電話 0422-27-7828チャットで質問無料相談を予約

武蔵野個別指導塾の特徴

【世界史探究】戦間期の世界を図解で総まとめ—ワシントン体制 世界恐慌 ファシズム ニューディール|武蔵野個別指導塾

【世界史探究】戦間期の世界を図解で総まとめ—ワシントン体制 世界恐慌 ファシズム ニューディールのアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
X LINE Facebook

国際協調を支えた資金循環と世界恐慌後の政策を3枚の図で整理し、年代整序や短い論述の例題から、欧米の変化とアジアの民族運動を結びつけて学べます。

よくあるのは、塾の教材棚の脇で世界史の問題集を開き、「国際協調が進んだ」と「各国の対立が深まった」が同じ単元に出てきて、どちらを覚えればよいのか迷うという場面です。さらに、世界恐慌、ムッソリーニ、ヒトラー、五カ年計画が並ぶと、すべてが恐慌によって始まったようにも見えてきます。しかし、ここには時期の違いと、国ごとの条件の違いがあります。

戦間期とは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期です。戦争を防ぐ仕組みが整えられる一方、その仕組みを支える資金や政治には弱点が残りました。経済危機に直面した国々も、同じ政策を選んだわけではありません。まず1920年代の協調と安定を確かめ、次に1929年からの恐慌と対応を追うと、条約・政策・人物が一本の流れにつながります。欧米だけでなく、植民地支配からの解放や国家の統一を求めたアジアの動きまで、同じ時間軸に置いて考えていきましょう。

この単元で身につけること

前の単元で学んだ第一次世界大戦の総力戦、ロシア革命、戦後の講和は、戦間期の国家財政・社会不安・国際秩序を考える出発点です。特に「戦勝国と敗戦国の関係」と「植民地支配を受ける人々の期待」を思い出すと、協調の中に残った対立を見つけやすくなります。

基本の考え方

協調の仕組みと相対的安定

第一次世界大戦後、ヨーロッパではヴェルサイユ条約などの講和条約を基礎とする国際秩序がつくられました。これをヴェルサイユ体制といいます。1920年に発足した国際連盟も、この戦後秩序を支える組織でした。ただし、設立を提唱したウィルソンの国であるアメリカは、議会の反対によって加盟しませんでした。国際連盟が存在することと、主要国がそろって安全を保障できることは、同じではありません。

東アジア・太平洋では、1921〜1922年のワシントン会議によって列強間の関係が調整されました。四カ国条約は米・英・日・仏の太平洋の島嶼に関する権益の相互尊重などを定め、日英同盟の解消につながりました。九カ国条約は中国の主権・独立、領土的・行政的保全を尊重し、門戸開放・機会均等の原則を確認しました。さらに五カ国海軍軍縮条約では、主力艦の保有を制限しました。これらを基礎とする東アジア・太平洋の秩序がワシントン体制です。

条約名は参加国の数だけで覚えると混同します。「太平洋の権益」「中国」「主力艦」という対象を結びつけてください。九カ国条約で中国の主権を尊重すると定めても、列強がそれまでに得た権益がすべてなくなったわけではありません。協調の枠組みができたことと、支配を受ける側の要求が実現したことを分ける必要があります。

ヨーロッパでは、ドイツの賠償問題が復興の障害となりました。1923年、フランスとベルギーが賠償の不履行を理由にルール地方を占領すると、ドイツ政府は消極的抵抗を呼びかけました。政府の財政負担や通貨の増発などが重なり、激しいインフレーションが進みました。その後、通貨の安定化が図られ、1924年のドーズ案によって賠償支払いが調整され、アメリカからドイツへ資本が流入しました。

1925年のロカルノ条約は、ドイツの西部国境の保障などを通じて協調を進めました。1926年にはドイツが国際連盟に加盟し、1928年には不戦条約が結ばれ、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する原則が示されました。ただし、ロカルノ条約で東部国境まで西部国境と同じように保障されたわけではなく、不戦条約にも違反を確実に抑える仕組みは十分ではありませんでした。こうした成果と限界が併存したため、1920年代を「相対的安定」の時代と捉えます。

図1のように協調の進展と危機の出来事を同じ年表に置くと、1920年代の安定が永久に続く制度ではなかったことが見えてきます。年表の横の間隔は年数に対応しているので、恐慌とヒトラーの首相就任の間にも時間があったことを確かめられます。

図1 協調外交から世界恐慌と政権変化へ至る年表

世界恐慌はなぜ国境を越えたのか

1920年代のアメリカでは、自動車や電気製品などの大量生産と大量消費が発展しました。分割払いの普及も消費を支えましたが、生産の拡大に購買力が十分に追いつかない面があり、農業の不振も続いていました。株式への投機が広がるなか、1929年にニューヨーク株式市場で株価が大暴落し、恐慌が深まりました。株価暴落は重要な契機ですが、それだけを唯一の原因とすると、生産・消費・信用の関係が抜け落ちます。

銀行が破綻したり融資を縮小したりすれば、企業は運転資金を確保しにくくなります。企業が生産や雇用を減らすと家計の所得が落ち、商品がさらに売れなくなります。店の売上が減ると仕入れを減らし、仕入れ先も仕事を減らすという身近な関係を、銀行や工場を含む規模へ広げて考えると理解しやすくなります。ただし、歴史上の恐慌では、こうした連鎖が国境を越える点が重要です。

アメリカからの融資に依存していたドイツなどは、資本の引き揚げによって打撃を受けました。また、各国が輸入品に高い関税をかけて国内産業を守ろうとすると、相手国も対抗し、貿易が縮小しました。農産物や鉱産物の輸出に依存する植民地・地域も、価格の下落や輸出の減少に苦しみました。「アメリカの株価が下がった」という国内の出来事が、資本と貿易を通じて世界恐慌へ広がったのです。

アメリカでは1933年に大統領となったフランクリン・ローズヴェルトがニューディールを進めました。銀行制度の立て直し、農業や工業の調整、公共事業、労働者の団結権の保障、社会保障制度の整備などを通じ、政府が経済と生活に積極的に関わりました。公共事業には、仕事と賃金を生み、需要を支える意味があります。ただし、すべての政策が同時に始まったわけではなく、ニューディールだけで直ちに恐慌が完全に解消したと説明するのも適切ではありません。

イギリスは1931年に金本位制を停止し、1932年のオタワ会議で帝国内の特恵関税を進めました。フランスも本国と植民地の結びつきを利用しました。こうして自国と植民地・関係国の内部で貿易を優遇し、外部に障壁を設けるブロック経済が広がりました。アメリカも保護関税を用いており、「国ごとに一つの対策しかなかった」と理解してはいけません。教科書の比較は、各国の代表的な特徴を捉えるための整理です。

ファシズム・計画経済・民族運動

イタリアでは、戦勝国でありながら戦後の領土獲得に不満が残り、物価上昇や失業、労働争議が社会を揺さぶりました。ムッソリーニのファシスト党は、反社会主義などを掲げて支持を広げ、暴力も用いました。1922年のローマ進軍を背景に、ムッソリーニは国王から首相に任命され、その後、独裁を強めました。この成立は世界恐慌より前です。ファシズムは、議会政治や自由主義を否定し、指導者と国家への服従を求め、反対勢力を抑圧する運動・体制として押さえます。

ドイツでは、ヴェルサイユ体制への不満に恐慌後の大量失業や政治不安が重なり、ナチ党が支持を拡大しました。ヒトラーは1933年に大統領ヒンデンブルクから首相に任命され、全権委任法などを通じて議会制を形骸化させ、一党独裁を確立しました。ナチズムでは、人種主義と反ユダヤ主義、東方への領土拡張の主張も重要です。ユダヤ人への法的差別と迫害が進んだことは、単なる経済政策の違いでは説明できません。

ソ連では、レーニンの死後に権力を固めたスターリンのもと、1928年に第一次五カ年計画が始まりました。国家が生産目標や資源配分を定め、重工業化と農業集団化を進めました。資本主義諸国との経済的な結びつきが比較的小さく、世界恐慌の直接的な影響を受けにくかった一方、集団化は強制を伴い、農民の抵抗や深刻な食糧危機を招きました。1930年代には大規模な粛清も進みました。工業生産の拡大と、人々が負った犠牲を別々の事実として押さえてください。

アジアでは、民族自決への期待が植民地や半植民地の人々の運動を後押ししました。中国の1919年の五・四運動は、山東省の旧ドイツ権益を日本が引き継ぐとした講和への反発から広がりました。1921年に中国共産党が成立し、1924年には孫文の国民党と共産党による第一次国共合作が実現しました。国民党は軍閥の打倒と国家統一をめざして1926年に北伐を開始しましたが、1927年に蔣介石が共産党を弾圧し、合作は崩壊しました。

1928年、国民政府は中国の統一を形式上達成しましたが、国共の対立や地方勢力の問題は残りました。1931年の満州事変後、日本の進出に対抗する必要が増すなか、1936年の西安事件を経て、1937年の日中戦争開始後には第二次国共合作が成立しました。「国民党と共産党はいつも協力した」「いつも敵対した」のどちらでもなく、目的と情勢によって関係が変わったのです。

インドでは、ガンディーが非暴力・不服従の方針で大衆運動を指導しました。1930年の塩の行進では、イギリスの塩の専売に対し、人々の生活に身近な塩をつくる行動で抗議しました。非暴力は何もしないことではなく、不買や納税拒否などによって植民地支配に協力しない方法でした。朝鮮の1919年の三・一独立運動、オスマン帝国の解体後にムスタファ・ケマルが指導して1923年に成立したトルコ共和国も、戦後の国際秩序を各地域の側から見る手がかりです。ただし、独立国家の改革と植民地の独立運動は、置かれた条件を区別して学びます。

例題で解き方を確かめる

例題1 条約を対象から判別する

問題:次の内容の要約を読み、該当する条約名と、それが支えた国際秩序の名称を答えましょう。「中国の主権・独立と領土的・行政的保全を尊重し、中国での門戸開放・機会均等の原則を確認した。」

  1. まず対象が「中国」であることを押さえます。参加国数を思い出す前に何を取り決めた条約かを探すと、似た名称の条約を区別しやすくなるためです。
  2. 「門戸開放・機会均等」を九カ国条約と結びつけます。太平洋の島嶼に関する権益を扱う四カ国条約や、主力艦を扱う五カ国海軍軍縮条約とは、問いの対象が違うためです。
  3. その条約が結ばれたワシントン会議を思い出し、秩序の名称を答えます。条約名と体制名は、個別の取り決めと取り決め全体の関係にあるためです。

答え:九カ国条約であり、ワシントン体制を支えました。

ここで「ヴェルサイユ体制」と書いた場合は、大戦後という共通点だけで答えた可能性があります。ヨーロッパと東アジア・太平洋のどちらを主に扱うかを、問題文の地名から確認し直しましょう。

例題2 資金循環の図から弱点を読む

問題:図2のアメリカからドイツへの投資・融資が縮小したとき、ドイツの経済と賠償支払いにどのような影響が及ぶと考えられますか。図の矢印に沿って説明しましょう。

図2のように、1920年代の国際金融には、アメリカからドイツへ資本が入り、ドイツから英仏へ賠償金が支払われ、英仏からアメリカへ戦債が返済される循環がありました。図は代表的な流れを示しており、各国のすべての取引や金額の大小を表してはいません。

図2 米独英仏を結ぶ投資と賠償と戦債返済の循環
  1. 矢印の起点と終点を読みます。投資・融資はアメリカからドイツへ向かっており、ドイツが復興資金を受け取る立場だと確かめるためです。
  2. 最初の資金の流入が減った場合を考えます。企業や銀行の資金繰りが悪化すれば、生産や雇用にも影響が及ぶというつながりを説明するためです。
  3. ドイツから英仏への矢印に進みます。経済の悪化は賠償支払いを難しくし、英仏の戦債返済にも影響しうるため、一国の問題では終わらないと判断できます。

答え:ドイツの企業や銀行の資金繰りと経済が悪化し、賠償支払いも難しくなると考えられます。

図のすべての矢印が同じ形でも、三つの支払いは性質が違います。投資・融資は資本の供給、賠償は戦争の損害などに対する支払い、戦債返済は戦時の借金の返済です。資金が循環することと、支払い義務の根拠が同じであることを混同しないようにします。

例題3 政策の開始順を確かめる

問題:次の四つを古い順に並べましょう。アはヒトラーの首相就任、イはムッソリーニの首相就任、ウは世界恐慌の始まり、エは第一次五カ年計画の開始です。また、世界恐慌への対応として始まったとはいえない出来事を、イとエについて説明しましょう。

  1. 各出来事に基準となる年を付けます。アは1933年、イは1922年、ウは1929年、エは1928年で、まず時系列を確定するためです。
  2. 年の小さいものから並べます。人物の印象や用語の掲載順では、前後関係を取り違えることがあるためです。
  3. ウより前か後かを判定します。恐慌より前に始まった出来事を恐慌の結果と説明すると、原因と結果の時間関係が逆になるためです。

答え:イ→エ→ウ→アで、イとエは世界恐慌前に始まっているため、その発生への対応とはいえません。

この順序から、恐慌が政治に無関係だったと結論することもできません。ドイツでは恐慌がナチ党の支持拡大に関わりました。イタリアのファシズムの成立を説明するときと、ドイツのナチ党の伸長を説明するときで、必要な時期と条件が違います。

例題4 共通点だけで政策を同一視しない

問題:ニューディールとソ連の五カ年計画には、どちらも国家が経済に深く関わるという共通点があります。この共通点を示したうえで、両者の違いを政治体制と経済の仕組みから説明しましょう。

  1. 問われた共通点を最初に置きます。相違点だけを書いてしまうと、比較の一方の条件を満たせないためです。
  2. ニューディールは議会制民主主義と資本主義の枠内で進められたと整理します。公共事業があっても、私企業や市場の仕組み全体をなくしたわけではないためです。
  3. 五カ年計画は共産党の一党支配のもとで、国家が生産目標や資源配分を定めたと整理します。国家が関与したという量だけでなく、誰が何を決めたかが体制の違いを示すためです。
  4. 比較する二つの文の対象をそろえます。一方では指導者名、他方では政策名だけを書くと、仕組みの違いが伝わらなくなるためです。

答え:両者とも国家が経済に関与しましたが、ニューディールは議会制民主主義と資本主義を維持して経済を立て直そうとし、五カ年計画は共産党の一党支配のもとで国家が生産目標や資源配分を定めました。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 安定を問題の解消と読み替える

誤った書き方は「1920年代には国際協調によって、賠償問題や領土問題が完全に解決した」です。違うのは、協調の進展を、対立の原因がなくなったことと同一視している点です。ドーズ案は賠償支払いを調整しましたが、アメリカ資本への依存が深まり、国境や植民地をめぐる不満も残りました。

正しい書き方は「1920年代には賠償支払いの調整や協調外交が進んだが、資本の対米依存や国際秩序への不満が残った」です。「相対的」という語は、単なる弱い表現ではありません。以前の混乱と比べれば安定したものの、なお不安定な条件を含んだという比較の意味があります。

誤り2 国家の介入をすべて同じ体制にする

誤った書き方は「ニューディールも五カ年計画も、国家が関わるので同じ社会主義の政策である」です。違うのは、国家の経済への関与と、所有・生産・政治の仕組みを区別していない点です。経済危機に政府が対処することだけで、その国の体制を一つに決めることはできません。

図3のように代表的な政策を並べてから、背景にある政治体制と経済の仕組みを文章で補ってください。ソ連の欄は世界恐慌前から始まっていた政策であり、四つが同時に採用されたという図ではありません。

図3 戦間期の四つの国と地域にみる代表的な経済政策

正しい書き方は「ニューディールは資本主義の枠内での立て直しであり、ソ連では国家の計画によって生産を進めた」です。また、ドイツの軍備拡張は雇用や生産に関わりましたが、ナチズム全体を失業対策だけで説明するのは不十分です。一党独裁、反対派の抑圧、人種主義、対外膨張も関連づけて理解する必要があります。

誤り3 アジアの民族運動を欧米の付け足しにする

誤った書き方は「世界恐慌が起きたため、中国とインドで初めて民族運動が始まった」です。違うのは、運動が長い植民地支配や列強の干渉への抵抗を背景にしていたことと、1919年や1920年代の動きを見落としている点です。中国の五・四運動も第一次国共合作も、世界恐慌より前の出来事です。

正しい書き方は「中国やインドでは恐慌前から民族運動が進み、戦後秩序への不満や植民地支配への抵抗を背景に展開した」です。そのうえで、中国は軍閥と列強の干渉のもとで統一をめざし、インドはイギリスの植民地支配からの独立を求めたと区別します。同じ民族運動という語でも、相手と目的、手段を並べて初めて具体的な内容になります。

ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ

練習問題

練習1 体制と地域を結ぶ

ヴェルサイユ体制とワシントン体制が、それぞれ主にどの地域の国際秩序を指すかを答えましょう。また、ワシントン会議で中国に関する原則を確認した条約名を書きましょう。体制名と条約名を区別して答えます。

練習2 年代を並べる

アをロカルノ条約、イをドーズ案、ウをドイツの国際連盟加盟、エを不戦条約として、古い順に並べましょう。四つとも世界恐慌の前か後かも判断し、協調の流れを一まとまりとして捉えてください。

練習3 図から連鎖を説明する

図2を見ながら、「アメリカからの資本流入が止まっても、ドイツの賠償支払いには関係がない」という文を訂正しましょう。資金調達、経済活動、支払い能力のうち二つ以上を使って理由を説明します。

練習4 民族運動の方法と目的を読む

ガンディーの塩の行進について、抗議の対象と運動の方法を答えましょう。さらに、中国の第一次国共合作の成立、北伐開始、合作崩壊を年代順に並べ、協力関係が変化したことを確かめましょう。

答えと解説

練習1の答えは、ヴェルサイユ体制が主にヨーロッパ、ワシントン体制が主に東アジア・太平洋で、条約名は九カ国条約です。両体制は別々に孤立していたのではなく、第一次世界大戦後の国際秩序を構成していました。中国の主権尊重の原則と、権益が残った現実の両方を押さえましょう。

練習2の答えはイ→ア→ウ→エで、すべて世界恐慌の前です。ドーズ案が1924年、ロカルノ条約が1925年、ドイツの国際連盟加盟が1926年、不戦条約が1928年です。資金面での調整、外交上の和解、国際組織への参加、戦争放棄の原則という順に内容も説明すると、年号だけの暗記から進めます。

練習3の答えの例は「アメリカからの資本流入が止まると、ドイツの資金調達や経済活動が悪化し、賠償の支払い能力にも影響する」です。矢印は単なる送金経路ではなく、経済の相互依存を表します。ただし、資金の停止が直ちにすべての支払いをゼロにする、とまで断定する必要はありません。

練習4の答えは、イギリスによる塩の専売への抗議と、非暴力・不服従の方法です。中国の順序は1924年の第一次国共合作成立→1926年の北伐開始→1927年の合作崩壊です。塩の行進は1930年ですが、インドの民族運動がその年に初めて始まったわけではありません。中国についても、のちの第二次国共合作と区別してください。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

次の第二次世界大戦の学習では、協調の枠組みがどのように崩れ、各国の対外行動と結びついたかを考えます。世界恐慌が起きれば必ず戦争になる、という一本道ではありません。経済政策、国内の政治体制、外交上の判断が重なって国際対立が深まったことを説明できると、1930年代の出来事を丁寧に追えます。

家庭での5分の確かめ方は二つあります。一つは、紙に1922年・1928年・1929年・1933年だけを書き、ムッソリーニ、第一次五カ年計画、世界恐慌、ヒトラーを対応させる方法です。もう一つは、図2を見ずに三つの国・地域を置いて矢印を描き、それぞれのお金の性質を声に出す方法です。保護者がお子さまに尋ねる場合も、「なぜ次の国まで影響するのか」という一問なら、用語の暗記と因果の理解を分けて確かめられます。

個別指導では、賠償と戦債の区別で止まったら第一次世界大戦の戦費と講和まで、国共関係で止まったら辛亥革命後の中国の分裂まで戻って確かめます。そのうえで、同じ出来事をもう一度本人の言葉で説明できるかを見ます。

まとめ

戦間期を読むとき、安定と危機のどちらか一方だけを選ぶ必要はありません。協調を実現した仕組みの中に弱点が残り、その弱点が恐慌によって表面化しました。それでも各国の対応は一様ではなく、同じ時期のアジアにも独自の課題と運動がありました。説明に迷ったら、出来事の年、対象となる地域、政策を動かす仕組みの三つに戻ってください。世界恐慌より前の1922年と1928年を正しい位置に置くことが、戦間期を「恐慌から戦争へ」の一言で片づけない理解の出発点です。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。

お電話 チャットで質問チャット