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【小6社会】平安から室町時代を図解で総まとめ—貴族の文化・武士の政治・室町の文化|武蔵野個別指導塾

貴族から武士へ政治が動く流れを、出来事の順序図と御恩・奉公の関係図で整理します。人物と文化を結ぶ例題や、元との戦いの後を説明する練習で、名前の暗記から一歩進めます。
よくあるのは、朝の通学路の坂を上りながら「金閣は義満、銀閣は義政」と口にしたあと、「では、頼朝はどこで政治をしたの」と聞かれると、京都と鎌倉が混ざってしまうという場面です。人物の名前は覚えていても、その人物が生きた時代や、何をした人なのかが結びついていないと、少し聞き方が変わった問題で手が止まります。
平安から室町までを学ぶときは、名前を長い列にする前に、政治の中心、力を持つ人々、文化の特色を分けて整理します。そのうえで「なぜ武士が力を持ったのか」「戦いの後に何が問題になったのか」と出来事をつなげると、短い説明も書きやすくなります。
ここでは、貴族の政治と文化から、武士の政治、今のくらしにもつながる室町の文化までをたどります。保護者の方は、お子さまが正しい名前を言えたところで終えず、「その人は、どこで、何をしたの」と続けてみてください。答えに足りない部分が、次に確かめる場所になります。
この単元で身につけること
- 平安時代の貴族の政治を説明します。天皇と関係を深めて力を持った藤原氏を、都での政治と結びつけます。
- 平安時代の文化の特色を捉えます。かな文字や文学を、日本の風土やくらしに合った文化が育ったこととつなげます。
- 武士が力を伸ばした理由を考えます。地方の土地を守る動きから、平氏、源氏、鎌倉幕府へと順序を追います。
- 将軍と御家人の関係を説明します。御恩と奉公を、誰から誰へのはたらきかという向きまで含めて区別します。
- 元との戦いの後の問題を説明します。戦ったことと、新しい土地を褒美として与えにくかったことをつなげます。
- 室町の人物と文化を対応させます。金閣、銀閣、能、書院造を、関わった人物や今に続く特色と組み合わせます。
前の単元で学んだ奈良の都や天皇を中心とする国づくりが、平安の都の政治を考える土台になります。時代名が変わるたびに、それまでの人々や制度がすべて消えるわけではありません。変わったことと、引き続き存在したことの両方を見る姿勢を持ちましょう。
基本の考え方
平安の都では貴族が政治と文化を担いました
794年、桓武天皇は都を平安京に移しました。平安京は今の京都市に置かれた都です。都とは、天皇が住み、政治の中心となる場所です。「平安京」は都の名前、「平安時代」は時代の名前なので、場所を聞かれたときと時代を聞かれたときで答えを分けます。
平安時代には、天皇のもとで政治に関わる貴族が力を持ちました。特に藤原氏は、娘を天皇のきさきにし、生まれた子が天皇になることで、天皇の親族として政治に強い影響を持つようになりました。藤原道長は、そのようにして大きな力を持った代表的な人物です。単に「藤原氏は強かった」と覚えるより、天皇との結びつきを手がかりにすると、力を持った仕組みを説明できます。
貴族の暮らしでは、衣服や住まい、和歌、年中行事などが重んじられました。こうした都の貴族の暮らしを、当時のすべての人の暮らしと考えないことが大切です。地方では、多くの人々が田畑を耕して生活していました。資料に立派な屋敷が描かれていたら、それが誰の住まいを表しているのかを確かめます。
大陸から伝わった文化をもとにしながら、日本の風土やくらしに合った文化が育ちました。漢字をもとにしたかな文字が広まり、日本語の気持ちや様子を書き表しやすくなりました。紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』は、この時代の文学の代表です。作品名だけでなく、かな文字の発達と文学が結びついていることを捉えましょう。
『源氏物語』という名前に「源氏」が入っていても、源頼朝が幕府を開く様子を記録した本ではありません。作品を見たときは、題名に知っている文字があるかよりも、作者と時代を確かめます。似た言葉を手がかりにして別の時代へ飛ばないようにするためです。
土地を守る武士から鎌倉の政治へ進みます
地方では、土地を開き、その土地を守るために武装する人々が現れました。こうした動きの中で武士が成長し、まとまって武士の集団をつくるようになりました。その有力な集団を率いたのが源氏や平氏です。武士を「戦うことだけをする人」と覚えると、土地とのつながりが見えなくなります。田畑から得られる収穫は生活を支えるので、土地を守ることが重要だったのです。
平清盛は、武士として朝廷で高い地位に就き、政治の力を握りました。また、宋との貿易にも力を入れました。朝廷とは、天皇を中心とする政治の場や仕組みです。武士が力を伸ばした最初から、朝廷と無関係の場所で政治をしていたわけではありません。清盛は、朝廷の中で力を持った武士として押さえます。
その後、源氏と平氏が争い、源頼朝の弟である源義経らの働きによって、1185年に平氏は滅びました。頼朝は鎌倉を拠点とし、武士による政治の仕組みを整えていきました。1185年には、守護や地頭を置くことを朝廷に認めさせました。守護は国ごとに置かれ、主に軍事や警察の役割を担い、地頭は各地の荘園や公領に置かれ、年貢の取り立てや土地の管理などを担いました。
1192年、頼朝は征夷大将軍に任命されました。幕府とは、将軍を中心とする武士の政権です。鎌倉幕府は1日の出来事だけで突然完成したものではなく、いくつかの段階を通して仕組みが整いました。「1185年」と「1192年」は、どちらかを消して覚えるのではなく、それぞれが何の出来事を指すかを結びつけます。
図1のように、平安京への遷都、鎌倉の武士の政治、室町幕府という順に整理できます。この図は出来事の順序を示すもので、横の間隔が実際の年数を表しているわけではありません。朝廷が京都に存在し続けたことにも注意し、鎌倉に幕府が置かれたことを「天皇も鎌倉へ移った」と読み替えないようにします。

元との戦いの後に室町の政治と文化を見ます
鎌倉幕府では、将軍と主従関係を結んだ武士を御家人といいます。将軍は御家人の土地の支配を認めたり、働きに応じて新しい土地を与えたりしました。これが御恩です。御家人は戦いに出たり、京都や鎌倉の警備をしたりしました。これが奉公です。土地を支えにした結びつきだったことが、後の出来事を考える鍵になります。
頼朝の死後、北条氏が執権として幕府の政治の実権を握るようになりました。執権は将軍を補佐する役職です。北条時宗が執権だったころ、大陸の元が日本に攻めてきました。1274年と1281年の2度の襲来を元寇とも呼びます。御家人らは九州北部で戦い、幕府は次の攻撃に備えて防塁も築かせました。暴風雨だけでなく、守りの備えや武士の戦いも含めて捉えます。
元の軍を退けても、幕府が新しい土地を多く手に入れたわけではありません。戦いに費用や労力をかけた御家人に十分な褒美を与えることが難しく、不満が高まりました。これが幕府の力が弱まる背景の1つです。ただし、元との戦いの直後に幕府が滅びたわけではありません。その後、幕府に反対する動きが広がり、1333年に鎌倉幕府は滅びました。
後醍醐天皇による政治を経て、足利尊氏が京都に幕府を開きました。室町幕府です。足利義満のころには、京都の室町に将軍の御所が置かれました。義満は明との貿易を進め、金閣を建てました。足利義政は銀閣を建てました。平清盛の貿易相手は宋、義満の貿易相手は明なので、貿易という共通点だけで人物を取り違えないようにしましょう。
室町時代には、観阿弥・世阿弥が能を大成しました。能は、せりふや歌、舞などによって物語を演じる芸能です。また、書院造という部屋のつくりが生まれ、床の間などを備える今の和室にもつながりました。雪舟は水墨画を発展させました。水墨画は主に墨の濃淡で描く絵です。文化を覚えるときは「建物」「芸能」「部屋のつくり」「絵画」と分けると、違いがはっきりします。
例題で解き方を確かめる
例題1 人物と作品を組み合わせます
問題です。紫式部と清少納言について、それぞれの作品を『枕草子』『源氏物語』から選びましょう。また、これらの文学が生まれたころに広まった文字を答えましょう。
- まず、2人が平安時代の人物であることを確かめます。時代をそろえることで、鎌倉や室町の文化を混ぜずに考えられます。
- 次に、紫式部と『源氏物語』、清少納言と『枕草子』を組み合わせます。作品名だけを順に唱えるのではなく、作者と作品を1組にするためです。
- 最後に、文字と文学の関係を考えます。日本語の表現を支えたかな文字を思い出せば、人物の組み合わせとは別の問いにも答えられます。
ここでの「文字」は、漢字がなくなったという意味ではありません。漢字も使われながら、かな文字による表現が発達しました。「かな文字が広まった」と「かな文字しか使わなかった」を区別することが、文化の説明を正確にします。
答え:紫式部は『源氏物語』、清少納言は『枕草子』で、広まった文字はかな文字です。
例題2 御恩と奉公を矢印で読み取ります
問題です。図2を見て、将軍が御家人の土地の支配を認めることを何というか、御家人が将軍のために戦うことを何というか答えましょう。さらに、両者が何を支えに結びついていたか説明しましょう。
図2のように、上の矢印は将軍から御家人へ、下の矢印は御家人から将軍へ向かいます。2本の矢印は、物を同じ量だけ交換したという意味ではありません。誰が誰に対して何をするのかを示しています。

- 最初に、矢印の出発点と到着点を読みます。言葉だけで選ぶと、似た響きの御恩と奉公を逆にしやすいためです。
- 将軍から御家人へ向かう矢印に、土地の支配を認めることや土地を与えることを当てはめます。将軍が御家人に与える側なので、御恩と判断できます。
- 御家人から将軍へ向かう矢印に、戦いに出ることや警備をすることを当てはめます。御家人が働く側なので、奉公と判断できます。
- 2つを結ぶものを考えます。土地が生活の支えであることを入れると、なぜ御家人が将軍に従うのかまで説明できます。
「将軍は褒美を与え、御家人は働く」でも大まかな向きは合っていますが、歴史の説明では褒美の中身まで確かめます。現代の仕事の給料をそのまま当てはめず、土地の支配を認めることも御恩であると押さえましょう。
答え:将軍から御家人へは御恩、御家人から将軍へは奉公で、土地を支えとした主従関係です。
例題3 元との戦いの後の不満を説明します
問題です。元の軍を退けたのに、御家人の間で幕府への不満が高まったのはなぜでしょう。「費用」「土地」「褒美」の3つの言葉を使って説明しましょう。
- まず、戦いに参加した御家人の立場を考えます。人や武器などを準備して戦うには費用がかかり、勝ったかどうかとは別に負担が残るためです。
- 次に、戦いの結果として幕府が得たものを確かめます。日本を守った戦いなので、新しい土地を多く得たわけではないことに注目します。
- 図2の御恩に戻り、土地を十分に与えられないと何が起こるか考えます。奉公をした御家人が期待した褒美を十分に受けられないことが、不満につながります。
- 最後に、原因から結果へ並べて1つの説明にします。「不満だったから不満が高まった」という同じ意味の繰り返しを避けるためです。
説明の中心は、「戦いには勝ったのだから、すべて解決した」と考えないことです。戦いを終えた結果と、生活の負担が軽くなることは同じではありません。一方で、「御家人には一切何も与えられなかった」と言い切る必要もありません。十分な褒美を与えることが難しかったという関係を押さえます。
答え:御家人は戦いに費用をかけましたが、幕府は新しい土地を多く得られず、十分な褒美を与えにくかったためです。
例題4 室町の文化を説明文から選びます
問題です。次の3つの説明に合う言葉を、金閣、銀閣、能、書院造から選びましょう。アは足利義満が建てた建物、イは観阿弥・世阿弥が大成した芸能、ウは今の和室にもつながる部屋のつくりです。
- まず、説明の最後が「建物」「芸能」「部屋のつくり」のどれになっているか読みます。問いが求める種類を先に分けると、名前の響きだけで選ばずに済みます。
- アは建物なので、金閣と銀閣を候補にします。義満という人物名が手がかりになるので、金閣を選びます。
- イは芸能なので、能を選びます。建物を建てることと、舞台で演じる芸能を発展させることを分けて捉えます。
- ウは部屋のつくりなので、書院造を選びます。建物の名前と建築の様式の名前は、同じ答え方にならないためです。
残った銀閣は足利義政と組にして確かめます。選ばなかった言葉も、なぜ今回は使わないか説明できると、別の問題になったときに役立ちます。「義満と義政は名前が似ている」で終えず、「義満が金閣、義政が銀閣」とそれぞれの対応を戻しましょう。
答え:アは金閣、イは能、ウは書院造です。
つまずきやすいところと直し方
政治の場所と都を同じものにしてしまいます
誤った書き方:「源頼朝は平安京に鎌倉幕府を開き、天皇は鎌倉へ移りました。」
どこが違うか:平安京と鎌倉を混ぜ、さらに幕府の場所が変われば天皇も移ると考えています。幕府が置かれた鎌倉と、朝廷がある京都は別の場所です。武士の政治が始まっても、天皇や朝廷がなくなったわけではありません。場所の名前を人物のすぐ横に書くと、混同を見つけやすくなります。
正しい書き方:「源頼朝は鎌倉を拠点として幕府の仕組みを整えました。朝廷は京都にありました。」この2文に分ければ、武士の政治の拠点と朝廷の場所をそれぞれ説明できます。図1でも、順序を示す矢印を、人々全員が移住する矢印として読まないようにします。
元との戦いから滅亡までを1つの出来事にします
誤った書き方:「元との戦いに敗れたため、鎌倉幕府はすぐに滅びました。」
どこが違うか:元の軍を退けたという結果と、その後に幕府の力が弱まった経過が入れ替わっています。元との戦いは1274年と1281年、鎌倉幕府の滅亡は1333年です。順序を確認すると、戦いの直後に幕府が終わったわけではないこともわかります。
正しい書き方:「元の軍は退けましたが、十分な褒美を得られない御家人の不満などから、幕府の力が弱まっていきました。」幕府が滅びるまでには、後醍醐天皇や幕府に反対する武士の動きもありました。1つの原因だけで長い変化のすべてを説明しないことが大切です。
金閣と銀閣を名前の色だけで覚えます
誤った書き方:「義満は銀閣、義政は金閣を建て、銀閣には銀が一面に張られています。」
どこが違うか:人物と建物が逆で、建物の名前から外観まで決めてしまっています。銀閣は、金閣の金色と対になるように銀色に覆われた建物ではありません。名前から想像したことと、学習した事実を分ける必要があります。
正しい書き方:「足利義満は金閣、足利義政は銀閣を建てました。銀閣は銀で覆われていません。」図3のように、人物から建物へ横にたどり、別の組と取り違えていないか確かめます。図の上下は、建物の高さや人物の地位の差を示すものではありません。

金閣や銀閣は、写真で見る姿と人物名を結びつける学習にも向いています。ただし、建物の印象だけで、その時代全体の文化を「派手」「地味」と決めつけないようにしましょう。室町の文化には能や水墨画などもあり、異なる表現が育っていました。
練習問題
練習1 時代の順序を確かめます
次のア〜エを古い順に並べましょう。アは足利尊氏が室町幕府を開く、イは平安京に都を移す、ウは元が日本に2度にわたって攻めてくる、エは源頼朝が守護・地頭を置くことを認めさせる、です。年をすべて思い出せなくても、平安・鎌倉・室町のまとまりを手がかりに考えてください。
練習2 御恩と奉公を分けます
次の2つはそれぞれ御恩と奉公のどちらでしょう。アは将軍が御家人の土地の支配を認めること、イは御家人が鎌倉の警備をすることです。答えを書く前に、誰から誰へのはたらきかを声に出して確かめましょう。
練習3 原因を短く説明します
「元との戦いの後、幕府は新しい土地を多く得られませんでした。」このことが、なぜ御家人の不満につながったのか説明しましょう。例題3をそのまま写すのではなく、御恩の中身に戻って、自分の言葉で2文以内にまとめてください。
練習4 文化と人物を対応させます
アは『枕草子』の作者、イは銀閣を建てた人物、ウは能を大成した2人です。それぞれの人物名を答えましょう。さらに、書院造は「絵画」「部屋のつくり」「文学作品」のどれを表す言葉か選びましょう。
答えと解説
練習1の答え:イ→エ→ウ→アです。平安京への遷都から、鎌倉の政治の仕組みづくり、元との戦い、室町幕府へと進みます。エとウはどちらも鎌倉幕府に関係しますが、頼朝が仕組みを整えた後に元との戦いが起こりました。
練習2の答え:アは御恩、イは奉公です。土地を新たに与えなくても、もともとの土地の支配を認めることは御恩に含まれます。また、奉公には戦いだけでなく警備も含まれるので、用語を1つの行動だけに限定しないようにします。
練習3の答え:戦った御家人に土地を褒美として十分に与えにくくなり、負担に見合う御恩を受けられない御家人の不満が高まったためです。「土地を得られなかったから」だけでは、不満に至る途中の関係が足りません。誰が褒美を受けにくくなったのかまで書きましょう。
練習4の答え:アは清少納言、イは足利義政、ウは観阿弥・世阿弥で、書院造は部屋のつくりです。清少納言は平安時代、残りは室町時代の文化に関わります。人物名の正誤に加えて、時代と文化の種類も確かめると、覚え直す範囲を絞れます。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
室町時代には、農業や商業が発達し、村の人々や都市の商人がまとまって活動する動きも見られました。一方、応仁の乱をきっかけに、各地で争いが広がっていきます。次の戦国時代の学習では、将軍の力が弱まる中で、地域を治める大名が力を伸ばす流れをたどります。武士が土地を支えに力を持つという見方は、ここでも役立ちます。
家庭で5分ほどで確かめる方法の1つは、紙に「京都」「鎌倉」と書き、藤原道長、源頼朝、足利義満をそれぞれ関係する場所へ置いて説明することです。道長と義満はどちらも京都に関わりますが、貴族と将軍では役割が異なります。場所が同じでも時代や立場は違う、と気づければ十分です。
もう1つは、図2を見ながら「もし将軍が十分な土地を与えにくくなったら」と問い、御家人の立場で答える方法です。名前当てよりも、土地と奉公が結びついているかを確かめられます。余裕があれば、御家人から将軍へ向かう矢印を指し、その具体的な行動を1つ言ってみましょう。
個別指導では、説明が止まったときに、まず「誰が」「誰に」「何をした」の主語と向きを確かめます。土地がなぜ大切かが曖昧なら、田畑の収穫が人々の生活を支えるというところまで戻り、御恩と奉公を組み立て直します。
まとめ
歴史の答えは、名前が合っているかだけでは決まりません。「頼朝」と答えられても、京都で室町幕府を開いた人と説明していれば、人物と出来事の結びつきを直す必要があります。反対に、人物名を一度思い出せなくても、場所や土地の役割を説明できれば、思い出すための手がかりは残っています。
お子さまの説明を聞くときは、どこまで関係がつながっているかに耳を傾けてみてください。「武士は土地を守った」から「土地を十分に与えられず不満が生まれた」へ進むと、出来事の前後が意味を持ち始めます。土地をめぐる関係を一文で結べたとき、平安から室町への歩みは、名前の列から人々の営みに変わります。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。




