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【中学歴史】世界恐慌と第二次世界大戦を図解で総まとめ|武蔵野個別指導塾

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不景気への各国の対応から終戦までを、比較図と年表でたどります。出来事の並べ替えや理由を説明する例題を通して、戦争の広がりと暮らしの変化を結びつけてたどり、戦争の時代を立体的につかみます。

よくあるのは、雨の日の図書館の机で年表を写しながら、「日中戦争が始まったあとに第二次世界大戦が始まるのに、日本はいつ戦争に入ったのだろう」と手が止まる場面です。戦争の名前を1本の列として覚えると、別の地域で進んでいた動きが見えにくくなります。

この単元では、経済の危機、政治の変化、戦争の拡大をつないで読みます。ただし、「不景気になれば必ず戦争になる」という一本道ではありません。同じ世界恐慌に直面しても、各国が選んだ政策や政治のあり方には違いがありました。

まず各国の対策を比べ、次に東アジアとヨーロッパの動きを同じ年表に置きます。そのうえで、戦争が学校や食卓に及ぼした影響までたどりましょう。用語の説明だけでなく、「誰が、何を目的に、何を変えたのか」を言葉にすることが学習の軸です。

この単元で身につけること

前の単元で学ぶ第一次世界大戦後の国際協調や大正デモクラシーが、どのように揺らいだのかという視点でつながります。年号を覚えるときも、その前にあった協調の枠組みや政党政治の動きを確かめると、何が変わったのかを説明しやすくなります。

基本の考え方

世界恐慌と異なる対応

1929年、アメリカのニューヨークで株価が大暴落し、世界恐慌のきっかけとなりました。恐慌とは、企業の倒産や失業が相次ぐ深刻な経済の混乱です。商品の売れ行きが落ちると企業が生産を減らし、仕事や収入を失った人が買い物を控え、さらに商品が売れなくなります。

家で使えるお金が減ると買い物を見直すことがありますが、それが多くの家庭で同時に起こると、店や工場の経営にも影響します。国と国も貿易や資金で結ばれていたため、アメリカの混乱は各地に広がりました。日本でも輸出が落ち込み、とくにアメリカ向けの生糸の価格下落は、養蚕に頼る農村を苦しめました。

アメリカでは、1933年に大統領となったローズベルトがニューディール政策を進めました。公共事業で雇用を生み出すなど、政府が積極的に経済へ関わった点が重要です。イギリスやフランスは、本国と植民地などの結びつきを強め、その外からの輸入に高い関税をかけるブロック経済を進めました。関税は輸入品などにかける税で、高くすると外の商品が入りにくくなります。

図1のように、同じ経済危機への対応でも、何に働きかけたのかが違います。ソ連は社会主義の計画経済のもとで五か年計画による工業化を進め、資本主義諸国に比べて世界恐慌の影響が小さかったと学びます。ただし、影響が小さいことと、人々の暮らしや自由に問題がなかったことは別です。

図1 世界恐慌に対するアメリカと英仏の政策比較

独裁と日本の大陸進出

イタリアのムッソリーニは世界恐慌より前の1922年に政権を握っていました。ドイツでは恐慌で社会不安が深まるなか、ヒトラーの率いるナチ党が支持を広げ、1933年にヒトラーが首相となりました。ファシズムは、独裁的な権力によって自由や民主主義を抑え、対外侵略を進める政治のあり方です。ナチ党はユダヤ人への迫害を進め、戦争中には組織的な大量虐殺を行いました。

日本では1931年、関東軍が柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し、それを中国側の行為として軍事行動を広げた満州事変が起こりました。1932年に建てられた満州国は、実質的に日本の支配下に置かれました。国際連盟が満州国を認めず、日本軍の撤兵などを求める勧告を採択すると、日本は1933年に連盟からの脱退を通告しました。

国内では1932年の五・一五事件で犬養毅首相が殺害され、政党内閣が続く時代が終わりました。1936年の二・二六事件は陸軍の青年将校らによる反乱です。反乱自体は鎮圧されましたが、その後も軍部の政治的な発言力は強まりました。1937年には盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、日本軍が南京を占領した際には、捕虜や民間人が多数殺害されました。中国では国民党と共産党が協力して日本に抵抗し、戦争は長期化しました。

例題で解き方を確かめる

例題1 政策名を資料の特徴から選ぶ

次の説明に当てはまる政策名を答えましょう。「政府がダム建設などの公共事業を進め、失業者に仕事をつくって景気の回復をめざした。」

  1. 政策を行う主体を探します。「政府が」とあるので、国が経済に積極的に関わる政策だと捉えるためです。
  2. 具体的な手段に線を引きます。「公共事業」「仕事をつくる」は、雇用を通して収入や購買力を支える仕組みを示すからです。
  3. 国と人物を結びます。アメリカのローズベルトと対応させると、似た時期の政策との混同を防げます。

答えはニューディール政策です。「外国の商品を入りにくくする」なら関税、「本国と植民地などで貿易を囲い込む」ならブロック経済が手掛かりです。政策名に見覚えがあるかだけで選ばず、資料中の行動を根拠として答えましょう。

例題2 戦争の開始年を並べる

満州事変、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争を、始まった順に並べましょう。図2は1929年から1945年までを等しい1年の間隔で表した年表です。

図2 世界恐慌から終戦までの開始年を比べる年表
  1. 各出来事に年を対応させます。名前だけで並べると、東アジアとヨーロッパの戦争を取り違えやすいからです。
  2. 年の小さい順に並べます。1931年、1937年、1939年、1941年の順になることを数値でも確かめるためです。
  3. 1939年の場所を確認します。第二次世界大戦の始まりはドイツのポーランド侵攻であり、日本の中国での戦争の始まりとは異なるからです。

答えは満州事変、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争の順です。図2では1931年から1937年の間が、1937年から1939年の間の3倍あります。印刷された年表の項目が等間隔でも、出来事が等しい年数ごとに起きたとは限らないので、必ず年を読みましょう。

1939年にドイツがポーランドへ侵攻すると、イギリスとフランスがドイツに宣戦しました。1941年にはドイツがソ連へ侵攻し、戦争はさらに拡大します。日本は1940年にドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結び、これらの国々は枢軸国と呼ばれました。対する連合国には、イギリス、アメリカ、ソ連、中国などが含まれます。

例題3 対立の深まりを理由で説明する

日本の南方への進出とアメリカとの対立は、どのようにつながったでしょうか。「資源」「石油」の2語を使って説明しましょう。

  1. 日本側の目的を押さえます。長期化した戦争に必要な資源を求めたことが、南方への進出を理解する手掛かりになるためです。
  2. 相手側の対応を確かめます。日本の仏領インドシナへの進駐などに対して、アメリカが経済制裁を強めたという前後関係が必要だからです。
  3. 目的と対応を接続して書きます。単語を並べるだけでは、なぜ対立が深まったのかが伝わらないためです。

解答例は「日本が資源を求めて南方へ進出し、アメリカが石油の対日輸出を禁止するなど経済制裁を強めたため、対立が深まった」です。その後、交渉は行き詰まり、日本は開戦を決定しました。1941年12月、日本軍はマレー半島への上陸やハワイの真珠湾への攻撃を行い、アメリカ・イギリスとの太平洋戦争が始まりました。

「石油が止まったので戦争以外の道がなかった」とは書きません。政策の選択とその結果を区別し、開戦を避けられない自然現象のように説明しないことが、理由を書くうえで大切です。

例題4 暮らしの変化から制度を考える

「国が物資や労働力を戦争に優先して振り向けた」という説明に結びつく、1938年の法律を答えましょう。

  1. 年と働きを拾います。法律は名称だけでなく、政府にどのような権限を与えたかを問われるからです。
  2. 日中戦争の開始後に位置づけます。戦争の長期化と、社会全体を動員する仕組みの強化がつながるためです。

答えは国家総動員法です。政府は議会の個別の承認によらず、物資や労働力などを統制する強い権限を持ちました。戦時体制が強まるなか、食料や衣料品などは配給で分けられ、学生も工場などで働く勤労動員の対象となりました。配給は豊かさの印ではなく、不足する物を統制して分配する仕組みでした。

つまずきやすいところと直し方

恐慌だけを戦争の原因にしてしまう

「世界恐慌が起きたので、すべての国が独裁になった」という覚え方は誤りです。アメリカやイギリスなどは議会政治を維持しており、イタリアのファシズム政権は恐慌前に成立しています。正しくは、恐慌が失業や社会不安を深めるなかで、各国が異なる対応を選び、国際的な対立も強まったと理解します。

図3のように経済、政治、戦争を分け、それぞれの矢印を文章で補います。図の矢印は背景から政策や結果へ進む関係を示し、「必ず次が起こる」という意味ではありません。経済対策の違いを挟むことで、恐慌から戦争へ直結させる説明を直せます。

図3 経済危機から政策の違いと国際対立への流れ

戦争の名前を互いに無関係と考える

「日中戦争が終わってから太平洋戦争が始まった」という覚え方では、長期化の意味が消えてしまいます。中国での戦争が続くなか、日本はアメリカやイギリスとも戦い始めました。太平洋戦争は第二次世界大戦の一部であり、名前が違っても時期は重なります。ノートでは日中戦争の下に長い線を引き、その途中に1941年を書き込むと整理できます。

戦局は1942年のミッドウェー海戦での日本の敗北などを経て変わり、日本は次第に追い詰められました。都市への空襲が激しくなり、子どもたちの疎開も進みました。1945年の沖縄戦では、多くの住民が戦闘に巻き込まれ、命を落としました。戦争の被害は兵士だけに限られません。

宣言の発表と受諾の日を混同する

「ポツダム宣言は8月15日に発表された」という覚え方は、出来事をまとめすぎています。ドイツは1945年5月に降伏し、7月にアメリカ・イギリス・中国が日本に降伏を求めるポツダム宣言を発表しました。8月6日に広島、9日に長崎へ原子爆弾が投下され、8日に対日宣戦したソ連は9日から満州などへ侵攻しました。

日本は8月14日に宣言の受諾を決定し、15日に国民へ放送で伝えました。降伏文書の調印は9月2日です。8月15日は日本で終戦の日とされますが、「発表」「受諾決定」「国民への放送」「調印」を分けると、異なる日付が出ても混乱しません。

練習問題

練習1

イギリスやフランスが、本国と植民地などの経済的な結びつきを強め、外からの商品に高い関税をかけた政策を何といいますか。

練習2

次を古い順に並べましょう。ア:国家総動員法、イ:満州事変、ウ:日中戦争、エ:太平洋戦争。

練習3

図2を見て、第二次世界大戦と太平洋戦争の開始年の差を求めましょう。また、太平洋戦争が始まったとき、日中戦争はすでに終わっていたといえるでしょうか。

練習4

「日本は1945年8月15日にポツダム宣言を発表した」という文を、8月15日に起きたことを説明する正しい文に直しましょう。

答えと解説

練習1の答えはブロック経済です。公共事業によって仕事をつくるニューディール政策とは、対策の手段が違います。

練習2の答えはイ→ウ→ア→エです。1931年→1937年→1938年→1941年と並び、戦争の長期化の途中で国家総動員法が制定されたと読めます。

練習3の答えは開始年で2年の差です。1941-1939=2と求めます。日中戦争は続いていたので、すでに終わっていたとはいえません。

練習4の解答例は「日本では1945年8月15日に、ポツダム宣言の受諾が国民へ放送で伝えられた」です。日本が宣言を発表したわけではない点も直します。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

戦後の日本を学ぶときは、なぜ民主化や平和を重視する改革が進められたのかを考えます。この単元の軍部の台頭、言論の抑圧、暮らしの統制を理解しておくと、改革で変えようとした対象が見えてきます。

家で5分使うなら、1つ目は紙をアメリカと英仏の2列に分け、恐慌対策の目的と手段を1文ずつ書く方法です。2つ目は1931年、1937年、1939年、1941年だけを書き、出来事と地域を声に出して補う方法です。思い出せない場所だけ本文へ戻れば、単語の取り違えか、流れの理解の不足かを区別できます。

個別指導では、並べ替えを間違えたときに、年号の暗記だけでなく、各戦争の相手と場所まで戻って確かめます。理由が書けない場合は、政策を行う側と影響を受ける側を分けて、一文のつながりを点検します。

まとめ

年表を埋めたあとには、同じ年に別の地域で何が起きていたかを見直しましょう。すると、戦争の始まりが1つではないことや、戦争が続く間にも法律と生活が変わっていくことを捉えられます。

「不景気だったから」「戦時中だったから」で説明を止めず、政策を決めた主体と、その影響を受けた人々を書き添えることが理解を深めます。歴史の説明の確かさは、年号の数だけでなく、出来事の間を根拠のある言葉で結べるかに表れます。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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