
武蔵野個別指導塾の特徴
【小6社会】戦争と平和・戦後の日本を図解で総まとめ—戦争への道・空襲と原爆・民主的な国へ・高度経済成長|武蔵野個別指導塾

戦争の広がりと戦後の歩みを年表でたどり、憲法の3原則をくらしの変化と結びつけます。並べ替えや短い説明の例題を通して、家庭でも出来事の順序と意味を確かめられます。
よくあるのは、職員室前の廊下の長椅子で社会のノートを見返し、「戦争が終わった年は覚えたけれど、その後、憲法やくらしがどう変わったのだろう」と手が止まる場面です。年号だけを順に言えても、戦時中の食料不足と戦後の復興、日本国憲法と選挙の変化が別々の知識になっていると、説明する問題では言葉が続きません。
この単元では、出来事を「いつ」「何が起こった」「人々のくらしとどう関わる」の3点で結びます。戦争の名前を区別することも必要ですが、学校や家庭、働く場所まで戦争の影響が広がったことをとらえると、戦後の改革の意味を考えやすくなります。
戦争を扱う資料には、失われた命や住まいについての記録があります。強い言葉で感想を急がせず、まず資料が伝える事実を落ち着いて読みましょう。保護者がお子さまと一緒に年表を指しながら読めるように、出来事のつながりから確かめていきます。
この単元で身につけること
- 戦争が広がった順序をたどります。満州事変、日中戦争、太平洋戦争を区別し、太平洋戦争が始まった後も中国での戦争は続いていたことを押さえます。
- 国民のくらしの変化を説明します。物資の不足、配給、疎開、空襲を、食事や学校生活との関わりから読み取ります。
- 戦争の被害が及んだ地域をとらえます。日本国内の被害に加え、日本の軍隊による戦争で中国などアジアの各地の人々にも大きな被害が生じたことを学びます。
- 戦後の改革と日本国憲法を結びます。選挙、農地、教育などの変化を確かめ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という3つの原則を説明します。
- 復興と国際社会への復帰を区別してたどります。独立の回復、国際連合への加盟、高度経済成長が、それぞれ何を表す出来事なのかを整理します。
前の単元で学んだ明治の国づくりや産業の発展は、この時期の政治や国際関係を考える土台になります。また、小5で学んだ工業や公害の問題は、高度経済成長によるくらしの変化につながります。歴史だけを切り離さず、以前に見た工場や都市の資料も思い出してみましょう。
基本の考え方
戦争の名前と広がりを年表でつなぐ
昭和の初めには、不景気によって仕事や生活に困る人々が増えました。その中で軍部の政治への影響力が強まり、日本は中国大陸で勢力を広げていきました。ただし、「不景気になると必ず戦争が起こる」とまとめるのは正確ではありません。当時の社会の様子と、実際に軍部や政府がとった行動を分けてとらえます。
1931年に満州事変が起こりました。満州は中国の東北部にあたる地域です。日本の軍隊はこの地域で占領を広げ、翌年には日本の強い影響下にある満州国がつくられました。国際連盟との対立が深まった日本は、1933年に国際連盟からの脱退を表明しました。ここで登場する国際連盟は、後に戦後の日本が加盟する国際連合とは別の組織です。
1937年には日中戦争が始まり、中国との戦争が長く続きました。1941年には日本がハワイの真珠湾やマレー半島を攻撃し、アメリカやイギリスなどとの太平洋戦争が始まりました。戦いは東南アジアや太平洋の広い範囲に及びます。日中戦争が終わってから別の戦争に入ったのではなく、中国での戦争を続けたまま、戦う地域や相手がさらに広がった点が重要です。

図1のように、1931年、1937年、1941年、1945年を左から順にたどると、戦争が広がってから終わるまでの流れを整理できます。この年表では同じ長さが同じ年数を表します。隣り合う出来事を等しい間隔で並べた図ではないため、出来事の間の長さも読み取れます。ただし、1本の線ですべての戦場の状況を表しているわけではありません。
この時期には世界でも戦争が広がっていました。1939年にヨーロッパで始まった第二次世界大戦は、やがて多くの国々を巻き込む戦争となりました。日本が行った太平洋戦争も、第二次世界大戦の一部としてとらえます。「第二次世界大戦」と「太平洋戦争」は、同じ範囲を指す名前ではないのです。
戦争が家庭や学校にも及ぼした影響
戦争が長引くと、兵器などに多くの資源や人手が使われ、生活に必要な物が不足しました。米などの食料や生活物資には、決められた量を人々に配る配給の仕組みが取り入れられました。お金があっても欲しい物を自由に買えるとは限らず、配給だけでは十分な食料を得られないこともありました。
働き手が兵士として戦地に送られ、女性や学生も軍需工場などで働きました。学校での学びや家庭の生活も戦争に深く結びついていきます。また、新聞や放送などで伝えられる内容や、自由に意見を述べることにも制限がありました。戦争を「兵士だけに関わる出来事」と考えると、こうした生活全体の変化が抜け落ちます。
空襲とは、航空機で地上を攻撃することです。日本の多くの都市が空襲を受け、住宅や学校、工場などが焼け、多くの人々が亡くなりました。空襲を避けるため、都市から地方などへ移ることを疎開といいます。子どもが親元を離れて集団で疎開する場合もありました。疎開は安全を求めるための行動ですが、移った先でも食料不足や家族と離れる不安がありました。
1945年3月には東京大空襲がありました。同じ年の沖縄では、住民も巻き込まれた激しい地上戦が行われました。8月6日には広島、8月9日には長崎に、アメリカによって原子爆弾が投下されました。原子爆弾は強い熱や爆風に加え、放射線によっても人々に被害を与え、その後も健康への影響が続きました。被害の大きさを、亡くなった人の数だけで比べる読み方は避けましょう。
日本の軍隊による戦争は、中国などアジアの各地にも大きな被害をもたらしました。日本国内の空襲の資料だけで、この時期の戦争全体を説明することはできません。どの地域で、だれのくらしが、どのように変わったのかを確かめることが必要です。現在の国やそこに住む人々への決めつけと、過去の出来事の説明を混ぜないようにします。
日本は1945年8月にポツダム宣言を受け入れ、降伏しました。8月15日に戦争の終わりが国民に伝えられました。年表で「1945年、終戦」と見るときには、その日から住まいや食料が十分に戻ったわけではないことも押さえます。戦争が終わったことと、生活が立て直されたことには時間の隔たりがあります。
戦後の改革から復興へ
戦後、日本は連合国軍の占領下に置かれ、GHQという連合国軍総司令部の指導の下で改革が進められました。民主的な国づくりを進めるため、女性にも選挙権が認められ、1946年の選挙では女性が初めて衆議院議員選挙に投票しました。政治に参加する人々の範囲が広がったことに注目します。
農地改革では、政府が地主の農地を買い上げ、農地を借りて耕していた農民に売り渡しました。これにより、自分の農地を持って耕す農民が増えました。教育の改革では、義務教育が小学校6年と中学校3年の9年間になりました。改革を覚えるときは、「農地改革」「教育改革」という名前の後に、何が変わったのかを続けて言ってみましょう。
日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。公布は広く知らせること、施行は実際に効力を持つようになることです。3つの原則は、国の政治のあり方を最終的に決める力が国民にあるという国民主権、一人ひとりが生まれながらに持つ権利を大切にする基本的人権の尊重、戦争を放棄する平和主義です。天皇は、日本国と日本国民統合の象徴と定められました。
戦後すぐの人々は、焼けた街の片づけや住まいの確保から生活を立て直していきました。日本は1951年にサンフランシスコ平和条約に調印し、1952年に条約が発効して独立を回復しました。1956年には国際連合に加盟しました。独立回復と加盟は別の出来事なので、同じ年としてまとめないようにします。
1950年代半ばから1970年代初めにかけて、工業生産などが大きく伸びた時期を高度経済成長の時期といいます。工場で働く人が増え、人口が都市へ集中し、電気洗濯機や冷蔵庫、テレビなどが家庭に広まりました。1964年には東京でオリンピックが開かれ、東海道新幹線も開業しました。一方で、大気や川、海の汚れなどの公害が起こり、健康や生活に被害が生じました。生産の増加と生活上の課題の両方を読み取る必要があります。
例題で解き方を確かめる
例題1 年表から順序と年数を読む
問題:図1を見て、日中戦争の始まり、太平洋戦争の始まり、終戦を古い順に並べましょう。また、太平洋戦争が始まった年と終戦の年には何年の差がありますか。
- まず、問題に書かれた3つの出来事だけを図から探します。年表にはほかの出来事も載っているため、問われている言葉と図のラベルを対応させるためです。
- それぞれを1937年、1941年、1945年と結び、左から右へ読みます。この年表では左ほど古く、右ほど新しいので、位置と年号の両方で順序を確かめられます。
- 年の差は1945から1941を引いて求めます。始まりの年も終わりの年も1年ずつ数え入れると、問われた「差」と違う数え方になるからです。
答え:日中戦争の始まり→太平洋戦争の始まり→終戦の順で、年の差は4年です。
ここで求めたのは、年号どうしの差です。太平洋戦争は1941年12月に始まったので、実際に続いた期間が丸4年間という意味ではありません。歴史の問題でも、「何年の差」と「何年間続いたか」は同じ問いとは限りません。問題文の言葉を確認する習慣をつけましょう。
例題2 くらしの資料から用語を選ぶ
問題:「都市の子どもたちが、空襲を避けるために親元を離れ、地方で集団生活をした」という説明にあたる言葉を、配給・疎開・農地改革から選びましょう。また、選んだ理由を短く説明しましょう。
- 説明の中の目的に注目し、「空襲を避けるため」に線を引きます。単に子どもが移動したという情報だけでは、旅行などとの区別がつかないためです。
- 次に「都市から地方へ移る」という行動を確かめます。危険を避ける目的と場所を移す行動がそろうと、疎開という用語につなげられます。
- 残りの言葉の意味も確認します。配給は物資を配る仕組み、農地改革は戦後の農地の所有に関わる改革なので、この説明には当てはまりません。
答え:疎開です。空襲を避けるために、都市から地方へ移っているからです。
理由には「戦争中だから」だけでなく、説明にある目的と行動を入れます。配給も戦争中のくらしに関わるため、時代が同じというだけでは選べません。なお、疎開には家族や親類を頼って移る場合などもあり、すべての疎開が学校の集団で行われたわけではありません。
例題3 憲法の原則と説明を結ぶ
問題:次の説明に最も直接当てはまる日本国憲法の原則を、図2から選びましょう。ア「政治のあり方を最終的に決める力は国民にある」、イ「一人ひとりの権利を大切にする」、ウ「戦争を放棄する」の3つです。

図2のように、原則の名前と短い説明を横に結ぶと、用語だけの暗記から一歩進めます。3つの原則は互いに関わっていますが、問題では説明の中心になっている内容を見つけて対応させましょう。
- アの「国民にある」に注目します。問われているのは、政治を最終的に決める力をだれが持つかなので、国民主権につながります。
- イの「一人ひとりの権利」に注目します。人数の多い側の希望だけを通すことではなく、各人の権利を大切にする説明なので、基本的人権の尊重に対応します。
- ウの「戦争を放棄する」を確かめます。国の平和についての原則を述べているため、平和主義を選びます。
答え:アは国民主権、イは基本的人権の尊重、ウは平和主義です。
国民主権を「国民全員が毎日、直接すべてを決めること」と説明するのは適切ではありません。国民が選挙で代表者を選ぶことも、政治に参加する仕組みの1つです。3つの原則の意味を押さえた上で、選挙や国会など、政治の学習で出会った仕組みにつなげます。
例題4 高度経済成長を両面から説明する
問題:「工業生産が増え、家庭に電気製品が広まった。一方、工場などから出る煙や排水によって、健康や生活への被害も起きた」という資料があります。高度経済成長によるくらしの変化を、便利になった面と生じた問題の両方を入れて説明しましょう。
- まず、資料の中で生活を便利にした変化を探します。「電気製品が広まった」という具体的な事実を使えば、単に「発展した」と書くより内容がはっきりします。
- 次に、「一方」の後にある問題を探します。煙や排水と健康・生活への被害のつながりを読むことで、公害について述べていると判断できます。
- 2つを同じ文の中でつなぎます。問いが両方を求めているため、便利さだけ、または問題だけで終わらないようにするためです。
答え:電気製品が広まってくらしが便利になった一方、工場などの煙や排水による公害が起きました。
資料に書かれていない生産量や普及の割合を、想像で加える必要はありません。また、「すべての家庭が同時に豊かになった」とすると、資料より広いことを言い切ってしまいます。わかる範囲を具体的な言葉で書くことが、資料を根拠にした説明になります。
つまずきやすいところと直し方
誤り1 戦争の名前が変わると前の戦争は終わる
誤った書き方:「日中戦争が終わった後、太平洋戦争が始まった。」この書き方では、戦争が1つずつ入れ替わったように読めますが、1941年以降も中国での戦争は続いていました。
どこが違うかを確かめるには、図1の1941年を指して「この年、中国での戦争は終わったのか」と考えます。年表の点は新たな出来事の始まりを示していて、前の出来事が終わったことを自動的に表すものではありません。正しい書き方は「中国での戦争が続く中、1941年に太平洋戦争が始まった」です。
誤り2 憲法の公布と施行を同じ年にする
誤った書き方:「日本国憲法は1946年に施行された。」1946年は公布の年で、施行は1947年です。どこが違うかは、年号だけでなく、その後ろに付く動作の言葉を見るとはっきりします。
学校で新しい決まりが知らされる日と、その決まりが実際に始まる日が違う場合を思い浮かべると、2つを区別しやすくなります。ただし、学校の決まりと憲法が同じ仕組みという意味ではありません。「知らせる」と「効力を持ち始める」の違いに注目するための比べ方です。正しい書き方は「日本国憲法は1946年に公布され、1947年に施行された」です。
誤り3 終戦・独立回復・国際連合加盟をまとめる
誤った書き方:「1945年に戦争が終わり、日本は独立を回復して国際連合に加盟した。」戦争の終わりと、その後の国際的な立場の変化を、すべて同じ年に置いている点が違います。戦後には占領下の時期があり、その間にも改革や生活の立て直しが進みました。

図3のように、1945年の終戦、1952年の独立回復、1956年の国際連合加盟を別の位置に置きます。1964年の東京オリンピックも、国際連合に加盟した年とは異なります。正しい書き方は「1945年に戦争が終わり、1952年に独立を回復し、1956年に国際連合に加盟した」です。
さらに、「1952年には戦前の領土がすべて同じように戻った」と広げてしまわないようにします。独立を回復した後も、沖縄はアメリカの統治下にあり、1972年に日本へ復帰しました。1つの出来事から、資料にない別の変化まで決めつけないことが大切です。年表の短いラベルを文にするときほど、何を表す言葉なのかを確認しましょう。
練習問題
練習1
次の出来事を古い順に並べ、それぞれの年を書きましょう。ア「太平洋戦争が始まる」、イ「満州事変が起こる」、ウ「日中戦争が始まる」、エ「戦争が終わる」です。まず図1を見ずに答え、その後で位置を確かめましょう。
練習2
「戦時中、米などの食料や生活物資を、決められた量だけ人々に配る仕組み」を何といいますか。また、この仕組みを「お金があれば、欲しい物を自由にいくらでも買える仕組み」と説明できるか、理由を付けて答えましょう。
練習3
日本国憲法の公布の年と施行の年を書きましょう。続けて、「国の政治のあり方を最終的に決める力が国民にある」という原則の名前を書き、その原則と関わる国民の政治参加の方法を1つ挙げましょう。
練習4
図3から、日本が独立を回復した年と国際連合に加盟した年を読み取り、2つの年の差を求めましょう。続けて、高度経済成長の時期について、「電気製品」と「公害」の両方を使い、くらしの変化を1文で説明しましょう。
答えと解説
練習1の答え:イの1931年→ウの1937年→アの1941年→エの1945年です。出来事の名前を正しく並べられたら、年号を対応させます。日中戦争と太平洋戦争は、始まりの年だけでなく、その後に並行して続いた点も確かめましょう。
練習2の答え:配給です。決められた量を配る仕組みなので、欲しい物を自由にいくらでも買える仕組みとは説明できません。食料不足の中では配給だけでは足りない場合もありました。用語と、その仕組みの下での生活の様子を分けて説明できれば十分です。
練習3の答え:公布は1946年、施行は1947年で、原則は国民主権です。政治参加の方法の例は、選挙で代表者を選ぶことです。「国民」という言葉があるだけで判断せず、政治を最終的に決める力のありかを説明している点を根拠にします。
練習4の答え:独立回復は1952年、国際連合加盟は1956年で、年の差は4年です。説明の例は「電気製品が広まってくらしが便利になった一方、公害によって健康や生活に被害が生じました」です。年の差は1956から1952を引いて求め、説明文では変化の両面を入れます。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
この後の「世界の中の日本」では、国際連合のはたらきや、国どうしが協力する取り組みを学びます。戦後の日本が国際社会へ復帰した経過を押さえると、国際連合への加盟がどのような歴史の中にあるかを位置づけられます。政治の学習に戻るときにも、日本国憲法が成立した時代の様子が理解の支えになります。
家庭では、次の2つをそれぞれ5分ほどで確かめられます。長い年表を全部暗唱するより、1つの問いに対して根拠を指せるかを見てみましょう。
- 紙に「1945」「1952」「1956」と書き、お子さまに出来事を添えてもらいます。次に「終戦と独立回復を同じ意味にしてよいか」と問い、占領下の時期が間にあることを図3で確認します。
- 「洗濯機が広まった」「工場の排水で被害が起きた」という2枚の短いメモを並べます。お子さまが「一方」を使って1文にまとめたら、便利さと課題の両方が入っているかを一緒に読みます。
個別指導では、年号を増やす前に、年表の左と右の読み方や「公布」「施行」の意味まで戻って確かめます。説明が書けない場合には、資料のどの言葉を根拠に選んだかを口頭で聞き、短い1文にするところから進めます。
まとめ
年表の「終戦」の後にも、人々の生活は続いています。住まいを整え、学び直し、政治の仕組みを変え、他国との関係を築く歩みを重ねてきました。短い用語の背後に、どんな生活の変化があったかを読み取ると、歴史の説明に具体的な内容が生まれます。
感想を持つことと、資料から事実を確かめることは、どちらも学習の中に置けます。まず時期と地域を確かめ、何が変わり、何が課題として残ったのかを言葉にしましょう。平和を学ぶ足場は、戦争の前後で一人ひとりのくらしに何が起きたかを、事実に即して語れることです。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。




