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【倫理】実存主義を図解で総まとめ—キルケゴール ニーチェ ハイデガー ヤスパース サルトル|武蔵野個別指導塾

【倫理】実存主義を図解で総まとめ—キルケゴール ニーチェ ハイデガー ヤスパース サルトルのアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
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単独者、超人、死への存在、限界状況を比較し、自由と責任の関係を考えます。3枚の図と資料読解・短い論述の例題で、5人の思想家を区別する手がかりをつかみましょう。

よくあるのは、体育館の隅のタイム表を見ながら、自分の記録と順位を確かめたあと、「この数字で自分がどんな人間かまで決まるのだろうか」と考え、教科書の「実存」という言葉の前で止まる場面です。記録は走る速さを比較するのに役立ちます。しかし、次も走るのか、仲間をどう支えるのか、その競技を自分の生活の中でどう位置づけるのかは、タイム表だけでは決まりません。一般的な分類や客観的な説明と、私自身が生きるという問題との間には、違いがあります。

実存主義を学ぶときは、「自分らしく生きる思想」とひとまとめにするだけでは足りません。神との関係を重んじる思想家もいれば、神を根拠としない生き方を考える思想家もいるからです。5人がそれぞれ何に向き合い、どんな言葉で人間のあり方を説明したのかを押さえると、似た用語を見分け、自由と責任について理由を添えて書けるようになります。

この単元で身につけること

前の単元で学ぶ社会主義が労働や社会の仕組みに注目したのに対し、この単元では、その社会の中で生きる個人自身のあり方へ問いを進めます。ただし、社会と個人は切り離されているわけではありません。実存を重視する思想にも、社会への参加を積極的に求める考え方があります。

基本の考え方

実存を問うとは、誰のどんな問題を問うことか

実存とは、ここに生きる具体的な自己の存在を指す言葉です。「人間には言語を使う能力がある」という説明は、人間一般の特徴を述べています。それに対して、「私はこの約束を守るのか」「失敗した自分をどう受け止めるのか」という問いは、当事者である私の生き方に関わります。他人の助言や知識は役立ちますが、私に代わって私の人生を生きる人はいません。この代わりのきかなさが、実存を理解する入口です。

実存主義は、同じ教義を全員が共有する一枚岩の思想ではありません。高校倫理では、19世紀のキルケゴールとニーチェを先駆者として学び、20世紀のヤスパース、ハイデガー、サルトルへと視野を広げます。ただし、ハイデガー自身の中心的な課題は存在の意味を問うことであり、5人全員が同じ意味で実存主義を自称したわけではありません。教材上のまとまりと、各思想家の立場の違いを両方押さえます。

図1のように、まず人物と中心概念を横に対応させると、用語を取り違えにくくなります。この図の上下は思想の優劣や、そのままの師弟関係を示すものではありません。それぞれの問いを見分けるための対応表です。

図1 実存を問う5人の思想家と中心概念の対応

キルケゴールとニーチェが向き合った問題

キルケゴールは、抽象的な体系の中で人間を説明するだけでは、現実に悩み、選び、生きる個人の問題を十分に捉えられないと考えました。そこで重視したのが、主体的真理です。これは、どんな思い込みでも事実として正しいという意味ではありません。自分の生き方に関わる真理を、当人がどのように引き受けるかが問題になるということです。事実の正誤を調べることと、生き方を自分の課題として受け止めることを混同しないでください。

その中心にある単独者は、神の前にひとり立つ個人です。単に友人が少ない人や、一人で行動する人を指すのではありません。大勢が賛成しているからという理由だけに寄りかからず、神との関係で自分自身の生を引き受けるあり方です。人間は自分でありたくないと感じたり、自分だけの力で自己を成立させようとしたりして、絶望に陥ります。キルケゴールはこの絶望を自己との関係の問題として考え、信仰による克服を求めました。

高校倫理で整理する実存の3段階は、美的実存、倫理的実存、宗教的実存です。美的実存では、その時々の快楽や刺激を追い求めます。しかし、楽しみが過ぎ去れば退屈やむなしさが残ります。倫理的実存では、持続的な約束や義務を引き受けて生きようとします。それでも、理想どおりに生きられない自分の罪や限界に直面します。宗教的実存では、自分の力だけを根拠とせず、神への信仰において自己を取り戻そうとします。

この移行は、知識が増えれば自動的に進む階段ではありません。とくに信仰の跳躍は、神への信仰を理性による証明の結論として確保するのではなく、不確実さを抱えながら主体的に決断することです。「努力すれば必ず信仰の段階に到達する」という成長の法則にはできません。また、この整理を使って他人の生活の価値を採点することも、思想の理解とは別の行為です。

ニーチェは、ヨーロッパを支えてきたキリスト教的な価値や、その背後にある絶対的な真理への信頼を問い直しました。「神は死んだ」という表現は、神という生物の死亡を報告しているのではありません。従来の最高価値が人間の生を確かなものとして支える力を失った状況を表しています。この状況では、何のために生きるのかという目標や意味が失われ、ニヒリズム、すなわち虚無主義が問題になります。

ニーチェは、むなしさのまま何もしない態度を最終的な答えにしたわけではありません。従来の価値を吟味し直し、自分を乗り越えながら新たな価値を創造する超人を構想しました。超人は、運動能力や知能が他人より高い人という意味ではありません。また、他人を支配すればよいという単純な勧めでもありません。力への意志は、生が自己を拡大し、形成し、乗り越えようとする働きとして押さえます。

ルサンチマンは、自分が直接には晴らせない恨みや反感です。ニーチェは、そうした感情が、強さを悪とし弱さを善とする価値づけを生む働きを批判しました。これはニーチェによる道徳の成り立ちの批判であって、苦しむ人への支援を不要とする一般原則として扱うものではありません。さらに永劫回帰は、この生が同じまま繰り返されるという考えを通して、それでもこの生を肯定できるかを問いかけます。ここでは、未来を予測する自然科学の法則として読むより、運命愛と結びつく生の肯定の問いとして理解します。

ハイデガー、ヤスパース、サルトルの展開

ハイデガーは、自分の存在のあり方を問い得る人間を現存在と呼びました。人間はまず世界と無関係な心として存在し、そのあと外界につながるのではありません。すでに他者や道具と関わる世界の中で生きています。このあり方が世界内存在です。日常生活では、世間で普通とされる考えに従い、自分で選んでいるつもりでも「みんながそうしている」という基準に埋もれることがあります。この匿名的なあり方を、世人という言葉で捉えます。

死への存在とは、自分の死という、誰にも代わってもらえない可能性に関わりながら生きるあり方です。死を先取りして理解すると、使える時間が無限ではないことが明らかになり、世間任せにしていた自分の可能性を自ら引き受ける契機になります。これが本来的なあり方を考える手がかりです。早く死ぬことを勧めたり、死の時期を計算したりする思想ではありません。また、本来性を「社会生活を捨てて一人になること」と解釈しないようにします。

ヤスパースは、死、苦悩、争い、罪など、人間が根本的には避けたり取り除いたりできない限界状況に注目しました。日常的な問題なら、知識や技術によって解決できる場合があります。しかし、有限な人間であるという条件そのものは、便利な道具を増やすだけでは解消できません。限界状況で自分の力の限界に直面する挫折を通して、実存に目覚め、自己を越えた超越者との関係が開かれると考えました。

ここでの超越者は、超人と同じものではありません。ヤスパースの超越者は、通常の物のように客観的に把握し尽くせない、自己を越えた存在に関わる言葉です。また、実存は閉じた独りよがりのまま完成するものではなく、他者との真剣な交わりも重視されます。限界状況の自覚は、困っている人に「自分で悟ればよい」と言う根拠にはなりません。改善できる苦痛への支援と、人間の有限性を考えることは両立します。

サルトルの「実存は本質に先立つ」という主張は、人間には最初から完成した目的やあり方が定められているのではなく、まず存在し、その後の選択と行為によって自己を形づくるという意味です。たとえば、はさみは切るための道具として構想され、製作されます。サルトルは、神による人間の設計図を前提としない立場から、人間のあり方をそのような道具のあり方と区別しました。

そのため、人間は自由であり、自分の選択をすべて生まれつきの性格や命令のせいにして済ませることはできません。「自由の刑」という表現は、自由を捨てて責任から完全に逃れることもできないという重さを示します。ただし、自由とは何でも実現できる能力ではありません。身体、過去、社会的な立場などの状況の中で、どう行為するかが問われます。困難な状況を生きる人に、その状況の原因まで一律に負わせる説明にはしないでください。

自分を固定した役割や性質だけで決まるものとして扱い、自由と責任から目をそらすあり方を、サルトルは自己欺瞞として問題にしました。これに対して、現実の社会に関わり、行為を通して責任を引き受けることがアンガージュマン、すなわち社会参加です。自由は心の中だけで完結する願望ではなく、他者とともにある世界で何をするかという問いにつながります。

例題で解き方を確かめる

例題1 単独者を説明する

問題:次の説明でキルケゴールの単独者に当てはまるものを選び、その理由を述べます。ア「他者との関わりを避け、いつも一人で過ごす人」、イ「群衆に埋もれず、神の前で自分の生を引き受ける個人」、ウ「生まれながらに特別な能力を備えた人」の3つです。

  1. 単独者が何との関係を表すかを確かめます。ここでは神との関係が中心なので、物理的に一人かどうかだけでは判断できません。
  2. 各選択肢の判断基準を取り出します。アは交友関係の有無、イは信仰と主体的な生き方、ウは能力の優劣を述べているため、同じ「個人」の説明でも内容が違います。
  3. 単独者の定義と一致する説明を選びます。イには神の前に立つことと自分の生を引き受けることがあり、必要な条件がそろっています。

答え:イ。単独者は、神の前で自分自身の生を主体的に引き受ける個人です。

例題2 実存の3段階を資料から読む

問題:次の3つの記述を、キルケゴールの実存の3段階に対応させます。A「刺激を追って過ごすが、楽しみが終わるとむなしさが残る」、B「約束を守って生きようとするが、義務を果たし切れない自分の罪を自覚する」、C「自己の力だけでは自己を支え切れないと知り、神への信仰に生きる」です。さらに、この順序が年齢による自動的な発達を表すか説明します。

図2のように、3段階は生き方の違いに注目して並べます。矢印は、誕生日を迎えるごとに自然に進む時間の線ではなく、生き方を変える決断を含む移行を表しています。

図2 キルケゴールの実存の3段階と信仰への跳躍
  1. 各記述で生き方のよりどころになっているものに注目します。気分、義務、信仰という違いを拾うと、絶望や罪といった周辺の語だけに引きずられずに済みます。
  2. Aを美的実存、Bを倫理的実存、Cを宗教的実存に対応させます。Bに罪の自覚があるのは、倫理的に生きようとする自己の限界に直面するためです。
  3. 移行の性質を説明します。信仰の跳躍には主体的な決断があるため、年齢や知識量だけで必ず到達する段階とは書けません。

答え:Aは美的実存、Bは倫理的実存、Cは宗教的実存であり、移行は年齢によって自動的に起こるものではありません。

例題3 同じ「死」を異なる文脈で読む

問題:P「自分の死という代替できない可能性を先取りし、世間任せのあり方から自分の可能性を引き受ける」、Q「死や罪などの限界状況での挫折を通じ、超越者との関係において実存に目覚める」という説明に対応する思想家を答えます。PとQは学習のためにまとめた説明で、著作からの直接の引用ではありません。

  1. 両方に出てくる「死」以外の語を探します。共通語だけを根拠にすると、思想家の違いを見失うためです。
  2. Pの「代替できない可能性」「世間任せ」に注目します。死への存在と世人の関係を述べているので、ハイデガーに対応します。
  3. Qの「限界状況」「挫折」「超越者」を結びつけます。この組合せはヤスパースの実存の目覚めを表すため、Pと区別できます。

答え:Pはハイデガー、Qはヤスパースです。

例題4 自由と責任について短く論述する

問題:「私は断るのが苦手な性格なので、引き受けた役割を放置しても自分の責任ではない」という発言を、サルトルの立場から検討します。「選択」「責任」「状況」の3語を使い、性格と自由の関係を説明します。役割を果たせなかった具体的な事情は、別に確かめる必要があるものとします。

  1. 発言が何を理由に責任を否定しているかを取り出します。性格を固定した本質とし、その後の行為が必然的に決まると扱っている点が検討の対象になります。
  2. 「実存は本質に先立つ」を当てはめます。過去の傾向があっても、相談する、引き受け方を変えるなど、今後の行為によって自己を形づくる可能性を考える必要があります。
  3. 状況の制約と選択の責任を一緒に書きます。自由を無制限の能力と誤解せず、同時に性格を理由として責任を丸ごと消さないためです。
  4. 論述を一つの文にまとめます。事情を無視して結果のすべてを本人のせいにする表現が入っていないかも確かめます。

答え:性格や状況の制約はあっても、行為の選択をすべて性格のせいにすることはできず、自らの選択への責任が問われます。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 実存主義なら、神への態度も同じになる

誤った書き方は「実存主義はすべて神を否定する思想です」です。どこが違うかというと、個人の実存を重視することと、神の存在をどのように考えるかは、同一の問題ではありません。キルケゴールにとっては神への信仰が重要であり、ヤスパースは超越者との関係を考えます。一方、ニーチェは従来のキリスト教的価値を批判し、サルトルは神を前提とせず人間の自由を論じます。

正しい書き方は「実存を重視する思想には、信仰や超越者との関係を重んじる立場と、神を前提にせず人間の生を考える立場があります」です。なお、ハイデガーの存在への問いを、単純な信仰の賛否だけで分類するのは適切ではありません。比較するときは、各思想家が実際に何を主題としているかを優先します。

誤り2 超人も超越者も、能力の高い人を指す

誤った書き方は「超人とは限界状況を乗り越えて超越者になった人です」です。どこが違うかというと、ニーチェの超人とヤスパースの超越者を、同じ成長過程の前後としてつないでいる点です。超人は自己超克と価値創造に関わる概念であり、超越者は人間が能力を高めた末になる職位のようなものではありません。

正しい書き方は「ニーチェの超人は従来の価値を越えて価値を創造するあり方に関わり、ヤスパースの超越者は有限な自己を越えた存在に関わります」です。似た漢字を手がかりに一緒に覚えるよりも、超人にはニヒリズム、超越者には限界状況という組合せを添えると、意味の違いが明確になります。

誤り3 自由とは、制約も責任もないことだ

誤った書き方は「サルトルは自由を認めるので、好きに行動して責任を取らなくてよいと考えました」です。どこが違うかというと、自由を気ままさと同一視し、選択する主体に責任が伴う点を落としていることです。また、本人が望めば、身体や生活条件の制約まで消えると考えたわけでもありません。

図3のように、状況の中にいる人間が選択し、その行為への責任を引き受けます。アンガージュマンは、その自由を社会への関わりの中で具体化する方向を示します。図の矢印は考えを整理する順序であって、一度選んだら反省や選び直しができなくなることを意味しません。

図3 状況の中での選択と責任から社会参加への関係

正しい書き方は「サルトルは、人間が状況の中で選択し、その選択への責任を負うと考え、社会への主体的な参加を求めました」です。実存思想には、匿名的な同調から個人を取り戻す意義を認める見方と、個人の決断を強調しすぎると社会的な制約を捉えにくくなるという見方があります。後者の問いも持ちながら読むと、自由を尊重することと、必要な支援を考えることを両立させられます。

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練習問題

練習1

次の対応のうち、正しいものをすべて選びます。ア「キルケゴール―神の前の単独者」、イ「ニーチェ―限界状況から超越者へ」、ウ「ハイデガー―死への存在」、エ「ヤスパース―超人による価値創造」です。誤っている選択肢は、人物名をどう直せばよいかも考えます。

練習2

「ニーチェは最高価値が力を失う状況を捉えたので、意味のない人生をただ諦めることを最終的な理想とした」という説明の誤りを、「ニヒリズム」「価値」の2語を使って直します。否定される状況と、そこから進もうとする方向とを分けて書きます。

練習3

「調べれば解ける課題がある」と「人間は死を完全には避けられない」という2つの説明のうち、ヤスパースの限界状況を説明するのに適切なものを選びます。また、限界状況を認めることが、改善できる困難への働きかけをやめることになるかも答えます。

練習4

「誰も意見を言わないので、自分も黙っていた。黙っていただけだから、話合いの決定にはまったく関わっていない」という主張を、サルトルの自由と責任に照らして検討します。「選択」「社会参加」の2語を使い、沈黙が置かれた事情にも触れて2文で説明します。

答えと解説

練習1の答えはアとウです。イの人物名をヤスパース、エの人物名をニーチェに直せば、中心概念との対応が成立します。「超」という字だけで人物を決めず、何を問い、どのような方向を示したかを確認します。

練習2の解答例は「ニーチェはニヒリズムにとどまるのではなく、従来の価値を問い直し、新たな価値を創造して生を肯定する方向を示しました」です。ニヒリズムという診断だけで説明を終えると、超人や運命愛とのつながりを落としてしまいます。

練習3の答えは「人間は死を完全には避けられない」のほうです。限界状況は、情報が不足しているだけの問題ではなく、人間の有限性に関わります。ただし、その自覚は改善可能な困難を放置することを意味せず、支援や工夫を続けることと矛盾しません。

練習4の解答例は「沈黙も状況の中での選択となり得るため、社会参加のあり方として、その影響を考える必要があります。ただし、発言を妨げる圧力などの事情も確かめ、責任を一律に決めつけないことが必要です」です。不参加に見える行為も社会と無関係とは限りませんが、それだけで全員に同じ責任があると結論づけることもできません。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

次に現象学や構造主義などを学ぶときは、主体が世界をどのように経験するのか、また人間の選択が言語や社会の仕組みにどのように条件づけられるのかが問いになります。実存主義で学んだ自由と状況の関係を覚えておくと、主体を重視する見方と、その主体を成り立たせる条件を問う見方を比較できます。後の思想が前の思想を単純に全否定した、と一直線に理解しないことが大切です。

家で5分ほど確かめるなら、1つ目は紙を左右に分け、左に5人の名前、右に中心概念と短い説明を書く方法です。右側を隠して、名前から説明まで言えるか試します。2つ目は「死」「自由」「神」から1語を選び、関係する思想家を2人挙げ、その語の位置づけの違いを声に出して説明する方法です。保護者の方がお子さまの説明を聞く場合も、正誤だけでなく「その言葉は何との関係を表すのか」を尋ねると、理解の抜けが見えやすくなります。

個別指導では、人物名の暗記に戻るだけでなく、「人間一般の特徴」と「私がどう生きるか」の区別まで戻って確かめます。そのうえで、生徒自身が選択肢のどの語を根拠に判断したのかを言葉にし、理由が本文の定義とつながるところまで確認します。

まとめ

体育館の隅のタイム表に戻ると、記録は依然として記録として意味を持っています。ただ、その数字を受けて何を選ぶかまで、表が代わりに決めてくれるわけではありません。実存を問うことは、自分の条件を消してしまうことではなく、その条件の中で、よりどころや行為の意味を問い直すことです。

他人の説明から学ぶことと、自分で決断することは両立します。実存の問いは、自分を説明する言葉を得たあとにも、自分がどう生きるかを問い続けるところに残ります。

本気になった日が、入塾の日。

お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。

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