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【中学歴史】ヨーロッパ世界と全国統一を図解で総まとめ—大航海時代から豊臣秀吉まで|武蔵野個別指導塾

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鉄砲やキリスト教の伝来が全国統一とどう結びつくのかを、交流の図と年表でたどります。楽市・楽座、太閤検地、刀狩の違いは、政策の目的を考える例題で、信長と秀吉の違いがはっきりします。

よくあるのは、祖父母の家の客間で歴史の宿題を開き、ヨーロッパの宗教改革の次に鉄砲の伝来が出てきて、「急に日本の話へ戻ったのはなぜだろう」と手が止まる場面です。さらに信長の楽市・楽座、秀吉の太閤検地と用語が続くと、別々の出来事を暗記するだけになりがちです。

この時期をつなぐのは、海を越える人や物の動きと、日本で進む支配の組み直しです。ヨーロッパの商人や宣教師がアジアへ来たことは、戦国大名の戦い方や貿易への姿勢にも関わりました。ただし、外国との交流だけで全国統一が実現したわけではありません。国内の商業、土地、農民をどう治めるかも大きな問題でした。

人名の横に政策名を書くところから一歩進み、「何を変える政策だったか」を説明してみましょう。世界の変化と日本の変化を同じ時間の上に置けば、この単元の流れが見えてきます。

この単元で身につけること

前の単元で学んだ戦国大名は、領国ごとに法や経済のしくみを整えていました。ここでは、そのような地域の支配が、広い範囲に共通する支配へと変わる過程を学びます。人物の活躍だけでなく、領地を治める方法の変化にも目を向けてください。

基本の考え方

ヨーロッパの文化と宗教の変化

ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマの文化を学び直し、人間の個性や能力に目を向けた文化の動きです。イタリアで始まり、ヨーロッパへ広がりました。レオナルド・ダ・ビンチなどが活躍し、美術や学問が発達しました。宗教をすべて捨てた運動ではなく、キリスト教を題材にした作品も多くあります。

一方、宗教改革は、カトリック教会のあり方を批判し、信仰を見直そうとする動きです。1517年にルターが免罪符の販売を批判したことが、その大きなきっかけとなりました。カルバンも改革を進め、こうした改革派はプロテスタントと呼ばれました。活版印刷術の普及は、聖書や新しい考え方を広く伝える助けになりました。

カトリック側も内部の改革と布教を進めました。その担い手の1つがイエズス会です。日本に来たフランシスコ・ザビエルもこの会の宣教師でした。「宗教改革で教会がなくなった」のではなく、教派が分かれ、それぞれが活動を進めたと捉えましょう。

海の道が日本につながる

ヨーロッパでは香辛料などのアジアの産物が求められ、ポルトガルやスペインが新しい航路を開きました。1492年にはスペインの支援を受けたコロンブスがカリブ海の島々へ到達し、1498年にはポルトガルのバスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回ってインドに到達しました。マゼランの船隊は航海を続け、1522年に世界一周を達成しましたが、マゼラン本人は途中で亡くなっています。

このようにヨーロッパの人々が遠い海域へ進出した時期を大航海時代と呼びます。交流は広がりましたが、アメリカ大陸では先住民の社会が征服され、強制労働や持ち込まれた感染症による大きな被害を受けました。「新しい航路ができて便利になった」という面だけで理解しないことが必要です。

図1 ヨーロッパからアジアを経て日本へ続く交流

図1のように、貿易と布教はアジアを経由して日本にもつながりました。図の矢印は交流の流れを表し、距離や実際の航路を表すものではありません。1543年、種子島に来たポルトガル人によって鉄砲が伝えられ、国内でも生産されるようになりました。1549年にはザビエルが鹿児島へ来て、キリスト教を伝えました。

ポルトガル人やスペイン人は南蛮人と呼ばれ、彼らとの貿易を南蛮貿易といいます。日本は銀などを輸出し、中国産の生糸などを輸入しました。ヨーロッパ人が運んだ品でも、ヨーロッパ産とは限りません。貿易の利益を求め、布教を認めたり、自ら信者になったりする大名もいました。

全国統一と桃山文化

織田信長は1560年の桶狭間の戦いで今川義元を破り、その後、京都へ進出しました。1573年には将軍足利義昭を追放し、室町幕府を滅ぼしました。1575年の長篠の戦いでは、徳川家康とともに鉄砲を有効に用いて武田氏の軍を破りました。信長は楽市・楽座や関所の廃止によって商業を活発にし、城下町の発展を図りました。

1582年の本能寺の変で信長が倒れると、豊臣秀吉が統一事業を引き継ぎ、1590年に全国統一を達成しました。秀吉は太閤検地と刀狩を進め、土地と人の支配を整えました。一方で、明の征服を目指して1592年と1597年に朝鮮へ侵略しました。朝鮮の人々の抵抗や明の援軍との戦いが続き、双方に大きな被害をもたらしました。1598年に秀吉が亡くなると、日本軍は撤退しました。

この時期の桃山文化では、城の大きな天守や、金地を用いた豪華な障壁画に大名や豪商の力が表れました。狩野永徳は障壁画で知られ、千利休は簡素さを重んじるわび茶を大成しました。豪華さと簡素さが同じ時代に見られる点も特色です。南蛮屏風や「パン」などの外来語には、海外との交流の影響も表れています。

例題で解き方を確かめる

例題1 文化と宗教の用語を見分ける

「古代の文化を学び直し、人間の個性を重んじる動き」と「免罪符の販売など、教会のあり方への批判から進んだ動き」の名前を、それぞれ答えましょう。

  1. 前半の「古代の文化」「人間の個性」に線を引きます。国名や人名よりも、何が変わったのかを示す言葉が判断の手がかりになるためです。
  2. 後半の「教会への批判」を確認します。文化一般の変化ではなく、信仰や教会の改革を問うているためです。
  3. 答えを順に「ルネサンス」「宗教改革」と書きます。似た時期の出来事でも、問題文の説明と用語を1つずつ対応させます。

「ヨーロッパで起きたからルネサンス」と判断すると、宗教改革も混ざってしまいます。人名を補うなら、ルネサンスにはレオナルド・ダ・ビンチ、宗教改革にはルター、というように説明と結びつけます。

例題2 年表から前後関係を読む

図2を使って、鉄砲の伝来からキリスト教の伝来までの年数と、室町幕府の滅亡から全国統一までの年数を求めましょう。また、信長と秀吉の統一事業を分ける出来事を答えましょう。

図2 伝来から全国統一までの年代と間隔を示す年表
  1. 図2の年を読み、前の年と後の年を組にします。鉄砲は1543年、キリスト教は1549年なので、まず対応を確かめます。
  2. 後の年から前の年を引きます。経過した年数を求めるので、1549-1543=6年、1590-1573=17年です。最初と最後の年を数え上げる計算ではありません。
  3. 1582年の出来事に注目します。信長が倒れた本能寺の変が、秀吉へ統一事業が引き継がれる転機です。

図2では横方向の同じ長さが同じ年数を表します。上下に分かれたラベルは読みやすく置いたもので、上の出来事が先という意味ではありません。また、1543年に鉄砲が伝わっても、その年に全国へ一度に広がったわけではありません。伝来と普及には時間の違いがあります。

例題3 楽市・楽座のねらいを説明する

ある城下町で、特定の商工業者の組合である座の特権を取り除き、新しい商人も商売をしやすくする政策が行われました。政策名を答え、城下町にどのような変化を期待したのか説明しましょう。

  1. 変えた対象を探します。「座の特権」とあるため、土地調査や武器の回収ではなく、商工業のしくみの問題だと判断できます。
  2. 政策名を「楽市・楽座」とします。信長が進めた商業政策と対応するためです。
  3. 「商人が集まりやすくなり、取引が活発になって城下町が発展することを期待した」と書きます。政策の名前だけでは、なぜ行ったかの説明にならないためです。

座は営業上の特権を持っていました。新しく商売をしたい人にとって、その特権が参入の妨げになる場合があったのです。ただし、楽市・楽座を現代と同じ完全に自由な経済と考えるのは行き過ぎです。領主による支配のもとで、商業を育てる政策でした。

例題4 検地の記録から支配の変化を考える

田畑の面積や土地のよしあし、耕作者を調べ、収穫量を米の量に換算して記録したとします。この調査の名前と、秀吉がそれを進めた理由を答えましょう。

  1. 記録した項目を確かめます。面積、土地の状態、耕作者は、土地からどれほど年貢を取れるかを把握する手がかりだからです。
  2. 秀吉が進めた調査を「太閤検地」と答えます。収穫量を石高で表し、土地を共通の基準で捉える政策に対応します。
  3. 「土地の生産力と耕作者を把握し、年貢を確実に取り立てるため」と説明します。領地の広さだけでなく、支配の基礎を整える点を示すためです。

石高は面積そのものではありません。同じ広さの田でも、土地の状態によって見積もる収穫量は変わります。検地帳に耕作者を登録したことは、農民を土地に結びつけ、年貢を負担する者を明確にすることにもつながりました。

つまずきやすいところと直し方

伝来したものをすべて同じ人と結びつける

「ザビエルが鉄砲とキリスト教を一緒に伝えた」という覚え方は誤りです。どちらも海外から伝わりましたが、年も場所も異なります。「1543年・種子島・ポルトガル人・鉄砲」と「1549年・鹿児島・ザビエル・キリスト教」の2組に直します。紙を左右に分け、物と宗教を別々に書くと整理できます。

信長が全国統一を完成したと考える

「室町幕府を滅ぼしたので、その時点で信長が全国を統一した」という理解も違います。幕府の滅亡は、それまでの中央の政治のしくみが終わったことで、各地の大名すべてが従ったことではありません。図2に戻り、1573年の幕府滅亡、1582年の本能寺の変、1590年の秀吉による全国統一を区別します。政権を倒すことと、全国の大名を従えることは別の段階です。

刀狩だけで兵農分離が完成したと考える

「刀を取り上げれば、その場で全員の身分が固定された」という理解では、土地の調査との関係を見落とします。1588年の刀狩は農民から武器を取り上げ、一揆を防ぎ、農業に専念させるねらいを持っていました。太閤検地による耕作者の把握と合わせて考えると、武士と農民の区別を進めたことがわかります。

図3 太閤検地と刀狩が兵農分離につながる関係

図3のように、太閤検地は土地と耕作者、刀狩は武器に働きかける政策です。両者などによって、武士と農民の身分や生活の分離である兵農分離が進みました。刀狩の触書には、大仏をつくるために武器を使うという説明もありましたが、その説明だけで政策の働きを捉えることはできません。実際に誰の力を抑え、どのような支配につながるかまで考えます。

練習問題

練習1 宗教改革を進めた側と、カトリック側の布教組織を、「ルター・イエズス会」からそれぞれ選びましょう。

練習2 キリスト教の伝来、本能寺の変、鉄砲の伝来を古い順に並べ、最初と最後の間の年数も答えましょう。

練習3 「商工業者の座の特権を取り除く政策」と「田畑や耕作者を調査する政策」の名前を答え、それぞれ信長と秀吉のどちらに結びつくか書きましょう。

練習4 豪華な城や障壁画が見られ、千利休のわび茶も発達した文化の名前を答えましょう。また、太閤検地と刀狩によって進んだ武士と農民の分離を何というでしょうか。

答えと解説

練習1 宗教改革を進めた側はルター、カトリック側の組織はイエズス会です。同じキリスト教に関わる語でも、改革や布教の立場を区別します。

練習2 鉄砲の伝来、キリスト教の伝来、本能寺の変の順です。1582-1543=39年です。年表の並びだけでなく、年の差も確かめます。

練習3 楽市・楽座は信長、太閤検地は秀吉です。前者は商工業、後者は土地と耕作者に関わります。

練習4 桃山文化、兵農分離です。文化の特徴と支配の変化を、別の観点として整理します。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

次に学ぶ江戸幕府の成立では、全国統一や兵農分離を土台に、大名や人々をどう治めるかが問われます。また、海外との貿易を続けることと、キリスト教の広がりを警戒することの関係も重要になります。

家では5分で2つ確かめてみましょう。まず紙に1543年、1549年、1582年、1590年を書き、出来事を埋めます。次に、楽市・楽座、太閤検地、刀狩を1つずつ指して、「何を変えたか」を声に出します。保護者がお子さまと確かめる場合も、名前だけでなく変えた対象を聞くと、理解の位置が見えます。

個別指導では、検地の説明が止まれば、年貢とは何か、誰が耕すのかまで戻って確かめます。海外とのつながりで迷う場合は、貿易の品と布教する人を分けて図に置き直します。

まとめ

歴史の答案では、人物名が合っていても、政策の対象を取り違えると理由を説明できません。「商人が参加しやすくなる」「耕作者が記録される」「農民から武器を取り上げる」と、具体的な変化を添えてみましょう。文化についても、豪華な作品と簡素な茶の湯の両方を見れば、時代を1つの印象で決めつけずに済みます。

全国統一の理解は、勝った人物の名前から、土地と人と商いの変化へ目を移したところで深まります。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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