連載「単元別のつまずき研究——その単元で、生徒は実際に何をどう誤るか」全50回の第34回です。学習の仕方の目次を見る
「私の将来の夢は、看護師になりたいです」——中学生の作文を読んでいると、こうした文に出会うことがあります。書いた本人は意味が通じていると思っていますが、読み手は一瞬、文の構造を探ってしまいます。主語と述語がねじれた文は、書いたときには気づきにくく、読み返しても見落とされやすいという特徴があります。
作文指導では、内容の豊かさや構成の巧みさに目が向きがちです。しかし、一文のなかで主語と述語がかみ合っていなければ、読み手は内容に入る前に何度も立ち止まることになります。今回は、主語と述語のねじれがなぜ起こるのか、どのような誤答が典型的か、そして机の前で何を確かめればよいのかを、研究の知見を踏まえながら整理します。
なお、この記事で扱うのは、文法用語を覚えさせる指導ではありません。文を組み立てる力を育てるために、実際の作文のなかで何ができるかに焦点を当てます。主語と述語のねじれは、文法の知識不足というより、文を書く途中で自分の設計を見失うところから生まれることが多いからです。
要点(結論から)
- 主語と述語のねじれは、書き手が文の前半で決めた構造を、後半で別の構造にすり替えてしまうことで生じます。文法知識の不足だけが原因ではありません。
- 「私の将来の夢は、看護師になりたいです」のように、名詞で受けるべき述語の位置に、動詞的な願望表現が入るのが典型的な形です。
- ねじれは、書いている本人にはまず気づけません。音読しても、自分の意図どおりに補って読んでしまうためです。
結論——主語と述語のねじれは、文の設計を途中で見失うことで起こる
- 主語と述語のねじれは、書き手が文の前半で決めた構造を、後半で別の構造にすり替えてしまうことで生じます。文法知識の不足だけが原因ではありません。
- 「私の将来の夢は、看護師になりたいです」のように、名詞で受けるべき述語の位置に、動詞的な願望表現が入るのが典型的な形です。
- ねじれは、書いている本人にはまず気づけません。音読しても、自分の意図どおりに補って読んでしまうためです。
- 文を短く区切って主語と述語を対応させる練習は、文法用語の暗記より作文の質に結びつきやすいという研究報告があります。
- 指導では、誤りを指摘して直させる前に、その文で「何がどうした」と言いたいのかを本人に問いかけることが有効です。
理由——ねじれはなぜ起こり、なぜ残るのか
文の前半と後半で、書き手の設計が変わる
主語と述語のねじれの多くは、文を書き始めた時点の設計と、文を終える時点の設計が一致しないことから起こります。たとえば「私の将来の夢は」と書き出した時点では、そのあとに「看護師です」のような名詞述語を続けるつもりだったはずです。ところが、実際に文を続ける段になると、「看護師になりたい」という自分の気持ちのほうが先に浮かんでしまい、そのまま書いてしまいます。
これは、書き手が文全体を設計してから書き始めているのではなく、書きながら次の語句を選んでいるために起こります。話し言葉では、こうした途中変更は「私の将来の夢は、看護師になりたいっていうか、看護師です」のように言い直しで回収できます。しかし作文では、書いた文字がそのまま残るため、ねじれが修正されずに残ります。
指導の場では、この「書きながら設計が変わる」という現象を、生徒自身に自覚させることが第一歩になります。ねじれた文を指摘された生徒は、たいてい「どこがおかしいのかわからない」と言います。それは、自分の頭のなかでは文の前半と後半がつながっているからです。頭のなかの設計図と、紙の上に残った文の形がずれていることを、外から見える形で示す必要があります。
文法用語の指導だけでは、作文の誤りは減りにくい
主語・述語のねじれを直すために、文法の時間に「主語とは何か」「述語とは何か」を説明するだけでは、作文の誤りはなかなか減りません。文法の形式的な指導が作文の質や正確さの向上に与える効果は、これまでの研究では十分に示されていないという報告があります。
Andrews R, Torgerson C, Beverton S, et al. The effect of grammar teaching on writing development. British Educational Research Journal. 2006;32(1):39-55.
この報告は、文法を教えることの効果について、長年の研究を整理したものです。ここで示されているのは、文法用語や規則を教えること自体が作文の改善に直結するとは言い切れない、という慎重な見方です。もちろん、文法指導がすべて無意味だということではありません。しかし、少なくとも「主語と述語の関係を説明すれば作文が直る」という単純な因果は、研究上は支持されていません。
教室でよくあるのは、文法の問題集では正しく直せるのに、作文では同じ誤りを繰り返すというケースです。問題集の文は、ねじれを直すために作られた文なので、生徒は「この文はおかしい」という前提で読みます。ところが自分の作文は「おかしいはずがない」という前提で読むため、同じ目が働きません。この差を埋めるには、文法の説明ではなく、自分の文を他人の文として点検する手続きが必要になります。
文を組み合わせる練習が、文を組み立てる力に効く
主語と述語のねじれを防ぐ力は、文を組み立てる力の一部です。そして、文を組み立てる力は、短い文を組み合わせて複雑な文を作る練習によって伸びる可能性が、研究で示されています。
Saddler B, Graham S. The Effects of Peer-Assisted Sentence-Combining Instruction on the Writing Performance of More and Less Skilled Young Writers. Journal of Educational Psychology. 2005;97(1):43-54.
この研究では、文を組み合わせる指導を受けた生徒が、より複雑な文を作れるようになり、物語作文の質も改善したと報告されています。ここで重要なのは、文を組み合わせる練習が、単に文を長くする練習ではなく、文の構造を意識的に操作する練習だという点です。
たとえば「私の将来の夢は看護師です」と「私は看護師になりたいです」という二つの文を、一つの文にまとめる課題を考えます。このとき、前半の構造を生かすなら「私の将来の夢は看護師になることです」となり、後半の構造を生かすなら「私は将来、看護師になりたいです」となります。どちらを選ぶにしても、主語と述語の対応を意識しなければ文は完成しません。このような操作を繰り返すことで、文の前半と後半を一貫させる感覚が育ちます。
主語と述語のねじれに悩む生徒には、自由作文のなかでいきなり直させるより、このような文の組み合わせ練習を短時間行うほうが、負担が少なく効果を期待できます。文を組み立てる感覚は、説明されて身につくというより、操作の反復のなかで身につくものだからです。
誤答の例——実際にどんな文が現れ、どう確かめるか
| よくある誤答 | その子が考えていること | 確かめる問いかけ |
|---|---|---|
| 私の将来の夢は、看護師になりたいです。 | 「夢は看護師」と「看護師になりたい」を両方書いたつもり。 | 「私の将来の夢は」のあとに、そのまま続けるなら何が来る? |
| この本を読んで、友情の大切さが学びました。 | 「私が学んだ」と言いたいが、「大切さが」と書いてしまった。 | 「学んだ」のは誰? 主語を「私」にするなら、文はどう変わる? |
| 私がこの学校を選んだ理由は、家から近いので便利だからです。 | 「理由は近いこと」と「近いので便利」が混ざっている。 | 「理由は」のあとに名詞で受けるなら、何が入る? |
| 部活で学んだことは、仲間と協力する大切さと、最後まであきらめないことを学びました。 | 「学んだことは」と書き出したあと、もう一度「学びました」で受けてしまった。 | 「部活で学んだことは」の述語は、文のどこにありますか? |
| 私の趣味は、本を読むことが好きです。 | 「趣味は読書」と「読書が好き」を一文にまとめたつもり。 | 「私の趣味は」のあとに「好きです」はつながる? つながる形に直すと? |
机の前で1対1で確かめるときは、次の手順が有効です。
- まず、ねじれている文をそのまま音読してもらいます。このとき、指摘はしません。本人がどこで引っかかるかを観察します。
- 次に、文を主語の部分と述語の部分に分けます。「私の将来の夢は」まで読んで止め、「このあと、どんな言葉が来たら自然?」と尋ねます。
- 本人が「看護師です」と答えられたら、元の文と比べます。「じゃあ、元の文はどこがずれていた?」と問いかけ、自分で違いに気づかせます。
- 直し方は一つではないことを確認します。「私の将来の夢は看護師になることです」と「私は将来、看護師になりたいです」の両方を示し、どちらが自分の言いたいことに近いかを選ばせます。
- 直した文を、もう一度全文のなかで音読させ、前後の文とのつながりも確認します。
小学生の場合、主語と述語という用語そのものが負担になることがあります。そのため、「文の最初のまとまり」と「文の最後のまとまり」という言い方に置き換えて、「最初に『私の夢は』と言ったら、最後は『〜です』で終わるよね」というように、形の対応として示すのが安全です。中学生は、用語を理解していても、自分の作文に適用できない段階が多いため、上の手順のように実際の文で操作させることが中心になります。高校生は、小論文や志望理由書など、一文が長くなる場面でねじれが増えます。長い文を書いたあとに、主語と述語だけを抜き出して並べる作業をさせると、自分の文の構造を点検する力がつきます。
よくある誤読——研究結果をどう使うべきか
「文法指導は無意味」と読む誤り
文法指導の効果に関する研究報告は、「文法を教えても作文は良くならない」という強い否定として受け取られることがあります。しかし、報告の内容はもっと慎重です。文法指導の効果について、質の高い研究が十分に蓄積されていないというのが、報告の中心的な趣旨です。
Andrews R, Torgerson C, Beverton S, et al. The effect of grammar teaching on writing development. British Educational Research Journal. 2006;32(1):39-55.
つまり、「効果がない」と証明されたのではなく、「効果があるともないとも、今の研究の質では断定できない」というのが正確な読み方です。この違いは小さく見えますが、指導の現場では大きな差になります。「文法指導は無意味」と読んでしまうと、主語と述語の対応のような基本的な文の構造を教えることまで省略してしまいかねません。そうではなく、文法用語の暗記や規則の説明だけに時間をかけるのではなく、実際の文を操作する活動と組み合わせることが必要だ、という読み方が妥当です。
また、この報告は英語圏の研究を中心に整理したものです。日本語の作文指導にそのまま当てはまるとは限りません。日本語は英語と文の構造が異なり、主語の省略も頻繁に起こります。そのため、英語の研究で示された傾向を、日本語の作文指導に無条件に持ち込むことはできません。あくまで「文法用語の説明だけでは不十分かもしれない」という示唆として受け取るべきです。
「文を組み合わせる練習だけやればよい」と読む誤り
文を組み合わせる練習の効果を示した研究も、「これだけをやっていれば作文が伸びる」という特効薬として受け取られることがあります。しかし、この研究で示されているのは、文を組み合わせる指導を受けた生徒が、受けなかった生徒と比べて文の複雑さや物語作文の質で改善を示した、という比較の結果です。
Saddler B, Graham S. The Effects of Peer-Assisted Sentence-Combining Instruction on the Writing Performance of More and Less Skilled Young Writers. Journal of Educational Psychology. 2005;97(1):43-54.
ここから言えるのは、文を組み合わせる練習が作文の一部の側面に良い影響を与える可能性がある、ということまでです。作文のすべての要素——内容の深さ、構成の論理性、語彙の豊かさ——がこの練習だけで伸びるわけではありません。主語と述語のねじれに限っても、文を組み合わせる練習は有効な手段の一つですが、それだけで十分とは言えません。実際の作文のなかで自分の文を点検する習慣と組み合わせて初めて、ねじれの減少につながります。
さらに、この研究の対象は特定の学年の児童です。異なる年齢の生徒に同じ方法が同じように効くとは限りません。指導に使うときは、生徒の年齢や作文の課題に合わせて、文の長さや組み合わせる文の数を調整する必要があります。
今週やること——文の点検を習慣にする
- 生徒が書いた作文から、主語と述語がねじれた文を一つだけ探します。複数あっても、一度に全部は指摘せず、最も目立つ一つに絞ります。
- その文を短冊に書き写し、「最初のまとまり」と「最後のまとまり」を色分けして示します。そして、最初のまとまりに合う最後の形を、生徒自身に考えさせます。
- 直した文を作文に戻し、前後の文と合わせて音読させます。その日の指導はここまでとし、翌週に別の文で同じ手順を繰り返します。
この記事で言えないこと
第一に、この記事で紹介した研究は、主語と述語のねじれという日本語の作文上の問題に特化したものではありません。文を組み立てる力や文法指導の効果に関する、より広い文脈の研究です。したがって、「この方法でねじれが必ず直る」という因果関係を、研究から直接導くことはできません。あくまで、文を組み立てる力を育てる指導の方向性として参考になる、という位置づけです。
第二に、主語と述語のねじれの現れ方は、生徒の年齢や言語環境によって大きく異なります。幼い書き手に多い単純な混線と、高校生の長文で起こる構造の見失いでは、必要な支援が違います。また、家庭で複数の言語に触れている生徒の場合、日本語以外の文構造の影響が混ざることもあり、一律の指導はかえって混乱を招く可能性があります。
第三に、ねじれを直すことと、書くことへの意欲を保つことは、ときに相反します。誤りを指摘され続けた生徒は、書くこと自体を避けるようになることがあります。この記事で示した手順は、誤りを探して直すことが目的化しないよう、あくまで「自分の言いたいことを読み手に届けるための点検」として行う必要があります。どの生徒に、どの頻度で、どの程度の厳密さで行うかは、個別の判断が欠かせません。
当塾の立場
主語と述語のねじれを直すための基本的な手順は、家庭でも十分に行えます。短冊に文を書き写し、最初と最後のまとまりを色分けして対応を確かめる作業は、特別な教材や専門知識を必要としません。むしろ、保護者の方がお子さんの書いた文を一緒に読み、「ここ、どうつながる?」と問いかけるだけでも、ねじれへの気づきは生まれます。この記事の手順を家庭で試していただくことは、私たちとしても歓迎したいことです。
そのうえで、塾が担えることがあるとすれば、点検の習慣を継続させることです。家庭では、どうしてもその日の宿題や提出物の完成が優先され、文の点検は後回しになりがちです。当塾では、作文指導の際に、書いた文の主語と述語を抜き出して並べる作業を毎回の終わりに組み込み、点検をルーティンとして定着させます。これは、特別な指導法ではなく、毎回同じ手順を繰り返すというだけのことです。しかし、その繰り返しが、自分の文を他人の目で読む力につながると考えています。
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出典
- Saddler B, Graham S. The Effects of Peer-Assisted Sentence-Combining Instruction on the Writing Performance of More and Less Skilled Young Writers. Journal of Educational Psychology. 2005;97(1):43-54.
- Andrews R, Torgerson C, Beverton S, et al. The effect of grammar teaching on writing development. British Educational Research Journal. 2006;32(1):39-55.

