イギリス現代史入門(大学受験のための世界史特別講義)(3)

「豊かな社会」

1950年代には、階級間の溝は越えがたいものとしてカーストのように存在していたが、「豊かな社会」の中で、大きな変容を余儀なくされていきます。福祉国家制度を支える専門職・ホワイトカラーなどからなる新しい中産階級が大量に創出され、伝統的な階級意識が希釈されていった。また、サッチャー政権以降に経済の重心が製造業から金融・サーヴィス部門へ移行して脱工業化が進行すると、伝統的な労働者階級は周辺化され、失業と貧困の脅威にさらされる「アンダークラス」として囲い込まれていった。その一方で、「ヤッピー」と呼ばれる新たな中産階級が勃興して、「無階級社会」ないしは「中産階級社会」が喧伝されるようなった。

アイデンティティとしての階級が突出したものではなくなると、今度は、ジェンダー、地域、宗教、人種、民族などの文化的な差異がアイデンティティの基礎として相対的に浮上してきた。1948年の国籍法によってコモンウェルス内の臣民にも平等な市民権が認められ、旧植民地からの移民の流入が始まると、都市部を中心に移民社会が形成されていった。また、イギリス(ブリテン)人よりも、スコットランド人やウェールズ人、アイルランド人というアイデンティティの方が重要になった。1970年代には、女性解放運動が女性の社会進出を促していった。イギリスは、ますます多文化主義的な社会になり、ジェンダーやセクシャリティの面でも「解放」が進んだのである。

政治学者であるエルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフは、近代の政治史を叙述する壮大な構想を提示した『民主主義の革命』(1985年)のなかで、近代の政治闘争が、階級を基盤とした闘争であったのに対して、ポストモダンの社会においては、階級闘争に代わって、人種、宗教、ジェンダーなどの多元的な差異にもとづく「敵対性」による民主主義闘争が、政治のダイナミズムを形成していく原動力となると論じている。

ラムラウとムフの理論は、ヨーロッパの近代史を考えるうえでの一般理論であったが、階級という言語が最も浸透した国であるイギリスを見ていく場合でも、有効な視座を提供してくれる。事実、それは1970年代以降のイギリス政治の転回にも適合するものとなり、左派あるいは労働党の多文化主義的傾向にも一定のインパクトを与えることになった。本稿では、戦後イギリスの社会史ならびに文化史を、階級社会から多文化主義社会への変化という視点から眺めてみたい。

歴史のナラティブ

本稿では、戦後史を支配してきた主要なナラティヴは、相互に緊張と軋轢、矛盾と相克をはらむものであるが、現実の歴史過程はそれらの「複合体」として存在している。また、いくつかのナラティヴは、ごく最近になって、その有効性に疑問符が付され、再検討が加えられるようになっている。歴史家E・H・カーは「歴史とは・・・現在と過去との間の絶えざる対話である」という有名な言葉を残している(岩波新書『歴史とは何か』清水幾多郎訳・40頁)。しかし、カーはまた、別のところで、次のようにも記している。

未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれるのです。そして、この意味においてのみ、私たちは歴史における究極的客観性ということを云々することができるのです。過去が未来に光を投げ、未来が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に歴史の説明なのであります。・・・ですから、歴史とは過去と現在との間の対話であると前の講演で申し上げたのですが、むしろ、歴史とは過去の諸事件と次第に現れ来る未来の諸目的との間の対話と呼ぶべきであったかと思います。(前掲書、一八二~一八四頁)

歴史解釈の変更を促す歴史家の立脚点である現在や未来の姿が変化しているということ。この感覚は、イタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシによっても、社会が変革されていくときには、旧い「常識」が打破されて新しい「常識」に取って代わられていくという点から捉えられている。あるいは、ヘーゲルにならって「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ」とでもいうべきでしょうか。

福祉国家の誕生~1940年代

イギリスにとっての第二次世界大戦は「良き戦争」であったといわれる。それは、第一次世界大戦と比較した場合、反ファシズムの戦争、また民主主義のための戦争という大義名分が明確であったからである。反ファシズムの戦争、また民主主義のための戦争という大義名分が明確であったからである。第二次世界大戦はまた、「人民の戦争(Pepole’s War)」とも呼ばれた。この「人民の戦争」のレトリックは、最近の戦時動員体制論という文脈の中で読むべきであろう。

二つの世界大戦に典型的に見られる総力戦体制は、戦時動員体制として戦争を遂行することを課題としていたが、同時に福祉国家の成立を促していったことが指摘されている。労働党の政治家は「平等な犠牲」と「公正な分け前」を強調したが、そこには「人民の戦争」を社会改革の機会として利用しようとそする構想が存在していた。広く人民諸階層の力に依拠することによって戦争を遂行し、他方で、その対価として人民には、福祉や雇用を確保しようとしたのである。

第二次世界大戦を研究する歴史家たちは、ウィンストン・チャーチルの不屈の戦争指導や「ブリテンの戦い」と呼ばれるイギリス本後の制空権をめぐる戦闘などに目を奪われがちであった。しかし、歴史学の関心が軍事史や政治史から社会史へ移行するにつれて、「下からの歴史」として第二次世界大戦を描く傾向が登場してきた。戦時期がまさに「人民の戦争」の側面から捉え直されはじめたのである。

そうした社会史的観点からすると、上流階級にとっての戦争は、これまでの生活のほぼすべてが崩壊したという喪失感を抱かせるものであった。実際、都市部の子供たちの集団疎開に対応するため、富裕層はその邸宅から追い出されるようなこともあった。他方、労働者階級にとっての戦争とは、社会的流動性の原動力となり、愛国精神のもとでの平等の感覚を想起するものであった。人々は、国民的な危機の感覚を共有しなgら、防空壕や配給の行列待ちを経験し、ラジオでの戦争のニュースに聞き入った。「人民の戦争」はすべての人々が「がんばれる」戦争となった。

この「人民の戦争」を象徴しているのが「ダンケルク」であろう。「奇妙な戦争」と呼ばれた緒戦でのフランス戦線の崩壊によって、1940年5月末、ドーヴァー海峡の港町ダンケルクからイギリス遠征軍25万人を撤退させるという困難な作戦が提起された。この退却戦では、イギリス軍のほぼ全体、および主としてフランス軍からなる10万人の他国軍を救助し、無事に撤退させることに成功した。ほとんどの部隊は海軍によって移送されたが、それでは足りずに、小舟に乗った漁民などの志願兵による小船隊がそれを補った。6月5日、対岸のドーセット州ブリッドポートの街は、ダンケルクから撤退してきた疲労困憊の兵士であふれかえっていたという。

かくしてダンケルクは「勇気ある国民の愛国的行動が国家を救った」という「神話」となり、「ダンケルクの精神」は戦争を遂行していくうえでの愛国心を鼓舞するレトリックとなった。それは、多くの上流階級にとっても庶民の愛国心を目の当たりにする機会となり、戦後福祉国家建設への機運を醸成する起点ともなった。

総力戦体制

第二次世界大戦は、文字通り総力戦となった。ドイツに対する宥和政策を遂行してきたネヴィル・チェンバレンの戦時内閣が機能不全に陥ると、1940年5月10日に内閣が一新され、チャーチルが首相となった。この内閣での具体的な戦争指導はチャーチルが主に担当したが、実質的に戦時動員体制を支えたのは、新たに入閣した労働党の閣僚たちであった。

労働党党首クレメント・アトリーは、王璽尚書(国王の御璽の管理、関連する行政事務を司る役職で閣僚)を通して国内政策を仕切るようになった。また労働・徴兵大臣になったアーネスト・ベヴィンは、かつて運輸一般労働組合の指導者を務めたこともある、いわば現場を知り抜いた人物であったが、戦時下の人的資源の管理を一任されることになった。戦時内閣は「緊急事態権限法」を通過させ、国民の財産や生命に対する中央集権的な統制権を手にした。

ベヴィンは、「人的資源配分計画」を策定し人的・物的な動員を管理して、戦時体制の効率性を高めた。適切な人員を徴兵して巨大な軍を編制する一方で、鉱山や労働現場にも人員を確保し、若い独身の女性は欠員を埋める予備的労働力とされた。ベヴィンは、生産性をなによりも重視して、工場労働への徴用、ストライキの違法化、長時間労働、有給休暇の一時中止など、市民的権利の制限をしさえした。だが、同時に労働組合に強力な団体交渉権を付与することで、労働者の福利厚生の改善に繋げようともしていた。事実、戦時期を通じて労働組合員数は増大していくことになる。

まや、食料統制を含んだ国家の諸政策は、「大きな政府」を生み出し、官僚制を巨大化させていった。戦後の官僚制度の規模は40万人にも達して、戦前の三倍に膨れ上がった。BBCのラジオ放送は、戦間期に初代会長で公共放送の独立性を主張していたジョン・リースの指示のもと、中産階級の嗜好に沿ったクラシック音楽やドラマを番組にして、国民のあいだに定着していた。だが、そのリースが情報大臣の職を解かれると、1941年にチャーチル首相には夜九時のニュースに続く時間帯が確保された。チャーチルの肉声は成人の半数に聴取されたともいわれ、政府のプロパガンダはメディアを通じて流布していった。

戦争初期に軍向け放送が追加された際には、リース龍の厳しい水準を緩和することで、また工場労働者に向けては軽音楽番組の「労働時間の音楽」の企画が採用されることで、番組の編成にも聴衆の大衆性が反映されていった。1942年までにメディアと政府は、労働者を「人民(people)」と表現するようになり、戦争への協力を拒否するような上流階級や中産階級を非難する論調へ変化していった。

イギリス現代史入門(大学受験のための世界史特別講義)(4)

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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ryomiyagawa
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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