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【中学受験社会】安土桃山時代を図解で総まとめ—鉄砲 キリスト教 信長 秀吉 検地 刀狩|武蔵野個別指導塾

【中学受験社会】安土桃山時代を図解で総まとめ—鉄砲 キリスト教 信長 秀吉 検地 刀狩のアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
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鉄砲とキリスト教の伝来から全国統一までを年表で整理します。検地と刀狩の違いを図で確かめ、石高の読み取りや政策の記述問題に家庭で取り組めます。

よくあるのは、塾の玄関の傘立ての前で、お子さまが迎えを待ちながら「信長は楽市・楽座、秀吉は検地と刀狩」と言えているのに、「何のために行ったの」と聞かれると止まってしまうという場面です。人物と政策を組み合わせるところまでは覚えられても、政策によって人々の暮らしや支配の仕組みがどう変わったかは、別に考える必要があります。

安土桃山時代は、戦国大名が各地を治めていた状態から、全国をまとめる政治へと進む時代です。鉄砲やキリスト教が伝わり、外国とのつながりも広がりました。戦いの順番だけを覚えると、商業の政策、農村の支配、文化の特色がばらばらになりやすいところです。

そこで、「外から何が伝わったか」「だれが統一を進めたか」「土地と人をどう治めたか」という問いをつなげます。年表と政策の図を行き来すれば、用語を選ぶ問題だけでなく、出来事の並べ替えや理由を書く問題にも取り組めます。名前を覚えた先に、その名前を使って説明することを目指しましょう。

この単元で身につけること

前の単元で学ぶ室町時代の座や戦国大名の領国支配は、楽市・楽座や全国的な検地を理解する土台になります。「座とは何か」「大名は何を支配していたか」に戻ると、新しい政策が変えたものを捉えやすくなります。

基本の考え方

海外との交流と全国統一の時間の流れ

1543年、種子島に来たポルトガル人によって鉄砲が伝えられました。種子島は現在の鹿児島県にある島です。鉄砲はその後、日本でもつくられるようになり、戦いで使われるようになりました。「外国から伝わった」という点と、「国内でも生産されて広がった」という点をつなげて覚えます。伝来した年に、全国の武士が一斉に鉄砲を使い始めたわけではありません。

1549年には、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教を伝えました。鉄砲の伝来は種子島、キリスト教の伝来は鹿児島と区別します。どちらも九州に関わるため混ざりやすいのですが、「道具が伝わる出来事」と「宣教師が教えを伝える出来事」として整理すると、名前を置く場所がはっきりします。

ポルトガル人やスペイン人との貿易は、南蛮貿易と呼ばれます。日本には生糸や鉄砲、火薬の原料などがもたらされ、日本からは銀などが輸出されました。生糸は絹織物の材料です。ヨーロッパ人の船が運んでいても、積み荷のすべてがヨーロッパで生産された品というわけではありません。アジア各地をつなぐ貿易の中に、日本との取引がありました。

図1のように、鉄砲とキリスト教の伝来は、室町幕府が滅びるより前です。安土桃山時代を学ぶときに一緒に扱いますが、年表では戦国時代の出来事として前につながっています。時代の名前で区切って暗記するだけでなく、出来事の前後を確かめることが必要です。

図1 海外からの伝来と全国統一へ向かう主な出来事の年表

図1の横の長さは、経過した年数に対応しています。鉄砲の伝来からキリスト教の伝来までの間隔と、本能寺の変から全国統一までの間隔を見比べてみましょう。ただし、年表で近くにあることだけでは、一方がもう一方の原因だとは言えません。前後関係を読むことと、出来事の理由を説明することは分けて考えます。

信長と秀吉は何を進めたのか

織田信長は、1560年の桶狭間の戦いで今川義元を破り、勢力を広げました。その後、足利義昭を将軍に立てて京都に入りましたが、やがて対立し、1573年に義昭を京都から追放しました。これによって室町幕府は滅びました。「信長が幕府を開いた」と書かないように注意します。信長は既存の幕府を滅ぼし、統一を進めた人物です。

信長は、商工業を活発にするため、楽市・楽座を進めました。座とは、商工業者の同業者組織で、営業上の特権を持っていました。楽市・楽座では、こうした座の特権などを取り除き、商人が取引に参加しやすくしました。関所の廃止も、人や品物が行き来しやすくなることにつながりました。これらは城下町を栄えさせ、支配を支える経済の力を強める政策として考えられます。

楽市・楽座を「買い物が無料になる制度」と考えるのは誤りです。たとえば、ある場所で特定の仲間だけに営業が認められていたとすれば、新しく店を出したい人は参加しにくくなります。その制限を取り除く方向の政策だったのであり、売り物の代金をなくしたのではありません。また、信長が商業政策のすべてを最初に考え出したわけではなく、ほかの戦国大名にも楽市などを行った例があります。

1575年の長篠の戦いでは、信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を破りました。鉄砲を活用した戦いとして整理しましょう。信長は琵琶湖の近くに安土城を築き、統一を進めましたが、1582年、明智光秀に攻められた本能寺の変で亡くなりました。全国統一の完成には至っていません。

信長の事業を引き継いだのが豊臣秀吉です。秀吉は大坂城を拠点とし、関白となって、朝廷の権威も用いながら諸大名を従わせました。1590年には小田原の北条氏を滅ぼし、全国統一を果たしました。関白は天皇を補佐する役職で、征夷大将軍とは別です。「全国を治めた人物は全員、将軍だった」と考えないことが大切です。

秀吉の対外政策では、1587年に宣教師の追放を命じたバテレン追放令を出したことも押さえます。キリスト教の広まりを抑えようとする政策と、利益をもたらす南蛮貿易への対応は同じではありません。追放令が出たから外国との貿易もすぐにすべて終わった、と結びつけないようにします。1592年と1597年には朝鮮へ出兵し、現地に大きな被害をもたらすとともに、日本側の大名や兵にも負担となりました。1598年に秀吉が亡くなると、日本の軍は引きあげました。

土地を調べる政策と武器を取り上げる政策

太閤検地は、秀吉が全国で進めた土地の調査です。田畑の面積や土地の質を調べ、どのくらい米がとれる土地なのかを石高で表しました。石は米などの量を表す単位で、石高は土地の生産力を示す基準として用いられました。石高を面積の単位だと覚えると、同じ広さでも土地の質によって評価が違うことを説明できなくなります。

検地では、土地を耕す人も調べ、検地帳に登録しました。土地ごとの耕作者を定めることは、だれから年貢を納めさせるかをはっきりさせることにつながります。それまで重なり合っていた土地への権利を整理し、土地と農民を支配する仕組みを整えていきました。検地は単に地図をつくる調査ではなく、支配と年貢の仕組みに関わる政策だったのです。

1588年の刀狩では、農民から刀や鉄砲などの武器を取り上げました。一揆を防ぎ、農民を農業に専念させるねらいがありました。取り上げた武器を大仏づくりに役立てるという説明もされましたが、問題で政治上の目的を問われたら、武器を持つ農民の抵抗を抑え、支配を安定させることに注目します。

太閤検地や刀狩などを通じて進んだのが、兵農分離です。武士と農民の身分や役割を分け、武士が戦いや支配を担い、農民が耕作して年貢を納める仕組みが整えられました。ただし、一つの命令が出た日に全国で分離が完成したという意味ではありません。複数の政策によって分離が進んだと説明すると、時代の変化を無理なく捉えられます。

例題で解き方を確かめる

例題1 伝来したものと人物を組み合わせる

次の文の空欄に入る語句を答えましょう。「1543年、種子島に来たポルトガル人によって、戦いに用いる(ア)が伝えられました。1549年、鹿児島に来た(イ)が、キリスト教を伝えました。」

  1. 年と場所に注目します。1543年と種子島の組み合わせは、鉄砲の伝来を示す手がかりだからです。
  2. 空欄の前後を読み、答えるものの種類を決めます。アは「戦いに用いるもの」、イは「来た人物」なので、同じ種類の言葉は入りません。
  3. イにザビエルを入れ、文全体を読み直します。人物、場所、伝えたものが正しくつながるかを確認するためです。

ここで「キリスト教」とだけ書くと、イでは人物を尋ねているのに宗教名で答えることになります。知っている語を思いついた順に書くのではなく、空欄が何を求めているかを先に決めると、取り違えを減らせます。正式な名前を求められる場合は、フランシスコ・ザビエルと書きます。

答え:アは鉄砲、イはフランシスコ・ザビエルです。

例題2 統一に向かう出来事を年代順に並べる

次の出来事を古い順に並べ、記号で答えましょう。アは秀吉の全国統一、イは本能寺の変、ウは室町幕府の滅亡、エは長篠の戦いです。

  1. 出来事を人物ごとに分けます。信長の時代に起きたことと、その死後に秀吉が成し遂げたことを分けると、大きな前後関係が決まるからです。
  2. 年を対応させます。ウは1573年、エは1575年、イは1582年、アは1590年です。出来事の名前だけでは迷う組み合わせを、年で確定します。
  3. 年の小さい順に並べ、図1とも照らします。図1には長篠の戦いがないので、1573年と1582年の間に入ることを自分で確かめます。

年表にすべての出来事が載っているとは限りません。載っている点を手がかりに、載っていない出来事の位置を補うことも、年表を読む力の一つです。また、「信長が全国統一した後に本能寺の変が起きた」という説明になっていないか、人物の行動として読み直しましょう。

答え:ウ → エ → イ → アです。

例題3 石高の合計と読み取れることを考える

図2は、検地で調べた土地の評価を考えるための学習用の図です。甲の土地は120石、乙は80石、丙は100石とします。3か所の石高の合計を求めましょう。また、「甲は乙より面積が広い」と必ず言えるか、理由を添えて答えましょう。

図2 学習用の三つの土地の石高を合わせて考える模式図
  1. 図2に示された単位を読みます。どれも石で表されているので、土地の評価を共通の単位で合計できるからです。
  2. 120+80+100を計算します。まず120+80=200、次に200+100=300となり、合計は300石です。
  3. 面積についての文は、計算とは分けて判断します。石高は面積そのものではなく、土地の質なども関わる生産力の評価だからです。

図2の3つの枠は、土地を区別するために同じ大きさで描いています。実際の面積や形を示した地図ではありません。図の箱の大きさからも、石高の数字だけからも、甲と乙の面積の大小は決められません。資料に書かれたことと、書かれていないことを区別して答えます。

さらに、合計300石をそのまま年貢の量とすることもできません。石高は年貢を決める基準になりますが、年貢としてどれだけ納めるかという割合が示されていないためです。「石高」「その年に実際にとれた量」「年貢として納める量」は同じ意味ではありません。数字が出たら、何の数字なのかを言葉で確認しましょう。

答え:合計は300石です。石高には土地の質なども関わるため、甲のほうが広いとは必ずしも言えません。

例題4 検地と刀狩の目的を記述する

秀吉が太閤検地と刀狩を進めたことは、支配の安定にどのようにつながりましたか。「年貢」「一揆」の2語を使い、それぞれの政策の働きがわかるように説明しましょう。

  1. それぞれの政策で実際に行ったことを書き出します。検地は土地の生産力や耕作者を調べ、刀狩は農民から武器を取り上げたので、出発点が違うからです。
  2. 指定された言葉を対応させます。検地は年貢を納める仕組み、刀狩は武器を使った一揆を防ぐねらいにつながります。
  3. 「何をして、何を可能にしたか」の順で一つの文にします。「支配を安定させた」だけでは、各政策の働きが伝わらないためです。

記述問題では、「検地と刀狩によって兵農分離が進んだ」という文だけでも、まったく関係のない答えではありません。しかし、この問題は2語を使い、政策ごとの働きを説明するよう求めています。まとめの用語だけで終わらず、その中身を指定語に合わせてほどく必要があります。

答え:太閤検地で土地の生産力と耕作者を把握して年貢を確実に納めさせ、刀狩で農民から武器を取り上げて一揆を防ごうとしたことで、支配の安定につながりました。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 統一を進めた人と完成させた人が入れ替わる

誤った書き方は「信長が1590年に全国統一を果たした」です。どこが違うかというと、信長は1582年の本能寺の変で亡くなっており、1590年の出来事の実行者にはなれない点です。正しい書き方は「秀吉が1590年に全国統一を果たした」です。

直すときは、人物名だけを消して入れ替えるのではなく、図1で1582年と1590年の順を確かめます。「この人物はその時点で生きていたか」という問いは、歴史の年代問題全体で使えます。さらに、信長の欄には室町幕府の滅亡や楽市・楽座、秀吉の欄には全国統一や太閤検地を書き、出来事の担当を整理しましょう。

誤り2 検地と刀狩を同じ政策として説明する

誤った書き方は「太閤検地で農民の刀を取り上げた」です。どこが違うかというと、土地を調べる政策と武器を取り上げる政策を入れ替えている点です。正しい書き方は「太閤検地で土地の生産力や耕作者を調べ、刀狩で農民から武器を取り上げた」です。

図3のように、政策の名前の次に、対象と行動を置くと整理できます。両方が兵農分離につながるからといって、途中で行ったことまで同じになるわけではありません。「共通の結果」と「異なる手段」を分けて読むことが、この図の要点です。

図3 太閤検地と刀狩の違いと兵農分離へつながる関係図

図3の上の道筋は、土地の耕作者と年貢を押さえる仕組みです。下の道筋は、武器を取り上げる仕組みです。どちらも農民を農業に結びつけ、武士との身分や役割の分離を進めました。図の矢印は政策と変化の関係を示しており、すべての政策が同じ日に行われたことを表してはいません。

誤り3 桃山文化を豪華なものだけだと考える

誤った書き方は「桃山文化には豪華な城や絵だけがあり、簡素な茶の湯は含まれない」です。どこが違うかというと、時代の代表的な特色を、その時代に存在した文化のすべてだと考えている点です。正しい書き方は「桃山文化では豪華で雄大な城や障壁画が発達し、千利休によってわび茶も大成された」です。

安土城や大坂城は、城を中心とする政治や文化を考える手がかりです。城の内部を飾る障壁画では、狩野永徳などが活躍しました。金色を背景にした力強い表現は、権力者の力を示す文化と結びつきます。一方、わび茶は簡素さを重んじる茶の湯です。豪華な城の絵と静かな茶の空間が、同じ時代の文化として並び立ちます。

南蛮人の来航や交易の様子を描いた南蛮屏風も、海外との交流を考える手がかりになります。文化の問題では、作品名だけでなく、「何が描かれているか」「どのような交流や暮らしが背景にあるか」を読みます。ただし、現在見られる城の天守を、すべて当時の建物そのものと考えてはいけません。建て直されたものもあるため、人物と城の結びつきと、現在の建物の成立は区別します。

ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ

練習問題

練習1 商業の政策を答える

信長が進めた、座の特権などを取り除いて商工業を活発にする政策を何といいますか。また、この政策を「店の商品を無料にすること」と説明してよいか、短く理由を書きましょう。名前と目的を分けて答えてください。

練習2 出来事を古い順に並べる

アは刀狩、イはキリスト教の伝来、ウは鉄砲の伝来、エは秀吉の全国統一です。古い順に並べ、記号で答えましょう。確かめのため、それぞれの年も書き添えてください。

練習3 石高の数字を読む

学習用の資料として、ある村の3か所の土地の石高を、東の土地150石、西の土地90石、南の土地60石とします。合計を求めましょう。また、納める割合が示されていないとき、年貢の量まで求められるか答え、理由を説明しましょう。

練習4 文化の説明を直す

「桃山文化のころには、狩野永徳がわび茶を大成し、千利休が城の障壁画で活躍しました。」という文の誤りを直しましょう。さらに、豪華な城の絵と簡素なわび茶が同じ時代にあることは矛盾するか、自分の言葉で説明してください。

答えと解説

練習1の答えは、楽市・楽座です。商品を無料にする政策ではありません。商工業者の特権などを取り除き、取引を活発にする政策です。「楽」という漢字の印象から意味を決めず、だれのどのような活動に関係するかを説明します。

練習2の答えは、ウ → イ → ア → エです。ウは1543年、イは1549年、アは1588年、エは1590年です。刀狩は全国統一の完成より前です。秀吉の政策がすべて1590年以後に始まったと思い込むと順番を逆にしてしまうので、統一事業と政策が並行して進んだことを確かめます。

練習3の答えは、150+90+60=300石です。年貢の量は求められません。石高の合計がわかっても、そのうちどれだけを納めるかという条件が示されていないからです。数字を足せることと、別の量まで求められることは違います。

練習4は、人物の組み合わせを入れ替えます。「千利休がわび茶を大成し、狩野永徳が城の障壁画で活躍しました」が正しい文です。豪華さと簡素さが同じ時代にあることは矛盾しません。一つの時代にも、目的や場面の異なる文化があるからです。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

次に学ぶ江戸時代では、幕府と藩による支配や身分の仕組みが中心になります。大名の領地を石高で表すこと、農民が年貢を納めること、武士と農民の役割が分かれることは、安土桃山時代からのつながりとして捉えられます。秀吉の死後、1600年の関ヶ原の戦いを経て、1603年に徳川家康が江戸幕府を開く流れへ進みます。

家庭での5分の確かめ方は、次の2つです。どちらか一つを選び、最初は本文を見ながら進めても構いません。正しい語を言えたかだけでなく、説明の途中がつながっているかを聞いてみましょう。

  1. 紙に「1573」「1582」「1590」と書き、お子さまに出来事と人物を結んでもらいます。次に年を隠し、「信長の死より前か後か」を尋ねると、丸暗記だけでなく前後関係も確かめられます。
  2. 「調べる」「取り上げる」と書いた紙を用意し、太閤検地と刀狩を振り分けてもらいます。その後、「何を」「何のために」を一つずつ足し、最後に兵農分離につながる説明をしてもらいます。

個別指導で理由の説明が止まる場合は、年貢を納める人と受け取る側の関係や、室町時代の座の意味まで戻って確かめます。用語を繰り返し書くだけでなく、主語と動作を短い文にしてから、政策の目的を付け足します。

まとめ

「信長」「秀吉」と答えられたら、次は、その人物が何を変えようとしたのかを考えてみましょう。商人が取引に参加する条件、土地の生産力を調べる基準、農民が武器を持つことへの対応を言葉にすると、統一の進み方が具体的になります。

歴史の答えは、人名の数を増やすだけでは詳しくなりません。だれの暮らしに、どのような仕組みが及んだのかまで書くことで、短い記述にも筋道が生まれます。安土桃山時代の全国統一は、戦いの勝敗と、土地・人・商業を治める仕組みの両方から説明する時代です。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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