電話 0422-27-7828チャットで質問無料相談を予約

武蔵野個別指導塾の特徴

【中学受験社会】江戸時代②を図解で総まとめ—三大改革 田沼 元禄 化政文化 学問 開国|武蔵野個別指導塾

【中学受験社会】江戸時代②を図解で総まとめ—三大改革 田沼 元禄 化政文化 学問 開国のアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
X LINE Facebook

三大改革と田沼の政治を政策の違いから整理し、元禄・化政文化や学問、開国までをたどります。年表と比較図を使った例題で、人物・作品の組み合わせや条約の区別を確かめましょう。

よくあるのは、校庭のベンチで歴史の小さな確認カードを開き、「享保・寛政・天保は言えるのに、株仲間を認めたのはだれだったかな」と手が止まる場面です。人物名も政策名も見覚えがあるため、もう少し暗記すれば解けそうに見えます。しかし、改革の名前だけを順に唱えても、似た政策の違いまでは見えてきません。

江戸時代の政治を整理するかぎは、幕府が何に困り、何を収入のよりどころにしようとしたかを考えることです。一方、文化や学問は、町人の暮らし、出版の広がり、外国との交流に目を向けるとつながります。政治の年表に文学作品を無理に一列に並べるより、それぞれの見分け方を持つと整理しやすくなります。

ここでは改革と田沼の政治を比べ、文化の中心地と代表作を確かめてから、開国へ進みます。用語を答える問題から、「なぜその政策を行ったのか」を説明する問題まで、根拠を選びながら解いていきましょう。

この単元で身につけること

前の単元で学ぶ幕藩体制、年貢、三都と交通の発達が、この単元の土台になります。米を中心に収入を得る武士と、貨幣を使って取引する商人の関係を思い出すと、幕府の財政問題が理解しやすくなります。

基本の考え方

改革は「困ったこと」と「手立て」を組にします

幕府や藩は、農民から納められる年貢を重要な収入としていました。武士も米で受け取った収入を換金し、生活に必要な品を買うことがありました。ところが、商業が発達して必要な支出が増えても、年貢の収入が同じように増えるとは限りません。米の値段と、米以外の品物の値段の動きが違えば、武士の暮らしにも影響します。「米があるのだから、お金に困らない」とは言い切れない仕組みです。

財政とは、収入と支出のやりくりです。家庭でも支出を減らす方法と収入を増やす方法は別ですが、幕府の政治でも倹約だけでなく、年貢を増やすことや商業から収入を得ることが考えられました。ただし、農民や商人の暮らしに及ぶ影響は同じではありません。政策を読むときは、だれに何を求める仕組みなのかを確かめます。

享保の改革は、8代将軍の徳川吉宗が1716年から進めました。倹約、新田開発などで財政の立て直しを図り、目安箱を設けて人々の意見を集めました。裁判の基準となる公事方御定書を定めたことも重要です。上げ米の制では、大名に米を納めさせる代わりに、参勤交代で江戸に滞在する期間を短くしました。政策名の「米」と、前に学んだ参勤交代とが結びつく例です。

次に力を持った田沼意次は、老中として商業の発達を財政に生かそうとしました。商工業者の同業者組織である株仲間を認め、そこから税を取りました。長崎貿易の拡大なども進めています。年貢をやめて商業だけに頼ったわけではありません。「米による収入に加え、商業にも目を向けた」と捉えると正確です。田沼の政治はわいろへの批判を受け、天明のききんなどによる社会不安も重なりました。わいろという語だけで政策全体を説明しないことが大切です。

1787年からの寛政の改革を進めた松平定信は、倹約や農村の立て直しを重視しました。ききんへの備えとして米をたくわえさせ、幕府の家臣が商人から借りた借金を帳消しにする棄捐令を出しました。棄捐令は、すべての人のすべての借金をなくした制度ではありません。対象を読み落とさないようにしましょう。また、幕府の学問所では朱子学以外を教えることを禁じました。これを寛政異学の禁といいます。

1841年からの天保の改革では、水野忠邦が倹約を命じ、物価を下げようとして株仲間を解散させました。江戸へ出てきた農民を村へ戻そうとした人返し令も重要です。江戸・大坂の周辺を幕府の直轄地にしようとした上知令は、大名や旗本などの反対を受けて取りやめになりました。「出した政策はすべて予定どおり実行できた」と考えないようにします。

図1のように、享保、田沼、寛政、天保の順に政策の特徴を置きます。これは順序を示す模式図で、箱の間隔は経過年数を表していません。田沼の政治は重要ですが、「三大改革」の3つには含めません。

図1 享保から天保までの政治と代表的な政策の順序

図1で株仲間が2回出てくるところが比較の手がかりです。田沼は税を得るために認め、水野忠邦は物価を下げようとして解散させました。同じ組織に対する逆の対応を、目的と一緒に説明できるようにします。

元禄・化政文化は中心地と作品を合わせます

元禄文化は、17世紀末から18世紀初めを中心に栄えた、上方の町人を担い手とする文化です。上方とは京都・大坂を中心とする地域を指します。井原西鶴は浮世草子を書き、代表作に『日本永代蔵』があります。近松門左衛門は人形浄瑠璃の脚本を書き、『曽根崎心中』などを残しました。松尾芭蕉は俳諧を発展させ、旅をもとにした『おくのほそ道』で知られます。

絵画では菱川師宣の『見返り美人図』、尾形光琳の『紅白梅図屏風』などが代表的です。人物をすべて「小説家」として覚えると、作品の説明を読んだ問題で迷います。「井原西鶴―浮世草子」「近松門左衛門―人形浄瑠璃」のように分野を間に入れて結びつけると、用語の意味も確かめられます。

化政文化は、19世紀初めを中心に、江戸を中心地として栄えました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』など、庶民が楽しむ読み物が広まりました。浮世絵では葛飾北斎の『富嶽三十六景』、歌川広重の『東海道五十三次』が知られます。川柳や狂歌も盛んで、暮らしの一場面を面白く表現する作品が作られました。

出版の発達や、寺子屋で読み・書き・そろばんを学ぶ人々の存在も、庶民の文化を支えました。ただし、元禄文化は江戸と無関係、化政文化は上方と無関係という意味ではありません。「中心がどこか」という区別です。また、元禄文化は享保の改革より前にさかのぼります。三大改革の名前を覚えたあとに文化を学んだからといって、文化がすべて改革の後に始まるわけではありません。

学問と外国への関心を開国につなげます

国学は、『古事記』など日本の古典を研究し、日本の古い言葉や考え方を明らかにしようとする学問です。本居宣長は『古事記伝』を著しました。「国」という字だけを見て、外国の地理を調べる学問と取り違えないように、何を読んで研究するのかを押さえます。

蘭学は、オランダ語の書物などを通じて西洋の学問を研究するものです。杉田玄白や前野良沢らは西洋の医学書を翻訳し、1774年に『解体新書』が出版されました。長崎を通じた交流が学問の窓口になっています。鎖国と呼ばれる体制の下でも、外国との交流や知識の流入が完全になくなったわけではありません。伊能忠敬が測量によって正確な日本地図づくりを進めたことも、この時代の学問の広がりとして押さえます。

19世紀には日本の周辺に外国船が来ることが増えました。1825年の異国船打払令は、沿岸に近づく外国船を追い払おうとする方針です。その後、清がアヘン戦争でイギリスに敗れたことなどを背景に、幕府は1842年に薪水給与令を出し、外国船に燃料や水・食料を与えて退去させる方針へ変えました。対応がずっと同じだったわけではありません。

1853年、アメリカのペリーが浦賀に来航し、開国を求めました。翌1854年に幕府は日米和親条約を結び、下田と函館を開きました。漂流民の救助やアメリカ船への物資の供給などを定めた条約です。1858年には、アメリカ総領事ハリスとの交渉を経て日米修好通商条約を結びました。こちらは本格的な貿易を始めるための条約で、貿易のための港は、箱館・神奈川・長崎・新潟・兵庫の5港です。箱館は現在の函館で、下田は神奈川の開港後に閉じることになりました。実際の貿易港には神奈川に対応する横浜、兵庫に対応する神戸があり、開港の時期も一律ではありません。

日米修好通商条約は、日本が関税自主権を持たず、アメリカの領事裁判権を認めるという不平等な内容を含んでいました。関税自主権は輸入品などにかける関税を自国で決める権利、領事裁判権は条約相手国の領事が自国民に対して裁判を行う権利です。ここは現代の制度の説明ではなく、当時の条約の内容として理解します。

例題で解き方を確かめる

例題1 政策から改革の名前と人物を答える

「倹約を勧め、新田開発を進めた。人々の意見を集める目安箱を設け、公事方御定書を定めた。」この説明に当てはまる改革の名前と、中心となった人物を答えましょう。

  1. 政策の中から、ほかの改革と重なりにくい語を探します。倹約は複数の改革で行われるため、それだけでは決められません。
  2. 「目安箱」「公事方御定書」を手がかりに享保の改革を選びます。財政の立て直し以外の政策にも注目することで、改革を区別できます。
  3. 改革を進めた8代将軍、徳川吉宗を結びつけます。松平定信や水野忠邦は老中なので、人物の役職まで確かめると取り違えを防げます。

答え:享保の改革、徳川吉宗です。

例題2 年表から出来事の順序と間隔を読む

図2を見て、ア「日米修好通商条約」、イ「ペリー来航」、ウ「日米和親条約」を古い順に並べ、イからアまでは西暦の年の差で何年か答えましょう。図2の横軸は、1年を同じ幅で表しています。

図2 ペリー来航と二つの条約を等間隔の年目盛りで比較
  1. 図2の点と年を対応させます。来航は1853年、和親条約は1854年、通商条約は1858年です。ラベルの高さは見やすくするためのもので、年代を示すのは横の位置です。
  2. 年の小さい順に記号を並べます。来航してすぐ通商条約を結んだのではなく、その間に和親条約があることを確かめます。
  3. 終わりの年から始まりの年を引きます。1858−1853=5なので、年の差は5年です。1853年そのものを1年目として数え足す問題ではありません。

答え:イ→ウ→ア、5年です。

図2では、来航から和親条約までの横幅に対して、和親条約から通商条約までの横幅は4倍です。条約名が似ていても、この間隔をたどると「来航への対応から貿易の開始へ」と段階を分けられます。年表は名称の暗記を助けるだけでなく、前後関係を確認する道具になります。

例題3 人物・作品・文化の組み合わせを見分ける

次の組み合わせのうち正しいものを1つ選び、ほかの2つは作品名を残して人物名を直しましょう。ア「井原西鶴―『東海道中膝栗毛』―化政文化」、イ「近松門左衛門―『曽根崎心中』―元禄文化」、ウ「歌川広重―『富嶽三十六景』―化政文化」です。

  1. まず人物と作品が一致するかを調べます。アの『東海道中膝栗毛』は十返舎一九の作品なので、井原西鶴とは結びつきません。作品名に「道中」があることを手がかりに、旅を題材とする読み物を思い出します。
  2. イは人形浄瑠璃の近松門左衛門と『曽根崎心中』の組み合わせです。上方の町人文化という元禄文化の特徴とも合うため、正しいと判断できます。
  3. ウの『富嶽三十六景』は葛飾北斎の作品です。歌川広重も化政文化の浮世絵師なので、文化名だけの確認では誤りを見逃します。人物と作品、作品と文化を別々に照合します。

答え:正しいのはイ、アの人物は十返舎一九、ウの人物は葛飾北斎です。

作品名の「東海道」だけで判断するのも危険です。『東海道中膝栗毛』は読み物、『東海道五十三次』は歌川広重の浮世絵です。同じ地名が作品名に含まれていても、作者と作品の分野まで共通するとは限りません。選択問題では、組み合わせの一部分だけが正しく置かれることがあります。

例題4 政策の目的の違いを記述する

田沼意次は株仲間を認め、水野忠邦は株仲間を解散させました。それぞれが何を目指したのかを、「税」「物価」の2語を使って説明しましょう。

  1. 問われているのが、政策の内容だけでなく目的だと確認します。「認めた」「解散させた」を繰り返すだけでは、理由を説明したことになりません。
  2. 田沼意次は商業からの収入を増やそうとしたことを思い出し、株仲間から税を取ることに結びつけます。ここで年貢という語に置き換えると、商業を重視した特徴が消えてしまいます。
  3. 水野忠邦は、株仲間が営業を独占することなどを物価高の原因と考えた点を押さえます。解散の目的は物価を下げることです。「実際に必ず物価が下がった」と、ねらいを結果に書き換えないようにします。

答え:田沼意次は株仲間から税を得ようとし、水野忠邦は株仲間を解散させて物価を下げようとしました。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 三大改革に田沼の政治を入れてしまう

誤った書き方は「三大改革は、享保・田沼・天保」です。田沼の政治が享保と寛政の間に置かれるため、時代順の3つを選んでしまうことがあります。しかし、「三大改革」は時期の近い政治を自由に3つ選ぶ呼び名ではありません。

正しい書き方は「三大改革は、享保・寛政・天保」です。図1に戻り、改革名のある3つを指したあとで、田沼の政治を間に入れて全体の順序を読みます。さらに「吉宗だけが将軍、定信と忠邦は老中」と声に出すと、人物と政治を同時に整理できます。田沼意次も老中ですが、そのことだけで三大改革の担当者とは決まりません。

誤り2 国学と蘭学を人物の響きで選ぶ

誤った書き方は「本居宣長は蘭学を研究して『解体新書』を著した」です。人物名を別々に覚えていると、学問名や本の名前をつなぐ段階で混ざります。どこが違うのかを確かめるには、「何を資料にした学問か」に戻ります。

図3のように、国学は日本の古典、蘭学はオランダ語の書物などが手がかりになります。図の上下は発展の順序や優劣を表していません。2つの学問を、研究の対象、人物、成果の順に並べて比べています。

図3 国学と蘭学を研究の対象と人物と成果で比べる図

正しい書き方は「本居宣長は国学を研究し、『古事記伝』を著した」「杉田玄白や前野良沢らは蘭学を学び、西洋の医学書を翻訳した」です。図3では杉田玄白を代表として示していますが、『解体新書』の成立を1人だけの仕事と考えないようにします。日本の古典を詳しく調べることと、西洋の医学書を訳すことの違いが見えれば、人物名を思い出す足場ができます。

誤り3 開国を1つの条約だけで説明する

誤った書き方は「1854年の日米和親条約で、横浜などで本格的な貿易を始めた」です。年と条約名は合っていますが、通商条約の内容が入り込んでいます。下田・函館を開き、船に物資を供給することと、外国との本格的な貿易を取り決めることを区別しましょう。

正しい書き方は「1854年に日米和親条約で下田・函館を開き、1858年に日米修好通商条約を結んだ」です。問題が港名まで尋ねる場合は、条約で定めた名称と実際の貿易港の名称にも注意します。「開港した」とあれば、すべて同じ年、同じ目的で港を開いたと思い込まず、条約名を確認します。

不平等条約の説明にも向きがあります。「日本がアメリカ人を日本の法律で自由に裁けた」ではなく、アメリカの領事裁判権を認めたことが問題です。また、「関税がなかった」と「日本に関税自主権がなかった」は同じではありません。税の有無と、税率などを自国で決められるかどうかを分けて書きます。

ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ

練習問題

練習1 人物と政策を対応させる

ア「松平定信」、イ「水野忠邦」、ウ「徳川吉宗」を、次の説明の順に並べましょう。①目安箱を設けた。②寛政の改革で倹約とききんへの備えを進めた。③天保の改革で人返し令を出した。答える前に、各人物が将軍か老中かも確かめましょう。

練習2 文化と学問を分類する

①『日本永代蔵』、②『東海道五十三次』、③『古事記伝』について、それぞれ作者を答えましょう。さらに、①と②は元禄文化・化政文化のどちらか、③は国学・蘭学のどちらかを答えましょう。分類と作者を1組にして書きます。

練習3 開国までの順序を確かめる

ア「日米和親条約」、イ「天保の改革の開始」、ウ「日米修好通商条約」、エ「ペリー来航」を古い順に並べましょう。また、天保の改革が始まった1841年から日米和親条約を結んだ年までは、西暦の年の差で何年でしょうか。まず年を書き添え、その後に順番と差を答えます。

練習4 鎖国と学問の関係を説明する

「鎖国の間は外国との交流が一切なかったので、蘭学が発達することはなかった」という説明の誤りを、「長崎」「オランダ」の2語を使って直しましょう。最後に、その学問による成果として『解体新書』を文中に入れます。

答えと解説

練習1の答えは、①ウ、②ア、③イです。徳川吉宗は8代将軍、松平定信と水野忠邦は老中です。倹約だけでは区別しにくいため、目安箱、改革名、人返し令といった手がかりを組み合わせます。

練習2の答えは、①井原西鶴・元禄文化、②歌川広重・化政文化、③本居宣長・国学です。①は町人の暮らしにも目を向けた浮世草子、②は浮世絵、③は日本の古典を研究した成果です。③を文化の中心地だけで分類しようとせず、学問の対象に注目します。

練習3の答えは、イ→エ→ア→ウ、13年です。それぞれ1841年、1853年、1854年、1858年なので、年の差は1854−1841=13となります。改革と外国への対応を別々に覚えていても、年表に置けば同じ時代の流れの中に並べられます。

練習4の答えの例は、「鎖国の間も長崎を通じてオランダとの交流があり、オランダ語の書物などを学ぶ蘭学が発達して、『解体新書』が出版されました」です。外国との関係が幕府によって制限されていたことと、交流が一切なかったことは区別します。交流の窓口を具体的に示すと、誤りを直す理由まで伝わります。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

開国後は、貿易が暮らしや政治に影響し、幕府への批判も強まっていきます。次に学ぶ明治時代の政治の変化や条約改正を理解するには、江戸幕府がどのような条件で外国と条約を結んだのかが出発点になります。改革を重ねても問題が残ったことも、時代の変化を考える背景です。ただし、1つの政策や1つの事件だけで幕府が終わったと説明しないようにします。

家庭では5分ほどで、2つの確かめ方を試せます。1つ目は、保護者が「株仲間」と言い、お子さまが田沼意次と水野忠邦の対応をそれぞれ1文で答える方法です。人物名が出ても理由が出なければ、図1を見て、税を得る目的と物価を下げる目的を読み直します。

2つ目は、白い紙に1853年・1854年・1858年を書き、出来事と条約の目的を添える方法です。最後に「下田・函館はどの条約か」を確かめます。個別指導で混同を確かめる場合も、正解の名前を伝える前に、年貢と商業、将軍と老中、船への補給と貿易のどこで区別が崩れたのかまで戻ります。

まとめ

改革名や作品名を覚えたあとには、その名前を選ぶ根拠を1つ添えてみましょう。「倹約だから」だけでは選べない問題も、「目安箱があるから享保」「物価を下げるための株仲間解散だから天保」と言えると、答えまでの道筋がはっきりします。

間違えたカードは、名前を何度も書き直す前に、混ざった相手と並べて確かめます。上方と江戸、国学と蘭学、和親と通商のように比べる相手が定まると、直すべき点も具体的になります。江戸時代後半の理解を支えるのは、人名の数ではなく、政策・作品・条約を選び分ける根拠です。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。

お電話 チャットで質問チャット