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【中学歴史】古代国家の歩みを図解で総まとめ—飛鳥・奈良・平安|武蔵野個別指導塾

飛鳥から平安までの政治と文化を、年表・土地制度・摂関政治の図で整理します。用語の見分け方と理由を説明する例題を通して、出来事のつながりをたどれば、年号は流れの目印に変わります。
よくあるのは、図書館の机で歴史のノートを開き、「聖徳太子、聖武天皇、桓武天皇」と名前を書いたところで、だれが何を目指したのか説明できなくなるという場面です。年号と名前は覚えていても、都、土地、税、仏教が別々の話に見えると、記述問題で手が止まります。
飛鳥・奈良・平安の歴史には、豪族が力を持つ社会から、天皇を中心に法律で全国を治める国をつくり、その仕組みが変わっていく流れがあります。政治の中心だけでなく、その政治を支えた農民や、外国との交流にも目を向けましょう。都に立派な建物があることと、地方の暮らしが安定することは、同じではありません。
人物は「目指したこと」、制度は「土地と人をどう扱ったか」、文化は「だれが担い、何の影響を受けたか」と組にすると整理できます。名前を一つ増やすたびに、前の出来事とどうつながるかを一言添えて読み進めます。
この単元で身につけること
- 飛鳥の政治改革を順に説明すること。 聖徳太子の政治、大化の改新、律令の整備を、一度に完成した改革として扱わず、段階を分けて捉えます。
- 律令国家を土地と税から読むこと。 戸籍、口分田、租・調・庸を結びつけ、国が人々を把握する理由を説明します。
- 土地制度の変化を区別すること。 班田収授法と墾田永年私財法では、対象となる田と所有の扱いが違います。
- 都と政治の担い手を対応させること。 平城京と平安京を区別し、天皇のもとで藤原氏が力を強めた仕組みを読み取ります。
- 文化の特徴を根拠つきで答えること。 天平文化と国風文化を、作品名だけでなく、大陸との関係や表現方法から見分けます。
前の単元で学ぶヤマト王権と渡来人の活動は、豪族の連合を土台とした政治や、大陸から知識を取り入れる動きにつながります。その土台の上に、全国に共通する仕組みが整えられていきます。
基本の考え方
飛鳥の改革から律令国家へ
6世紀末から7世紀初め、推古天皇のもとで聖徳太子(厩戸皇子)は蘇我馬子らと政治を進めたとされます。603年の冠位十二階は家柄だけに頼らず才能や功績を重視して人材を登用しようとした制度、604年の十七条の憲法は役人の心構えを示すものでした。現在の憲法と同じ性格の法律ではありません。仏教を重んじる政治とともに、法隆寺などに代表される飛鳥文化が発達しました。
607年には小野妹子らが遣隋使として中国に派遣されました。中国では隋に続いて唐が栄え、日本は遣唐使も送り、政治制度や文化を学びます。国内の改革は、外国の進んだ仕組みを知る動きと切り離せません。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我氏を倒し、大化の改新と呼ばれる改革が始まりました。豪族による土地と人民の支配を改め、国家が支配する公地・公民を目指します。ただし、全国の仕組みがこの年にすべて完成したわけではありません。663年の白村江の戦いでは、百済の復興を助けた日本の軍が唐・新羅の連合軍に敗れ、防衛と国内体制の整備が進みました。
中大兄皇子は後に天智天皇となり、戸籍の整備などを進めます。672年の壬申の乱を経て即位した天武天皇と、その後の持統天皇の時代にも国づくりが進み、701年に大宝律令が制定されました。律は刑罰、令は政治や行政などの決まりです。これらに基づく天皇中心の国を律令国家といいます。中央に役所を置き、地方には国司を派遣し、地方の豪族を郡司に任じて支配を進めました。
図1のように、改革の開始と法律の整備、都の移動を時間の上に置くと、別の段階だとわかります。目盛りは同じ長さを同じ年数としており、701年と710年の近さにも注目できます。

奈良の都を支える人々と文化
710年に奈良の平城京に都が移されました。唐の長安にならった碁盤の目のような都で、天皇や貴族、役人が政治を行いました。国家は戸籍などによって人々を把握し、原則として6年ごとに、6歳以上の男女に口分田を与え、死後に返させる班田収授法を行いました。口分田は、自由に売買できる個人の土地ではありません。
農民には、収穫した稲の一部を納める租、各地の特産物などを納める調、都での労役の代わりに布などを納める庸が課されました。調・庸は主に成人男性の負担でした。地方での労役や兵役もあり、防人として九州北部の防衛にあたる人もいました。税を都まで運ぶ苦労も重なり、負担を逃れて土地を離れる農民も現れました。
人口増加などに伴って田を増やす必要が生じ、743年の墾田永年私財法は、新しく開墾した田の永久の私有を認めました。資金や労働力を集められる貴族・寺院などが開墾を広げ、私有地である荘園が発達する土台となります。初めからすべての荘園で税が免除された、と考えないようにしましょう。
奈良時代の天平文化は、唐などの影響を受けた国際色豊かな仏教文化です。聖武天皇は仏教の力で国を守ろうとし、国分寺・国分尼寺の建立や東大寺の大仏造立を進めました。正倉院の宝物には遠い地域とのつながりもうかがえます。『古事記』『日本書紀』がまとめられ、『万葉集』には天皇や貴族だけでなく、防人などの歌も収められました。
平安の政治と表現の変化
794年、桓武天皇は京都の平安京に都を移しました。政治を立て直す中で、東北地方への支配の拡大も進め、坂上田村麻呂が征夷大将軍として派遣されました。仏教では最澄が天台宗、空海が真言宗を伝え、山中の寺院を拠点に新しい動きが生まれます。
やがて藤原氏は娘を天皇のきさきにし、その子が天皇になることで天皇の母方の親族として力を強めました。幼い天皇を補佐する摂政、成人した天皇を補佐する関白として政治の実権を握るのが摂関政治です。11世紀前半には藤原道長と頼通のころに栄えました。
894年には菅原道真の提案で遣唐使の派遣が停止されました。その後も大陸との交流は続きますが、取り入れた文化を日本の暮らしや感情に合う形にする国風文化が発達します。漢字をもとにしたかな文字が広まり、紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』が生まれました。阿弥陀仏に救いを求める浄土信仰も広まり、藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂は、その代表的な建築です。
例題で解き方を確かめる
例題1 政策の目的から名前を選ぶ
問題: 「役人の心構えを示す」「刑罰と行政の決まりを整える」に対応するものを、十七条の憲法・大宝律令からそれぞれ選びましょう。
- 問題文で何を定めたかに線を引きます。名前に「憲法」とあるかどうかより、制度の中身が判断の根拠になるためです。
- 心構えは十七条の憲法、刑罰と行政は大宝律令に対応させます。前者は役人のあり方、後者は国を運営する法体系という違いがあります。
- 604年、701年の順で確認します。改革を重ねて制度が整ったという前後関係を確かめるためです。
答え: 前者が十七条の憲法、後者が大宝律令です。「聖徳太子が大宝律令をつくった」と書くと、人物と後の時代の制度を結びつけてしまいます。目的と年代を二重に確かめると、この混同を直せます。
例題2 土地の図から制度を読む
問題: 図2の上段と下段に対応する制度名を答え、743年の法律が開墾を促す理由を説明しましょう。

図2の上段は国から人々への口分田の支給と死後の返還、下段は新たな開墾による私有地の成立です。上下は同じ田がそのまま切り替わる図ではなく、対象の違う制度を比べています。
- まず田の種類を読みます。上段は国から与えられる口分田、下段は新しく開いた田なので、同じ「田」でも条件が違うからです。
- 次に矢印の向きを見ます。返還が必要か、永久に私有できるかが、二つの制度を分ける中心だからです。
- 開墾する側の立場で理由を考えます。苦労して開いた田を長く自分のものにできれば、開墾に取り組む動機になるからです。
答え: 上段は班田収授法、下段は墾田永年私財法です。理由は「新しく開いた田の永久の私有を認め、開墾した人がその田を持ち続けられるようにしたため」です。ここで「すべての口分田を私有できるようにした」と答えると、対象を広げすぎています。
さらに、開墾には人手や道具が必要です。法律の目的が田を増やすことでも、実際には大きな力を持つ貴族や寺院が土地を広げやすかった、という結果までつなげると荘園の成長を説明できます。
例題3 文化を資料の特徴で見分ける
問題: 資料Aは「唐などの影響を受け、仏教による国家の保護を願って造られた大仏」、資料Bは「かな文字を使い、宮廷生活や人の心を描いた文学」です。それぞれと結びつく文化名を答えましょう。
- 資料から特徴を二つずつ取り出します。一語だけで決めると、両方の時代にある仏教や貴族の活動を区別しにくいためです。
- Aは「唐の影響」と「大仏」を結びます。奈良時代の国際色豊かな仏教文化に対応するからです。
- Bは「かな文字」と「宮廷の文学」を結びます。日本の言葉による表現が発達した点が、国風文化の判断材料だからです。
答え: Aは天平文化、Bは国風文化です。文化名を答えた後、Aなら聖武天皇、Bなら『源氏物語』というように関連語を一つ添えて確認します。ただし、国風文化になって漢字を使わなくなったわけではなく、漢字による文章も書かれ続けました。
つまずきやすいところと直し方
大化の改新で律令国家が完成したと思う
誤った覚え方 → 「645年にすべての制度が完成した」とまとめる誤りです。どこが違うか → 改革の始まりと、その後の法律・戸籍・都の整備を同じ出来事にしています。正しい理解 → 645年を改革の出発点として、天智・天武・持統天皇らの政治を経て701年の大宝律令につながると捉えます。
直すときは、図1の出来事の横に「始まる」「整える」「移す」と動詞を書きます。年号を並べるだけでなく、何が変わった年なのかを区別するためです。
摂関政治では藤原氏が天皇になったと思う
誤った覚え方 → 「藤原氏が天皇に代わる王になった」という理解です。どこが違うか → 天皇との血縁関係を利用して補佐役につくことと、天皇の地位そのものを得ることを混同しています。正しい理解 → 藤原氏は娘と天皇の婚姻、その子との母方の親族関係を背景に、摂政・関白として実権を握りました。

図3のように娘から子へたどると、藤原氏の男性は新たな天皇の母方の祖父にあたります。図は関係の基本を示す模式図で、すべての天皇や藤原氏の人物が同じ経過をたどったという意味ではありません。摂政と関白の違いは、補佐する天皇が幼いか成人しているかで整理します。
遣唐使の停止を外国との交流の終わりと考える
誤った覚え方 → 「894年以降は外国の文化が入らない」という覚え方です。どこが違うか → 国家が派遣する使節の停止を、人や物の往来すべての停止に広げています。正しい理解 → 商人などを通じた大陸との交流は続きました。国風文化は、外国とのつながりをなくした文化ではなく、取り入れたものを日本の生活に合わせて発展させた文化です。
かな文字も漢字をもとにしています。「外国の影響」と「日本らしい表現」を対立する二択にしないことが、文化の変化を読む助けになります。
練習問題
練習1: 次の出来事を古い順に並べましょう。ア:平安京への遷都、イ:大宝律令の制定、ウ:大化の改新の始まり、エ:平城京への遷都。
練習2: 「収穫した稲の一部を納める税」「各地の特産物などを納める税」「都での労役の代わりに布などを納める税」の名前を順に答えましょう。
練習3: 「墾田永年私財法により、国から与えられた口分田はすべて永久に私有できるようになった」という文の誤りを直しましょう。
練習4: 藤原氏はどのような親族関係を利用して政治の実権を握りましたか。「娘」「天皇」「母方」を使って説明しましょう。
答えと解説
練習1: ウ→イ→エ→アです。645年、701年、710年、794年の順です。法律を整えた後に平城京へ移り、さらに後に平安京へ移りました。
練習2: 租、調、庸です。何を納めるかだけでなく、庸が労役の代わりである点も確かめます。
練習3: 永久の私有を認めた対象は、新しく開墾した田です。口分田と開墾地を取り違えないことが要点です。
練習4: 娘を天皇のきさきにし、その子が天皇になることで、天皇の母方の親族として力を強めました。婚姻と次の世代の関係を両方書くと、政治とのつながりが伝わります。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
荘園が広がり、地方で土地を管理し守る動きが強まると、武士の成長につながります。次の時代を読むときにも、「だれが土地を支配し、だれが政治を動かすか」という問いが使えます。
家庭では5分で二つを確かめましょう。一つ目は、紙に飛鳥・奈良・平安と書き、それぞれに政治の出来事と文化の特徴を一つずつ添えることです。二つ目は、班田収授法と墾田永年私財法の違いを「どの田か」「返すか」の二点で声に出すことです。お子さまの説明を聞く場合も、この二点を尋ねると整理の様子を確かめられます。
個別指導で説明が止まった場合は、人物名の暗記に戻る前に、「国から与える」と「自分で開く」の区別まで戻って確かめます。用語の意味がつながったところで、制度が変わる理由を一文にします。
まとめ
古代の資料を読むときは、都の華やかさの背後にある田、税、働く人々にも視線を向けましょう。大仏から国家の願いを読み、土地の決まりから農民や貴族の行動を考えると、別々だった知識が同じ社会の姿になります。
説明に迷ったら、人物の名前を増やす前に、その人が動かした仕組みを確かめます。古代国家の歩みは、年号の列ではなく、土地と人を治める仕組みの変化として読めます。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。


