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【中学歴史】日清・日露戦争と近代産業を図解で総まとめ|武蔵野個別指導塾

2つの講和条約を図で比べ、条約改正の順序や賠償金をめぐる記述問題に取り組みます。産業の発達と労働・公害問題まで、外交と暮らしを結びつけて学べます。
よくあるのは、雨の日のバス停で暗記カードを見返し、「下関条約もポーツマス条約も、日本が勝った後の条約なのに、どちらで賠償金を得たのだろう」と手が止まる場面です。戦争名と条約名を別々に覚えると、似た言葉が増えるほど組み合わせがわからなくなります。まず、戦争の相手、争った地域、講和の条件を横に並べてみましょう。
この時代の日本は、欧米との不平等条約を改める一方、アジアで勢力を広げました。国内では工場が増え、産業が発達しましたが、働く人々の負担や公害も問題になりました。外交だけ、産業だけと切り離さず、お金や資源、人の動きでつなぐと見通しが立ちます。
勝敗が決まることと、人々の暮らしがよくなることは同じではありません。条約で何が変わり、その変化を誰がどのように受け止めたかまで、図と問題で確かめていきます。
この単元で身につけること
- 帝国主義の背景を説明します。欧米の列強が、原料や市場を求めて植民地や勢力範囲を広げた動きを押さえます。
- 条約改正を2段階で整理します。領事裁判権の撤廃と関税自主権の回復は、担当した外相も実現の時期も異なります。
- 日清戦争と日露戦争を比べます。相手国だけでなく、背景、講和条約、領土や権益、賠償金の有無を対応させます。
- 朝鮮をめぐる変化を追います。清の影響力の後退から、日本による韓国併合までを、1つの出来事にまとめず順に読みます。
- 産業発達の両面を説明します。生産の拡大とともに、労働問題や足尾銅山鉱毒事件が起きたことを学びます。
前の単元で学ぶ富国強兵や殖産興業は、この時期の軍備拡張と工業化につながります。ただし、政策の名前をそのまま結果の説明にするのではなく、どの産業が発達し、何が課題になったかを具体的な言葉にしましょう。
基本の考え方
帝国主義と条約改正
19世紀後半、工業化した欧米の強国は、工場で使う原料の供給地や製品を売る市場、資本を投じる先を求めました。軍事力や経済力を背景に植民地や勢力範囲を拡大する動きを帝国主義といいます。強国は列強と呼ばれ、アジアやアフリカで競争しました。植民地では住民の意思や生活が支配国の都合で制約されました。
日本にとっては、幕末に結んだ不平等条約の改正が課題でした。領事裁判権とは、日本で罪を犯した外国人を、その国の領事が裁く権利です。日本側から見ると、日本の裁判で扱えないという制約でした。関税自主権は、輸入品などにかける関税を自国で決める権利です。裁判と税という別々の問題だと区別しましょう。
法制度の整備や国際情勢の変化を背景に、外相の陸奥宗光は1894年、日英通商航海条約を結び、領事裁判権の撤廃を実現する道を開きました。実施は1899年です。1911年には、外相の小村寿太郎のもとで関税自主権を完全に回復しました。図1のように、条約を結んだ年と内容が実施された年を分けると混乱しません。

図1では横方向の同じ長さが同じ年数を表します。1894年から1899年までは5年、1899年から1911年までは12年です。日清戦争に勝った結果として1894年の条約を結んだ、と覚えると順序が逆になります。日英通商航海条約の調印は日清戦争の開戦前でした。
朝鮮をめぐる2つの戦争
1894年、朝鮮で甲午農民戦争が起こりました。朝鮮政府の要請で清が出兵し、日本も出兵して対立が深まり、日清戦争が始まりました。背景には、朝鮮への影響力をめぐる日本と清の争いがありました。日本の勝利後、1895年の下関条約で、清は朝鮮の独立を認め、日本に台湾・澎湖諸島・遼東半島を割譲し、賠償金を支払うことになりました。
ところが、ロシア・ドイツ・フランスは遼東半島を清に返すよう日本に要求しました。これが三国干渉です。日本は要求を受け入れ、その後ロシアは遼東半島南部を租借し、満州にも勢力を伸ばしました。租借とは、条約に基づき、他国の領土の一部を一定期間借りて支配することです。領土そのものを譲り受ける割譲とは区別します。
日本とイギリスはロシアの進出を警戒し、1902年に日英同盟を結びました。満州や韓国をめぐる対立から、1904年に日露戦争が始まります。朝鮮は1897年に国号を大韓帝国としており、この時期は韓国とも呼ばれます。日本は旅順や奉天での戦闘、日本海海戦などで勝利しましたが、多くの犠牲と巨額の戦費を負いました。
1905年、アメリカ大統領の仲介でポーツマス条約が結ばれました。日本は韓国での優越権をロシアに認めさせ、南樺太や、遼東半島南部の租借権、満州南部の鉄道に関する権益などを得ました。しかし、賠償金は得られませんでした。その後、日本は韓国の保護国化を進め、1910年に韓国を併合し、朝鮮総督府を置いて植民地支配を行いました。韓国の人々による抵抗も続きました。
産業の発達と暮らしの変化
日本では1880年代後半から、綿糸をつくる紡績業や、生糸をつくる製糸業を中心に産業革命が進みました。手作業中心の生産から、機械を使う工場での生産へと変わったのです。綿糸・生糸・織物などを扱う繊維産業は軽工業の代表です。鉄道や海運の発達も、原料と製品の大量輸送を支えました。
日清戦争の賠償金の一部は、1901年に操業を始めた官営八幡製鉄所の建設などに使われ、重工業の発達を支えました。一方、工場では低賃金や長時間労働が問題となり、女性や子どもも厳しい条件で働きました。鉱業の発達に伴う足尾銅山鉱毒事件では、流域の農業や住民の生活が被害を受け、田中正造が解決を求めました。生産量の増加だけでは社会の変化を説明しきれません。
例題で解き方を確かめる
例題1 条約改正の用語を区別する
「1894年に陸奥宗光が結んだ条約によって撤廃への道が開かれた権利」と「1911年に完全に回復した権利」を、それぞれ答えましょう。年号と人名だけで選ばず、権利の中身も確認します。
- まず、前者が外国側に認められていた権利をなくす話だと確かめます。「撤廃」は、もともと日本が持っていた権利を増やす意味ではないためです。
- 次に、後者は日本が税率を決める権利を取り戻す話だと考えます。「回復」という語が、誰の権利なのかを見分ける手がかりになります。
- 答えを「領事裁判権、関税自主権」と書きます。前者は裁判、後者は貿易にかかる税、と一言添えれば用語の取り違えを防げます。
「日本の領事裁判権を回復した」という文は、この単元の条約改正の説明にはなりません。言葉の前に「外国の領事が裁く」「日本が関税を決める」と主語を補うのが、文の正しさを確かめる方法です。
例題2 図から講和条件を比べる
図2を見て、下関条約とポーツマス条約の違いを賠償金に注目して答えましょう。また、後者で南樺太を得たことから、前者でも同じ地域を得たと考えてよいでしょうか。

- 左右の条約名と年を読みます。図の左右をそのまま暗記せず、日清戦争後の1895年と日露戦争後の1905年を対応させるためです。
- 同じ行の賠償金を比べます。比較問題では、異なる項目を比べると、問われた違いを説明できないためです。
- 「下関条約では日本は賠償金を得たが、ポーツマス条約では得られなかった」と答えます。南樺太はポーツマス条約の内容なので、下関条約に移してはいけません。
図2の領土の欄は、代表的な例だけを示しています。下関条約には台湾のほかに澎湖諸島や遼東半島も含まれ、遼東半島は三国干渉で返還しました。一方、ポーツマス条約で得た遼東半島南部の租借権は、半島全体を領土にしたという意味ではありません。図の短いラベルと本文の条件を合わせて読みましょう。
例題3 勝利しても不満が起こった理由を説明する
日露戦争後、講和条件への不満から日比谷焼き打ち事件が起こりました。「勝ったのになぜ不満が出たのか」を、国民の負担と賠償金の2点を使って説明しましょう。勝利という1語だけでは、講和への反応を説明できません。
- 戦争中の負担を確認します。増税や多くの死傷者など、国民が引き受けた負担が期待の背景にあったためです。
- 期待と実際の条件を分けます。賠償金を得られると期待した人々にとって、賠償金がない講和は不満の原因になったためです。
- 「国民は増税などの重い負担を負い、勝利による賠償金を期待したが、条約で賠償金を得られなかったため」とまとめます。原因と結果を「ため」で結ぶと、単語の羅列を避けられます。
日本は戦費や兵力の面で戦争を続けることが難しく、ロシアも国内の革命運動などの問題を抱えていました。講和条件は勝敗だけで自動的に決まるものではなく、継戦能力や交渉によって決まります。また、国内には開戦前から非戦論もあり、内村鑑三や幸徳秋水らが戦争に反対しました。国民全員が同じ意見だった、とまとめないようにしましょう。
つまずきやすいところと直し方
三国干渉の「三国」を同盟国と取り違える
誤った覚え方は「三国干渉は日英同盟の仲間による援助」です。しかし、三国干渉は1895年のロシア・ドイツ・フランスによる日本への要求で、1902年の日英同盟とは相手も目的も違います。「遼東半島の返還要求」と「ロシアの進出への警戒」を出来事の横に書き、順番も確認しましょう。
ロシアは三国干渉で返還を求めた後、その地域に自ら進出しました。この展開を押さえると、日本とロシアの対立が深まった背景が見えます。ただし、三国干渉だけで日露戦争の原因をすべて説明せず、満州や韓国をめぐる競争までつなげます。
朝鮮の独立と韓国併合を同じことにする
「下関条約で朝鮮が日本の植民地になった」という覚え方は誤りです。1895年に清が朝鮮の独立を認めたことは、清との従属関係を解く内容であり、日本への併合を定めたものではありません。1910年の韓国併合とは15年の隔たりがあります。
図3のように、清の影響力の後退、日本の保護国化、日本への併合を分けましょう。保護国化では日本が韓国の外交権を奪い、併合では国家としての主権を奪いました。矢印は変化の順序を表し、併合が必然だった、住民が望んだ、という意味ではありません。

工場が増えれば誰もが豊かになったと考える
「産業革命で働く人もすぐに楽になった」という理解では、労働問題を見落とします。機械で大量生産できることと、労働時間や賃金が改善することは別だからです。繊維産業の発達と厳しい労働条件を、同じ時代の事実として並べてください。
また、足尾銅山鉱毒事件は工場内の労働条件とは異なり、生産活動の影響が周囲の環境や暮らしに及んだ問題です。「誰が、どこで、どんな被害を受けたか」を書き足すと、労働問題と公害を区別できます。
練習問題
練習1
次の出来事を古い順に並べましょう。アは日英同盟、イは下関条約、ウは関税自主権の完全回復、エは韓国併合です。まず各出来事の年を余白に書いてから判断しましょう。
練習2
三国干渉を行った3か国と、日本が返還した地域を答えましょう。返還先も添え、日露戦争後に得た権益と混ぜずに書いてください。
練習3
日本の産業革命で先に発達した代表的な産業を2つ挙げましょう。また、1901年に操業を始めた施設と、足尾銅山鉱毒事件の解決を求めた人物を答えましょう。
答えと解説
練習1は、イ→ア→エ→ウです。1895年、1902年、1910年、1911年の順になります。関税自主権の完全回復は、韓国併合の翌年です。
練習2は、ロシア・ドイツ・フランス、遼東半島です。日本は清に返還しました。台湾まで返したわけではなく、返還した場所を限定して覚える必要があります。
練習3は、紡績業と製糸業、官営八幡製鉄所、田中正造です。軽工業の発達から重工業の発達へという流れと、生産拡大に伴う社会問題を対応させましょう。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
列強の植民地や市場をめぐる競争は、次に学ぶ第一次世界大戦の背景につながります。工場労働者の増加や厳しい労働条件は、その後の労働運動を理解する土台になります。戦争の年表と生活の変化を並べておくと、政治と社会をつなげて読めます。
家庭では、5分でできる確認を2つ試せます。1つ目は、紙の左右に条約名を書き、相手国と賠償金の有無を埋める方法です。2つ目は、1894年・1899年・1911年を見て、「調印」「実施」「完全回復」を声に出して対応させる方法です。間違えた箇所だけ本文に戻れば、曖昧な部分を絞れます。
個別指導では、条約名が混ざる場合、まず清とロシアの区別や、朝鮮半島と満州の位置関係まで戻って確かめます。説明問題では、知っている用語の数より、原因と結果がつながっているかを確認します。
まとめ
暗記カードの表と裏が合っていても、それだけでは時代の動きを説明できません。条約が結ばれる前の対立、条約の内容、その後の反応をつないだとき、同じ「勝利」の後にも異なる結果が生じた理由が見えてきます。
日本が欧米との不平等を改めた過程と、アジアで支配を広げた過程は、ともにこの時代の歴史です。発展した産業のそばにあった労働や公害の問題も含めて読むと、出来事を一方向だけで捉えずにすみます。近代化は、国の力の伸びと人々の負担を並べてこそ読み取れます。
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