大衆消費社会の登場~世界史を通じて学ぶ中高生の教養

資本主義の発展と消費社会

アメリカ資本主義を消費という観点から眺めるとき、非常に印象的な事実があります。イギリスやイタリアでは自動車の普及率が50%に達したのは1970年代中頃のころですが、アメリカ合衆国(以下、アメリカと略)では、それよりも半世紀近く早く、1920年代前半には、その普及率に達成していたということです。第二次世界大戦以前に、アメリカは戦後の1970年代の先進諸国の水準に達していたわけですね。この時代のアメリカが未曾有の繁栄を享受したこと、フォード社(ヘンリー・フォードによる大量生産方式の導入により、自動車はより手頃な価格で一般の人々にも手が届くようになり)によって積極的な値下げと賃上げが実施されたこと、孤立した生活を送っていた南部や西部の農村住民が、簡単で入手可能な移動手段を切望していたこと、といったさまざまな要因がこうした事情を形作りました。

1906年、ウィルソンは、富というものの傲慢さをまざまざとみせつけられ、「自動車ほど、この国に社会主義的感情を広めたものはない」と嘆きました。しかし、その慨嘆は全くの的外れでした。彼の懸念にも関わらず、1915年には250万台以下だった車の登録台数は、20年には900万台以上、25年には2000万台以上へと急激に増加します。1920年代、浴槽設置のための貯金で車を購入したある農家の主婦は、理由を問われて、浴槽では街に行けないからと答えました。入浴と簡便な移動手段との選択を迫られて、自動車を選んだ彼女は、まさに新しい消費者意識のありようを体現していたといえるでしょう。

この「個人や家族の消費需要を重視する消費者資本主義」は、19世紀末から1920年代初頭にかけて出現しました。その影響は、相対的に安い価格で、消費者に商品を提供したことにとどまりません。奢侈品を必需品に変えたのもこのシステムの功績といえるでしょう。大量生産体制は、人々の生活を根底から変えていきました。その結果、人生をいかに享受するかが大きな関心ごととなり、伝統的な世界観との間に軋轢を生むことになります。また世紀転換期の革新主義は、消費社会と時を同じくして出現することとなります。これらの現象を関連付けつつ、大衆消費社会の出現の背景と衝撃を見ていきましょう。

大量生産の時代

19世紀後半、とりわけ南北戦争(1861~1865年)後のアメリカは、急速な経済成長を目撃します。連邦に復帰した南部は、1862年制定のホームステッド法によって開発が進む西部と共に製造業に広大な市場を提供しました。ホームステッド法(注1)とは、共和党政権によって、ミシシッピ川以西に農民を吸引するために制定された法律で、21歳以上の市民および将来の帰化を約束した外国人に、5年間の定住を条件に、160エーカー(約65ヘクタール)の公有地を与えるという法律でした。これを可能にしたのは、交通網の急速な整備でした。太平洋鉄道法による政府の支援もあって、1869年には大陸横断鉄道(注2)が完成し、その後、19世紀末までには合計5本の路線が大陸の東西を結ぶことになります。局地的な鉄道網の整備も目覚ましく、南北戦争終結年には、約5万6000㎞にだった軌道総延長は、1895年までの10年ごとに11万9000㎞、20万6000㎞、28万9600㎞と伸びていき、1910年には、42万8000㎞にまで達しました。

鉄道の発達は、交通・流通・通信のネットワークの整備、市場や情報の全国的統一をもたらしただけではありませんでした。その直接間接の経済的波及効果は図り知れず、歴史学者の秋元英一によれば、(1)鉄鋼業を中心に産業関連効果をもち、(2)路線敷設地域の開発を促進し、(3)農産物価格を引き下げ、食料そのほかの商品の流通・販売量を増大させ、さらに、(4)その安全な運航のために開発された全機構的なコントロールシステムは、アメリカ的経営コントロールの一つの原型となっていきました。しかもアメリカでは、すべての鉄道が民間企業でしたから、建設に必要な資本確保のために、近代的な金融機関の整備と専門的な投資銀行の出現も招来しました。

しかし、新たな経済秩序をもたらすうえで、決定的だったのは、いうまでもなく製造業でした。チャンドラーの『アメリカ史の新観点』では、こうその経緯が説明されています。1880年時点では、製造業は基本的な製造しか行っておらず、当時のヨーロッパと比べても分散的でした。しかし、20世紀初頭には、原料調達から小売販売までを統括するよう成長しています。こうした急速な統合を推進した第一の要因は、1870年代半ば以降の物価の連続的な下落です。この危機をもたらしたのは、南北戦争後の急速な工業化でした。本格的な工業発展が生産量を急増させて、供給過剰を招き、企業は生き残りをかけて、全国市場に向け生産活動の再組織化を急ぎました。

第二に、利潤確保のための価格協定(ヨーロッパのカルテルに相当するもの。「カルテル」とは、企業や事業者が独占目的で行う価格や生産計画、販売地域などの協定を指す言葉。これは独占禁止法によって制限されており、不正な取引制限として規制されています。カルテルは競争を制限し、価格や市場の支配を企業間で合意することを目的としています。)の非合法化によって、1880年代には、より強力な統合であるトラストが出現します。これも、すぐにシャーマン法以降の反トラスト法によって原則的に禁止されることになるのですが、抜け道もありました。その発効には、連邦政府の告訴を受けた最高裁の判決が必要であったため、行政府の判断に左右され、さらにニュージャージーのように持ち株会社を合法化する州もあり、持ち株会社による企業合同が進みました。そして、州際通商に従事しない製造業については法の適用が除外されました。こうして、反トラスト法と裁判所によるその解釈は、小さな単位の結合を違法とする一方、大きな合同会社の形成を許すという逆説的な結果をもたらすこととなります。

注1:「ホームステッド法」は、アメリカ合衆国における1862年に制定された法律であり、アメリカ西部の未開発の土地を無償で払い下げるものです。この法律はアメリカ大統領エイブラハム・リンカーンによって署名され、発効しました。ホームステッド法の内容は、1区画160エーカー(約65ヘクタール)の未開発の土地を個人や家族に無償で提供するというものでした。この土地は自営農地として利用されることが期待され、開拓者たちは5年以上の開拓と耕作を行うことで土地の所有権を獲得することができました。ホームステッド法は、西部開拓時代のアメリカにおいて重要な役割を果たしました。この法律によって、多くの人々が未開発の土地を手に入れ、新たな生活を築くことができました。特に農民や移民にとっては、この法律が彼らのアメリカン・ドリームの実現につながる重要な手段となりました。ホームステッド法の歴史的意義は、以下の点で見出すことができます。(1)西部開拓の促進: ホームステッド法によって、アメリカ西部の未開発地が開拓され、農地が拡大しました。これにより、アメリカ合衆国の国土拡張と経済発展が促進されました。(2)社会的な影響: ホームステッド法によって多くの人々が所有権を得た土地は、個人や家族の基盤となりました。開拓者たちは土地を開拓し、農業や牧畜などを通じて生計を立て、地域社会の形成に寄与しました。(3)移民政策への影響: ホームステッド法は、アメリカへの移民を促進する一因となりました。未開発の土地を手に入れる機会があることは、多くの移民にとって魅力的な要素であり、彼らの新たな生活のスタート地点となりました。(4)アメリカン・ドリームの象徴: ホームステッド法は、アメリカン・ドリームの象徴的な要素として位置づけられます。個人や家族が自らの努力によって未開発の土地を所有し、独立した農業経営を行うことで成功を収めるという理想が込められていました。

注2:大陸横断鉄道の建設は、アメリカの西部開拓の推進力となりました。19世紀中盤から西部への移住が活発化し、農地や鉱山の開発が進んでいましたが、交通手段の不便さや遠隔地へのアクセスの困難さが課題となっていました。大陸横断鉄道の完成により、アメリカ西部の開拓が促進され、農業や鉱業などの産業の発展が可能となりました。また、大陸横断鉄道の建設はアメリカの国土統一に大きく貢献しました。それまで東部と西部を結ぶ交通手段は限られており、陸路では長距離の移動が困難でした。大陸横断鉄道の完成により、アメリカは東西に結ばれる広大な国土となり、経済的・政治的な結びつきが強まりました。さらに、大陸横断鉄道の建設には多くの移民労働者が関わっており、彼らの労働と苦労が歴史的な意義を持っています。特に中国人労働者は大規模に動員され、厳しい労働条件の中で鉄道建設に従事しました。彼らの存在と貢献はしばしば軽視されてきましたが、近年ではその貢献が再評価され、大陸横断鉄道の歴史における重要な要素として取り上げられています。

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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