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【中学受験社会】明治時代を図解で総まとめ—維新の改革 自由民権 憲法 日清 日露 条約改正|武蔵野個別指導塾

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廃藩置県から条約改正までを、改革の関係図と年表で整理します。地租の計算、年代順、戦争と講和条約の記述問題を通じて、用語を理由と結びつけて確かめられます。

よくあるのは、塾の自習室の白板の前で「学制、徴兵令、地租改正」と書けたのに、「政府は何のために行ったのですか」と聞かれると、手が止まるという場面です。明治時代は覚える言葉が急に増えます。名前だけを横に並べていると、政治、暮らし、戦争、外交がばらばらに見えてしまいます。

そこで、最初に「全国をまとめる」「国の力を整える」「政治への参加を求める」「外国との関係を変える」という動きに分けます。制度を説明するときは、誰が、何を、どう変えたかを一緒に確かめます。明治の人々全員に同じ変化が同じ速さで起きたわけではないことも、読み取りの大切な視点です。

お子さまが年号を覚えていても記述で迷う場合は、出来事の前と後を比べてみてください。廃藩置県なら地方を治める仕組み、地租改正なら税の納め方が変わります。この違いを短い文にできると、用語問題だけでなく、年表や資料を使う問題にも取り組みやすくなります。

この単元で身につけること

前の単元で学んだ江戸幕府の仕組みと開国を思い出すと、明治政府が何を引き継ぎ、何を変えようとしたかが見えてきます。公民で学ぶ国会や選挙も、当時と現在を区別して理解するための手がかりになります。

基本の考え方

明治維新の改革は何を変えたのか

1867年の大政奉還で、徳川慶喜は政権を朝廷に返しました。その後の王政復古の大号令や戊辰戦争を経て、新政府による政治が進みます。幕府が終わった瞬間に、新しい制度がすべてそろったわけではありません。政治や社会の仕組みが大きく変わる一連の動きを、明治維新と呼びます。

1868年には五箇条の御誓文が示され、広く意見を聞くことや、外国に知識を求めることなど、新しい政治の方針が掲げられました。ただし、広く意見を聞くという方針と、すべての人が選挙で政治に参加できる仕組みとは同じではありません。方針と実際の制度を分けて読むことが必要です。

1869年の版籍奉還では、藩主が土地と人民を朝廷に返しました。しかし、旧藩主の多くが知藩事となり、地方の統治を続けました。これに対して、1871年の廃藩置県では藩を廃止して府や県を置き、政府が任命して派遣する役人が地方を治める仕組みに変えました。中央政府が全国を直接まとめる中央集権の政治へと進んだのです。

新政府は、欧米の国々に対抗できる国力を整えるため、富国強兵を目指しました。富国は国を豊かにすること、強兵は軍隊を強くすることです。図1のように、教育・軍事・税・産業を関連づけて見ると、改革の目的と個々の制度を整理できます。矢印は制度が向けられた分野を示し、実施の順序や効果の大きさを示すものではありません。

図1 明治政府が進めた国づくりと四つの改革の関係

1872年の学制は、全国に学校を設けるための制度です。身分や男女の違いにかかわらず教育を広めようとしましたが、当初は授業料や家の仕事の事情などから、すべての子どもがすぐに通学できたわけではありません。「制度をつくった」と「全員に行き渡った」を区別すると、改革の説明が正確になります。

1873年の徴兵令では、原則として満20歳の男子に兵役の義務を課しました。武士を中心とする軍事の仕組みから、政府が全国から兵士を集める仕組みへ移る改革です。当初は免除の規定もあったので、「満20歳の男子全員が必ず入隊した」とは書きません。年齢だけでなく、「原則として」という条件も含めて理解します。

同じ1873年に始まった地租改正では、土地の所有者を明らかにし、地価をもとに税を定めました。当初の税率は地価の3%で、土地の所有者が現金で納めました。江戸時代の年貢を主に米で納める仕組みと比べ、納めるもの、計算の基準、納税者を区別するのが要点です。政府には収穫の増減に左右されにくい現金収入が入りますが、農民には不作でも決まった額を納める負担があり、反対運動も起こりました。税率は1877年に2.5%へ引き下げられました。

暮らしと産業はどのように変わったのか

西洋の文化や生活様式が取り入れられ、社会の様子が変わっていくことを文明開化といいます。洋服、れんが造りの建物、ガス灯、新聞などが代表例です。1872年には新橋と横浜の間で鉄道が開通しました。人や物の移動が変わることは、見た目の変化だけでなく、商売や情報の伝わり方にも関係します。

一方、殖産興業は、政府が産業を育てようとする政策です。外国の技術や機械を取り入れ、模範となる官営工場を設けました。1872年に操業を始めた富岡製糸場は、その代表です。製糸は、かいこがつくるまゆから生糸をとる仕事です。綿から糸をつくる紡績とは原料が違うので、「製糸はまゆ、紡績は綿」と対にして整理します。

その後は民間企業による生産も発展し、生糸や綿糸などの繊維産業が重要になりました。さらに、1901年には官営八幡製鉄所が操業を開始し、鉄鋼業の発展も進みます。産業の発展の一方で、労働条件の問題や鉱山による公害も生じました。足尾銅山鉱毒事件では、渡良瀬川流域の農業などに被害が出て、田中正造が解決を求めました。生産が増えた事実と、人々の暮らしへの影響の両方を読む必要があります。

身分の面では、江戸時代の身分制度が改められ、四民平等が掲げられました。ただし、華族・士族・平民という区別は残りました。1871年の解放令で、それまで差別されていた人々の身分や職業に関する制限が廃止されても、社会的な差別まで直ちになくなったわけではありません。制度上の変更と、生活の中の実態を分けて説明しましょう。

政治への参加と外国との関係を分けてつなぐ

政府の中心となった一部の藩の出身者が政治を進めるなか、国会を開き、人々の意見を政治に反映させることを求める自由民権運動が広がりました。1874年に板垣退助らが民撰議院設立の建白書を出したことは、重要な出発点です。政府に不満を持つ動きには、武力による士族の反乱もありました。1877年の西南戦争は西郷隆盛を中心とする士族と政府軍の戦いで、外国との戦争ではありません。

1881年に国会開設の勅諭が出され、1890年の国会開設が約束されました。政党もつくられ、板垣退助を中心とする自由党、大隈重信を中心とする立憲改進党が活動しました。伊藤博文らはヨーロッパの憲法を調べ、ドイツの制度を参考に憲法の準備を進めました。1885年には内閣制度ができ、伊藤博文が初代内閣総理大臣となりました。

1889年に発布された大日本帝国憲法は、天皇に主権がある憲法です。国民の権利は法律の範囲内で認められ、1890年には帝国議会が開かれました。帝国議会は貴族院と衆議院からなり、初めの衆議院議員選挙で選挙権を持ったのは、直接国税を15円以上納める満25歳以上の男子でした。「国会が開かれたから、全員が投票できた」という説明にはなりません。

外交では、開国の際に結んだ不平等条約の改正が課題でした。外国人が日本で起こした事件を、その国の領事などが裁判する領事裁判権が認められ、日本には関税自主権がありませんでした。領事裁判権は裁判の問題、関税自主権は輸入品などにかける関税を自国で決める権利の問題です。名前の響きではなく、何についての権利なのかを区別します。

1894年には外務大臣の陸奥宗光のもとで、イギリスと領事裁判権の撤廃などを定めた条約を結びました。撤廃が実施されたのは1899年です。1911年には小村寿太郎のもとで関税自主権が完全に回復しました。条約改正は、国内の法制度の整備や国際関係の変化を背景に、段階を踏んで進みました。

日清戦争は1894年に始まり、朝鮮をめぐって日本と清が対立した戦争です。1895年の下関条約で、清は朝鮮の独立を認め、日本へ台湾・澎湖諸島・遼東半島を割譲し、賠償金を支払うことになりました。ただし、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉によって、日本は遼東半島を清に返還しました。条約で得たものと、その後に返したものを分けて覚えます。

日露戦争は1904年に始まり、満州や韓国をめぐる日本とロシアの対立が背景にありました。1902年の日英同盟は、この戦争より前の出来事です。1905年のポーツマス条約では、日本は南樺太や南満州鉄道に関する権益などを得ましたが、賠償金は得られませんでした。ロシアは韓国に対する日本の優越権を認め、その後、日本は1910年に韓国を併合しました。戦争の勝敗だけでなく、条約の具体的な内容と、その後の関係の変化を押さえます。

例題で解き方を確かめる

例題1 説明から改革名を選ぶ

問題です。次の説明に当てはまる改革名を答えましょう。「それまでの藩を廃止し、府や県を置いた。中央政府が任命して派遣する役人が地方を治めるようになった。」候補は、版籍奉還・廃藩置県・地租改正です。

  1. 変わった対象を見つけます。この文の中心は地方を治める仕組みであり、税の納め方ではないので、地租改正を候補から外します。
  2. 版籍奉還との違いを確かめます。「土地と人民を返す」だけでなく、「藩を廃止する」とあるため、地方の仕組みをさらに変えた段階だと判断できます。
  3. 決め手になる表現と用語を結びます。「藩を廃止して府や県を置く」が廃藩置県そのものの説明なので、関連する用語というだけで選ぶ誤りを防げます。

答え:廃藩置県。

この問題で版籍奉還を選んだ場合、年号を何度も書く前に、旧藩主が引き続き地方を治めた段階と、中央から役人を送る段階を比べます。「政府の力が強くなった」という大きな共通点だけでは、二つを区別できません。設問が求める細かさに合わせて、制度の違いまで読むことが必要です。

例題2 地租の額と負担を考える

問題です。地価200円の土地について、地租改正当初の税率3%で納める年額と、税率が2.5%になった後の年額を求めましょう。また、収穫が減っても地価と税率が変わらない場合、地租は自動的に減るか答えましょう。ここでは、示された地価と税率だけで計算します。

  1. 割合をかけるもとの量を確認します。地租は収穫した米の量や売上ではなく地価をもとにするため、計算に使うのは200円です。
  2. 百分率を小数に直します。3%は0.03、2.5%は0.025なので、200 × 0.03 = 6、200 × 0.025 = 5と計算できます。
  3. 計算結果と制度を結びます。地価と税率が同じなら計算結果も同じなので、不作になったという理由だけで税額が自動的に減ることはありません。

答え:当初は年6円、引き下げ後は年5円で、収穫が減っても地租は自動的には減りません。

ここで確かめたいのは小数の計算だけではありません。政府にとっては税収を見込みやすくても、納める側にとっては不作のときの負担が重くなり得ます。同じ制度を政府と農民の両方の立場から説明できると、「地租改正の目的」と「反対運動が起こった理由」を書き分けられます。

例題3 自由民権運動と憲法を年代順に並べる

問題です。ア「大日本帝国憲法の発布」、イ「民撰議院設立の建白書」、ウ「帝国議会の開会」、エ「国会開設の勅諭」を、古い順に並べましょう。図2を使い、出来事の順序だけでなく間隔も確かめます。

図2 国会を求める動きから憲法発布と議会開会への年表

図2の横軸は1年につき同じ長さです。年の数字の間隔が狭い部分では、出来事も短い期間に続いています。ラベルの上下は読みやすく配置したもので、出来事の重要さや政治上の上下関係を表してはいません。

  1. 国会を求める行動を探します。イは1874年の建白書で、まだ国会が開かれる前の要求を表すため、最初に置きます。
  2. 約束・規則・実施を区別します。エの1881年の勅諭で開設を約束し、アの1889年の憲法発布で国の基本の仕組みを示し、ウの1890年に議会が開かれます。
  3. 年表の点を左から読み直します。求める動きから開会まで16年あり、要求が出た直後に議会が開いたわけではないことまで確認できます。

答え:イ → エ → ア → ウ。

年号が一つ思い出せなくても、「求める」「約束する」「仕組みを定める」「実際に開く」という動詞の順序が助けになります。ただし、歴史の出来事をすべて同じ型に当てはめることはできません。この問題では実際の年号と順序が一致することを確認しながら使います。

例題4 二つの講和条約の違いを記述する

問題です。「下関条約でもポーツマス条約でも、日本は賠償金を得た」という説明を直し、二つの条約の違いが伝わる1文にしましょう。さらに、ポーツマス条約の結果として日本が得た領土を一つ答えましょう。

  1. 条約と戦争を対応させます。下関条約は日清戦争、ポーツマス条約は日露戦争の講和条約なので、どの戦争の結果を比べるかがはっきりします。
  2. 比べる項目をそろえます。この問題は賠償金の有無を聞いているので、領土だけを列挙しても説明の誤りを直したことにはなりません。
  3. 違いが見える文にまとめます。「下関条約では得たが、ポーツマス条約では得なかった」と書き分け、領土の問いには南樺太と答えます。

答え:日本は下関条約では賠償金を得ましたが、ポーツマス条約では得られませんでした。得た領土は南樺太です。

「戦争に勝ったなら、必ず賠償金が出るはず」と推測せず、条約の内容を事実として確かめます。ポーツマス条約では樺太全体を得たわけではないので、「南」を落とさないことも必要です。記述では、知っている事実を多く書くより、質問された比較項目をそろえることが答えの正確さにつながります。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 地租を収穫量にかけてしまう

誤った書き方は「地租改正で、収穫した米の3%を納めるようになった」です。どこが違うかというと、計算の基準と納めるものの両方が違います。正しい書き方は「土地の所有者が、地価の3%を現金で納めるようになった」です。当初の制度についての説明だとわかるようにし、後の2.5%への変更とは分けます。

直すときは、紙を「誰が」「何をもとに」「何で」の3列に分け、所有者・地価・現金を入れてみてください。「地租改正」という言葉の横に3%だけを書き足しても、この誤りは見つけにくいままです。税率だけを正しく覚えていても、基準が違えば答えは変わります。

誤り2 憲法ができたので全国民が投票できたとする

誤った書き方は「大日本帝国憲法ができ、日本のすべての大人が選挙で政治に参加した」です。どこが違うかというと、憲法発布と選挙権の範囲を一つにしている点です。正しい書き方は「帝国議会が開かれたが、初めの衆議院議員選挙の選挙権は、納税額・年齢・性別の条件を満たす人に限られていた」です。

当時の条件を問われたら、直接国税15円以上、満25歳以上、男子の三つを答えます。また、大日本帝国憲法は天皇主権で、現在の日本国憲法の国民主権とは異なります。似た名称に引っ張られたときは、誰が主権を持つのか、誰が投票できるのかを別々に確かめましょう。

誤り3 条約改正を一度の出来事だと思う

誤った書き方は「1894年に領事裁判権がなくなり、関税自主権も完全に回復した」です。どこが違うかというと、条約を結んだ年と実施の年を混ぜ、別の権利の回復まで同時にした点です。正しい書き方は「1894年に領事裁判権撤廃を定める条約を結び、1899年に撤廃が実施され、1911年に関税自主権が完全に回復した」です。

図3 領事裁判権撤廃と関税自主権回復を分ける整理図

図3のように、裁判と関税を上下の段に分けると、何が変わったかを読み違えにくくなります。上段の矢印は条約締結から実施への流れで、横の長さは年数の比を表していません。下段は別の権利が完全に回復した段階です。陸奥宗光と小村寿太郎を覚えるときも、名前だけを並べず、担当した改正内容と年を結びつけます。

また、1894年には日清戦争も始まりますが、領事裁判権の撤廃を定めたイギリスとの条約締結は開戦前です。「日清戦争に勝ったから、その後1894年に条約を結んだ」と順序を逆にしないようにします。同じ年の出来事は、年号だけでは前後関係を十分に説明できない場合があります。

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練習問題

練習1 説明と用語を対応させる

次のア〜ウに当てはまる用語を、学制・徴兵令・殖産興業から選びましょう。同じ用語は1回ずつ使います。ア「全国に学校を設け、教育を広める制度」、イ「原則として満20歳の男子に兵役の義務を課す制度」、ウ「政府が工場を設けるなどして産業を育てる政策」です。変わる対象に注目して答えましょう。

練習2 税額と政府側の目的を確かめる

地価400円の土地について、地租改正当初の税率3%で納める地租の年額を求めましょう。また、地価と税率をもとに現金で納める制度が、政府の収入を見込みやすくする理由を短く書きましょう。収穫量そのものを計算の基準にしていない点を使います。

練習3 外交の出来事を古い順に並べる

ア「ポーツマス条約」、イ「関税自主権の完全回復」、ウ「下関条約」、エ「日英同盟」を古い順に並べましょう。まず戦争と講和条約を組にしてから、同盟を結んだ時期と条約改正の時期を入れると、整理しやすくなります。

練習4 説明の誤りを二つ直す

「下関条約で日本が得た遼東半島は、三国干渉後も日本の領土として残った。ポーツマス条約では日本が樺太全体を得た。」この説明の二つの誤りを、それぞれ正しい内容に直しましょう。最初の条約の内容と後の変更、島全体と一部という範囲の違いに注目します。

答えと解説

練習1の答えは、アが学制、イが徴兵令、ウが殖産興業です。教育・軍事・産業という対象をそろえて比べると区別できます。三つとも富国強兵に関係しますが、そのことだけでは個々の用語は決まりません。

練習2の答えは年12円です。400 × 0.03 = 12で求めます。理由の例は「地価と税率が同じなら、収穫の増減にかかわらず一定の現金収入を得られるから」です。農民の収入まで一定になったという意味ではないことに注意します。

練習3の答えはウ → エ → ア → イです。下関条約が1895年、日英同盟が1902年、ポーツマス条約が1905年、関税自主権の完全回復が1911年です。日英同盟は日露戦争が始まる前に結ばれました。

練習4の答えは「日本は三国干渉によって遼東半島を清に返還した」「ポーツマス条約で日本が得たのは南樺太だった」です。地名が合っていても、返還の有無や範囲が違えば、歴史の説明としては別の内容になります。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

明治時代の後は、政治への参加を求める動きがどう広がったか、産業や外国との関係がどう変化したかを追います。大正時代の政治を学ぶときは、明治初めの衆議院議員選挙に条件があったことが出発点になります。公民では、二つの憲法の主権や権利の定め方を比べる際に、ここで学んだ区別を使います。

家庭での1つ目の確かめ方は、5分で「改革名」「変えた対象」「政府の目的」を3組書くことです。廃藩置県なら地方統治、地租改正なら税、徴兵令なら軍隊と対応させます。保護者の方は、名前が出た後に「何が変わったのですか」と尋ね、お子さまの説明に主語と対象があるかを聞いてみてください。

2つ目は、別の5分で、下関条約とポーツマス条約を紙の左右に書き、戦争名・相手国・賠償金の有無を入れる方法です。空欄があったら、全部を暗唱し直すのではなく、その比較項目だけを本文に戻って確かめます。個別指導でも、地租の割合で止まれば「もとにする量」まで、廃藩置県で止まれば幕府と藩の関係まで戻って確認します。

まとめ

白板に並んだ用語の横に、「誰が何を変えたか」を添えると、明治時代は出来事のつながりとして読めます。順序を問う問題では前後関係を、記述では比べる対象をそろえましょう。制度ができた年だけでなく、実施された時期や、制度が人々の生活に及ぼした影響まで区別できれば、短い答えにも根拠が生まれます。

明治の国づくりは、政府が整えた制度と、それを生きた人々の暮らしの両方から読み解けます。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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