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【世界史探究】第三世界の台頭を図解で総まとめ—アジア アフリカの独立 非同盟 中東問題|武蔵野個別指導塾

独立した国々は、なぜ非同盟を掲げたのでしょうか。アジア・アフリカの年表と石油危機の因果図を使い、年代整序や短い論述の手順から、独立後も残った課題まで確かめられます。
よくあるのは、合唱コンクールの練習の合間の音楽室で世界史のノートを開き、「インド独立、バンドン会議、アフリカの年までは覚えたのに、なぜ次に石油危機が出てくるのか」と手が止まる場面です。地域ごとに覚えた出来事を一列に並べても、その間を結ぶ理由が見えないと、長い用語集を読むように感じてしまいます。
この単元の中心にあるのは、アジア・アフリカの国々が、植民地支配からの独立だけでなく、国際政治や経済の中で自分たちの立場を主張しようとした動きです。ただし、同じ時期に生まれた国が、同じ方法で独立し、同じ外交を選んだわけではありません。宗教や領土をめぐる対立、冷戦との関係、資源の有無によって、その後の道は分かれました。
「誰の支配から離れたのか」「独立後に何を目指したのか」「どんな問題が残ったのか」の3点で読むと、別々だった出来事がつながります。年表の順序を確かめながら、非同盟と中立の違い、中東戦争から石油危機に至る過程まで説明できるようにしていきましょう。
この単元で身につけること
- 脱植民地化の意味を説明することです。植民地だった地域が独立国になる変化を、第二次世界大戦による旧宗主国の弱体化と、現地の民族運動の発展に結びつけます。
- アジアの変化を区別することです。インド・パキスタンの分離独立と、中国の内戦を経た中華人民共和国の成立を、同じ「新しい国」という言葉だけでまとめないようにします。
- 非同盟の主張を読み取ることです。米ソ両陣営からの自主性を求める外交と、すべての国から距離を置く孤立とを分けます。
- アフリカの独立と独立後の課題を結びつけることです。政治上の主権を得ることと、経済的な依存を解消することが、別の課題だと押さえます。
- 中東問題と石油危機を因果関係で説明することです。領土・難民をめぐる問題と、石油の供給・価格をめぐる問題を区別したうえで、両者の接点を考えます。
前の単元で学んだ米ソの冷戦を土台に、「二つの陣営だけでは世界を説明しきれない」という視点を加えます。さらに前に学んだ帝国主義による植民地分割が、独立後の国境や輸出の仕組みに影響したことも確かめます。
基本の考え方
脱植民地化とアジアの異なる出発点
脱植民地化とは、植民地支配が解体され、支配されていた地域が政治的な独立を獲得していく過程です。第二次世界大戦でイギリスやフランスなどが消耗する一方、植民地では以前から続く民族運動が広がりました。日本軍の占領を経験した東南アジアでも、戦後に旧宗主国の支配がそのまま安定して復活したわけではありません。戦争で生まれた変化と、現地の人々の組織的な活動の両方を見る必要があります。
インドでは、ガンディーの非暴力・不服従運動や、インド国民会議を中心とする独立運動が展開されていました。一方、ジンナーらが率いる全インド・ムスリム連盟は、ムスリムの政治的立場を確保するため、別国家の建設を求めるようになりました。1947年、イギリス領インドはインドとパキスタンに分かれて独立しました。インドの首相となったネルーは、その後の非同盟外交にも深く関わります。
ここで「ヒンドゥー教徒は全員インドへ、ムスリムは全員パキスタンへ」と考えるのは誤りです。宗教をめぐる政治的対立は分離の重要な背景でしたが、人々の居住はきれいに分かれていませんでした。分離に伴う大規模な住民移動や衝突が起こり、カシミール地方の帰属も両国の対立点となりました。独立は宗主国との関係を変えましたが、国境や住民の安全をめぐる問題まで同時に解決したわけではありません。
独立時のパキスタンは、インドを挟む西部と東部に分かれていました。東パキスタンでは政治や経済上の不満が強まり、1971年にバングラデシュとして独立しました。したがって、1947年の分離独立と1971年の独立は、対象となる関係が違います。前者はイギリスの植民地支配からの独立、後者はパキスタンからの分離独立です。
中国では、日本との戦争の後に国民党と共産党の内戦が本格化しました。共産党が優勢となり、毛沢東を中心に1949年に中華人民共和国が成立し、国民党の中華民国政府は台湾へ移りました。中国は列強の進出によって半植民地的な状態に置かれた歴史を持ちますが、1949年の変化を「イギリスからの独立」と説明することはできません。植民地の独立と、内戦による中国大陸での政権の交代は分けて理解します。
図1のように、1947年から1961年までを同じ時間のものさしに置くと、アジアの国家形成、国際会議、アフリカの独立の拡大が重なって進んだことが見えます。上下に置いたラベルは読みやすくするためのもので、縦の位置に地域の優劣や発展段階の意味はありません。

第三世界と非同盟は同じ範囲ではない
第三世界とは、冷戦期に米国中心の西側、ソ連中心の東側という二つの陣営に対して、アジア・アフリカなどの新興国を中心に用いられた呼び方です。「第三」は順位や価値の高低を示す言葉ではありません。また、その範囲や使われ方には幅があり、全加盟国が定まった一つの組織の名称でもありません。政治的な自主性を求める文脈と、経済発展の課題を共有する文脈を分けて読みます。
1954年、インドと中国の間で平和五原則が掲げられました。領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存という原則です。1955年にはインドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開かれ、スカルノ、ネルー、周恩来らが参加しました。会議では植民地主義への反対や平和共存などが示され、平和十原則が採択されました。
「会議に参加した国はすべて米ソとの関係が同じだった」とは考えないようにしましょう。参加国の体制や外交方針には違いがありました。その違いを残しながら、主権の尊重や植民地支配への反対を共通の論点にしたところに意味があります。たとえば中国は建国後にソ連と同盟関係を結んでいましたが、バンドン会議に参加しています。参加したという事実だけで、当時の同盟関係まで消えたわけではありません。
1961年には、ユーゴスラヴィアのベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議が開かれました。ティトー、ネルー、エジプトのナセルらが中心となりました。非同盟は、米ソの軍事的な陣営に従属せず、自主的に外交を行おうとする立場です。国際問題に発言しないことでも、両陣営と一切貿易しないことでもありません。援助を受けたり、特定の問題で一方と協力したりする場合もありました。
学校の話し合いにたとえるなら、二つの案のどちらかを常に支持すると決めず、論点ごとに自分の判断を示す姿勢に近いと考えられます。ただし、国家間では安全保障や経済援助が関わるため、完全に自由な選択ができたわけではありません。非同盟という理念と、各国が置かれた現実の条件の両方を押さえます。
アフリカの独立と中東問題の背景
アフリカでは、1957年にガーナがイギリスから独立し、エンクルマが独立運動を指導しました。1960年には17か国が独立したため、この年は「アフリカの年」と呼ばれます。しかし、アフリカ全土の独立が一度に完了したという意味ではありません。アルジェリアはフランスとの戦争を経て1962年に独立し、ポルトガル領のアンゴラやモザンビークなどの独立は1975年です。
独立後にも、植民地期の境界線を引き継いだ国境や、特定の鉱産物・農産物の輸出に偏る経済構造が残りました。少数の一次産品に依存するモノカルチャー経済では、その価格が下がると輸出収入が減り、工業製品の輸入や公共サービスに使える資金も不足しやすくなります。これは「独立しても何も変わらなかった」という意味ではなく、主権の獲得と経済構造の転換では、必要な取り組みが違うということです。
中東では、パレスチナをめぐる問題が重要です。第一次世界大戦中のイギリスは、アラブ側への独立に関する約束、フランスなどとの勢力圏分割の取り決め、ユダヤ人の民族的郷土建設を支持するバルフォア宣言など、両立の困難な政策を重ねました。戦後のパレスチナはイギリスの委任統治下に置かれ、ユダヤ人の移住と、住民の土地や政治的権利をめぐる対立が進みました。
1947年に国際連合はパレスチナの分割案を決議しましたが、それだけで対立が解消したわけではありません。1948年のイスラエル建国宣言と周辺アラブ諸国との戦争が第1次中東戦争につながり、多数のパレスチナ人が難民となりました。この問題では、ユダヤ人側の国家建設や安全の確保を重視する見方と、パレスチナ人側の土地・帰還・自決の権利を重視する見方があります。両者の主張があることを押さえ、具体的にどの土地や権利が争点なのかを確かめます。
長い宗教対立がそのまま戦争になったとだけ書くと、委任統治、国家建設、移住、国境、難民という近現代の条件が抜けてしまいます。宗教や民族の帰属も関わりますが、土地と国家のあり方をめぐる政治問題として読むことが欠かせません。
例題で解き方を確かめる
例題1 出来事を年代順に並べる
次の4つを古い順に並べ、それぞれが国家の成立か、国際協力の動きかを説明しましょう。アは第1回非同盟諸国首脳会議、イはインド・パキスタンの独立、ウはアジア・アフリカ会議、エは中華人民共和国の成立です。年代を思い出すだけでなく、出来事の種類も分ける問題です。
- まず、イに1947年、エに1949年を対応させます。国家の成立を先に固定すると、その後の国際会議を位置づけやすくなるためです。
- 次に、ウに1955年、アに1961年を対応させます。バンドン会議が先で、非同盟諸国首脳会議が後という関係を確かめるためです。
- 最後に、イとエは国家の成立に関わり、ウとアは国家間の協力に関わると分けます。年表の順番だけから、前の出来事が後の出来事を直接引き起こしたと決めつけないためです。
この4項目の間に1960年のアフリカの年を置くと、非同盟の協力が広がる時期に独立国も増えていたことがわかります。ただし、中国の成立をバンドン会議の唯一の原因としたり、インドの独立を中国の成立の原因としたりすることはできません。
答え:イ → エ → ウ → アで、イ・エは国家の成立、ウ・アは国際協力の動きです。
例題2 非同盟を説明する文を選ぶ
ある国の外交方針を整理した次の文を読みます。「主権と領土を互いに尊重し、植民地支配に反対する。米ソいずれかの陣営への従属を避け、国際問題ごとに判断する。」これは学習用に要点をまとめた文で、特定の宣言の引用ではありません。説明として適切なのは、ア「他国との交流を全面的にやめる」、イ「自主性を保ちながら国際政治に関わる」、ウ「必ず米ソ両国に同じ量の援助を求める」のどれでしょうか。
- 文中の「従属を避ける」と「問題ごとに判断する」に注目します。非同盟の中心が、外交上の自主性にあると確かめるためです。
- アを除きます。植民地支配に反対すると表明すること自体が国際政治への関与であり、交流の停止とは異なるためです。
- ウを除いてイを選びます。非同盟は、援助の数量を等しくする規則ではなく、政策決定の立場を示しているためです。
中立という言葉は、特定の戦争に参加しない地位や態度を説明する際にも使います。一方、ここでの非同盟は冷戦下の陣営に対する外交姿勢を示します。日常語では近く聞こえても、設問が尋ねる関係を見て使い分けることが必要です。
答え:イで、非同盟は国際社会との関係を断つことではなく、自主的な外交を目指す立場です。
例題3 中東戦争と石油危機の資料を読む
次の整理表から、石油危機と直接関係する戦争を選び、石油が国際政治の手段となった仕組みを説明しましょう。中東戦争は、同じ原因と結果を繰り返した4回の戦争として覚えるのではなく、各回の争点と影響を対応させます。
| 年 | 出来事 | 押さえる関係 |
|---|---|---|
| 1948年 | 第1次中東戦争 | イスラエル建国と周辺アラブ諸国との戦争、難民問題 |
| 1956年 | 第2次中東戦争 | ナセルのスエズ運河国有化と英仏・イスラエルの軍事行動 |
| 1967年 | 第3次中東戦争 | イスラエルによるヨルダン川西岸・ガザ地区などの占領 |
| 1973年 | 第4次中東戦争 | アラブ産油国の石油政策と第1次石油危機 |
- 石油政策が示される1973年の行を選びます。運河の国有化があった1956年と取り違えないためです。第4次中東戦争は、エジプトとシリアがイスラエル側を攻撃して始まりました。
- 供給と価格を分けます。アラブ石油輸出国機構であるOAPECの加盟国を中心とするアラブ産油国は、生産削減や米国などへの禁輸を進めました。一方、石油輸出国機構であるOPECの主要産油国による原油価格の大幅な引き上げも起こりました。組織の範囲と行動を混ぜないための区別です。
- 石油を輸入する国への影響を説明します。供給の制限と価格の上昇は、燃料費だけでなく輸送や生産の費用にも及ぶためです。物価上昇と景気の停滞が重なる問題にもつながりました。
図2のように、戦争から石油危機への流れには、産油国による具体的な政策が間に入ります。「戦争が起きたから、自然に石油がなくなった」と説明するのではなく、供給と価格の決定を通じた影響として読み取ります。

OPECとOAPECは名前が似ていますが、同じ組織ではありません。OPECはアラブ諸国以外の産油国も含み、OAPECはアラブの石油輸出国の協力機構です。また、OPECは1960年の結成なので、1973年の戦争を受けて初めて作られた組織ではありません。石油危機を理解するには、既にあった資源協力の枠組みがどの場面で使われたかを見る必要があります。
答え:第4次中東戦争で、アラブ産油国の供給制限と主要産油国の価格引き上げが第1次石油危機につながりました。
例題4 政治的独立と経済的自立を短く論述する
「アフリカの国々が独立後にも経済的な課題を抱えた理由」を、植民地期・一次産品・価格という3語を使って説明しましょう。ここでは、独立年を多く挙げるよりも、過去の仕組みが独立後の経済にどう残ったかを示すことが問われています。
- 最初に、植民地期に形成された輸出の仕組みを押さえます。独立した瞬間に産業構造まで作り直されるわけではないためです。
- 次に、一次産品への依存と国際価格の変動をつなぎます。品目の偏りが、なぜ不安定さを生むかを説明するためです。
- 最後に、輸出収入の不安定さを結論にします。「貧しかったから」という説明の繰り返しではなく、何がどのように経済を圧迫したかを示すためです。
すべてのアフリカ諸国が同じ産品を輸出していたわけではなく、資源に恵まれた国でも収益の配分や産業育成の課題がありました。論述では「各国に違いがある」という前提を保ち、共通しやすい構造を説明します。
答え:植民地期に形成された一次産品中心の輸出構造が残り、その国際価格の変動によって輸出収入が不安定になりやすかったためです。
つまずきやすいところと直し方
誤り1 アフリカの年を独立の完了年にする
誤った書き方は「1960年にアフリカのすべての国が独立した」です。どこが違うかというと、短期間に多くの独立が集中したことと、大陸全体で植民地支配が終わったことを同じにしています。ガーナの独立はそれ以前で、アルジェリアやポルトガル領の独立はそれ以後です。
正しい書き方は「1960年にはアフリカで17か国が独立し、アフリカの年と呼ばれた」です。さらに、独立年の違いには宗主国の対応や現地の運動の経過が関わると付け加えられると、単なる数字の訂正から歴史の説明へ進めます。アフリカを一つの国のように扱わず、国や地域ごとの経過を確かめましょう。
誤り2 非同盟なら国内外の問題が解決すると考える
誤った書き方は「非同盟を選んだ国は、外国に頼らず、国内の対立もなくなった」です。どこが違うかというと、外交の選択を、経済や国内統合の結果にまで広げています。対外援助や貿易への依存、国境をめぐる対立は、非同盟を掲げただけでは解消しません。平和共存を掲げたインドと中国の間でも、1962年には国境紛争が起こりました。
正しい書き方は「非同盟は米ソの陣営からの自主性を求める外交姿勢であり、経済的自立や国境問題の解決とは別に検討する必要がある」です。図3のように、政治・外交・経済を三つの欄に分けると、どの問いに答えているかがはっきりします。これは達成の順番を表す図ではなく、同時に取り組むこともある課題の整理です。

南北問題も、この区別に関わります。先進工業国と発展途上国の間の経済格差を表す言葉であり、北半球と南半球を例外なく二分する地理用語ではありません。新興国は貿易条件や開発をめぐる国際的な仕組みの改善を求めましたが、産油国と石油を輸入する途上国では、石油価格上昇の影響も異なりました。第三世界を一枚岩と見ないことが必要です。
誤り3 中東の出来事をすべて石油だけで説明する
誤った書き方は「パレスチナ問題は石油を奪い合ったために始まった」です。どこが違うかというと、国家建設や土地、難民をめぐる問題を、後の石油政策と入れ替えています。パレスチナ解放機構であるPLOは、パレスチナ人の民族運動を担った組織で、産油国が価格を調整する組織ではありません。アラファトの名前も、このパレスチナ人の運動に結びつけます。
正しい書き方は「パレスチナ問題には土地・国家・難民をめぐる対立があり、1973年の中東戦争ではアラブ産油国が石油を外交上の手段として用いた」です。また、1979年のイラン革命を契機とする第2次石油危機は、1973年の第1次石油危機と区別します。同じ1979年にはエジプト・イスラエル平和条約が結ばれましたが、これはパレスチナ問題全体の解決を意味しません。年が同じでも、出来事の当事者と争点を読み分けることが必要です。
ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ
練習問題
練習1 年表の空欄を埋める
次の出来事に対応する年を、1947年・1949年・1955年・1960年・1961年から選びましょう。ア「中華人民共和国成立」、イ「アフリカの年」、ウ「インド・パキスタン独立」、エ「第1回非同盟諸国首脳会議」、オ「アジア・アフリカ会議」です。選んだ後、古い順に記号を並べてください。
練習2 説明の誤りを直す
「インドと中国はどちらも1947年にイギリスから独立し、その後は同じ外交方針をとった」という文には、どんな混同がありますか。インド・パキスタンの独立、中国での内戦、中華人民共和国の成立を使い、2文で訂正しましょう。単に年を直すだけでなく、国家成立の経緯も説明してください。
練習3 組織と役割を対応させる
ア「OPEC」、イ「OAPEC」、ウ「PLO」を、A「パレスチナ人の民族運動」、B「アラブ諸国以外も含む産油国の協力」、C「アラブ石油輸出国の協力」と対応させましょう。続けて、第1次石油危機に関係する戦争の名称と年を書いてください。略称の一文字だけで判断せず、構成する国や人々を思い浮かべます。
練習4 独立後の課題を説明する
ある独立国では、特定の農産物の輸出に収入の多くを頼り、工業製品を輸入しています。この国が政治的な主権を得ても、輸出収入が安定するとは限らない理由を説明しましょう。さらに、この問題を冷戦の東西対立だけで説明しにくい理由を、「南北問題」という語を使って述べてください。
答えと解説
練習1の答え:アは1949年、イは1960年、ウは1947年、エは1961年、オは1955年で、順序はウ → ア → オ → イ → エです。バンドン会議と非同盟諸国首脳会議の間にアフリカの年が入ります。独立国の増加と国際協力の展開を、同じ年表で確認しましょう。
練習2の答え:インドとパキスタンは1947年にイギリスから分離独立しました。中国では国民党と共産党の内戦を経て1949年に中華人民共和国が成立し、インドとは成立の経緯や同盟関係が異なりました。中国の建国をインドの植民地独立と同じ出来事に置き換えないことがポイントです。
練習3の答え:アはB、イはC、ウはAで、戦争は1973年の第4次中東戦争です。OPECとOAPECは産油国の組織ですが、構成国の範囲が違います。PLOはパレスチナ人の民族運動に関わる組織であり、石油政策の主体と取り違えないようにします。
練習4の答え:特定の一次産品に依存するため、その国際価格が下がると輸出収入が減りやすいからです。これは先進工業国と発展途上国の経済格差という南北問題に関わり、米ソ両陣営の政治・軍事上の対立だけでは説明しきれません。主権を持つかどうかと、貿易条件が安定しているかどうかは別の問いです。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
冷戦の終結を学ぶときには、米ソの対立が弱まっても、植民地期に由来する国境や経済格差、パレスチナ問題が自動的に消えたわけではないことが重要になります。国際政治の枠組みが変わることと、各地域の課題が解決することを分ける読み方は、グローバル化の学習にもつながります。
家庭では、5分でできる確認を二つ試してみましょう。一つ目は、紙に1947年・1949年・1955年・1960年・1961年を書き、出来事を補ってから「国家の成立」「国際協力」のどちらかを添える方法です。二つ目は、1973年の中東戦争から石油危機までを、供給・価格・輸入国という3語を使って声に出して説明する方法です。保護者の方が聞く場合も、用語の数より、矢印の間の理由が言えているかを確かめると、お子さまが立ち止まった場所を見つけやすくなります。
個別指導で確認する際は、国名の取り違えなら地域の位置へ、独立の意味が曖昧なら植民地支配の仕組みへ戻ります。石油危機の説明がつながらない場合は、身近な輸送費や製品価格の関係から、国際経済への影響を組み立て直します。
まとめ
新しく成立した国家の名前を覚えたら、その国が何を自分で決められるようになり、何をなお他国との関係の中で決めなければならなかったかを問い直してみましょう。年表の一つの点だった独立が、国境交渉、外交上の選択、資源や産業の運営へと続く出発点に変わります。その視点があれば、非同盟を無関心と読み違えたり、石油危機を単なる物不足で片づけたりせずに説明できます。
第三世界の台頭を読む鍵は、独立を歴史の終点にせず、主権をどう行使したかまでたどることです。
本気になった日が、入塾の日。
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