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【中学歴史】室町時代を図解で総まとめ—南北朝・日明貿易・応仁の乱と戦国大名|武蔵野個別指導塾

南北朝から戦国大名への流れを年表でたどり、勘合の役割や惣と一揆の違いを例題で確かめます。金閣と銀閣を手がかりに、政治・交易・文化を結びつけて学べる解説です。
よくあるのは、祖父母の家の客間で旅行の写真を見ながら、金閣と銀閣は区別できるのに、「どちらも室町時代なのに、なぜ政治の様子が違うのだろう」と手が止まる場面です。足利尊氏・義満・義政の名前を覚えても、南北朝や応仁の乱と結びつかなければ、写真の建物と歴史の流れが別々になってしまいます。
室町時代をつかむ入口は、「誰が地域を動かしていたか」という問いです。将軍だけでなく、守護、村の農民、町の商工業者も力を持ちました。海の向こうとの交易や、村の共同作業に目を向けると、政治の変化が暮らしとつながってきます。
まず幕府が成立してから力を弱めるまでの順を確かめ、次に交易と自治のしくみを重ねましょう。文化も同じ流れに置けば、名前当てで終わらず、誰に支えられて広まったのかまで説明できます。
この単元で身につけること
- 建武の新政から南北朝、室町幕府へ進む順序を押さえます。天皇中心の政治が目指されたことと、武士の政権が生まれたことを分けます。
- 将軍と守護大名の関係を説明します。幕府の仕組みと地方の武士の力を合わせて考えます。
- 日明貿易の勘合の役割を説明します。正式な貿易船の確認が必要だった理由に注目します。
- 惣と一揆を区別します。日常の自治組織と、要求のために人々が団結する行動の違いを読み取ります。
- 応仁の乱から戦国大名の登場につなげます。将軍の権威が弱まり、地域の支配が変化したことを捉えます。
- 北山文化と東山文化を比べます。建物の印象だけでなく、人物・芸能・生活文化の広がりも整理します。
前の単元で学ぶ鎌倉幕府は、御恩と奉公で将軍と御家人を結びつけましたが、元寇後には御家人の生活が苦しくなり、幕府への不満が強まりました。その後にどのような政治が生まれたかが、今回の出発点です。
基本の考え方
建武の新政から室町幕府へ
1333年に鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇は天皇中心の政治を目指す建武の新政を始めました。翌1334年に年号を建武と改めました。しかし、恩賞の与え方などに不満を抱く武士も多く、足利尊氏が新政に反対しました。天皇中心という方針と、戦いに参加した武士の期待が一致しなかったことが大切です。
後醍醐天皇は吉野に移り、京都の北朝に対して南朝を開きました。2つの朝廷が並び立った時期が南北朝時代です。1338年、尊氏は北朝から征夷大将軍に任じられました。京都に置かれた武士の政権が室町幕府で、のちに3代将軍足利義満が室町に御所を構えたことに名前が由来します。
幕府では管領が将軍を補佐しました。地方では、軍事・警察の役割を持っていた守護が、南北朝の動乱の中で土地や武士への支配を広げ、守護大名へ成長します。有力な守護大名は幕府の政治も支えたので、将軍が各地を一人で直接支配したわけではありません。義満はこうした勢力をまとめ、1392年に南北朝の統一を実現しました。
図1のように、尊氏の将軍就任と南北朝の統一には隔たりがあります。幕府ができた年に朝廷も統一された、とまとめないようにしましょう。横の距離は年数に比例しており、出来事を等間隔に並べた図ではありません。

海でつながる明・琉球・アイヌ
義満は明との正式な貿易を始めました。日明貿易では、倭寇と区別するため、正式な貿易船であることを示す勘合を使いました。そのため勘合貿易とも呼ばれます。倭寇は中国や朝鮮の沿岸などで略奪を行った集団です。勘合は買い物に使うお金ではなく、相手に船の資格を確かめてもらうための証明でした。
日本からは銅や刀剣などを輸出し、明からは銅銭や生糸、絹織物などを輸入しました。銅銭は国内での取引にも使われました。品物の名前だけでなく、「どちらからどちらへ動くか」をセットで覚えると、輸出と輸入を取り違えにくくなります。
南では1429年に尚巴志が琉球を統一し、琉球王国が成立しました。琉球は明、日本、朝鮮、東南アジアなどを結ぶ中継貿易で栄えました。中継貿易とは、ある地域で得た品物を別の地域へ運んで取引することです。北ではアイヌの人々が狩りや漁、交易を営み、独自の文化を育てました。和人との交易が広がる一方で対立も起こり、1457年にはコシャマインを中心とする戦いが起こりました。南北の地域を、幕府の政治だけにまとめて理解しないことも必要です。
村や町の成長と戦国への変化
農村では米の収穫後に麦を作る二毛作や、牛馬・肥料の利用などが広がりました。生産や流通が発達し、定期市や商工業者の同業者組織である座も発展しました。座は寺社や貴族などの保護を受け、営業上の特権を得ました。京都などでは土倉や酒屋が金融業も営みました。
村では惣という自治組織がつくられ、寄合で用水の管理や村の決まりを相談しました。農民らは生活を守るために団結し、借金の帳消しを求める土一揆を起こしました。1428年の正長の土一揆が代表例です。農民を命令に従うだけの存在と考えると、この変化を見落とします。
1467年に始まる応仁の乱は、将軍家の後継ぎ争いに有力な守護大名どうしの対立などが重なった戦乱です。京都を中心に戦いが続き、幕府の力が弱まりました。各地では実力で領国を支配する戦国大名が現れ、家臣をまとめ、分国法などを定めました。下の身分や地位の者が上の者に打ち勝つ下剋上も見られましたが、守護大名から戦国大名になった例もあります。
例題で解き方を確かめる
例題1 出来事を時間の順に並べる
「ア:南北朝の統一、イ:足利尊氏の将軍就任、ウ:応仁の乱の開始」を古い順に並べ、統一を実現した人物を答えましょう。
- まず図1から各年を読みます。イは1338年、アは1392年、ウは1467年です。人物名の似た印象ではなく、時間の根拠を置くためです。
- 年を小さい順に並べます。1338、1392、1467なので、答えはイ→ア→ウです。南北朝の対立が幕府成立後も続いたことを確認できます。
- アと人物を結びつけます。答えは足利義満です。尊氏は幕府成立、義満は南北朝統一という役割の違いを押さえます。
年号を忘れたときも、「幕府ができる→義満が政治を安定させる→後の時代に大きな内乱が起こる」と言葉にしてみましょう。筋道を置いてから年表に戻ると、数字だけの暗記を避けられます。ただし、時間的に後の出来事が、すべて前の出来事の直接の結果だとは限りません。
例題2 交易の図から制度の目的を説明する
図2を見て、「日本が明から輸入したものを2つ挙げ、勘合を用いた理由を説明しなさい」という問いに答えましょう。図2の矢印は品物の移動を示し、箱の位置は正確な地理的位置を示していません。

- 「日本が輸入した」に印を付けます。日本へ入る向きの矢印を選ぶためです。左側の日本へ向かう矢印に、銅銭・生糸とあります。
- 品物と制度を分けます。品物の答えは銅銭と生糸です。勘合は取引される商品ではなく、正式な船を確認するためのものです。
- 制度が必要になった背景を加えます。「倭寇と正式な貿易船を区別するため」と書けば、証明を使う理由まで答えられます。
「貿易を盛んにするため」だけでは、勘合という特別な方法を使う理由が伝わりません。身近な場面なら、参加者を受付で確認する証明書に近い役割です。ただし、現代の身分証明書と同じ制度ではありません。資料問題では、矢印の向きと、本文で説明された制度の目的を結びつけます。
例題3 惣と一揆を資料から区別する
「村の人々が寄合で水路の修理を相談した」「農民らが団結して借金の帳消しを求めた」という2つの説明があります。前者に関係する自治組織と、後者の行動の名称を答えましょう。
- それぞれの動詞を探します。前者は「相談した」、後者は「求めた」です。人々が何のために集まるのかを区別する手がかりになります。
- 日常の村の運営か、要求を通すための行動かを考えます。用水管理を担う自治組織は惣、借金の帳消しを求める行動は土一揆です。
- 共通点も確かめます。どちらも人々の団結を土台にしています。同じ人々が関わることがあっても、組織と行動の名称は使い分けます。
借金の帳消しなどを命じる法令を徳政令といいます。「土一揆を求めた」では要求の内容が逆になり、「徳政令を求めて土一揆を起こした」なら関係が明確です。用語を短い文の中に置くと、意味のずれを見つけられます。
例題4 文化を人物と特色で比べる
金閣と銀閣に関係する将軍と文化を、それぞれ答えましょう。さらに、室町文化の広がりを示す芸能を1つ挙げます。
- 建物を人物に結びつけます。金閣は足利義満、銀閣は8代将軍足利義政です。名前の最後の1字だけで判断せず、政治の時期も合わせます。
- 文化の名称と特色を対応させます。金閣に代表される北山文化は、公家と武家の文化が融合した文化です。銀閣に代表される東山文化では、禅の影響を受けた簡素で落ち着いた趣が重んじられました。
- 建物以外にも目を向けます。芸能の答えの例は能です。観阿弥・世阿弥が大成し、義満の保護を受けました。能の合間などに演じられた狂言では、日常生活を題材にした笑いが表現されました。
東山文化では、書院造や枯山水の庭園も押さえます。雪舟は水墨画を大成しました。茶の湯や生け花など、後の生活文化につながるものも育ちました。文化の問題は「華やか」「簡素」という印象だけで止めず、人物・作品・表現の特徴を組み合わせましょう。
つまずきやすいところと直し方
「応仁の乱で幕府がすぐ滅んだ」
誤った覚え方は、応仁の乱の開始を室町幕府の滅亡と同じ出来事にすることです。違うのは、「力が弱まる」と「政権がなくなる」の意味です。応仁の乱は1467年から1477年まで続きましたが、幕府はその後も存続しました。一般に、1573年に足利義昭が京都から追放されたことを室町幕府の滅亡とします。
正しくは、乱の前後から各地の争いが広がり、将軍の命令だけでは地域をまとめにくくなった、と理解します。戦国時代の始まりには捉え方の違いもありますが、中学の学習では応仁の乱を大きな転機として押さえます。
「惣も一揆も全部同じ集まり」
誤った覚え方は、複数の人が集まれば一揆と呼ぶことです。違うのは、惣が村の日常を運営する自治組織で、一揆は共通の目的を持つ人々の団結や行動を指す点です。正しくは図3のように、寄合を通した日常の自治と、要求を掲げた行動を分けて捉えます。

一揆にも種類があります。1485年の山城の国一揆では、国人と農民らが協力し、守護大名の軍勢を退けて自治を行いました。1488年の加賀の一向一揆では、浄土真宗の信仰で結びついた人々が守護を倒しました。どちらも単に「借金の帳消しの運動」としてしまうと、参加者と目的の違いが消えてしまいます。
「戦国大名は全員、守護大名を倒して生まれた」
誤った覚え方は、下剋上という語を、すべての大名に当てはめることです。違うのは、戦国大名には守護大名から成長した者も、守護の家臣や地方の武士から台頭した者もいた点です。正しくは、出身よりも、実力で領国を支配したことを共通点にします。
分国法を定め、家臣の争いを抑えたり、城下町や産業を育てたりすることは、領国を安定させるための取り組みでした。「戦いに強い人」とだけ書くより、土地と人をどのようにまとめたかに踏み込むと、守護大名との比較がしやすくなります。
練習問題
練習1
建武の新政を始めた人物と、その後に南朝と北朝が並び立った時期の名称を答えましょう。さらに、南北朝を統一した将軍を答えてください。
練習2
図2を見ずに、日本から明へ輸出したものを1つ挙げましょう。また、「勘合は代金を支払うために使った」という説明を、目的が正しく伝わる文に直してください。
練習3
村の用水管理を寄合で相談する自治組織の名称と、借金の帳消しを求める農民らの一揆の名称を答えましょう。両者の違いも一言で添えてください。
練習4
応仁の乱が始まった年を答え、「幕府の力」と「領国」の2語を使って、その後に戦国大名が台頭した流れを説明しましょう。銀閣に代表される文化の名称も答えてください。
答えと解説
練習1:後醍醐天皇、南北朝時代、足利義満です。新政を始めた天皇と、統一を実現した将軍を分けます。
練習2:銅、刀剣などです。説明は「正式な貿易船を倭寇と区別するために勘合を使った」と直せます。代金に使う銅銭との混同に注意します。
練習3:惣、土一揆です。惣は日常の自治組織で、土一揆は要求を通すための団結した行動です。
練習4:1467年です。説明例は「応仁の乱で幕府の力が弱まり、各地で実力によって領国を支配する戦国大名が台頭した」です。文化は東山文化です。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
次の全国統一の学習では、戦国大名が支配していた各地を、織田信長や豊臣秀吉がどのようにまとめたかを考えます。座の特権を知っておくと、楽市・楽座が商業のあり方を変えようとしたことも読み取りやすくなります。
家庭での確認は5分でできます。1つ目は、最初の2分で尊氏・義満・義政の名前を書き、それぞれに出来事や文化を1つずつ添える方法です。2つ目は、残りの3分で図2の矢印を指し、「何がどこへ動くか」「なぜ勘合が必要か」を声に出す方法です。保護者の方は、お子さまの説明に理由があるかを聞いてみてください。
個別指導では、並べ替えに迷うなら建武の新政と武士の不満まで戻り、制度の説明に迷うなら勘合と銅銭の役割を分けて確かめます。間違えた語だけを直すのではなく、つながりが途切れた場所を探します。
まとめ
室町時代の問題で理由を問われたら、答えの名詞の後ろに「誰が、何のために」を添えてみましょう。勘合なら船を確認する目的、惣なら暮らしを共同で支える働きが見えてきます。金閣と銀閣の写真も、人物と政治の時期を置けば、時代を読み取る資料になります。
将軍の名前だけでは、室町の社会は説明できません。村の寄合と海を渡る船まで視野に入れた説明に、人々が動かした歴史が現れます。
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