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【中学歴史】第一次世界大戦と大正デモクラシーを図解で総まとめ|武蔵野個別指導塾

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大戦から国際連盟までの年表、米騒動につながる流れ、1925年の2つの法律の比較を図で整理し、理由を説明する例題と練習問題を解くうちに、大正の社会の動きが見えてきます。

よくあるのは、雨の日の学校の昇降口で友達と歴史の問題を出し合い、「普通選挙法と治安維持法は同じ年」と答えられたのに、なぜ正反対に見える法律が並ぶのか説明できなくなる場面です。第一次世界大戦のころは、政治への参加を求める動きと、それを警戒して取り締まる動きが重なっています。年号だけを覚えると、この重なりが見えにくくなります。

また、ヨーロッパの戦争と日本の米騒動が同じ単元に出てくることにも理由があります。遠くの戦争が貿易や物価を動かし、人々の暮らしや政治への要求にも影響したためです。世界と日本を別々の暗記の箱に入れず、間を結ぶ出来事を探していきましょう。

この単元では「何が広がったか」と「何が制限されたままか」を組にして読むと、民族運動も大正デモクラシーも筋道を立てて説明できます。

この単元で身につけること

前の単元で学ぶ帝国主義や日本の工業化は、列強の衝突と、働く人々の権利を求める運動の両方につながっています。用語の説明では、国や地域、年代、行動の目的を添えると混同を防げます。

基本の考え方

世界大戦とロシア革命

20世紀初めのヨーロッパでは、植民地や勢力圏をめぐる競争が強まり、ドイツ・オーストリアなどと、イギリス・フランス・ロシアなどが対立していました。1914年、サラエボでオーストリアの皇位継承者が暗殺された事件をきっかけに、オーストリアとセルビアの戦争が始まります。同盟関係などを通じて参戦国が増え、第一次世界大戦へと広がりました。事件は開戦のきっかけであり、その背後には列強の対立があったと分けて理解します。

戦争が長期化すると、兵士だけでなく、工場で働く人や食料を生産する人も戦争を支えました。国の経済や国民生活全体を動員する戦い方を総力戦といいます。新しい兵器が使われ、戦場でも暮らしの場でも大きな被害が生じました。1917年にはアメリカが連合国側で参戦します。

ロシアでは、長引く戦争と食料不足への不満が高まり、1917年にロシア革命が起こりました。皇帝の支配が倒れ、その後レーニンらが指導する政権が成立し、社会主義の実現をめざします。翌年、ドイツなどと講和して戦争から離脱しました。1922年にはソビエト社会主義共和国連邦、略してソ連が成立します。革命とソ連成立は同じ年ではありません。

図1 大戦の開戦から国際連盟の成立までの年表

図1のように、1917年の革命は1918年の大戦終結より前です。横軸の1年分の間隔は等しく、開戦から革命までの3年間と、終戦から条約調印までの1年間の違いも読み取れます。

戦後の平和とアジアの民族運動

1918年にドイツなどが敗れて大戦が終わり、1919年のパリ講和会議を経て、ドイツとのベルサイユ条約が結ばれました。ドイツは領土や植民地を失い、多額の賠償金や軍備制限を課されます。戦後の取り決めは平和をつくる一方、敗戦国に強い不満も残しました。

アメリカ大統領ウィルソンの提案を背景に、1920年に国際連盟が成立しました。本部はスイスのジュネーブに置かれ、国際協調によって戦争を防ごうとしました。ただし、提案したアメリカは議会の反対で加盟せず、ドイツとソ連も発足当初は加盟していません。独自の軍隊を持たないなど、紛争を止める力にも限界がありました。

講和では、自分たちの民族の政治を自分たちで決める民族自決が唱えられました。しかし、その適用は主にヨーロッパの一部にとどまり、アジアやアフリカの植民地の多くでは支配が続きます。1919年、朝鮮では日本の植民地支配からの独立を求める三・一独立運動が起こりました。同年、中国では山東半島の旧ドイツ権益を日本へ引き継がせる講和の方針などに反対し、五・四運動が広がりました。インドではガンディーが、イギリスの支配に対して非暴力・不服従の運動を進めました。

日本の参戦と大正デモクラシー

日本は日英同盟を理由に1914年に参戦し、中国の山東半島や太平洋のドイツの拠点を攻撃しました。1915年には中国に二十一か条の要求を出し、権益の拡大を図ります。中国で日本への反発が強まった背景として、五・四運動と結びつけて押さえましょう。

国内では、民衆の意見を政治に反映させようとする大正デモクラシーの動きが広がりました。大戦前からの第1次護憲運動は、藩閥などの政治に反対し、憲法に基づく政治や政党の役割を重視しました。吉野作造は、政治を民衆の利益のために行い、民意を尊重する民本主義を唱えます。1918年には米騒動の後、原敬が首相となり、陸軍・海軍・外務の大臣を除く閣僚を政党員が占める本格的な政党内閣を組織しました。

例題で解き方を確かめる

例題1 年表から前後関係を読む

図1を使い、ロシア革命、ベルサイユ条約、第一次世界大戦終結を古い順に並べましょう。また、ベルサイユ条約が結ばれた年から国際連盟成立の年まで、年号の差はいくつですか。

  1. 図の各出来事を年号に対応させます。語を見た印象で並べず、同じ尺度にそろえるためです。
  2. 1917年、1918年、1919年の順に並べます。「終戦後に講和条件を定める」という内容も、順番の確認に使えるためです。
  3. 1920から1919を引きます。問われているのは年号の差なので、月日による期間の計算とは分けます。

答えは「ロシア革命→第一次世界大戦終結→ベルサイユ条約」で、年号の差は1年です。国際連盟の構想と規約は講和の過程で扱われますが、組織の成立年は1920年です。「話し合われた時期」と「成立した時期」を区別すると、年表の読み違いが減ります。

例題2 好景気なのに米騒動が起きた理由

日本では大戦景気で企業の活動が活発になったのに、なぜ1918年に米騒動が起きたのでしょうか。図2を使い、物価と暮らしの関係を説明しましょう。

図2 大戦景気と米価上昇が暮らしに及ぼした影響

図2の上段は経済全体の流れ、下段は米価を押し上げた事情から米騒動までの流れです。下向きの矢印は、物価上昇が生活苦につながったことを示します。シベリア出兵を見越した米の買い占めも、米価上昇の一因でした。

  1. 好景気になった理由を確認します。ヨーロッパ諸国の生産や輸出が戦争の影響を受け、日本の輸出が増えたことが出発点だからです。
  2. 企業の利益と家計の状態を分けます。企業がもうかっても、賃金が物価と同じように上がるとは限らないためです。
  3. 米の値上がりと民衆の行動をつなぎます。食費の負担が増えたことが、抗議の理由を説明するからです。

答えの例は「大戦景気で輸出や企業の利益が増えても、物価が上がって人々の暮らしは苦しくなり、米の買い占めなどによる米価高騰への抗議が広がったため」です。富山県の女性たちの行動をきっかけに、米騒動は全国へ広がりました。「日本全体が好景気」と「すべての家庭が豊か」は同じ意味ではありません。

例題3 2つの民族運動を比べる

1919年の三・一独立運動と五・四運動について、それぞれ起こった地域と主な要求を答え、共通する背景を説明しましょう。

  1. 地域を朝鮮と中国に分けます。同じ年の出来事でも、支配や権益の置かれ方が違うためです。
  2. 朝鮮は日本の植民地支配からの独立、中国は日本の権益拡大などへの反対と整理します。どちらも単に「戦争に反対」とすると、何を変えたい運動かが伝わらないためです。
  3. 民族自決への期待と外国による支配・干渉を対にします。個別の要求から、共通する時代の背景へ進めるためです。

答えは「三・一独立運動は朝鮮の独立を求め、五・四運動は中国で日本の権益拡大などに反対した。民族自決が唱えられる一方、アジアでは外国の支配や干渉が残ったことが共通の背景」です。運動が起きた年に、どちらの要求もそのまま実現したわけではない点にも注意します。

つまずきやすいところと直し方

「普通選挙だから、だれでも投票できた」

誤った覚え方は「1925年から男女全員に選挙権があった」です。違うのは、当時の普通選挙法では、衆議院議員の選挙権が原則として25歳以上の男子に限られていた点です。納税額による制限はなくなりましたが、女性には選挙権が認められませんでした。正しくは「納税要件の撤廃によって参加する男性が増えた」と覚えます。

図3 1925年の政治参加の拡大と運動への取り締まり

図3のように、1925年には普通選挙法と治安維持法がともに成立しました。第2次護憲運動を背景に成立した加藤高明内閣のもとでのことです。治安維持法は国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社などを取り締まる法律で、社会主義運動などへの弾圧に用いられました。政治参加の拡大と、運動への統制が同時に進んだと読めます。

「民本主義は、今の国民主権と同じ」

誤った覚え方は「大正時代に主権が国民へ移った」です。違うのは、大日本帝国憲法の天皇主権という枠組みが続いていた点です。民本主義は、そのもとで政治の目的を民衆の幸福に置き、民意を尊重しようとする考え方でした。正しくは「主権の所在」と「政治がだれのために行われるか」を分けます。政党内閣の成立も、憲法の基本原理が変わったことを意味しません。

「社会運動は、すべて選挙権を求めた」

誤った覚え方は「どの運動も普通選挙の要求」です。違うのは、それぞれ解決しようとした生活上の課題です。労働者は労働組合をつくり、賃上げや労働時間の短縮を求めました。小作農は小作料の引き下げなどを求めて小作争議を行います。女性たちは政治活動の自由や社会的地位の向上を求め、1922年に結成された全国水平社は部落差別の撤廃を訴えました。正しくは「だれが、何を求めたか」を組にして整理します。

練習問題

練習1 第一次世界大戦中に革命が起こり、1922年にソ連が成立するもととなった国はどこですか。革命の年も答えましょう。

練習2 国際連盟について、成立年と、設立を提案した大統領の国でありながら加盟しなかった国を答えましょう。

練習3 「1925年の普通選挙法で、納税額にかかわらず25歳以上の男女が投票できるようになった」という文の誤りを直しましょう。また、同年に成立した運動を取り締まる法律を答えましょう。

練習4 小作争議と全国水平社の運動について、主な要求をそれぞれ答えましょう。

答えと解説

練習1 ロシア、1917年です。帝政の打倒から社会主義をめざす政権の成立へ進み、ソ連の成立はその5年後です。

練習2 1920年、アメリカです。大統領の提案があっても、国内の議会の反対で加盟には至りませんでした。

練習3 「男女」を「男子」に直します。同年の法律は治安維持法です。納税要件がなくなったことと、女性の選挙権が認められたことを混同しないようにします。

練習4 小作争議は小作料の引き下げなど、全国水平社は部落差別の撤廃です。生活や権利の改善という共通点があっても、要求の中身は異なります。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

次に学ぶ世界恐慌と第二次世界大戦では、戦後の不満や国際協調の限界が再び問題になります。大戦後に平和をめざす動きがあったことを押さえておくと、その後の対立を最初から決まっていた結果として読まずにすみます。

家庭では5分ほどで、まず紙に1914・1917・1918・1919・1920年を書き、図1を隠して出来事を添えてみましょう。次に「1925年に広がったこと、制限されたこと」を各1文で説明します。年号の暗記と制度の理解を、別々に確かめられます。

個別指導では、説明が止まった箇所から「選挙権とは何か」「政党と内閣はどう違うか」まで戻って確認します。理由を書く際は、出来事の前後を述べただけなのか、間をつなぐ物価や権利の変化まで説明したのかを確かめます。

まとめ

年表の中で同じ年に並ぶ言葉でも、だれにとって何が変わったかは異なります。法律や運動を説明するときは、その対象となる人を文の中に入れてみましょう。「参加が広がった」と書いたあとに、参加できなかった人にも目を向けると、短い答えの精度が上がります。歴史を理解したと言えるのは、変化の恩恵と、その外側に残された人々を同じ時代の中で説明できたときです。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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