現代文の記述問題の解き方(5)

01 記述問題の公理と定理、細則を使って練習してみよう

それでは、ここまでで説明した現代文の記述問題の解き方における公理、定理、細則を使って実際に過去問を解いて練習してみましょう。その前に、改めて公理、定理、細則を下記にまとめて再掲します。

公理 傍線部と問いかけが、解答を100%規定する(本文を読んでいない人にも伝わる文章にする)。

内容説明問題の定理一 傍線部を説明要素(ポイント)に分節化する。

内容説明問題の定理二 個々の説明要素(ポイント)を説明した上で、一つに繋げる。

理由説明問題の定理一 ゴール(G)へ至るスタート(S)を見定める。

理由説明問題の定理二 SーG間を飛躍しないよう論理ステップで一段ずつ繋げる。

細則一 「比喩」や「本文の文脈抜きに成立しないような表現、言葉」は用いない。

細則二 課題文の文章のただの書き抜きをつぎはぎしたり、重複した表現を避ける。

それでは、さっそく過去問で上記の公理、定理、細則を使って問題を解いていこう。今回は、大阪大学の2021年の前期試験の問題を改変せずに大問一つを全部出題しています。

02 大阪大学の過去問で公理、定理、細則を学ぶ

次の文章は、現代世界では、グローバリズムの生み出す秩序が帝国のように国民国家における力を及ぼし、その結果として生権力と規律訓練が並存しているということについて論じています。これを読んで後の問いに答えなさい。

規律訓練と生権力は、フランス系現代思想で使われる権力の二類型である。おおざっぱに説明すれば、規律訓練のほうは、権力者がああしろこうしろと命令し、懲罰を与えることで対象者を動かす権力を指す言葉である。懲罰があるので規律訓練と呼ばれる。他方で生権力のほうは、あくまでも対象者の自由意志を尊重しながらも、規律を変えたり、価格を変えたり環境を変えたりすることで、結果的に権力者の目的どおりに対象者を動かす権力を指す言葉である。対象者の社会的な生活に介入するという意味で生産力と呼ばれる。

この両概念の歴史は複雑で一般的にはともにフーコーが発明したと考えられているが、実際には彼は両者をこのように対立させてはいない。そもそも規律訓練は一九七五年の『監獄の誕生』で、生権力は一九六八年の『知への意志』で現れる言葉で、このふたつの本は異なった現象を分析している。けれども、のちに、フーコーの友人でもあった哲学者ジル・ドゥルーズが、一九九〇年に発表した短い評論で、両者を対立させ、規律訓練が支配する「規律社会」は十九世紀までの社会モデルであり、現代社会では生権力が支配する「管理社会」に移行しつつあるという簡単な図式を提示して見せた。規律から管理へというこの図式は、フーコーのもともとの主張に較べてたいへんわかりやすかっやので、すでに広く知られるようになった。

しかし、その議論はどれほど適切だろうか。ぼくには、そこで立場の前提となった権力形態の移行という想定そのものが疑わしいように思われる。

なぜか。それは。規律と管理というふたつの権力形態は、ほんとうはたがいに排他的ではないはずだからである。規律と管理は同時に作動しうる。権力者あるいは管理者は、ひとつの目的を実現するために複数の手段を用いることができる。たとえば、公園からホームレスを追い出したいのであれば、直接にホームレスに出て行けと命令することもできれば、ベンチや歩道の設計を変え、あるいは近くに宿舎を用意し、ホームレスが「自発的に」公園を離れるよう仕向けることもできる。

ドゥルーズが管理社会の例として提示したのは、「決められた障壁を解除するエレクトロニクスのカードによって、各人が自分のマンションを離れ、自分の住んでいる通りや街区を離れることができるような」「しかし決まった日や決まった時間帯には、同じカードが拒絶されることもある」町である。しかし、そのようなカードを与えられたからといって、規律訓練的な命令や監視がなくなるわけではない。ぼくはたまたまこの原稿をホテルで書いているが、最近の少なからぬホテルは、まさにドゥルーズが想像したようなカードで入退室や階の移動を管理している。チェックアウトのあとは、同じカードを使っても同じ部屋に入れないし、エレベーターのボタンすら押せない。しかし、だからといってフロントからスタッフがいなくなるわけではないし、各種警告の掲示がなくなるわけでもない。カードの存在は、むしろ、そのような命令と監視が行き届かない場合(顧客と言葉が通じない場合など)の保険として機能している。(a)だとすれば、ぼくたちは、現代世界では規律社会と管理社会は重なっているのだと、したがって国民国家と帝国も重なっているのだと言うべきではなかろうか?

あるいはこのように表現してもよいかもしれない。僕は、ナショナリズムを人間に、グローバリズムを動物に割り当てた。国民国家(ネーション)は人間を人間として扱う体制である。むしろ、国民国家こそが人間を(規律訓練の徹底によって)人間にするのである。それがヘーゲルが述べたことである。

では帝国はどうだろうか。人間と動物の対比にしたがうならば、帝国はまさに人間を動物のように扱う体制だと言うことができる。帝国は個人になにも呼びかけない。ただ消費者であることしか求めない。そこでは個人は、地球規模の世界市場で集められた、ビッグデータのひとつの(a)エントリでしかない。

ただし、これはけっして、人道主義的で左翼的な非難、すなわち(b)「帝国は人間を人間扱いしていない!」といった類の告発につながらない。さきほども述べたように、生権力はそもそも『知への意志』で導入された概念である。この著作でフーコーが明らかにしたのは、十九世紀のドイツやフランスにおいて、公衆衛生の重要性が発見され、統計学が整い、労働者の住環境が改善され福利厚生が図られるその歩みが、そのまま国家権力(生権力)の拡大に結びつく光景だった。十九世紀の国民国家は、厳しい競争のなか、生産力を上げるために労働者の人口を計画的に増やす必要に迫られていた。公衆衛生の理念はその配慮から誕生している。むろん、公衆衛生の理念は労働者の生活の質をまちがいなく上げたに違いない。しかしそれは、起源としては、農場の生産性を上げるため、牛馬の衛生管理を徹底するのと同じ発想による配慮だったのである。だから公衆衛生の対象となる労働者には顔がない。名前もない。それは何十万、何百万というデータのひとつの(2)サンプルでしかなく、また実際にそのような規模で分析しなければ公衆衛生は実現できない。だからそれは統計学の進歩と密接に結びついている。生権力はこの点で、本質的に人間を動物のように管理する権力である。実際、カードキーやGPSのようにドゥルーズが例示に用いた管理社会の技術は、ほとんどが最初は家畜に用いられたのではなかろうか?

そして、人間が人間として扱われることと人間が動物として扱われること、この両者もまたけっして排他的ではない。同じ個人が、個別のコミュニケーションの場では人間として(意志を持った顔のある存在として)扱われるとともに、同時に統計の対象としては動物のように(匿名のひとつのサンプルとして)扱われるということは十分にありえる。というより、現代社会はむしろそのような例に満ちている。

たとえば少子化問題を考えてみよう。ぼくたちの社会は、女性ひとりひとりを顔のある固有の存在として扱うかぎり、つまり人間として扱うかぎり、けっして「子供を産め」とは命じることができない。それは倫理に反している。しかし他方で、女性の全体を顔のない群れとして、すなわち動物として分析するかぎりにおいて、ある数の女性は子どもを産むべきであり、そのためには経済的あるいは技術的なこれこれの環境が必要だと言うことができる。こちらは倫理に反していない。そしてこのふたつの道徳判断は、現代社会では(奇妙なことに!)矛盾しないものと考えられている。(c)その合意そのものが、ぼくたちの社会が、規律訓練の審級と生権力の審級をばらばらに動かしていることを証拠だてている。国民国家は出産を奨励できないが、帝国は奨励できる。それが現代の出産の倫理である。

ぼくたちは、人間であるとともに動物としても生きている。顔のある個人であるとともに匿名の群れのひとりとしても生きている。人間はそもそもだれもがそのような両義的な存在なのであり、ここまで見てきた世界の二層構造は、いわばその両義性から必然的に導かれている。

(東浩紀『観光客の哲学』による)

問一 傍線部(1)の「エントリでしかない」や傍線部(2)の「サンプルでしかなく」とはどういうことか、説明しなさい。

問二 傍線部(a)について、ホテルの事例から規律社会と管理社会が重なっていると推論できるのはなぜか、説明しなさい。

問三 傍線部(b)について、「帝国は人間を人間扱いしていない」という「告発につながらない」のはなぜか、説明しなさい。

問四 傍線部(c)は、どのようなことをいっているのか、説明しなさい。

大阪大学2021年

03 内容説明問題の解き方を簡単な問題で確認する

問一は、内容説明問題ですね。しかも、かなり平易な問題です。これを落とすのは受験する上であってはならないことですね。「エントリでしかない」も「サンプルでしかなく」も同じ類比表現です。膨大な「ビッグデータ」の中のひとつの「エントリ」でしかなく、「何十万、何百万というデータ」の中のひとつの「サンプルでしか」ないわけです。このことは、「統計の対象」として「匿名のひとつのサンプルとして」、つまり、「匿名の群れのひとり」として人間が管理されると言うことだと課題文に書いてありますね。

今回の説明要素は、「エントリ」や「サンプル」とは、どういうものであるのかを言い換えた上で、それがどのように扱われているのかを説明すればOKです。

ポイント(1)エントリやサンプルとは、ビックデータや何百万というデータの中のひとつの対象に過ぎないということ

ポイント(2)その対象を、匿名の一つのサンプルとして(動物のように扱うことで)人間が管理されるということ

従って、解答としては、「膨大な統計的情報の中で個性のない匿名のひとつのものとして人間を動物のように扱うことで管理すること」で良いでしょう。

04 理由説明問題のおさらい

それでは、問二にいきましょう。こちらは理由説明問題です。どうして傍線部のように「ホテルの事例から規律社会と管理社会が重なっていると推論できる」のか、その理由を答えてください、と訊かれているわけですね。これも平易な問題です。傍線部の直前に書かれていることをスタート(S)にして、傍線部のゴール(G)まで至る論理の道筋を「~だから」と辿っていけばよいだけです。直前の段落を確認してみましょう。

「ぼくはたまたまこの原稿をホテルで書いているが、最近の少なからぬホテルは、まさにドゥルーズが想像したようなカードで入退室や階の移動を管理している。チェックアウトのあとは、同じカードを使っても同じ部屋に入れないし、エレベーターのボタンすら押せない。しかし、だからといってフロントからスタッフがいなくなるわけではないし、各種警告の掲示がなくなるわけでもない。カードの存在は、むしろ、そのような命令と監視が行き届かない場合(顧客と言葉が通じない場合など)の保険として機能している。」

この段落を論理構造で段階分けすると、

(1)管理社会型にカードで入退室や階の移動を管理していても、フロントに人がいなくなるわけでもなく、

(2)命令や監視が行き届かない場合を保険として規律社会型の管理が同時に行われているから

という、管理社会型の管理と規律社会型の管理の二重の管理が行われているわけです。従って、解答としては「管理社会型にカードで入退室や階の移動を管理していても、フロントに人がいるなど、命令や監視が行き届かない場合を想定し、従来型の規律社会の管理も同時に行っていると考えられるから」でしょうか。

それでは、問三に取り組みましょう。「帝国は人間を人間扱いしていない」という「告発につながらない」のはなぜか、という問いは理由説明問題の典型ですね。何故帝国は批判されないのか?

それは、「帝国は人間を動物のように扱い管理するものであるものの、生産力を上げるために労働者の人口を増やす取り組みが、衛生管理を徹底させ、結果的には労働者の生活の質を向上させたことにつながるから」、批判されないんですよね。

(1)帝国が人間を動物のように取り扱う一方

(2)生産力をあげるための公衆衛生の理念を実践に移し、

(3)結果的に労働者の生活の質を向上させた

という三ステップを、うまく繋げれば良いだけですね。特に難しい論理的段階はなく、繋いでいくのも難しくないでしょう。こうした簡単な問題で、腕を鳴らしていくのが良いですね。

05 内容説明問題のおさらい

最後に、問四です。これは内容説明問題ですね。「その合意そのものが、ぼくたちの社会が、規律訓練の審級と生権力の審級をばらばらに動かしていることを証拠だてている。」を説明要素(ポイント)に文節化してみましょう。

(1)「その合意」とは何と何の合意なのか?*「その」の指示範囲に注意!

(2)規律訓練の審級とは何か?

(3)生権力の審級とは何か?

(4)ばらばらに動いていることとは何か?

の四要素ですね。まず、「その合意」とは、直前の女性の出産に対する「ふたつの道徳判断」が「現代社会では(奇妙なことに!)矛盾しないものと考えられている」ことを指しています。もう少し指示対象を説明すると、「女性に対して、少子化問題を解決するため、子供を産めと命ずることができない一方、ある数の女性は子供を産むべきであり、そのためには経済的あるいは技術的な環境を用意する必要がある」と考えることを指しているわけです。

次に、規律訓練とは、「権力者がああしろこうしろと命令し、懲罰を与えることで対象者を動かす権力」のことでしたね。そして、生権力とは、「あくまでも対象者の自由意志を尊重しながらも、規律を変えたり、価格を変えたり環境を変えたりすることで、結果的に権力者の目的どおりに対象者を動かす権力」でした。

審級という言葉は難しい言葉ですが、「訴訟事件を異なる階級の裁判所で反復審判させる場合の裁判所間の序列。日本の司法制度は原則として三審級をとる」という意味で、この場合は、比喩的に使われていることが分かります。つまり、判断する序列のようなものと言い換えて良いでしょう。この二つの序列には優劣はなく、両義的なものであるわけですから、同じ事象に対して、二つの異なる立場が、互いに対立せず二重構造として併存しているということになります。なので、「ばらばらに動いている」というのは、「人間であるとともに動物として生きている」ことであり、「人間はそもそもだれもがそのような両義的な存在なのであり、ここまで見てきた世界の二層構造は、いわばその両義性から必然的に導かれている」ということになります。

これを一文にまとめてみましょう。「女性に対して、少子化問題を解決するため、出産を強制するのは倫理に反するものされる一方、産みやすい環境を整え、自発的に産んで貰おうとすることは倫理に反しないという二つの倫理基準が矛盾無く受け入れられてしまうのは、直接的に対象者を動かす権力である規律訓練と結果的に目的通りに対象者を動かす権力である生権力が対立せず、二重構造として存在しており、これは人間であるとともに動物としても生きている人間存在の両義性から必然的に導かれているものだということ」です。

現代文への偏見

現代文の記述問題の解き方(1)

現代文の記述問題の解き方(2)

現代文の記述問題の解き方(3)

現代文の記述問題の解き方(4)

現代文の記述問題の解き方(5)

リベラルアーツ教育に強いのは武蔵野個別指導塾だけ 《武蔵境駅徒歩30秒》武蔵野個別指導塾
【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

TOPに戻る

個別指導塾のススメ

小学生コース

中学生コース

高校生コース

浪人生コース

大学院入試コース

社会人コース(TOEIC対策)

英検準1級はコストパフォーマンスが高い

英文法特講(英語から繋げる本物の教養)

東大合格は難しくない

英語を学ぶということ

英文法講座

英検があれば200~20倍楽に早慶・GMRCHに合格できる

現代文には解き方がある

共通テストや国立の記述テストで満点を取る日本史

共通テストで満点を取るための世界史

武蔵境駅徒歩1分武蔵野個別指導塾の特徴

サードステーションの必要性

学年別指導コース

文部科学省

author avatar
ryomiyagawa
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
PAGE TOP
お電話