共通テストで満点をとるための世界史講義 世界史講義⑨ フランス革命

〔123〕フランス革命(1)ブルボン王政

フランス革命としては、ブルボン王政、国民議会、立法議会、国民公会、ジャコバン派独裁、総裁政府、統領政府、第一帝政と段階を踏む。フランス革命とはフランスで革命が起こり、共和制になったことであり、王権が最も強い国での革命であったため、世界中に影響を与えた。革命の背景としては、フランスの社会構造にあり、革命前の社会体制をアンシャン=レジーム(旧体制)といわれ、三つの身分、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)によって構成されていた。第一身分や第二身分は特権階級とされ、免税特権を持っていたが、第三身分である平民には重税が課せられた。

アンシャン=レジームに対する不満を持っていた第三身分に啓蒙思想が普及し、神や王に対する疑問が生じ、不合理だと考えられるようになった。シェイエスが「第三身分とは何か」という書物を著し、第三身分の権利を主張した。

ルイ14世時代に対外戦争と宮廷の浪費により財政は悪化し、ルイ15世は七年戦争へ介入し、ルイ16世はアメリカ独立戦争へ介入し、国家財政は緊迫した。ルイ16世は、財政を立て直すための改革を行おうと、テュルゴー(重農主義者)やネッケル(銀行家)を登用した。デュルゴーやネッケルは特権身分への課税を図るが、特権身分の反発を受け、議会で議論すべきだとされた。そこで、ルイ16世は170数年ぶりに三部会を1789年に招集した。しかし、第一身分が308名、第二身分は285名、第三身分が621名であったため、三部会の議決方法について頭数か身分ごとの投票か揉める。そこで、第三身分が三部会から離脱し、1789年6月17日に「国民議会」と名乗り、6月20日に「球戯場の誓い(テニスコートの誓い)」を行い、自分たちの憲法を作るまでは解散しないと主張した。

〔124〕フランス革命(2)国民議会

三部会から平民が離脱し出来た国民議会で、中心人物はラ=ファイエットやミラボーなどの立憲君主派が中心であった。国王による国民議会弾圧に対して、民衆は蜂起し、1789年、7月14日にバスティーユ牢獄を襲撃した。民衆は、封建的特権の廃止宣言し、農奴制や十分の一税、領主裁判権の無償廃止を求めた。ラ=ファイエットが人権宣言を起草し、人権宣言を採択した。自由・平等、主権在民、言論の自由、私有財産の不可侵などを記した。パリの物価が高騰し、パリの女性たちがヴェルサイユ宮殿へ向かい、ルイ16世をパリへ連行した(ヴェルサイユ行進)。

〔125〕フランス革命(3)立法議会

それに対して、ルイ16世が妃マリー=アントワネットの実家であるオーストリアへ逃亡しようとするヴァレンヌ逃亡事件が起きるが、失敗する。これを受けて、王に対するフランス国民の気持ちは失望に変わった。そこで、1791年憲法制定がされる。テニスコートの誓いが達成されたので国民議会は解散し、立法議会へ変わっていく。立法議会内部では対立が生じ、フイヤン派(立憲君主派)とジロンド派(共和派)に分かれた。ジロンド派が実権を握ると王や王妃が殺される危険があるため、王妃マリー=アントワネットの実家のオーストリアが革命を潰しにかかった。ジロンド派内閣は、オーストリアに宣戦布告し、戦争が始まるが、オーストリア・プロイセンの常備軍が当初圧倒する。しかし、フランスの各地から義勇軍が集結した。その際、フランス国家「ラ=マルセイエーズ」が誕生した。国民の王に対する感情は更に悪化し、8月10日事件で、王権を停止し、共和制が開始される。

〔126〕フランス革命(4)国民公会(5)ジャコバン派独裁

議会は、立法議会からフランス初の共和政を担当する国民公会へ変わった。この段階を第一共和政という。革命軍はプロイセンやオーストリアの常備軍に苦戦していたが、1792年9月20日に、ヴァルミーの戦いでオーストリア・プロイセン同盟軍に勝利する。その結果、ルイ16世が処刑された。周囲の国王はこの状況に恐れた。そこで、諸国はイギリスの首相ピットの提唱の下に、第1回対仏大同盟を結成される。これにより、フランスでは対抗するため強いリーダーシップを発揮していたジャコバン派へ権力が集中し、ジャコバン派独裁へ移る。ジャコバン派は下層市民(サン=キュロット)や農民の支持を受け、マラーやダントン、ロベスピエールが主導的役割を担った。いつしかロベスピエールが実権を掌握し、ロベスピエールによる恐怖政治が行われる。ロベスピエールは公安委員会と革命裁判所に権力を集中させ、急進的な改革を行った。農奴が領主へ支払っていた封建地代の無償廃止し農奴制をなくし、革命暦を採用、徴兵制を実施し、最高価格令を発布した。しかし、最高価格令は市民層の反感を買った。ロベスピエールは反対派をギロチンへかけて処刑していくが、独裁への不満が高まり、1794年7月テルミドールのクーデタ(テルミドール9日の反動)が起き、ロベスピエールは逮捕され革命広場(コンコルド広場)でギロチンにより処刑された。

〔127〕フランス革命(6)総裁政府

ジャコバン派独裁に対する反省として、常に五人の総裁による話し合いで政治を運営する総裁政府が生まれた。その中で、私有財産の廃止、政府転覆を計画したバブーフの反乱が起きる。そして、第2回対仏大同盟が結成されるが、総裁政府は対応できず、民衆の期待はナポレオンへ集中していく。ナポレオンは、コルシカ島出身で、第1回対仏大同盟でイタリア遠征でオーストリア軍を倒し、引き続きイギリスのインド支配を弱めるためのエジプト遠征で勝利した(その際にロゼッタ=ストーンを発見し、その後、シャンポリオンがヒエログリフを解読した)。その後、1799年、ブリュメール18日のクーデタで、ナポレオンが総裁政府を倒し、統領政府を樹立し、ナポレオンが第一統領となった。外交面では、アミアンの和約でイギリスと講和し、第2回対仏大同盟を崩壊させた。内政面では、私有財産の不可侵や法の前の平等などフランス民法典としてナポレオン法典を制定した。その頃、フランス銀行が設立。ナポレオンは国民投票により皇帝に就任し、第一帝政が始まった。

〔128〕フランス革命(8)第一帝政の時代

ナポレオンによる帝政が始まり、第一帝政が行われるが、諸国は第3回対仏大同盟が結成し、対抗した。ナポレオンは、ネルソン率いるイギリス海軍に大敗する(トラファルガーの海戦)ものの、アウステルリッツの戦い(三帝会戦)では、ロシア・オーストリア軍を破った。こうしてナポレオンは1806年にライン同盟を結成し、西南ドイツ諸国をナポレオンの同盟国にし、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅し、ナポレオンは大陸支配を開始した。ティルジット条約でプロイセンに屈辱的条約を結ばせ、プロイセンの領土は半減し、ワルシャワ大公国などが建国された。ナポレオンは大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発布し、諸国にイギリスとの通商を禁止させた。しかし、反ナポレオン運動が展開され、スペインの反乱(解放戦争の口火)、プロイセンの改革(シュタインやハルテンベルクが推進)を行い農奴解放、教育・軍制改革を行った。また、独ではフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」を著す。一方、ロシアは大陸封鎖令を破り、イギリスに穀物を輸出した。それに対し、ナポレオンはモスクワ遠征を開始するが、ナポレオンは大敗北する。更にライプチヒの戦いで、ナポレオンは敗北し、エルバ島に流された。その後、ナポレオンは、エルバ島を脱出し、皇帝へ復位した。しかし、ワーテルローの戦いで、ウェリントン率いるイギリス軍に敗北し、セントヘレナ島へ流され、死去する。

〔129〕ウィーン会議

ヨーロッパに一瞬空白地帯が生まれ、ウィーン会議でナポレオン戦争の戦後処理が行われた。参加者は、オーストリアの外相メッテルニヒ(ウィーン会議の主催者)、フランスはタレーラン、ロシアはアレクサンドル1世であった。フランスのタレーランが会議の基本原則として、正統主義(フランス外相タレーランの提唱)であり、ヨーロッパをフランス革命の状態に戻す、というものであった。しかし、利害が対立し、会議は進まない。これを称して「会議は踊る、されど進まず」と言われた。そのタイミングでナポレオンがエルバ島を脱出し、百日天下が起きた。ウィーン会議での取り決めとしては、ウィーン体制が敷かれ、フランスはブルボン朝のルイ18世(ブルボン朝の復古王政)が復活し、ポーランド王国が創設され、ロシアが王位を兼任した。イギリスはオランダからケープ植民地やセイロン島を獲得した。オランダはオーストリアからベルギーを獲得した。オーストリアはイタリアからヴェネツィアやロンバルディアを獲得。ドイツでは、ドイツ連邦が成立した。ウィーン体制を守るため、神聖同盟(ロシアのアレクサンドル1世が提唱)、四国同盟(イギリス、プロイセン、オーストリアの四カ国)、後にフランスが加わり、五国同盟になった。

〔130〕ウィーン体制の動揺

従来通りの支配を続けたいというウィーン体制であったが、アメリカ独立やフランス革命によって、民衆や民族は自由や独立を求めるようになった。ウィーン体制を揺らがす二つの考えとしては、絶対王政から国民主権の国、つまり国民が自由に政治にできる「自由主義」という考え方が隆盛し、ドイツではブルシェンシャフト運動(学生運動)。イタリアではカルボナリの乱(炭焼党の乱)、ロシアではデカブリストの乱(十二月党の乱)が起きた。もう一つの考え方としては、他国に支配されず、民族が自分の国を持ちたいという国民主義という考え方が隆盛した。国民主義を求める運動としては、ギリシア独立戦争(オスマン帝国に対するギリシアの独立戦争)が起きた。このギリシア独立戦争には詩人バイロンが参戦した。

ウィーン体制の動揺は、ラテンアメリカの諸国の独立に顕著に現れた。ナポレオン戦争やウィーン会議でヨーロッパ諸国のラテンアメリカへのマークが外れ、独立運動が盛んに起こった。まず、トゥサン=ルベルチュールの指導で、初の黒人共和国であるハイチがフランスから独立した。ベネズエラ、コロンビア、ボリビアなど南米の北部は、シモン=ボリバルの指導で次々と独立していった。アルゼンチンやチリなど南米の南部は、サン=マルティンの指導により独立、メキシコもイダルゴの指導により独立した。こうした動きに対して、オーストリアのメッテルニヒが独立に歯止めをかけようとするが、アメリカは、ヨーロッパはアメリカ大陸のことに口を出すなという趣旨のモンロー教書を出し、ラテンアメリカを独立させ商売相手にしたいイギリスは外相カニングの外交により、ラテンアメリカの独立を支援した。独立後のラテンアメリカでは、独立を指導したクリオーリョ(植民地生まれの白人)がその後の支配者となった。

〔131〕七月革命

ウィーン会議で復活したブルボン復古王政(ブルボン朝)では、ルイ18世による王政が復活し、シャルル10世の時、絶対王政を唱えだした。国民は不満を高めるが、その国民の不満をそらすため、アルジェリアに出兵し、フランスの植民地とした。しかし、国民の不満は止まらず、パリ市民が武装蜂起し、七月革命が起き、シャルル10世は国外逃亡した。この七月革命をドラクロワが「民衆を導く自由(の女神)」を描いた。その後成立した政府は、七月王政と言われ、オルレアン家のルイ=フィリップが即位した。しかし、大銀行家や大資本家など優遇したため、「株屋の王」(あだ名は洋梨)と言われ、国民の不満が爆発し、二月革命に移行する。しかし、七月革命の影響でベルギーの独立(オランダからの支配下より独立)、ポーランド、ドイツ、イタリアで反乱が起きた。

〔132〕二月革命と第二共和政

七月王政への不満で二月革命が起き、ルイ=フィリップが亡命し、七月王政が崩壊し、第二共和政へ移った。二月革命の影響で、「諸国民の春(1848年)」が起き、ベルリンやウィーンでは三月革命が起き、メッテルニヒが亡命し、ウィーン体制が実質的に崩壊した。オーストリア支配下の地域、ハンガリーやベーメンやイタリア北部で反乱が起きた。第二共和政では、穏健共和派(貧しいが自分の土地を持つ農民)と社会主義者(労働者)が対立した。社会主義者のルイ=ブランが入閣し、失業者救援のため、国立作業場を建設した。しかし、四月選挙で、社会主義は大敗した。それで六月暴動を起こすが、失敗し、ルイ=ブランは亡命した。こうした対立の中から、ルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)が大統領に当選し、その後独裁政権を樹立し、第二帝政へ移った。

〔133〕第二帝政、第三共和政

ナポレオンの甥であるルイ=ナポレオンが皇帝に就任し、ナポレオン3世と称した。農民と労働者、資本家の均衡の上に立った。パリの万国博覧会を開催し、パリの市街を整え、美化した。外征を行い、クリミア戦争でロシアに勝利し、アロー戦争で中国に勝ち、イタリア統一戦争に勝ち、インドシナ出兵に勝った。その勢いでメキシコ遠征を行うが敗北し、信望を失った。プロイセン=フランス戦争で大敗北を喫し、セダンの戦いでは捕虜となり、退位した。ドイツに敗北したフランスは、国民防衛政府を樹立し、ドイツと講和をした。続く臨時政府ではティエールが独と不利な条約を結び国民の不満を買い、史上初の労働者政権であるパリ=コミューンが成立するが、僅か二ヶ月で崩壊した。その後、憲法制定し、第三共和政の基礎を築いたが、不安定な政情であった。

(続き)
世界史講義⑩ 19世紀イギリス前半自由主義改革

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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