大学院生のメンタルヘルスについて、入試の段階で知っておくべきこと
大学院への進学を考えるとき、合格の可能性や研究内容と比べて、あまり話題にならないのが、在学中の心の健康です。しかし、海外の大学院については、この10年ほどで「大学院生の抑うつや不安の割合が高い」という調査結果が相次いで報告され、大学や研究政策の側でも大きな問題として扱われるようになりました。
この記事では、その有病率(ある集団のうち症状や疾患を持つ人の割合)の研究を読み、「数字が何を意味し、何を意味しないか」を検討します。そのうえで、入試の段階——研究室を選び、出願する前——に確かめられることを具体的に挙げます。
読者として想定しているのは、大学院進学を考えている大学生・社会人の方と、そのご家族です。この記事は、進学をためらわせるためのものではありません。入る前に知っていれば選べることがある、という前提で書いています。
一言でいうと(この記事の結論)
博士課程の学生を対象にしたメタ分析では、臨床的に意味のある抑うつ症状の割合が24%、不安症状が17%と推定されました [1]。
ただし——症状の質問票で数えた割合は、診断面接で数えた割合の平均2.5倍になり得ます [7]。
——「大学院に行くと心を病む」とは言えませんが、大学院の環境——指導関係、仕事量、将来の見通し、孤立——が心の健康と結びついているという証拠は一貫しています [2] [4] [5]。だから、それらは入る前に確かめる価値があります。
結論を先に7点書きます。
- 博士課程の学生2万3,469人を含む16研究の統合で、抑うつ症状の割合は24%でした [1]。
- ベルギーの博士課程3,659人の代表標本で、32%が一般的な精神疾患を持つか発症するリスクにあり、比較群より有意に高かった [2]。
- その割合は、指導教員のリーダーシップのスタイル、仕事の要求と裁量、仕事と家庭の関係、学外でのキャリアの見通しなどと結びついていました [2]。
- 博士課程の研究者の心の健康について、最もよく確立された保護要因は、社会的な支え、博士課程を「過程」として捉えること、良好な指導関係、セルフケアでした [4]。
- 反証。症状の質問票による推定は、診断面接による推定の平均2.5倍でした [7]。
- 反証。大学1年生でも、35%が生涯のいずれかの精神疾患の基準に該当するとスクリーニングされていました [8]。
- 博士課程の中で、最も幸福度と動機づけが低かったのは、資格試験の段階でした [6]。

1. 有病率の研究は、何を報告しているか
まず、主要な研究の数字を並べます。
博士課程の学生の抑うつ・不安・自殺念慮を報告した32論文を系統的に集めた2021年のメタ分析は、次のように推定しました [1]。
| 症状 | 統合した研究 | 推定割合(95%信頼区間) | 研究間の異質性 I² |
|---|---|---|---|
| 臨床的に意味のある抑うつ症状 | 16研究・2万3,469人 | 24%(18〜31%) | 98.75% |
| 臨床的に意味のある不安症状 | 9研究・1万5,626人 | 17%(12〜23%) | 98.05% |
| 自殺念慮 | — | データの制約で統合できず | — |
ベルギー(フランドル地方)の博士課程学生3,659人の代表標本を調べた2017年の研究は、12項目の精神的健康の質問票(GHQ-12)で、32%が一般的な精神疾患——特に抑うつ——を持つか発症するリスクにあると推定しました。この割合は、一般人口のうち高学歴の人、高学歴の被雇用者、高等教育の学生という3つの比較群より、有意に高かったのです [2]。
米国の上位8つの経済学博士課程を、臨床的に妥当性の確認された質問票で調べた研究では、24.8%が中等度以上の抑うつまたは不安の症状を示し、これは人口平均の2倍を超えていました。6年目以降の学生では36.7%、1年目では21.2%でした [3]。
52論文を統合した2020年の混合研究法の系統的レビューも、博士課程の研究者のストレスは人口の基準値より有意に高かったと報告しています [4]。
一言でいうと
国も分野も異なる複数の研究が、博士課程の学生の心理的な負担の高さを、同じ方向で報告しています [1] [2] [3] [4]。
——ただし、研究間の異質性は極めて大きく(I² が約98%) [1]、「24%」は、どの大学院にも当てはまる数字ではありません。
2. 何が、心の健康と結びついていたか
入試の段階で役に立つのは、有病率そのものより、「何と結びついていたか」の知見です。
ベルギーの研究 [2] は、組織としての方針や環境が、精神的健康の問題の割合と有意に関連していたとし、特に次の要因を挙げています。
- 仕事(研究)と家庭の関係
- 仕事の要求と、仕事の裁量
- 指導教員のリーダーシップのスタイル
- 研究チームの意思決定の文化
- 学外でのキャリアの見通しをどう捉えているか [2]
博士課程の環境とストレスの関係をまとめたスコーピングレビューも、指導関係の問題、大学の手続きの不透明さ、仕事量、役割の葛藤、経済的な不安定さ、不確かなキャリアの見通しをストレスの要因として挙げています [5]。
2020年の系統的レビュー [4] は、リスク要因と保護要因を整理しました。
| 最も証拠のそろった要因 | |
|---|---|
| リスク要因 | 孤立、女性であること |
| 保護要因 | 社会的な支え、博士課程を「過程」として捉えること、良好な指導関係、セルフケア |
指導関係については、ほかにも証拠があります。支援的な指導は博士課程学生の情緒的消耗を有意に減らし、本心を隠して周囲に合わせる行動は消耗を増やしていました [9]。フィンランドの博士課程402人では、指導教員と研究コミュニティから十分な支援を受けた院生は、燃え尽きがはっきり少なかったと報告されています [10]。
米国の経済学博士課程の研究では、40〜50%の学生が、指導教員と心の健康について率直に話せないと答え、同じ程度の割合が、学外のキャリアについて気軽に話せないと答えていました。自分の研究が「いつも、またはたいてい」役に立つと感じる学生は26%で、経済学の教員の70%、就労年齢人口の63%を大きく下回りました [3]。
そして、課程のどの段階で負担が大きいかについても研究があります。博士課程学生3,004人を、授業の段階・資格試験の段階・博士論文の段階で比べた研究では、授業の段階で幸福度と内発的な動機づけが最も高く、資格試験の段階が、多くの学生にとって最も幸福度と動機づけの低い、困難な段階でした [6]。
一言でいうと(入試段階での意味)
心の健康と結びついていた要因の多く——指導関係、研究室の意思決定の文化、孤立、将来の見通し——は、出願前の研究室訪問で、ある程度確かめられるものです [2] [4]。
3. 【反証】その数字は、測り方で大きく変わる
1節の数字を、そのまま「大学院生の4人に1人がうつ病」と読むのは誤りです。その理由を、支持する研究と同じ分量で書きます。
第一に、測定の問題です。有病率研究の多くは、症状の質問票の点数で「臨床的に意味のある症状」を数えています。ところが、抑うつの質問票(PHQ-9)の点数と、構造化された診断面接(SCID)による大うつ病の診断を同じ人で比べた44研究・9,242人の個人データのメタ分析では——
| 推定方法 | 推定された割合 |
|---|---|
| 質問票(PHQ-9 が10点以上) | 24.6% |
| 診断面接(SCID の大うつ病) | 12.1% |
| 研究ごとの比の平均 | 2.5倍 |
著者らは、「PHQ-9 の10点以上は、抑うつの有病率を大幅に過大評価する」と結論し、個々の研究の中で統計的に補正するには異質性が大きすぎるとしています [7]。この研究は大学院生を対象にしたものではありませんが、1節の研究の多くも症状の質問票を使っています。
第二に、回答者の偏りです。経済学博士課程の研究は、回答率が45.1%で、標本選択の懸念があることを自ら明記しています。そのうえで、保守的な下限を置いても、一般人口より高い割合が示唆されるとしています [3]。
第三に、比較の問題です。「大学院生は特別に高い」と言うには、適切な比較相手が必要です。19大学・8か国の大学1年生1万3,984人(フルタイム)を調べた WHO の国際調査では、35%が生涯のいずれかの一般的な精神疾患、31%が過去12か月のいずれかの疾患の基準にスクリーニングで該当しました。多くの症状は思春期の早い〜中ごろに始まり、調査の年まで続いていました [8]。ただしこの調査も自己記入式のスクリーニングで、回答率は45.5%です。
一言でいうと(数字の読み方)
「大学院に入ったから心を病んだ」とは、これらの研究からは言えません。
——質問票は割合を大きく見積もりがちで [7]、回答者は偏り得て [3]、学部1年生の段階ですでに相当数が症状を持っています [8]。
一方で、比較群を置いた研究 [2] でも、博士課程の学生のリスクは有意に高かった。この両方を同時に持っておくことが、正確な理解です。
4. 【反証】介入の証拠は、まだ乏しい
「では大学が対策すれば解決するのか」についても、慎重である必要があります。
博士課程の環境とストレスを扱ったスコーピングレビューは、知られているストレス要因の範囲に対応する、試行された介入が乏しいこと、そしてストレス要因の影響の測定や介入の評価に使う尺度が標準化されていないことを、この分野の主要な課題として挙げています [5]。
2020年の系統的レビューも、臨床的に意味のある結論を引き出すには、データ収集をもっと調整する必要があると結論しています [4]。
そして、経済学博士課程の研究では、症状のある学生のうち治療を受けていたのは25.2%で、他の研究科の大学院生の41.4%より低かったと報告されています [3]。支援の仕組みがあることと、それが使われていることは別の問題です。
一言でいうと
「この大学院には相談窓口があるから安心」とは、証拠の上では言い切れません。
——だからこそ、入学前に、自分でも確かめられる環境要因を見ておく意味があります。
5. 実務——出願前に確かめる、心の健康に関わる8項目
2節の要因を、研究室訪問や説明会で確かめられる形にします。答えを1つずつ記録し、複数の研究科・研究室で比べてください。
- 院生どうしの交流があるか。孤立は最も証拠のそろったリスク要因でした [4]。「院生の部屋やゼミ以外の集まりはありますか」と聞きます。
- 指導教員に、研究以外の相談ができる雰囲気か。多くの学生が心の健康について指導教員と話せていませんでした [3]。在籍中の院生に「研究が進まないとき、先生にどう伝えていますか」と聞きます。
- 研究室の方針が、どう決まるか。チームの意思決定の文化は、心の健康と結びついていました [2]。
- 院生の仕事量と、自分で決められる範囲。仕事の要求と裁量が関連していました [2]。「院生は研究室の業務をどの程度担っていますか」と聞きます。
- 学外への進路の実例。学外でのキャリアの見通しの捉え方が関連していました [2]。「修了生はどんな進路に進んでいますか」と聞きます。
- 課程の中で、負担の山がどこにあるか。資格試験など、特定の段階で幸福度が最も下がっていました [6]。「中間審査や資格試験は、いつ、どんな形で行われますか」と聞き、その時期を入学前に把握します。
- 学内の相談窓口と、その利用のしやすさ。支援があっても使われていないことがありました [3]。保健管理センターや学生相談室の場所と予約方法を、入学前に確認しておきます。
- 自分の「支え」の地図を作る。社会的な支えは最もよく確立された保護要因でした [4]。入学後に相談できる人を、研究室の外に3人書き出しておきます。
そして、ご本人がすでに強い気分の落ち込みや不安を感じている場合は、受験の準備より先に、医療機関や大学の相談窓口に相談してください。この記事の手順は、医療的な判断や治療の代わりにはなりません。
この記事で言えないこと
当塾の立場
まず、塾に来なくてもできることです。
- 研究室訪問で、院生どうしの交流と、指導教員への相談のしやすさを確かめる
- 課程の中の負担の山(中間審査・資格試験など)の時期を、入学前に把握する
- 学内の相談窓口の場所と予約方法を、入学前に確認する
- 研究室の外に、相談できる人を3人書き出しておく
それでも個別指導を使う理由を、この記事の研究に即して3つ挙げます。
- 「合格すること」と「入学後に続けられること」を、同じ面談の中で考えられること。心の健康と結びついた要因の多くは、研究室の選択に関わるものでした [2] [4]。当塾では、志望研究室を決める段階で、指導関係や研究室の環境についての確認事項を一緒に整理します。
- 研究室の外の「相談相手」の1人になれること。孤立は最も証拠のそろったリスク要因で、社会的な支えは保護要因でした [4]。受験期から、研究室とは利害関係のない立場で話を聞く相手がいることには意味があります。
- 受験の負荷そのものを、無理のない計画にすること。課程の特定の段階で負担が大きくなるように [6]、受験期にも負担の山があります。準備の量を、生活と両立できる範囲で設計します。ただし、医療的な支援が必要な状態の方には、塾ではなく専門の窓口への相談をお勧めします。
大学院入試の指導を受ける先を選ぶときは、次のように聞いてみてください。
- 志望研究室を選ぶとき、研究内容以外に何を確かめるよう勧めますか
- 受験期に体調や気分を崩したとき、計画をどう変えますか
- 入学後の生活について、どこまで一緒に考えてもらえますか
まとめ
- 博士課程の学生の抑うつ症状は24%、不安症状は17%と推定されました(異質性は極めて大きい) [1]。
- ベルギーの代表標本で32%がリスクにあり、比較群より有意に高かった [2]。
- 指導教員のスタイル、仕事の要求と裁量、チームの文化、キャリアの見通しが関連していました [2]。
- 孤立がリスク要因、社会的な支えと良好な指導関係が保護要因でした [4]。
- 課程の中では、資格試験の段階で幸福度と動機づけが最も低かった [6]。
- 反証。質問票による推定は、診断面接の平均2.5倍でした [7]。
- 反証。大学1年生でも35%が生涯の疾患基準にスクリーニングで該当しました [8]。
- 反証。環境を改善する介入の証拠は乏しいままです [5]。
- そして——大学院生のメンタルヘルスの研究から入試段階で使えるのは、有病率の数字ではなく、「指導関係・研究室の文化・孤立・将来の見通し」を、入る前に確かめるという視点です。
出典
本文中の番号に対応します。抄録に直接あたって確認したものだけを挙げています。結論に反する研究も、同じ基準で載せています。
- 【博士課程の抑うつ・不安のメタ分析】Satinsky, E. N. et al. (2021). Systematic review and meta-analysis of depression, anxiety, and suicidal ideation among Ph.D. students. Scientific Reports. DOI: 10.1038/s41598-021-93687-7
- 【博士課程3,659人と組織要因】Levecque, K. et al. (2017). Work organization and mental health problems in PhD students. Research Policy. DOI: 10.1016/j.respol.2017.02.008
- 【経済学博士課程の心の健康】Bolotnyy, V., Basilico, M. & Barreira, P. (2022). Graduate Student Mental Health: Lessons from American Economics Departments. Journal of Economic Literature. DOI: 10.1257/jel.20201555
- 【リスク要因と保護要因・52論文】Hazell, C. M. et al. (2020). Understanding the mental health of doctoral researchers: a mixed methods systematic review with meta-analysis and meta-synthesis. Systematic Reviews. DOI: 10.1186/s13643-020-01443-1
- 【反証・介入の乏しさ・スコーピングレビュー】Mackie, S. A. & Bates, G. W. (2019). Contribution of the doctoral education environment to PhD candidates’ mental health problems: a scoping review. Higher Education Research & Development. DOI: 10.1080/07294360.2018.1556620
- 【課程の段階と幸福度・3,004人】Sverdlik, A. & Hall, N. C. (2020). Not just a phase: Exploring the role of program stage on well-being and motivation in doctoral students. Journal of Adult and Continuing Education. DOI: 10.1177/1477971419842887
- 【反証・質問票は有病率を過大評価する】Levis, B. et al. (2020). Patient Health Questionnaire-9 scores do not accurately estimate depression prevalence: individual participant data meta-analysis. Journal of Clinical Epidemiology. DOI: 10.1016/j.jclinepi.2020.02.002
- 【反証・大学1年生の有病率・WHO国際調査】Auerbach, R. P. et al. (2018). WHO World Mental Health Surveys International College Student Project: Prevalence and distribution of mental disorders. Journal of Abnormal Psychology. DOI: 10.1037/abn0000362
- 【支援的な指導と情緒的消耗】Devine, K. & Hunter, K. H. (2017). PhD student emotional exhaustion: the role of supportive supervision and self-presentation behaviours. Innovations in Education and Teaching International. DOI: 10.1080/14703297.2016.1174143
- 【指導・研究コミュニティの支援と燃え尽き・402人】Peltonen, J. A. et al. (2016). Interrelations between the Supervisory and Researcher Community Support Experiences and Risk Factors among Doctoral Students. AERA Online Paper Repository. ERIC: ED592183
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