
武蔵野個別指導塾の特徴
室町幕府の将軍の一覧—足利15代の覚え方と主な出来事|武蔵野個別指導塾

1397年に金閣を建てたとき、義満はもう将軍を退いていました。足利15代の在職と出来事を表で並べ、タカ・アキ・ミツの唱え方で順番まで持ち帰れます。
| 代 | 名前 | 読み | 在職 | 主な出来事 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 足利尊氏 | あしかが たかうじ | 1338〜1358 | 建武の新政に背いて京都に北朝を立て、1338年に征夷大将軍となる。弟の直義と争う観応の擾乱 |
| 2 | 足利義詮 | あしかが よしあきら | 1358〜1367 | 南朝との戦いが続く中で幕府を固める |
| 3 | 足利義満 | あしかが よしみつ | 1368〜1394 | 京都の室町に花の御所(1378)。南北朝の合一(1392)。将軍を退いた後に金閣(1397)と勘合貿易(1404) |
| 4 | 足利義持 | あしかが よしもち | 1394〜1423 | 父の死後に勘合貿易を中止(1411)。朝鮮が対馬を攻めた応永の外寇(1419) |
| 5 | 足利義量 | あしかが よしかず | 1423〜1425 | 若くして亡くなる。将軍のいない時期が続き、その間に正長の土一揆(1428) |
| 6 | 足利義教 | あしかが よしのり | 1429〜1441 | くじ引きで選ばれる。勘合貿易を再開(1432)。永享の乱(1438)。嘉吉の変で赤松満祐に討たれる(1441) |
| 7 | 足利義勝 | あしかが よしかつ | 1442〜1443 | 幼くして就任し、在職およそ1年で亡くなる |
| 8 | 足利義政 | あしかが よしまさ | 1449〜1473 | 跡継ぎ争いが重なって応仁の乱(1467〜1477)。将軍を退いた後に銀閣(1489) |
| 9 | 足利義尚 | あしかが よしひさ | 1473〜1489 | 山城国一揆(1485)と加賀の一向一揆(1488)。近江への出陣中に亡くなる |
| 10 | 足利義稙 | あしかが よしたね | 1490〜1493、1508〜1521 | 明応の政変(1493)で将軍の座を追われ、のちに返り咲く。室町の将軍で2度就いたのはこの人だけ |
| 11 | 足利義澄 | あしかが よしずみ | 1494〜1508 | 明応の政変で細川政元に立てられる。のちに京都を追われる |
| 12 | 足利義晴 | あしかが よしはる | 1521〜1546 | 戦乱で京都を離れることが多い。在職中に鉄砲が伝わる(1543) |
| 13 | 足利義輝 | あしかが よしてる | 1546〜1565 | ザビエルが来てキリスト教が伝わる(1549)。永禄の変で三好氏らに討たれる(1565) |
| 14 | 足利義栄 | あしかが よしひで | 1568 | 三好三人衆に立てられるが、京都に入れないまま亡くなる |
| 15 | 足利義昭 | あしかが よしあき | 1568〜1573(職を辞したのは1588) | 織田信長に支えられて京都に入り(1568)、のちに対立して追放される(1573) |
よくあるのは、修学旅行から帰った夜、京都で撮った写真を整理していて手が止まるという場面です。金色の建物と、色の地味な建物。説明を付けようとして、どちらが何代の誰だったのか出てきません。バスガイドさんが言っていた名前は、もう耳に残っていません。テストの範囲表には「室町幕府」とあるだけで、教科書をめくると「義」の付く名前が14人並びます。探している2枚は、上の表の3行目と8行目にあります。
一覧の読み方
表は上から将軍になった順に並び、左の数字が代、在職の欄が征夷大将軍の職にあった年です。和暦を西暦に直すときの扱いで、資料によって在職の年が1年ずれて書かれていることがあります。どちらかが誤りというわけではなく、テストで問われるのは年の端数よりも順番と組み合わせです。金閣の1397年と銀閣の1489年も広く使われる年で、建て始めと完成のどちらで数えるかによって資料で少し違います。鉄砲の伝来にも1542年とする説があり、諸説あるものは教科書で広く使われる年を載せました。室町幕府という名前は、3代義満が1378年に京都の室町に建てた花の御所から来ています。幕府の名前が、初代ではなく3代の住まいの場所で付いていること自体が、義満の重さを語っています。
図1は同じ15人を、在職の年の長さのまま棒にしたものです。縦が代、横が年で、赤い棒が先に覚える4人です。ここから読み取ってほしいことが3つあります。

1つめは棒の切れ目です。5代と6代の間に4年、7代と8代の間に6年、13代と14代の間に3年、棒の無い期間があります。将軍がいなくても幕府は止まりませんでした。前の将軍や管領、有力な守護大名が動かしていたからです。正長の土一揆が起きた1428年は、最初の切れ目の中にあります。
2つめは棒の外の印です。金閣の印は3代の棒の右に、銀閣の印は8代の棒の右に落ちています。金閣は義満が将軍を退いた3年後、銀閣は義政が退いた16年後です。どちらも将軍の職を離れてから建てられました。ただし中身は逆です。義満は退いた後に太政大臣となり、実権を握り続けました。義政は乱の後に政治から身を引き、東山の山荘に移りました。同じ「退いた後」でも、力のある場所が違います。
3つめは帯です。緑の帯が南北朝の争い(1336〜1392)、赤の帯が応仁の乱(1467〜1477)です。赤い帯より右では、10代の棒が2本に割れ、15代の棒は1573年から色が薄くなります。薄いところは、京都を追われた後も将軍の職だけは持っていた15年です。将軍の席を誰が動かしているのかが、棒の形に出ています。
いちばん長い棒は、名前の地味な4代義持です。表の年で引き算すると29年あり、義満の26年を超えます。教科書で太字になる将軍ほど長く座っていたわけではありません。
覚え方
15人を一度に覚えようとしないでください。入れる順番は3段階です。先に4人、次に唱え方、最後に年です。
先に4人だけ入れる
代の数字で言うと1・3・8・15です。尊氏が始め、義満が頂に立ち、義政のときに都が焼け、義昭で終わります。中学の歴史なら、この4人で話が通ります。4人それぞれに、ひとことの札を付けておきます。
尊氏は「背いた人」です。鎌倉幕府を倒す側に回り、後醍醐天皇の建武の新政に加わった後、武士の不満を受けて新政に背きました。京都に別の天皇を立てたので、後醍醐天皇は吉野へ移り、京都の北朝と吉野の南朝が並びます。この争いが南北朝の時代です。
義満は「まとめた人」です。1392年に南北朝を合一し、1397年に金閣を建て、1404年に明との勘合貿易を始めました。勘合は、正式な貿易船と、海を荒らす倭寇とを見分けるための証明書です。銅銭や生糸を買い、刀や銅、硫黄を売りました。
義政は「止められなかった人」です。弟の義視を跡継ぎに決めた後で、妻の日野富子との間に義尚が生まれ、そこに細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍・宗全とも呼ばれます)の争いが重なって、1467年に応仁の乱が始まりました。戦いは足かけ11年続き、京都は焼け、将軍の言葉は地方に届かなくなりました。
義昭は「追われた人」です。1568年に織田信長に支えられて京都に入り、将軍になりました。やがて信長と対立し、1573年に京都から追放されます。この年が室町幕府の滅亡とされます。
次に15人を2音ずつ唱える
「義」を落として、名前の頭の2音だけを読みます。タカ・アキ・ミツ・モチ・カズ、ノリ・カツ・マサ・ヒサ・タネ、スミ・ハル・テル・ヒデ・アキ。よく使われる唱え方で、どれも2音に揃うので拍が取れます。図2のように5人ずつ3段に切ると、息継ぎの場所が決まり、途中で止まっても段の頭から戻れます。

段には筋を付けます。1段目は幕府が立ち上がって頂に届き、カズ(義量)の死で席が空くまでです。2段目は乱れの段です。ノリ(義教)が討たれ、カツ(義勝)が幼くして亡くなり、マサ(義政)のときに都が焼けます。さらにヒサ(義尚)が陣中で亡くなり、タネ(義稙)が家臣に席を奪われます。3段目は立てられては追われる段で、京都に腰を落ち着けて終わった将軍が1人もいません。筋があると、名前が飛んだときに「この段の次は誰が倒れるのか」と話の流れから引き戻せます。
唱えられるようになったら、白紙に図2と同じ5列3段の枠を書いて、何も見ずに埋めます。詰まったマスに印を付け、翌日はそのマスを含む段から始めます。表を眺める回数を増やしても、自分で思い出す練習にはなりません。埋められなかったマスこそ、次の日の出発点です。
最後に年を手がかりで止める
年はすべてを語呂にしません。語呂にしやすい年だけ語呂にして、残りは近い年からの差で覚えます。下の表は、よく使われる語呂と、音から作れる語呂、差の手がかりを混ぜています。語呂は人によって違うので、自分の口に合う形に替えてかまいません。
| 年 | 出来事 | 語呂・手がかり |
|---|---|---|
| 1338 | 尊氏が将軍になる | いざ見や(1・3・3・8) |
| 1392 | 南北朝の合一 | いざ国(1・3・9・2)ひとつに |
| 1397 | 金閣 | いざ来な(1・3・9・7)。いざ国と最後の音だけ違う |
| 1404 | 勘合貿易の開始 | 金閣の7年後 |
| 1467 | 応仁の乱が始まる | 人世むなし(1・4・6・7) |
| 1477 | 応仁の乱が終わる | 始まりの10年後 |
| 1489 | 銀閣 | 乱が終わった12年後 |
| 1573 | 室町幕府の滅亡 | 以後なみだ(1・5・7・3) |
1404年の次の手がかりも7年です。勘合貿易を中止した1411年は、始まりからちょうど7年後にあたります。金閣、勘合貿易、中止と、7年ずつ3つ並べると、将軍が義満から義持の時代へ移る流れごと持っていけます。
テストでの出方
定期テストの問いは、人物と出来事の組み合わせ、出来事の並べ替え、理由の説明の3つの形に収まります。写真を見せて「この建物を建てた将軍は」と聞く形も、組み合わせの仲間です。入試では、ここに「何が変わったか」を書かせる問いが加わります。室町は鎌倉と江戸に挟まれるので、守護と守護大名の違いのように、前後の時代と比べる問いも出ます。高校の日本史まで進むと、6代義教の嘉吉の変、10代義稙の明応の政変、13代義輝の永禄の変も範囲に入ります。形を確かめるために3問作りました。解いてから答えを読んでください。
例題1(並べ替え) 次の出来事を古い順に並べなさい。ア 応仁の乱が始まる イ 南北朝が合一する ウ 勘合貿易が始まる エ 山城国一揆が起こる
答えはイ→ウ→ア→エです(1392→1404→1467→1485)。年が出てこなくても、順番は筋で決まります。イとウは義満の仕事で乱より前、エは乱の後に国の武士と農民が守護の軍を追い出した動きです。
例題2(穴埋め) 次の文の①〜③に語句を入れなさい。「(①)代将軍であった足利義満は、明の求めに応じて(②)を取り締まり、正式な貿易船に(③)という証明書を持たせて貿易を始めた。」
答えは①3、②倭寇、③勘合です。高校の問題では、貿易が始まった1404年に義満はすでに将軍を退いていて、将軍は4代義持だったことまで踏み込むことがあります。図1の棒で確かめてみてください。1404年は3代の棒の右、4代の棒の中にあります。
例題3(説明) 応仁の乱の後、社会にどのような動きが広がりましたか。「下剋上」という語を使って、40字程度で書きなさい。
答えの例は「身分の下の者が実力で上の者を倒す下剋上が広がり、各地に戦国大名が現れた。」です。見られるのは、下剋上の意味を自分の言葉で書いているかと、結果として戦国大名まで届いているかです。語を入れただけの答案では足りません。具体例を求められたら、山城国一揆(1485年から8年の自治)と加賀の一向一揆(1488年からおよそ100年)の2つを挙げられるようにしておきます。
まちがえやすいところ
1つめは金閣と銀閣の取り違えです。図3のように、金閣は3代義満・北山文化・3層で、3が揃います。銀閣は8代義政・東山文化・2層です。「銀閣は銀色」と思い込むのも誤りで、銀閣に銀は貼られていません。東山文化の問いでは、銀閣と同じ敷地にある東求堂同仁斎の書院造や、雪舟の水墨画が一緒に出ます。なお今の金閣は1950年に焼けた後、1955年に建て直された建物で、修学旅行の写真に写っているのはその姿です。

2つめは義詮と義昭です。読みは「よしあきら」と「よしあき」で1音しか違いません。ところが代は2代と15代で、幕府の入口と出口にいます。唱え方でもアキが2回出るので、2番のアキは詮、15番のアキは昭、と字で分けておきます。信長の単元で書かされるのは昭の方です。読みが難しいのは義量(よしかず)と義稙(よしたね)で、唱える前に表で一度確かめてください。
3つめは始まりと終わりの年です。始まりは、尊氏が将軍になった1338年と書くことが多いのですが、京都に北朝を立てて政治の方針(建武式目)を示した1336年を始まりとする考え方もあり、諸説あります。片方だけを丸暗記していると、もう片方が書かれた問題で手が止まります。年は出来事とセットで持ちます。1336年は建武式目、1338年は将軍です。終わりは1573年です。義昭は追放された後も将軍の職を辞めず、1588年まで将軍でしたが、幕府が政治を動かせなくなった1573年を滅亡の年として答えます。図1の15代の棒の、色が変わる所です。
確かめの問題
次の5問を、上の表を隠して答えてください。
- 室町幕府の初代将軍は誰ですか。
- 南北朝を合一した将軍は、何代の誰ですか。
- 銀閣を建てた将軍と、その時期に栄えた文化の名前を答えてください。
- くじ引きで選ばれ、1441年に赤松満祐に討たれた将軍は、何代の誰ですか。
- 1573年に足利義昭を京都から追放した人物は誰ですか。
答え
- 足利尊氏です。1338年に征夷大将軍になりました。
- 3代の足利義満です。1392年の合一は、金閣や勘合貿易と違って、将軍の在職中の仕事です。
- 足利義政で、文化は東山文化です。金閣の北山文化と入れ替えていないか確かめてください。
- 6代の足利義教です。この事件を嘉吉の変といいます。
- 織田信長です。この年が室町幕府の滅亡の年とされます。
次に覚える一覧
鎌倉幕府の執権と将軍の一覧は、尊氏が倒す側に回った幕府の一覧で、将軍が飾りになり執権が動かした形を、室町の後半と比べられます。江戸幕府の将軍の一覧は、信長と秀吉の時代を挟んで続く次の15代で、同じ15人でも棒がほとんど途切れない違いが見えます。日本の世界遺産の一覧では、金閣と銀閣が「古都京都の文化財」の一部として出てきます。
個別指導で将軍の名前につまずいたときは、15人の暗記からやり直しません。鎌倉幕府が倒れた1333年まで戻り、誰が誰に背いたのかを順に言ってもらうところから確かめます。
まとめ
タカ・アキ・ミツと唱えれば、順番はもう口が持っています。写真の2枚は表の3行目と8行目です。その5行分の距離に、くじ引きで選ばれて討たれた将軍も、幼くして亡くなった将軍も、席の空いた年月も入っています。説明を書き終えたら写真を閉じて、白紙の枠をもう一度埋めてください。金閣と銀閣のあいだの92年の途中で、京都は焼けました。
読んで終わりにするか、ここから変えるか。
武蔵境駅徒歩30秒、講師1人に生徒1人の完全1対1。授業のあいだ、先生は隣を離れません。いまの詰まりを、無料相談でそのまま話してください。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。




