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【中学受験社会】室町時代を図解で総まとめ—建武の新政 足利義満 応仁の乱 戦国大名 室町文化|武蔵野個別指導塾

【中学受験社会】室町時代を図解で総まとめ—建武の新政 足利義満 応仁の乱 戦国大名 室町文化のアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
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南北朝から戦国大名までの流れを年表で整理し、勘合貿易の矢印図と北山・東山文化の比較図を読み解きます。年代順・用語・理由を答える例題と練習問題で、人物と出来事を結びつけて確かめられます。

よくあるのは、美術室の床のタイルを見ながら、金閣と銀閣の写真を並べたプリントを広げ、「金閣は義満、銀閣は義政」と言えたところで、どちらが応仁の乱のころの将軍だったか迷う場面です。建物の名前だけは覚えていても、政治の流れにつながっていないと、人物を選ぶ問題で手が止まります。色や形を手がかりにすることと、その建物が生まれた時代を説明することには、もう一段のつながりが必要です。

室町時代には、天皇中心の政治をめざす動き、京都に置かれた武士の幕府、明との貿易、各地の大名の成長が重なります。さらに、村や町の人々の活動が活発になり、今の暮らしにつながる文化も育ちました。最初からすべてを同じ列に暗記せず、「だれが政治を動かしたか」「人や品物はどう動いたか」「何が文化として残ったか」の3つに分けましょう。それらを年表で結ぶと、出来事の前後だけでなく、変化の理由を短い文で説明できるようになります。

この単元で身につけること

前の単元の鎌倉時代で学んだ守護や御家人の仕組みは、室町時代に地方の武士が力を広げる理由を考える土台になります。鎌倉幕府の滅亡を区切りとして覚えたうえで、その後も武士の勢力が政治を動かした点に注目してください。

基本の考え方

建武の新政から室町幕府へ

1333年に鎌倉幕府が滅びると、後醍醐天皇は天皇中心の政治を始めました。これが建武の新政です。しかし、恩賞の与え方や政治の進め方に不満を持つ武士が増え、足利尊氏は後醍醐天皇と対立しました。「幕府を倒す」という目的で協力した人々が、その後の政治でも同じ考えだったとは限らないのです。

尊氏は京都に別の天皇を立て、後醍醐天皇は吉野に移りました。京都の北朝と吉野の南朝という2つの朝廷が並び立ち、対立する南北朝時代になります。1338年、尊氏は征夷大将軍となりました。ここを室町幕府の成立の年として押さえます。幕府の始まりを何に着目して説明しているかは資料の表現も読みますが、人物を答えるなら足利尊氏です。

図1のように、鎌倉幕府の滅亡から尊氏の将軍就任までは短い間に政治が大きく変わっています。年表の上側と下側に分けたラベルは、読みやすくするための配置です。上が重要、下が重要でないという意味ではありません。点の左右の位置をたどると、南北朝の合一が幕府成立より後だと読み取れます。

図1 室町幕府の成立から応仁の乱までを示す年表

3代将軍の足利義満は、1392年に南北朝の合一を実現しました。義満が京都の室町に置いた邸宅にちなみ、幕府は室町幕府と呼ばれます。「室町」は人物の名字ではなく地名です。尊氏は幕府を開いた人物、義満は南北朝の合一を実現した人物と、役割を分けておきましょう。

幕府では、管領が将軍を補佐しました。地方の守護は、南北朝の争いなどを通して領地や武士への支配を広げ、守護大名へと成長します。ただし、すべての土地を将軍が直接管理していたわけではありません。有力な守護大名の力を借りて政治を行う仕組みだったことは、後の争いを理解する手がかりになります。

貿易と村・町の活動

足利義満の時代に始まった明との正式な貿易を、日明貿易といいます。この貿易では勘合という証明の札を使ったため、勘合貿易とも呼びます。当時、東アジアの沿岸では倭寇と呼ばれる集団の活動が問題になっていました。勘合は、正式な貿易船と倭寇を区別するために使われました。品物に付ける値札でも、運ぶ数量を数える道具でもありません。

日本からは刀剣や銅などを輸出し、明からは銅銭や生糸、絹織物などを輸入しました。同じ「銅」という字があっても、材料としての銅と、貨幣である銅銭では品物が違います。日本側から見るのか、明側から見るのかを先に決めると、輸出と輸入が逆になりません。正式な貿易は、明の皇帝に貢ぎ物を差し出して返礼を受ける朝貢の形式で行われました。

国内でも、生産と流通が広がりました。農業では、同じ土地で1年に米と麦などを作る二毛作が普及していきます。収穫した品を売買する定期市が開かれ、商人や手工業者は座という同業者の組合をつくりました。座は寺社や貴族などの保護を受け、その代わりに税などを納め、営業上の特権を得ました。現代の店の組合とまったく同じ制度ではない点に気をつけます。

村では、農民たちが惣という自治的なまとまりをつくりました。水の使い方や山林の利用は、1軒だけでは決められません。共同で決まりをつくり、村の運営に関わる力が育ちます。また、借金の帳消しなどを求めて農民らが起こした土一揆も見られました。1428年の正長の土一揆は、その代表として覚えます。村の自治と一揆は関係しますが、「惣という言葉の意味が一揆である」とは書けません。

応仁の乱から戦国の世へ

1467年、8代将軍の足利義政のころに応仁の乱が始まりました。将軍の後継ぎをめぐる問題に、有力な守護大名の家督争いや対立が重なった戦乱です。細川勝元と山名宗全が中心となり、京都を主な戦場として長く争いました。1477年まで続き、京都の町は大きな被害を受けました。

応仁の乱の原因を「義政と義満の争い」としてしまうと、時代が合いません。義満と義政は、世代の異なる将軍です。また、後継ぎの問題だけを唯一の原因とせず、守護大名の対立も重なったと考えます。戦乱を経て幕府の権威は衰え、各地で自分の実力によって領国を支配する戦国大名が現れました。

戦国大名には、守護大名から成長した者もいれば、守護の家臣などから力を伸ばした者もいました。身分の下の者が上の者を倒して地位や力を得る動きを、下剋上といいます。下剋上は人の名前でも、1回の戦いの名前でもありません。戦国大名は分国法という領国独自の法を定めたり、城下町を整えたりして支配を進めました。ただし、戦国大名が現れた瞬間に室町幕府がなくなったわけではありません。幕府は力を弱めながらも続きます。

例題で解き方を確かめる

例題1 人物と出来事をつなぐ

問題です。次のア〜ウに当てはまる人物を、後醍醐天皇・足利尊氏・足利義満からそれぞれ選びましょう。アは建武の新政を始めた人物、イは1338年に征夷大将軍になった人物、ウは南北朝の合一を実現した人物です。

  1. 出来事の中心にある言葉に注目します。「新政」「征夷大将軍」「合一」は別々の役割を表すので、人物名の似た響きより確かな手がかりになります。
  2. アは天皇中心の政治と結びつけます。鎌倉幕府の滅亡後に新しい政治を始めたのは後醍醐天皇であり、後の幕府を開いた人物と分けるためです。
  3. イとウを時代順に置きます。将軍となった尊氏の後に義満が南北朝の対立を終わらせたので、幕府成立と合一を同時の出来事にしないためです。

「足利氏が幕府を開いた」という覚え方だけでは、尊氏と義満のどちらかを選べません。人物ごとに動詞を添え、「尊氏が幕府を開く」「義満が南北朝を合一する」と読むと、問いの役割に対応できます。人物名を漢字で書く問題では、「義」の字がある人物に寄せて尊氏まで書き換えないようにします。

答え:アは後醍醐天皇、イは足利尊氏、ウは足利義満です。

例題2 矢印から輸出入を読み取る

問題です。図2を見て、日本が明から輸入した品物をすべて答えましょう。また、この貿易で勘合を使った目的を、正式な貿易船という言葉を入れて説明しましょう。

図2のように、上の矢印は日本から明へ、下の矢印は明から日本へ向かっています。矢印の太さや長さは貿易量を表していません。勘合のラベルは正式な貿易に用いた証明を示しており、勘合自体を商品として輸出したという意味ではありません。

図2 日明貿易の輸出入の向きと主な品物の模式図
  1. 問題文の視点を確かめます。「日本が」とあるので、日本に入ってくる向きが輸入だと決められるためです。
  2. 明から日本へ向かう下の矢印に付いた品物を読みます。知っている単語を先に選ぶより、資料の向きと対応させたほうが輸出品との取り違えを防げるためです。
  3. 勘合の役目を「何と何を区別するか」で組み立てます。単に「貿易をするため」では、勘合が必要だった具体的な理由を説明できないためです。

輸入品は銅銭と生糸です。この図には、実際に取引されたすべての品物を載せているわけではありません。「図から答える」ときは図にある情報に絞り、「主な輸入品を挙げる」ときは絹織物なども候補になります。条件によって答える範囲が変わることにも注意しましょう。

答え:輸入品は銅銭・生糸で、勘合の目的は正式な貿易船と倭寇を区別するためです。

例題3 年代順に並べる

問題です。ア「応仁の乱が始まる」、イ「南北朝が合一する」、ウ「建武の新政が始まる」、エ「足利尊氏が征夷大将軍になる」を、古い順に並べましょう。図1を使って確かめてかまいません。

  1. 最初の政治の切り替わりを探します。建武の新政は鎌倉幕府の滅亡後に始まるので、室町幕府が動き始めた後の出来事より前に置けるためです。
  2. 幕府成立と南北朝の合一の順を確かめます。尊氏が将軍になった時点では2つの朝廷の対立が続いており、義満の合一が後に来るためです。
  3. 応仁の乱を義政の時代に置きます。義満の後の将軍の時代の出来事だとわかれば、合一より後と判断できるためです。

年号で確かめると、1333年、1338年、1392年、1467年の順です。しかし、数字だけを小さい順に並べて終えると、資料に年号がない場合に迷います。「天皇中心の政治」「幕府成立」「南北朝の合一」「大きな内乱」という流れでも説明できるようにします。2つの方法の結果が一致するかを確かめましょう。

答え:古い順にウ→エ→イ→アです。

例題4 政治の変化を理由つきで説明する

問題です。次の文を読み、応仁の乱の後に各地で戦国大名が力を伸ばした背景を説明しましょう。「京都では有力な守護大名が争い、幕府が各地をまとめる力は弱まった。地方では、武士が周辺の勢力を従わせ、領国を直接支配する動きが広がった。」答えには「幕府」と「領国」を使います。

  1. 問われているのが戦国大名の名前ではなく背景だと確かめます。人名をたくさん書いても、なぜ力を伸ばせたかの説明にはならないためです。
  2. 文章から、中央と地方の変化を1つずつ取り出します。中央の「幕府の力の低下」と地方の「直接支配の広がり」を結ぶと、原因と結果がつながるためです。
  3. 2つの変化を「ため」で結びます。「戦乱があったから」だけでは省かれてしまう、政治をまとめる力の変化を示すためです。

この問題の答えに「幕府が滅びたため」と書くと、問題文の「弱まった」を別の出来事に変えてしまいます。資料に書かれた変化の強さを保って答えましょう。また、すべての戦国大名が同じ経緯で登場したわけではないので、「家臣が必ず主人を倒した」と一律に説明する必要もありません。

答え:幕府が各地をまとめる力が弱まり、各地の武士が実力で領国を直接支配するようになったためです。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 尊氏と義満の仕事を入れ替える

誤った書き方は、「足利義満が建武の新政を始め、室町幕府を開いた」です。どこが違うかというと、後醍醐天皇・尊氏・義満の3人の役割を1人に集めています。しかも、天皇中心の政治と武士の幕府の違いが消えてしまいます。

正しい書き方は、「後醍醐天皇が建武の新政を始め、足利尊氏が室町幕府を開き、足利義満が南北朝の合一を実現した」です。直すときは人名を3回書き写すより、3人の下に別々の出来事を書きましょう。出来事を隠して言えるか、人物を隠して言えるかの両方向で確かめると、問い方が変わっても対応できます。

誤り2 北山文化と東山文化を色だけで区別する

誤った書き方は、「銀閣は銀色の建物なので東山文化で、建てたのは足利義満」です。どこが違うかというと、銀閣という名前から銀箔を張った建物だと思い込み、人物も金閣の義満と入れ替えています。銀閣には銀箔は張られていません。名称と建物の表面の色を同じ情報として扱わないようにします。

正しい書き方は、「義満に結びつく金閣は北山文化、義政に結びつく銀閣は東山文化の代表である」です。図3のように、文化名・人物・建物を縦に対応させると、横の列へ人物だけ移してしまう誤りに気づけます。

図3 北山文化と東山文化を人物と建物で比較する図

北山文化は、公家の文化と武家の文化が結びついた文化です。金閣には異なる建築様式が取り入れられ、華やかさも見られます。東山文化は禅宗の影響を受け、簡素で落ち着いた美しさを特色とします。ただし、「室町の文化はすべて華やか」「すべて地味」のように、時代全体を1つの印象で決めることはできません。

東山文化では書院造も押さえます。畳や床の間などを備える後の和室につながる建築様式で、銀閣と同じ慈照寺にある東求堂の同仁斎が代表例です。「銀閣そのものが、書院造の部屋の代表」と単純に置き換えないようにしましょう。政治の人物を覚えた後に、建物のどこを問われているかへ視点を移します。

文化史は建物だけではありません。観阿弥・世阿弥は能を大成し、義満の保護も受けました。能の合間などに演じられた狂言では、人々の暮らしを題材にした笑いが表されます。また、雪舟は明で学び、水墨画を大成しました。水墨画は墨の濃淡などを生かす絵画です。「能なら観阿弥・世阿弥」「水墨画なら雪舟」と、分野と人物を結んで整理します。

誤り3 応仁の乱で幕府が滅亡したと書く

誤った書き方は、「1467年の応仁の乱で室町幕府は滅び、すべての守護大名が戦国大名になった」です。どこが違うかというと、幕府の権威が弱まることを滅亡と同じにし、大名のさまざまな成り立ちも1つにしてしまっています。

正しい書き方は、「応仁の乱を経て幕府の権威が衰え、各地で戦国大名が力を伸ばした」です。室町幕府が滅びるのは、1573年に織田信長が足利義昭を京都から追放したときです。戦国時代は室町時代の後半などと重なる呼び方であり、別々の箱がすき間なく交代するようには区切れません。「幕府があるか」と「全国に支配が及んでいるか」を分けて考えてください。

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練習問題

練習1

次の文の空欄ア・イを埋めましょう。「南北朝時代には、京都のア朝と吉野のイ朝が対立した。」また、両朝の合一を実現した将軍の名前を答えましょう。場所を手がかりにしてから人物を思い出してください。

練習2

日本から見た日明貿易について、次のうち輸入品を2つ選びましょう。アは刀剣、イは銅銭、ウは銅、エは生糸です。さらに、正式な貿易船と倭寇を区別するために用いた証明の札の名前を答えましょう。

練習3

ア「応仁の乱の始まり」、イ「室町幕府の滅亡」、ウ「南北朝の合一」を古い順に並べましょう。また、「応仁の乱が始まった年に室町幕府も滅びた」という文が正しいか、理由を添えて答えましょう。

練習4

次の説明に対応する人物を、それぞれ答えましょう。アは金閣に結びつく将軍、イは銀閣に結びつく将軍、ウは水墨画を大成した画家です。アとイについては、対応する文化名も合わせて書きましょう。人物・建物・文化を1組ずつ確かめる問題です。

答えと解説

練習1の答えは、アが北、イが南、将軍は足利義満です。京都が北朝、吉野が南朝という場所との対応を押さえます。幕府を開いた尊氏ではなく、3代将軍の義満が合一を実現しました。

練習2の答えは、イ・エ、札の名前は勘合です。銅銭と生糸は明から日本へ入り、刀剣と銅は日本から明へ出ます。「銅」と「銅銭」を1つの品物だと思わず、語の最後まで読みましょう。

練習3の答えは、ウ→ア→イで、文は誤りです。1392年の南北朝の合一、1467年の応仁の乱の始まり、1573年の幕府滅亡という順になります。応仁の乱で幕府の権威は衰えましたが、乱の始まりと滅亡は同じ年ではありません。

練習4の答えは、アが足利義満・北山文化、イが足利義政・東山文化、ウが雪舟です。金閣と銀閣の組を逆にした場合は図3へ戻ります。雪舟を選べなかった場合は建物の表ではなく、絵画という分野から人物を確かめましょう。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

戦国大名が領国の支配を固める動きは、次に学ぶ織田信長や豊臣秀吉の全国統一につながります。座の特権を学んでおくと、後の楽市・楽座が何を変えようとした政策かも考えやすくなります。室町幕府の力が弱まったことだけでなく、各地で独自の支配が進んだことを残しておきましょう。

家庭では、5分ほどでできる確かめ方を2つ試せます。1つ目は、紙に後醍醐天皇・尊氏・義満・義政を書き、お子さまがそれぞれのそばに出来事や建物を1つ加える方法です。正しく書けたら、なぜその人物なのかを短く説明してもらいます。2つ目は、日本と明を紙の左右に書き、品物の矢印を描く方法です。「銅銭はどちらへ進むか」「その向きは日本にとって輸出か輸入か」を別々に確かめます。

個別指導で年代順に迷う場合は、年号の暗記だけを増やさず、鎌倉幕府の滅亡後にだれが政治を始めたかまで戻って確かめます。記述で止まる場合は、「幕府の力が弱まる」という原因と「各地で直接支配が進む」という変化を、まず別々の文で言えるかを見ます。

まとめ

美術のプリントにある金閣と銀閣も、人物と年表を添えると、政治や社会へつながる手がかりになります。名前を思い出したところで止めず、「だれの時代か」「何が前後で変わったか」をもう1つ言葉にしてみましょう。資料の矢印や年表の位置は、その説明が合っているかを確かめる支えになります。

同じ室町時代という名前の中に、幕府が力を固める時期も、その力が弱まる時期もあります。室町時代の理解は、金閣と銀閣の間にある政治と社会の変化を語れることで深まります。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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