連載「単元別のつまずき研究——その単元で、生徒は実際に何をどう誤るか」全50回の第23回です。学習の仕方の目次を見る
「光が目に入るから物が見えるんだよ」と説明したあと、生徒が首をかしげたまま「じゃあ、暗いところで目を開けているのに見えないのは、光が目に入っていないから?」と聞いてきた。理科の授業で「光の反射」や「凸レンズ」を習っていても、いざ「見える」という日常の出来事を説明させると、言葉が止まってしまう生徒は少なくありません。
「見える」は、私たちにとってあまりに当たり前の経験です。まぶたを開ければ世界がそこにあり、特別な操作をしている感覚はありません。だからこそ、理科で学ぶ「光源から出た光が物体に当たり、反射した光が目に入る」という説明は、日常の実感と結びつきにくいのです。
今回の記事では、光の単元の中でも特に「視覚の成立」に焦点を当てます。生徒が「見える」ことをどのように誤ってとらえているのか、その背景にはどんな考え方があるのかを、研究知見をもとに整理します。そのうえで、机の前でできる具体的な確かめ方まで示します。
「光が目に入る」と口では言えても、図を描かせると光源と目を直接線で結んでしまう。そんな生徒のつまずきを、「知識の欠落」ではなく「その子なりの一貫した説明のしかた」として読み解くことが、この記事の目的です。
要点(結論から)
- 生徒は「光が目に入る」と暗記していても、実際の説明では「目から視線のようなものが出て物に届く」という考え方に引き戻されることがあります。
- 「光源」と「照らされる物」と「目」の三者関係を正しく結べず、光源と目を直接つないだり、物と目だけをつないだりする誤りが多く見られます。
- 「暗いと見えない」という経験はあっても、それを「反射光が目に届かないから」と理由づけられず、「目が慣れていないから」など別の説明で済ませてしまうことがあります。
結論——「見える」の説明不足は、光を「目から出るもの」ととらえる素朴な考え方から始まっている
- 生徒は「光が目に入る」と暗記していても、実際の説明では「目から視線のようなものが出て物に届く」という考え方に引き戻されることがあります。
- 「光源」と「照らされる物」と「目」の三者関係を正しく結べず、光源と目を直接つないだり、物と目だけをつないだりする誤りが多く見られます。
- 「暗いと見えない」という経験はあっても、それを「反射光が目に届かないから」と理由づけられず、「目が慣れていないから」など別の説明で済ませてしまうことがあります。
- 鏡や水面に映る像の位置を、鏡の表面にあると考えるなど、「像は物体のそばにある」という素朴なとらえ方が、視覚の理解を妨げます。
- これらの誤りは、単なる覚え間違いではなく、日常経験から作られた一貫した説明の枠組みとしてとらえる必要があります。
理由——「見える」を説明できないのは、日常の経験則が理科の説明と衝突するから
目から何かが出ているという素朴な考え方
多くの生徒は、物が見えるしくみを問われると、まず「目で見る」という行為そのものから考え始めます。目を向ける、視線を送る、じっと見つめる——こうした日常の言葉には、目から何かが対象に向かって出ていくというイメージが含まれています。理科の授業で「光が目に入る」と習ったあとでも、このイメージは簡単には消えません。
実際に、光と視覚に関する学習者の知識を調べた研究では、生徒たちの説明の中に「目から出たものが物に届く」という考え方が繰り返し現れることが報告されています。この考え方は、単なる誤答というより、日常の視覚経験を説明するための一つの枠組みとして機能しています。
Galili I, Hazan A. Learners’ knowledge in optics: interpretation, structure and analysis. International Journal of Science Education. 2000;22(1):57-88.
この枠組みの中では、暗い部屋で物が見えないことも「目から出る力が弱まっているから」と説明されます。光源の有無ではなく、目の側の状態に原因を求めてしまうのです。理科の説明では、暗い部屋で見えないのは「物体から目に向かう反射光がないから」ですが、生徒の説明では因果の向きが逆になっています。
指導の際に注意したいのは、この考え方を「間違い」として否定するだけでは、生徒の中の説明体系が崩れないことです。むしろ「目から出るもの」という考え方を、生徒自身が言葉にできるようにしてから、「では、暗い部屋で目を開けているのに見えないのはなぜか」と問いかけることで、自分の説明では不十分なことに気づく余地が生まれます。
光源・物体・目の三者関係が結べない
理科の教科書では、物が見えるしくみを「光源→物体→目」という順序で説明します。光源から出た光が物体に当たり、その反射光が目に入る。この三者の関係が、視覚の成立には欠かせません。ところが、生徒の説明ではこの三者のうちの二つだけが結ばれることが多くあります。
たとえば「光源と目」だけを結ぶ生徒は、電灯と自分の目を直接線でつなぎます。この説明では、物は「たまたま光の通り道にある」だけで、物が見えることの本質には関与しません。一方「物と目」だけを結ぶ生徒は、物が明るく照らされていることと、その物が見えることの区別がついていません。
スウェーデンの生徒を対象にした研究でも、光とその性質についての理解が、年齢が上がっても断片的なままであることが示されています。光の直進や反射を個別には知っていても、それらを組み合わせて「見える」という現象を説明する段階になると、知識がつながらないのです。
Andersson B, Kärrqvist C. How Swedish pupils, aged 12‐15 years, understand light and its properties‡. European Journal of Science Education. 1983;5(4):387-402.
この断片化は、授業の構成にも一因があります。光の直進、反射、屈折、凸レンズと、単元が進むごとに個別の現象を学びますが、それらを「見える」という日常の出来事に統合する場面は意外に少ないのです。生徒は「反射の法則」を図で描けても、教室の壁が見える理由を反射の法則で説明することはできません。
指導では、一つの場面を「光源」「物体」「目」の三つの要素に分けて図示する練習が有効です。たとえば「教室の時計が見える」という場面を、蛍光灯から時計へ、時計から目へと、光の道筋を順に描かせます。このとき、光の向きを矢印で明示させることが重要です。
「像」の位置についての誤解が視覚理解を妨げる
鏡を見たとき、自分の顔は鏡の向こう側にいるように見えます。この「鏡の向こう側」という表現は日常的には正しくても、光学的には「鏡の面から対称の位置に虚像ができる」という説明になります。生徒はこの「像の位置」を、鏡の表面そのものにあると考えがちです。
像の位置の誤解は、視覚の理解と深く結びついています。もし像が鏡の表面にあるなら、鏡に映った像を見るためには「鏡の表面から目に光が来る」だけで十分です。しかし実際には、鏡の向こう側の像の位置から光が出ているように見える、というのが虚像の説明です。この「実際には光が来ていない場所から光が来ているように見える」という考え方は、生徒にとって非常に難しいものです。
光と視覚に関する研究では、生徒の知識が「面」と「枠組み」の階層構造として整理できることが提案されています。個々の誤答を一つずつ直すのではなく、その背後にある「見えるとはどういうことか」という基本的な枠組みに働きかけないと、別の場面で同じ種類の誤りが再び現れるのです。
Galili I, Hazan A. Learners’ knowledge in optics: interpretation, structure and analysis. International Journal of Science Education. 2000;22(1):57-88.
像の位置を正しく理解するためには、まず「目に入る光は、その光が最後に反射や屈折をした場所から来たように感じられる」という原則を押さえる必要があります。鏡の場合は、鏡の面で反射した光が目に入りますが、その光の延長線上に像があるように見える。この延長線の考え方は、作図の練習を通じて少しずつ身についていきます。
誤答の例——「見える」をめぐる具体的なつまずきと確かめ方
| よくある誤答 | その子が考えていること | 確かめる問いかけ |
|---|---|---|
| 「目から光線が出て物に当たるから見える」 | 視線を送る感覚があり、目が能動的に働いていると感じている | 「暗い部屋で目を開けていても見えないのは、目から出る光が止まっているの?」 |
| 「電灯の光が直接目に入るから物が見える」 | 光源と目を結びつければ十分で、物は光の通り道にあるだけと考えている | 「電灯と目の間に紙を置いたら、紙の向こうの物は見える? 紙は見える?」 |
| 「物が明るいから見える。光が目に入る必要はない」 | 物が光っていれば、あとは目を向けるだけで見えると考えている | 「その物から目までの間を、光は通っている? 通っていないとしたら、物の情報はどうやって目に届くの?」 |
| 「鏡に映った像は鏡の表面にある」 | 鏡を見るとき、目は鏡の面に焦点を合わせているように感じる | 「鏡から一歩下がると、像も一歩分奥に行くように見える? それとも鏡の表面に張り付いたまま?」 |
| 「暗いと見えないのは、目が暗さに慣れていないから」 | 見えるかどうかは目の状態の問題で、光の有無とは別だと考えている | 「目を閉じて十分に慣らしてから暗い部屋を開けても、物は見える?」 |
机の前で1対1で確かめる手順は、次のように進めます。
- まず「物が見えるとき、光はどこを通っているか」を自由に図で描かせます。このとき、正誤は言わずに、描いた図の説明を言葉でさせます。
- 次に、光源と物と目を三つのカードに分け、その間に光の矢印を置かせます。矢印の向きを必ず確認します。
- 「暗い部屋で物が見えないのは、この三つのうちどこで光が止まっているからか」を考えさせます。光源がない、物に光が当たらない、反射光が目に届かない、のどれかを選ばせます。
- 鏡の場面では、鏡の前に立つ人と鏡と目を図に描き、光の道筋を矢印で描かせます。そのあと、鏡の裏側に線を延長して像の位置を探させます。
- 最後に、最初に描いた図と比べて、どこを直したかを自分の言葉で説明させます。
小学生では、まず「暗いと見えない」という経験を光と結びつけることから始めます。光源と物と目の三者関係を、懐中電灯と人形と自分の目で実際に確かめると、矢印の向きが実感を伴って入ります。
中学生では、反射の法則を学んだあとに「見える」を説明させる場面を作ります。鏡の作図と組み合わせて、像の位置を延長線で求める練習を繰り返すと、光の道筋と見え方の関係がつながります。
高校生では、虚像と実像の区別を、目に入る光が実際にその点から来ているかどうかで説明できるようにします。凸レンズの作図でも、像の位置から目へ向かう光を描かせることで、視覚の成立を常に意識させます。
よくある誤読——研究結果を「年齢が上がれば自然に直る」と読まない
「発達段階だから仕方ない」という誤用
光の理解に関する研究結果は、しばしば「年齢が低いうちは誤るのが当然で、成長とともに正しい理解に置き換わる」という読み方をされます。しかし、研究が示しているのは、年齢が上がっても素朴な考え方が残り続けるということです。スウェーデンの生徒を対象にした研究でも、光の性質についての理解は、年齢が上がっても断片的なままでした。
Andersson B, Kärrqvist C. How Swedish pupils, aged 12‐15 years, understand light and its properties‡. European Journal of Science Education. 1983;5(4):387-402.
この結果を「発達段階だから仕方ない」と読むと、指導の手を緩めることにつながります。むしろ、年齢が上がっても残るということは、日常経験がそれだけ強力に働き続けているということであり、意図的な指導がなければ置き換わらないと読むべきです。
「誤概念を一つずつ潰せばよい」という誤用
もう一つの誤用は、研究で報告された誤答例をリスト化し、それを一つずつ正しい説明に置き換えていけばよいと考えることです。しかし、光と視覚に関する研究では、個々の誤答はより大きな説明の枠組みから生じていることが示唆されています。
Galili I, Hazan A. Learners’ knowledge in optics: interpretation, structure and analysis. International Journal of Science Education. 2000;22(1):57-88.
たとえば「目から光が出る」という誤答を直しても、「見えるためには目が対象をとらえる必要がある」という枠組みが残っていれば、今度は「目が物をとらえるから見える」という別の表現で同じ考え方が現れます。指導では、個々の誤答の背後にある「見えるとは何か」という基本的なとらえ方に働きかける必要があります。
今週やること——「見える」を三者の矢印で描き直す
- 生徒に「教室の時計が見える」という場面を渡し、光源・時計・目の三つを図に描かせます。光の道筋を矢印で描かせ、向きを確認します。
- 「暗い部屋で時計が見えないのは、どの矢印が消えるからか」を考えさせます。光源から時計への矢印か、時計から目への矢印か、両方かを選ばせ、理由を言わせます。
- 鏡の前に立つ自分の姿が見える場面を描かせ、鏡の面で反射する光の道筋と、像の位置を延長線で求めさせます。像が鏡の表面ではなく、鏡の向こう側に対称にできることを確認します。
この記事で言えないこと
この記事で紹介した研究知見は、特定の地域と年代の学習者を対象にした調査に基づいています。光の理解のつまずきには文化的な要因や、それまでに受けてきた授業の内容が大きく影響するため、すべての日本の生徒に同じ傾向が当てはまるとは限りません。
また、ここで挙げた誤答例は、多くの生徒に見られる傾向を整理したものであり、個々の生徒の考え方を正確に予測するものではありません。同じ「目から光が出る」という表現でも、その背後にある考え方は生徒によって異なります。実際の指導では、生徒自身の言葉で説明させ、その子なりの枠組みを丁寧に聞き取ることが欠かせません。
さらに、この記事では「見える」の理解に焦点を絞ったため、光の直進・反射・屈折・凸レンズの作図など、関連する他のつまずきについては十分に扱えていません。光の単元全体の指導を考える際には、それらとの関連も含めて検討する必要があります。
当塾の立場
「見える」の説明をめぐるつまずきは、家庭でも十分に確かめられます。暗い部屋で懐中電灯を使う、鏡の前に立って位置を変える、そうした日常の場面で「光はどこを通っているか」を親子で話すだけでも、生徒の考え方は大きく揺さぶられます。特別な教材や塾の授業がなければできないことではありません。
そのうえで、塾が担えるとすれば、生徒が描いた図や説明を、その場で一人分ずつ丁寧に読み取り、その子の枠組みに合わせて問いを重ねることです。たとえば「目から光が出る」と考えている生徒には、まずその考えを図に描かせ、その図のままでは暗い部屋の説明ができないことに自分で気づくまで、急がずに問いかけます。この個別の往復は、一斉授業では時間が足りず、家庭では理科の言葉に置き換えるのが難しい部分です。当塾では、この「その子の説明を一度受け止めてから、一緒に図を直していく」手順を、光の単元に限らず大切にしています。
関連する記事
- 素朴概念はなぜ教えても直らないのか——理科教師にも誤概念の干渉は残っていた
- 理科——覚える単元と考える単元で方法を変える
- 理科の実験問題と「条件をそろえる」力——正しい実験より「ダメな実験」で教えると遠くまで効く
出典
- Galili I, Hazan A. Learners’ knowledge in optics: interpretation, structure and analysis. International Journal of Science Education. 2000;22(1):57-88.
- Andersson B, Kärrqvist C. How Swedish pupils, aged 12‐15 years, understand light and its properties‡. European Journal of Science Education. 1983;5(4):387-402.

