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【中学受験社会】戦後の日本を図解で総まとめ—占領と改革 憲法 独立 高度経済成長 現代|武蔵野個別指導塾

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戦後改革から石油危機以降までを、改革の関係図と年表で整理します。憲法の公布と施行、独立と国連加盟の違いを、年代順や記述の例題で確かめましょう。

よくあるのは、学校のテストの日の玄関で、靴をはきながら年表を見直したお子さまが、「日本国憲法は1946年、それとも1947年だったかな」と立ち止まる場面です。どちらの年も見覚えがあるため、片方を消して覚えようとすると、かえって混乱します。ここで必要なのは年号の覚え直しだけではありません。「公布された」「施行された」という、出来事の中身を表す言葉を読み分けることです。

戦後の歴史には、短い期間に政治の改革、外交関係の変化、産業や生活の変化が重なっています。すべてを同じ種類の出来事として並べると、どれがどれにつながるのか見えにくくなります。まずは変化の対象を分け、その後で年表に戻しましょう。

この単元では、年号と用語を組み合わせ、変化の前後を説明する練習をします。「何年か」に答えるだけでなく、「何が変わったか」「なぜ次の変化が起こったか」まで言葉にすると、用語問題にも記述問題にも取り組みやすくなります。

この単元で身につけること

前の単元で学ぶ戦時中の政治や暮らしと比べると、戦後改革で何が変わったかがはっきりします。また、地理で学ぶ工業や資源の輸入は、高度経済成長と石油危機を理解する土台になります。

基本の考え方

占領下の改革は「何を変えたか」で整理します

1945年、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏し、連合国軍による占領が始まりました。占領政策を進めたのが、連合国軍最高司令官総司令部、GHQです。最高司令官を務めたマッカーサーの名も、GHQと組み合わせて押さえます。日本政府は存続し、GHQの指令のもとで政策を実施しました。GHQを日本の政党や国会の名前と取り違えないようにしましょう。

占領の初めには、非軍事化と民主化が進められました。非軍事化は軍事力や戦争を進める体制を取り除くこと、民主化は人々が政治や社会に参加する仕組みを広げることです。ただし、「民主化」という言葉だけでは個々の改革の内容を答えられません。政治、経済、農村、教育という対象に分けて理解します。

農地改革では、政府が地主の農地を買い上げ、小作農に売り渡しました。小作農は、地主から土地を借り、小作料を納めて耕作する農民です。改革によって自分の農地を耕す自作農が増えました。「農民に土地を貸した」と書くと、改革前と何が違うのかわからなくなります。土地を持つ人が変わったことが中心です。

財閥解体は、少数の財閥に集中していた経済力を分散させるために進められました。財閥とは、多くの企業を支配し、大きな経済力を持っていた企業集団です。これはすべての工場を閉鎖する政策ではありません。農地改革と財閥解体はどちらも経済に関係しますが、農地の所有と企業の支配という対象の違いがあります。

政治の面では女性の参政権が認められ、1946年の衆議院議員総選挙では女性が初めて投票し、女性議員も誕生しました。働く人々には労働組合をつくることなどが認められ、労働者の権利を守る制度が整えられました。教育の面では1947年に教育基本法などが制定され、6・3制のもとで、小学校6年間と中学校3年間の義務教育が始まりました。

図1のように、改革名の横に変化した対象を置くと、説明文から政策名を選びやすくなります。この図の矢印は年の順番ではなく、それぞれの改革や制度による変化を示しています。

図1 戦後の改革と制度が変えた対象を対応させる関係図

図1の左側を隠して右側だけを読み、「自作農が増加したのは何という改革か」と問い直してみましょう。政策名から説明する練習と、説明から政策名を取り出す練習の両方ができると、問題文の表現が変わっても対応できます。

憲法と独立は動詞まで含めて覚えます

日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。公布は国民に広く知らせること、施行は実際に効力を持ち始めることです。学校の新しい決まりを前もって知らせ、後日から使い始める場合を考えると、知らせる日と始まる日が違うことを理解しやすくなります。

3つの基本原則のうち、国民主権は国の政治のあり方を最終的に決める権力が国民にあるという原則です。天皇は日本国および日本国民統合の象徴とされました。大日本帝国憲法のもとでの天皇の位置づけと比べ、政治の仕組みの変化を押さえましょう。

基本的人権の尊重は、人が生まれながらに持つ権利を大切にすることです。平和主義は、戦争の放棄などを定めた原則です。歴史の問題では3つの原則を答え、公民の問題ではそれぞれが具体的な制度や権利にどう関係するかを考えます。3語は別々の単語でありながら、戦後の政治の土台を形づくっています。

一方、戦後の世界ではアメリカを中心とする陣営とソ連を中心とする陣営の対立が深まりました。この対立を冷戦といいます。冷戦は、両国が直接全面的な戦争をしたという意味ではありません。しかし、世界の各地では戦争や紛争が起きました。1950年に始まった朝鮮戦争も、この時期の日本を考えるうえで欠かせません。

朝鮮戦争では、日本で物資やサービスの注文が増え、経済の復興を後押ししました。これを特需といいます。戦争が起きた場所は朝鮮半島であり、日本で戦争が始まったわけではありません。「どこで起きた出来事か」と「日本にどのような影響があったか」を分けて説明します。冷戦が進む中で占領政策も変化し、日本の経済復興が重視されるようになりました。

1951年、日本はサンフランシスコ平和条約に調印しました。このときの首相は吉田茂です。条約が発効した1952年に日本は独立を回復しました。ただし、沖縄などでは引き続きアメリカの統治が続きました。独立の回復を「その日にすべての地域の施政権が日本へ戻った」と理解するのは誤りです。

1951年には日米安全保障条約にも調印しました。平和条約は日本と調印した連合国との戦争状態を終わらせ、独立回復につながる条約です。日米安全保障条約は、日本の安全保障とアメリカ軍の駐留に関係する条約です。同じ年の調印でも役割は違います。日米安全保障条約は1960年に改定され、その際には大きな反対運動が起こりました。

1956年には日ソ共同宣言によってソ連との国交が回復し、同じ年に日本は国際連合に加盟しました。国連加盟を独立回復と同じ出来事にしないことが大切です。国際連合そのものが発足したのは1945年で、日本の加盟よりも前です。

経済成長は便利さと課題の両方を見ます

1950年代半ばから1970年代初めにかけて、日本経済は急速に成長しました。この時期を高度経済成長期といいます。工場の設備が充実し、鉄鋼、石油化学、自動車などの工業が発達しました。沿岸部の工業地帯や工業地域を結ぶ太平洋ベルトは、地理の内容とつながる重要な言葉です。

家庭では白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、普及しました。電化製品が広がると、家事のやり方や情報の受け取り方も変わります。1964年には東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催されました。これらは経済成長期の日本を示す出来事ですが、オリンピックだけが成長の原因だったと考えてはいけません。

その一方で、工場排水や大気汚染などによる公害が深刻になりました。水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくは四大公害病と呼ばれます。経済が成長したという事実と、健康被害が生じたという事実は、同じ時期に起こっています。工業生産が増えたからすべての人の暮らしが同じようによくなった、と結論づけることはできません。

働く場を求める人々が都市へ集まり、人口が過度に集中する過密と、地方で人口が減る過疎の問題も生じました。公害への対策として1967年には公害対策基本法が制定され、1971年には環境庁が設置されました。暮らしの変化を問う問題では、便利になった面と、対策が必要になった面を組み合わせて答えます。

1972年には沖縄が日本に復帰しました。同じ年、日中共同声明によって中国との国交が正常化しました。さらに1978年には日中平和友好条約が結ばれました。「日ソ共同宣言」「日中共同声明」「日中平和友好条約」は名称が似ているため、相手国と年を一緒に整理します。

1973年の第1次石油危機では、中東で起きた第4次中東戦争を背景に原油価格が大幅に上昇しました。石油を多く輸入していた日本では、生産や輸送に必要な費用が増え、物価が上がりました。高度経済成長が終わる転機となり、その後、省エネルギーや省資源の取り組みが進みました。

1980年代後半には土地や株式の価格が大きく上がるバブル経済が起こり、1990年代初めに崩壊しました。土地や株式の価格の上昇と、製品の生産が増えることは同じではありません。高度経済成長とバブル経済は、時期も特徴も区別します。

現代につながる変化としては、少子高齢化、情報化、経済の国際化があります。働く人の数や社会保障、情報の扱い方、外国との結びつきが課題になります。1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災を踏まえた防災や復興も、社会を考える重要なテーマです。出来事の名を覚えた後は、それが人口、産業、生活、安全のどれと関係するかを確かめましょう。

例題で解き方を確かめる

例題1 説明文から戦後改革を選びます

問題です。「政府が地主の農地を買い上げ、小作農に売り渡した改革」を、ア:財閥解体、イ:農地改革、ウ:教育改革から選びなさい。また、この改革によって増えた農民を何と呼ぶか答えなさい。

  1. 説明文の中から対象を表す言葉を探します。「地主」「農地」「小作農」があるので、企業や学校ではなく、農村の土地に関係する問題だと判断できます。
  2. 改革の前後を比べます。土地を借りていた農民が土地を買って自分のものにするので、借り方だけが変わったのではないとわかります。
  3. 選択肢と用語を決めます。農地に関する改革だからイを選び、自分の農地を耕す農民を自作農と答えます。選択肢の記号と用語の両方が求められている点も確認します。

答え:イの農地改革。増えた農民は自作農です。

例題2 憲法の2つの日付を区別します

問題です。日本国憲法が公布された年月日と施行された年月日を答えなさい。また、「国の政治のあり方を最終的に決める権力が国民にある」という基本原則を答えなさい。

  1. 問われた動詞に注目します。公布と施行を区別しないまま年号を選ぶと、2つの日付を入れ替えやすくなるからです。
  2. 先に知らせ、その後に効力を持つという順番を確認します。1946年11月3日が公布、翌年の1947年5月3日が施行です。日付は月日までまとまりで覚えます。
  3. 原則の説明の中心を取り出します。「最終的に決める権力」「国民」という言葉が、国民主権を示しています。人権を守る話や戦争を放棄する話との違いを見ます。

答え:公布は1946年11月3日、施行は1947年5月3日、基本原則は国民主権です。

例題3 年表から順序と間隔を読み取ります

問題です。図2を見て、ア:東京オリンピック、イ:日本の国連加盟、ウ:平和条約の発効、エ:第1次石油危機を古い順に並べなさい。また、平和条約が発効した年から国連に加盟した年までの年数を求めなさい。月日の違いは考えず、年の差で答えます。

図2の小目盛りは1年ごとの等間隔で、5年ごとに長い目盛りと年号が示されています。点から伸びた線が出来事のラベルにつながっているので、文字の置かれた場所ではなく、横軸上の点を見て読み取ります。

図2 独立回復から石油危機までの出来事を示す等間隔年表
  1. 図2の横軸を確かめます。左ほど古く右ほど新しいので、出来事の点を左からたどると順序が決まります。文字が上にあるか下にあるかは年代の前後と関係しません。
  2. 点の年を読みます。平和条約発効は1952年、国連加盟は1956年、東京オリンピックは1964年、石油危機は1973年です。したがって記号はウ、イ、ア、エの順です。
  3. 年数は1956 − 1952 = 4と求めます。両端の年も数える方法では、経過した年数と違う答えになるため、ここでは新しい年から古い年を引きます。

答え:ウ→イ→ア→エ。年の差は4年です。

この例題では1951年という数字を使いません。1951年は平和条約に調印した年であり、問題が尋ねているのは発効した年だからです。「平和条約」という名詞だけで反応せず、すぐ後ろの動詞まで読むことが正答につながります。

例題4 石油危機の影響を理由つきで書きます

問題です。「日本は工場の燃料や輸送などに使う石油の多くを輸入に頼っていた。1973年、原油価格が大幅に上昇した」という説明をもとに、日本で物価が上がった理由を「輸入」「費用」の2語を使って説明しなさい。

  1. 原因と結果を分けます。原因は原油価格の上昇で、説明すべき結果は日本の物価上昇です。結果だけを「石油危機になったから」と言い換えても、理由を説明したことにはなりません。
  2. 原因と結果の間を補います。輸入する石油が高くなると、工場で製品をつくる費用やトラックなどで運ぶ費用が増えます。その増加が商品の価格に及ぶと考えます。
  3. 指定された2語を含めて文にします。日本が石油を輸入に頼っていたことと、生産や輸送の費用が増えたことの両方を書くと、つながりが明確になります。

答え:輸入に頼る石油の価格が上がり、製品の生産や輸送にかかる費用が増えたためです。

「石油が高くなったため」だけでも原因の一部は示せますが、日本の暮らしへの影響が途中で抜けています。記述では、原因と結果を結ぶ仕組みを1つ入れると、説明が具体的になります。指定語句を入れただけで満足せず、文全体に因果関係があるかを読み直しましょう。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 公布と施行を同じ出来事にします

誤った書き方:「日本国憲法は1946年に施行された」。どこが違うかというと、1946年は公布の年で、実際に効力を持ち始めた施行の年ではありません。「憲法は1946年」という組み合わせだけで覚えていると、動詞の違いに気づきにくくなります。

正しい書き方:「日本国憲法は1946年に公布され、1947年に施行された」。直すときは、1946年の下に「知らせる」、1947年の下に「効力を持ち始める」と添えます。その後で11月3日と5月3日を加えれば、年と月日と意味が結びつきます。

誤り2 独立回復と国連加盟を一度に起きたことにします

誤った書き方:「1951年に日本は独立し、国際連合に加盟した」。どこが違うかというと、調印、発効、加盟という3つの動きが混ざっています。1951年に行われたのは平和条約への調印です。国連加盟は、それより後の1956年です。

正しい書き方:「1951年に平和条約に調印し、1952年の発効で独立を回復し、1956年に国連へ加盟した」。それぞれを別のカードに書き、動詞を隠さずに並べます。さらに、1952年には沖縄の施政権は日本へ戻っていなかったことを確認すると、1972年の沖縄復帰も正しい位置に置けます。

誤り3 石油危機を日本の産油量の減少と説明します

誤った書き方:「日本の油田から石油が取れなくなったので、石油危機が起きた」。どこが違うかというと、国内の産油量の変化に原因を置いている点です。日本は石油の多くを輸入に頼っていたため、原油価格の上昇が国内の経済に大きく影響しました。

正しい書き方:「原油価格の上昇で、石油を輸入に頼る日本では生産や輸送の費用が増え、物価が上がった」。図3のように、海外の資源価格の変化が、国内の工場や運輸を通じて生活へ及ぶ順序をたどると説明しやすくなります。

図3 原油価格の上昇が物価と省エネルギーへつながる流れ

図3の最後の省エネは、省エネルギーの略です。石油を少なく使って生産する工夫や、エネルギーをむだにしない製品の開発は、石油危機への対応と関係します。ただし、省エネルギーだけで資源輸入が不要になったわけではありません。課題に対してどんな工夫が進んだのか、という形で押さえます。

ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ

練習問題

練習1

次の説明に当てはまる語句を答えなさい。ア:政府が地主の農地を買い上げ、小作農へ売り渡した改革。イ:少数の企業集団に集中していた経済力を分散させるために進めた政策。ウ:1946年の衆議院議員総選挙で初めて投票した人々を、男女の区別に着目して答えます。

練習2

次の出来事を古い順に並べなさい。ア:日本国憲法の施行。イ:沖縄の日本復帰。ウ:サンフランシスコ平和条約への調印。エ:日ソ共同宣言と日本の国連加盟。また、ウの翌年に、平和条約の発効によって日本が回復したものを答えなさい。

練習3

白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の普及が進んだ1950年代半ばから1970年代初めまでの経済の動きを何と呼びますか。また、この時期の社会の問題を、公害以外で1つ挙げなさい。最後に、東京オリンピックが開かれた1964年から第1次石油危機の1973年までの年の差を求めなさい。

練習4

「石油の多くを輸入に頼る日本では、原油価格の上昇が生活に影響した」という説明について、その仕組みを「生産」「輸送」「物価」の3語を使って書きなさい。また、石油危機の後に進んだ、エネルギーの使用量を減らす取り組みを何と呼ぶか答えなさい。

答えと解説

練習1の答え:アは農地改革、イは財閥解体、ウは女性です。アは土地の所有、イは企業の支配という対象で区別します。ウはすべての人が1946年から投票できたという意味ではなく、女性が初めて参加したことを尋ねています。

練習2の答え:ア→ウ→エ→イ。回復したものは独立です。アは1947年、ウは1951年、エは1956年、イは1972年です。ウの翌年は1952年で、平和条約の発効と独立回復を組み合わせます。出来事を並べる答えには、問われていない1952年の出来事を追加しません。

練習3の答え:高度経済成長。問題の例は都市の過密。年の差は9年です。地方の過疎も正しい例になります。公害を除くという条件を読み落とさず、人口の移動に目を向けます。年の差は1973 − 1964 = 9と求めます。

練習4の答え:石油の価格上昇で生産や輸送の費用が増え、その影響で物価が上がったためです。取り組みは省エネルギーです。物価は、さまざまな商品やサービスの価格をまとめてとらえたものです。石油だけの値段を答えるのではなく、生活に必要な物の価格へ影響が広がることを説明します。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

戦後史を学ぶと、次に学ぶ公民の制度が「いつ、どのような社会の変化の中で整えられたか」を考えられます。国民主権は選挙と国会、基本的人権の尊重は暮らしの中の権利、平和主義は日本と国際社会の関係につながります。公民で制度の仕組みを学ぶ際に、歴史の年表を横に置くと理解を深められます。

家庭での確かめ方の1つ目は、5分で「年・出来事・動詞」のカードを対応させることです。1946年と1947年、1951年と1952年を用意し、お子さまに「公布」「施行」「調印」「発効」を置いてもらいます。間違えたら年を何度も言わせるのではなく、動詞の意味を短く説明してもらいましょう。

2つ目は、5分で身近な品物から戦後の変化を1本の文にすることです。冷蔵庫なら電化製品の普及、自動車なら工業の発展や石油との関係へつなげます。「便利になった」で終わったら、それに伴う課題や必要な資源も1つ加えてもらいます。

個別指導では、年号の誤りに見えても、まず公布と施行の意味、地主と小作農の関係まで戻って確かめます。原因を説明できない場合は、原油価格から生産費用、商品価格へと進む途中のつながりを、短い文で組み立て直します。

まとめ

玄関で2つの年号に迷ったとき、「両方とも正しく、動詞が違う」と気づければ、年表は暗記した数字の列から説明に使える道具へ変わります。独立と国連加盟を分け、経済成長の中に生活の便利さと社会の課題を同時に見つけることも、同じ読み方の積み重ねです。

「1952年」とだけ答えたら、そこで一度、「何が起きた年か」を続けてみましょう。戦後史の理解は、年号の後ろに置く動詞と、変化の理由に表れます。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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