被告人と右E外数名の者との間に右両巡査に対する犯罪を共同する意思があつたか否かについて審理を尽し、共同の罪責に帰するものがあるとすればその具体的事実関係を明らかにすべきである。然るに、第一審は、その審理を尽すことなくして、被告人が他の行為者と共同する意思の下に犯罪を行つたことを確認すべき何等の証拠もないとし、僅かに、証拠上被告人の行為として認定し得ることは、D巡査が教室内より逃げ去ろうとするに際し、同巡査の腕をつかみ、他の学生等と共に逮捕したこと及び同巡査が舞台前に連行せられて、学生等に取り囲まれた際、同巡査が警察手帳の呈示を拒むので、そのオーバーの襟に手をかけて引き、強く手帳の呈示を求めた以外には出ないものと認定しておるにとどまるのである。而して原審も亦、第一審と同一轍をふみ、たやすく第一審の前記事実認定を是認し、事実誤認を主張する検察官の控訴趣意を却けておる。 しかしながら、記録及び証拠に徴するときは、第一審判決及びこれを維持する原判決には、重大な事実の誤認を疑うに足る顕著な事由が認められる。 (2)記録及び証拠によれば、B大学においては、教室を使用する希望の者に対し、政治的目的のないことを条件とし、かつ、借用願を徴してその使用を許可していたところ、原判示劇団Aの代表者は、昭和二七年二月一一日、会合の次第が演劇「何時の日にか」(いわゆる松川事件に取材したもの)及び「あさやけの詩」の他、挨拶、解説であり、入場者は同大学学生職員であるとして、同月二〇日午後五時より九時まで同大学法文経二五番教室を使用したき旨の教室借用願及びこの会合に政治的目的のないことを保証する書面を管理者に提出し、実際には、労働組合青年部と提携して行う再軍備反対署名、他の団体においても行なう反植民地闘争デーの闘争の一環としての活動である演劇(何時の日にか)及び資金カンパその他を行う意図あることを秘して、同月二〇日右教室を借受けた事実の存在を疑うに足る顕著な事由があり、しかも同夜開演に先立ち、右松川事件の救援資金カンパが行われ、更に、いわゆる渋谷事件の報告もなされたことは、原審の自ら認定する事実であり、いわゆる渋谷事件とは、本事件発生に極めて近い頃、渋谷駅前広場において、B大学教養学部学生等が再軍備反対、徴兵反対のための署名運動をしたところより、警察官が無届集会として解散を命じ、学生側がこれに応ぜずして警察官隊と衝突し、その内の数名が検挙せられたことを指すものである事実及び右借用願には、入場者をB大学学生職員とせられていたけれども、実状においては、入場券を買い求める者は随意に入場しており、その内の相当数が外来者であつた事実を証拠上認め得るのであり、本件集会は、公開のものであつたと判断せられる。したがつて、右教室を借受けた目的は、真に、憲法の保障する「学問の自由」及びこれに由来する「大学の自治」の範囲に属する研究集会のため使用するにあつたのではなくして、実社会の政治的、社会的活動に当る行為としての公開集会を開催するため使用するにあつたものであるとの認定判断に到達する確実性が高度であるといわねばならない。然りとすれば、到底、第一審判決及びこれを維持する原判決において判断せられる如くに、原判示劇団Aの本件集会を以つて、右「学問の自由」、「大学の自治」の範囲に属するとなす由もない。以上説明した事情のある限り、警察官としては、警察法一条、警察官等職務執行法六条二項(本件当時)により本件集会に立入るにつき、合理的理由があつたものといわねばならないのみならず、右両巡査に、右集会の進行を害する意図があつたと認むべき資料もない。かような事実関係の下においては、警察官が公衆の一員として本件集会に入場券を買求めて入場したことに対しても被告人にこれを排除防衛すべき何らの法益もない。 更に又、入場料を徴する本件の如き公開集会において、内心の指向するところは何であれ、言説、演技がそれ自体に止まつておつて、現実に他の法益を害するものでない限り、これらを行なう者の自由にまかせらるべきことは固よりであり、同時に、入場者としても亦、内心の指向するところは何であれ、場内の静粛をみだし、他の入場者に迷惑を被むらしめ或は集会の進行を妨害する等によつて、現実に他の法益を害しない限り、単に言説を聴き、演技を看ることは、入場者の自由にまかせられるものと解すべきである。この理は、入場者が一般公衆であると警察官であるとによつて異るところはなく、原判示両巡査に前叙の如き現実に他の法益を害する意図及び行動のあつたことを認むべき資料はない。 第一審判決及びこれを維持する原判決は、頗る薄弱な事実認定の上に立つて、徒らに超法規的な正当行為論を想定展開した憾みがある。 (3)法益防衛行為の違法性が阻却せられるためには、単に、その法益と右防衛行為により害せられる法益とが均衡を保つことのみを以つて足るものではなくして、法益に対する侵害が現に急迫しており、かつ、防衛行為がやむことを得ざるに出ることを必要とするものと解すべきである。本件に即してこれを観るときは、次の通りとなる。仮に本件犯行以前において、警察官による違法な学内立入が行われたとしても、既に過去の行為に属し、法益に対する侵害は終了しておるのであるから、これに対する侵害排除行為を認め得る余地がない。更に原審の認定によれば、原判示D巡査は、本件集会場である原判示教室内の大学学生より警察官であることを感付かれた気配を覚え、急遽、同教室より退去すべく、右中央辺の席を立つて同教室後側西南部にある出入口に向つて歩み寄つたとき、被告人が同巡査の右手を掴み、その後、被告人は、同巡査に原判示の暴行を加えたのであるから、被告人は、同巡査が任意に現場より退去を開始したにも拘らず、これを阻止した上、同巡査に暴行を加えたものと判断すべきであつて、仮に被告人に防衛すべき何らかの法益があつたとしても、その法益に対する侵害は、他に特段の事情がなければ、最早、現に急迫しておるとはいえないのみならず、右暴行を以つて、法益を防衛するためやむことを得ざるに出たものともなし得ない。仮に原判示の如く、本件集会の際、将来における警察官の違法な学内侵入の虞れあることが予想せられたとしても、これを現に急迫しておるとは考えられない。したがつて、本件所為を正当な防衛行為であると解すべき刑法上の根拠はない。 上述の観点よりするときは、被告人の本件所為を違法性の阻却せられたものであると解した原審の判断は、誤つておるとなすべきである。 裁判官横田正俊の意見は次のとおりである。 (一)大学における学問の自由を保障するため、大学の自治が認められ、この自治の権能が大学の施設及び学生の管理にも及ぶことは、論のないところである。この大学の施設と学生の管理に関する自治は、大学における学問の自由を保障することを窮極の目的としてはいるが、その権能は、決して、純然たる学問の研究又はその結果の発表、すなわち学問に直結する事項にのみ限定されるものではない。これを学生の学内活動についていえば、学生は、学内において、純然たる学問的活動のほか、各種の活動(いわゆる自治活動)をしているのであるが、大学は、それらの活動についても、ある程度において、これを指導し監督する権限と責任をもつものといわなければならない。けだし、大学がこのような権限と責任をもち、学生の活動を健全な方向に導くことは、その結果において、学問に資することとなるからである。そして、学生の活動が大学の権限と責任の下におかれている範囲においては、大学の自主性を尊重し、これに対する外部からの干渉は、できうるかぎりこれを排除すべきであるというのが、大学の自治の本義であると解される。 (二)他面において、大学といえども治外法権を享有するものではなく、学生の学内活動もまた、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、公共の安全と秩序の維持とを責務とする警察の正当な活動の対象となるものであることはいうをまたないところであり、また、この警察の活動のうちには、警察官が任意の手段によつて行う、いわゆる警備情報活動が含まれることもこれを認めなければならない。ただし、大学における学問の自由と大学の自治の本義にかんがみれば、学内に対する警察権の行使、ことに警備情報活動は、他の場合に比較して、より慎重にこれを行い、必要の限度をこえないことが強く要請されるのである。 (三)この大学の自治と警察権の行使の調整を図ることは、かなりの困難を伴う問題であり、結局においては、関係者の良識と節度にまつほかはないが、この点に関して注目に価するものは、原判決に示されている文部次官の通達であろう。この通達は、集会、集団行進及び集団示威運動に関する東京都条例が施行されるに際し、右条例の解釈につき、警視庁と協議の上、文部次官が、昭和二五年七月二五日、東京都内所在の大学の長等に宛てて発したものであるが、右通達中、大学の学生による学内集会に関する部分を摘示してみると、この通達においては、学校構内における集会で、学生又はその団体が学校の定める手続による許可を得て、特定の者を対象として開催されるものは、公共の場所における集会とは認めず、したがつて公安委員会の許可を要しないことが明らかにされているが、同時に、右集会の取締については学校長が措置することを建前とし、要請があつた場合に警察がこれに協力することとする旨が定められているのであつて、右は、単に集会の許可権者を明らかにしているに止まらず、学内集会に対する大学の自治と警察権の行使との調整の問題にもふれているものと解されるのである。右通達によれば、大学の責任と監督の下に行われる正規の学内集会の条件としては、特定の者を対象とするものであること、すなわち一般公衆を入場させないという意味での非公開性が定められているだけで、集会の目的、内容については、とくにふれるところはないが、本来、大学においては政治的活動はもとより(教育基本法八条二項)、大学教育の理念とする政治的中立性を害し、学問に専念すべき学生の本分にもとるがごとき社会的活動をすることは許されないのであるから、かかる目的、内容を有する集会に対しては、大学が許可に際し規制を加えること(学生の管理に関する大学の自治の作用)が当然に予定されているものと考えられるので、正規の学内集会といいうるためには、集会が少くとも右のごとき活動を目的、内容としないものであることも条件とされているものと認められる。右通達に示されたところは、それ自体に法律的な抗束力を認めることは困難であるとしても、大学の自治と警察権の行使の調整に関する一応の具体的基準を示したものとして、決して軽視してはならないものと考えられる。要するに、学生による学内集会が、少くとも以上の二条件を現実に具備しているかぎり、警察官のこれに対する職務行為としての立入りは、正規の法的手続を踏み、必要の限度をこえないでする場合のほかは、許されないものと解される反面、集会が現実に右条件を欠いている場合には、警察官は、これに対し、一般の屋内集会に対すると同一条件で立入ることができるのであり、その集会が大学の許可をえて学内において行われているという形式的理由だけで、警察官の立入りを拒むことをえないものと解するのが相当である。もつとも、この後の場合においても、集会が単に非公開性を欠くに止まる場合においては、警察官の警備情報活動としての立入りは、警察官の特殊性にかんがみ、これが学内集会(ことに学問的会合)の運行を不当に妨げることとなり、集会主催者側においてその立入りを拒否するにつき正当の理由があることとなる場合もありうることを見逃してはならないであろう。 (四)本件につきこれをみるに、大学の公認団体であるA劇団が主催した本件学内集会が、前示通達の線に副い、大学の許可(形式上は施設使用の許可)を得て法文経二五番教室において開催されたものであり、また、Bの学生、職員約三〇〇名を対象とし、政治的目的を有する集会でないことを条件として許可されたものであることは、本件記録に徴し明らかであり、また、原審は、右劇団Aの性格、本件集会の内容、警察官立入りの実情等につき一応の認定をしているのであるが、本件記録に徴すれば、原審は、右劇団Aの実体、本件集会の真の目的、その現実のあり方、許可に際し大学当局はこの集会の目的、内容をどのように理解していたか等本件集会の実態を明らかにするために必要な事項に関し審理又は判断をよく尽していないうらみがあることを否みえないのである。そして、この事実関係が明らかでないかぎりは、本件集会に対する警察官の立入りが、上述したところに照し、許容される限度をこえたものであるかどうかを判定することはできないのであるから、原判決には、少くとも、右の点に関し判決に影響を及ぼすべき審理不尽の違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。 検察官村上朝一、同中村哲夫、同神山欣治公判出席 昭和三八年五月二二日 最高裁判所大法廷 裁判長裁判官  横田喜三郎 裁判官  河村又介 裁判官  入江俊郎 裁判官  池田 克 裁判官  垂水克己 裁判官  河村大助 裁判官  下飯坂潤夫 裁判官  奥野健一 裁判官  石坂修一 裁判官  山田作之助 裁判官  五鬼上堅磐 裁判官  横田正俊 裁判官  斎藤朔郎

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ryomiyagawa Founder
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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