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【中学美術】印象派を図解で総まとめ—モネ・ルノワール・ゴッホ・セザンヌ|武蔵野個別指導塾

モネとマネの取り違えや、ゴッホを印象派に入れてしまう誤りは、筆づかいを見分ける図と年表の読み取り問題を解けば、テスト本番の前に消せます。
よくあるのは、定期テスト前の自習室で、白板の前に立ったまま手が止まる場面です。覚えたはずの画家の名前をモネ、マネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌと書き出し、「ひまわり」から矢印を引こうとしたところで、マーカーが宙に浮きます。印象派の枠へ入れるのか、後期印象派の枠へ入れるのか、決め手がないのです。名前と作品を別々に暗記していると、分類を問われた瞬間にこうなります。
ここからは、画家たちが光をどう描こうとしたのかという一本の筋で、名前の由来、筆触分割、スーラの点描、後期印象派の 3 人、浮世絵の影響までをつないでいきます。読み終えるころには、作品名から作者を答えるだけでなく、「なぜ色を混ぜなかったのか」という記述の問いにも、自分の言葉で答えられるようになります。
この単元で押さえること
- 名前の由来: 1874 年の展覧会に出たモネの「印象・日の出」を批評家が皮肉ったことから、「印象派」という呼び名が広まりました。
- 光の表現: 物の色は光で変わって見えます。印象派は、その瞬間に目に映る光と空気を描こうとしました。
- 筆触分割: 絵の具をパレットで混ぜず、短い筆づかいで色を並べる技法です。画面の明るさを保つ工夫でもあります。
- スーラの点描: 筆触分割をさらに細かい点へ進めたもので、色の置き方を計算して描きます。
- 後期印象派: ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌは、光を写すことから離れ、それぞれ感情、平らな色、形の組み立てへ向かいました。
- 浮世絵の影響: 葛飾北斎や歌川広重の版画の色面と構図が、フランスの画家たちに新しい見方を与えました。
色の単元で学んだ色料の混色の知識はこの単元の土台になり、ここで見る後期印象派の試みは、次の 20 世紀の美術でピカソやマティスへと受け渡されていきます。
基本の考え方
「印象派」はからかいの言葉から始まった
19 世紀のフランスでは、国が開く展覧会であるサロン(官展)に入選することが、画家の大きな目標でした。そこで好まれたのは、歴史や神話を題材にして、筆の跡が残らないほどなめらかに仕上げた絵です。これに対してモネやルノワールたちは、身近な風景や街で過ごす人々を明るい色で描き、サロンとは別に自分たちの展覧会を開きました。1874 年のことです。
その会場に、モネが朝の港を描いた「印象・日の出」が並びました。かすんだ空気の中に、太陽と小舟がすばやい筆づかいで置かれた絵です。ある批評家はこれを見て、「印象」しか描かれていないという調子で皮肉を書きました。この言葉から「印象派」という呼び名が広まったのです。つまり、この名前は画家たちが考えたものではなく、からかいの言葉があとから定着したものです。展覧会はその後も続き、1886 年までに合わせて 8 回開かれました。テストでは由来の作品と作者の組で問われることが多いので、「印象・日の出」とモネはひとまとめにして覚えます。
光をつかまえるための筆触分割
印象派が何を描こうとしたのかは、身近な景色で考えるとわかります。朝に教室の窓から見る校庭と、夕方に同じ窓から見る校庭は、同じ場所なのに色が違って見えます。校庭の土の色が変わったのではなく、当たる光が変わったからです。印象派は、物にもともとある色ではなく、その瞬間に目に映っている色を描こうとしました。そのため屋外で描く戸外制作を重んじ、チューブ入りの絵の具が広まったことも、外へ持ち出して描く助けになりました。影を黒一色で塗らず、青や紫で描いたのも、見えたとおりの色を大切にした結果です。
ところが、ここで絵の具の性質が壁になります。色の単元で学んだように、色料は混ぜるほど暗くなるからです。まぶしい光を描きたいのに、色を作るたびに画面が濁ってしまいます。そこで画家たちは、パレットの上でできるだけ混ぜず、鮮やかな色を短い筆づかいで隣り合わせに置きました。これが筆触分割です。
図1のように、赤と緑をパレットで混ぜると暗くにごった色になります。同じ赤と緑でも、小さな筆の跡として並べれば、それぞれの鮮やかさは消えません。少し離れて見ると、並んだ色は見る人の目の中で混ざり合って感じられます。これを視覚混合といいます。キャンバスの上では混ざっていないのに、見る人の目の中で色ができあがるわけです。

中心にいたモネとルノワール
モネは光を追い続けた画家です。積みわらや大聖堂を、時刻や天気を変えて何枚も描く連作を手がけました。形が同じでも光が違えば別の絵になる、という考えをそのまま実行したのです。晩年には自宅の庭の池を題材にした「睡蓮」に打ち込みました。
ルノワールは、光を人物の上で描きました。「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」では、パリの野外のダンスホールでくつろぐ人々の顔や服に、木もれ日がまだらに落ちています。水と光のモネ、人物と木もれ日のルノワールと押さえておくと、作品名を見たときに迷いません。
光の先へ進んだスーラと後期印象派
1880 年代になると、光を追うだけでは足りないと考える画家が現れます。スーラは筆触分割を理論で徹底し、小さな点だけで画面を組み立てました。これが点描で、代表作が「グランド・ジャット島の日曜日の午後」です。すばやく描く印象派とは逆に、時間をかけて色の置き方を計算しており、1886 年の最後の展覧会に出品されました。スーラたちは新印象派と呼ばれます。
ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌの 3 人は後期印象派と呼ばれます。「後期」は印象派の活動の後半という意味ではなく、印象派の後に続くという意味で、ポスト印象派ともいいます。3 人がこの名前で集まっていたのではなく、後の時代に付けられた呼び名です。それぞれ次の方向へ進みました。
- ゴッホ(オランダ出身): 「ひまわり」「星月夜」で知られます。太くうねる筆づかいと強い色で、自分の感情まで画面に表しました。
- ゴーギャン(フランス): タヒチに渡り、「タヒチの女たち」などを描きました。輪郭線で区切った平らな色の面が特徴です。
- セザンヌ(フランス): 南フランスの「サント・ヴィクトワール山」を繰り返し描き、色の面を積み重ねて形の確かさを求めました。近代絵画の父とも呼ばれます。
海を渡った浮世絵
19 世紀後半のヨーロッパでは日本の美術が流行しました。この流行をジャポニスムと呼びます。1867 年のパリ万国博覧会に日本が参加したことも、関心を高めたきっかけの一つです。当時の西洋の絵は陰影と遠近法で奥行きを作るのが基本でしたが、浮世絵は影をほとんど描かず、輪郭線と平らな色の面でできています。手前の物を画面の端で大胆に切り、斜めの線で画面を横切らせる構図も新鮮に映りました。
ゴッホは浮世絵を熱心に集め、歌川広重の作品を油絵で模写しています。モネも浮世絵を集め、自宅の庭に日本風の橋を架けました。日本美術の単元で習う葛飾北斎や歌川広重の名前が、この単元の答えにも出てくるのはそのためです。
例題で解き方を確かめる
例題1 由来の作品と作者(用語の見分け)
次の文の(ア)(イ)に入る語を答えなさい。
「1874 年の展覧会に出た(ア)の作品(イ)を批評家が皮肉ったことから、印象派という呼び名が広まった。」
- 文の中の「呼び名」「批評家」に線を引きます。何を聞かれているのかを先に決めると、似た名前に引っ張られにくくなるからです。
- 名前の由来になった作品を思い出します。作品名の中に「印象」の 2 字が入っている「印象・日の出」が答えで、語そのものが手がかりになります。
- 作者をモネと確かめます。マネと迷いやすいので、朝の港の光を描いた絵だと内容までたどると、取り違えを防げます。
答え: (ア)モネ (イ)「印象・日の出」
例題2 筆づかいから画家を見分ける(図の読み取り)
図2は、5 人の画家の筆づかいの特徴を模式的に並べたものです。実際の作品を写したものではなく、違いだけを取り出しています。次の説明 A〜C に当てはまる画家を、図2から選びなさい。

- A: 小さな点を規則正しく並べ、色が目の中で混ざることをねらった。
- B: 太くうねる線と強い色で、感情を画面に表した。
- C: 色の面を積み重ねて、山の形の確かさを追った。
- 説明の中から筆づかいを表す語を探します。A は「点」、B は「うねる線」、C は「面」です。図と説明を結ぶ手がかりは、この語に集まっているからです。
- 図2の下にある語と照らし合わせます。細かい点はスーラ、うねる線はゴッホ、面の積み重ねはセザンヌです。短いタッチのモネや平らな色のゴーギャンと取り違えないよう、形を見比べます。
- 代表作でもう一度確かめます。スーラは「グランド・ジャット島の日曜日の午後」、ゴッホは「星月夜」、セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」です。筆づかいと作品の 2 つの手がかりがそろえば、記憶違いに気づけるからです。
答え: A スーラ B ゴッホ C セザンヌ
例題3 年表を読む(図の読み取り)
図3は、印象派の展覧会と代表作の年を示した年表です。目盛りは 1 年ごとに刻まれています。次の問いに答えなさい。

-
- 第 1 回の展覧会から最後の展覧会まで何年あるか。
- (2) ゴッホの「ひまわり」と「星月夜」は、最後の展覧会の前と後のどちらに描かれたか。
- 目盛りの大きさを確かめます。1 目盛りが 1 年で、10 年ごとに数字が入っています。読み違いの多くは、目盛りの大きさを確かめないまま数え始めることから起こるからです。
- 図の中の 1874 と 1886 の差を計算します。1886 から 1874 を引いて 12 年です。同じ引き算は「何年後か」という問いにそのまま使えます。
- 「ひまわり」は 1890 の 2 つ手前の目盛りで 1888 年、「星月夜」は 1 つ手前の目盛りで 1889 年です。どちらも最後の展覧会より右にあり、年表は右へ進むほど新しいので、後だと判断できます。
答え: (1) 12 年 (2) 後
例題4 色を混ぜなかった理由を書く(定期テストの記述)
印象派の画家が絵の具をパレットで混ぜず、短い筆づかいで並べて描いたのはなぜですか。「明るさ」「目」の 2 語を使って、40 字程度で説明しなさい。
- 指定された語の役割を決めます。「明るさ」は目的、「目」はしくみを表す語です。役割が決まれば、文の順序も決まるからです。
- 混ぜるとどうなるかを書き出します。絵の具は混ぜると暗くなる、という事実が理由の出発点だからです。
- 目的としくみを続けて文にし、文末を「〜ため。」で結びます。「なぜか」と聞かれているので、理由の形で閉じないと問いに答えたことにならないからです。
答え: 絵の具は混ぜると暗くなるので、色を並べて明るさを保ち、見る人の目の中で混ぜるため。
まちがえやすいところと直し方
誤り1 モネとマネを入れ替える
誤った書き方: 「印象・日の出」の作者はマネである。
どこが違うか: マネはモネより年上の画家で、「草上の昼食」や「笛を吹く少年」で知られます。若い画家たちに大きな影響を与えましたが、印象派の展覧会には出品していません。1 字違いの名前を音だけで覚えると、ここで入れ替わります。人物が主役なのがマネ、水と光が主役なのがモネ、と絵の中身で区別するのが確実です。
正しい書き方: 「印象・日の出」の作者はモネである。マネは「笛を吹く少年」の作者である。
誤り2 後期印象派を印象派の後半だと考える
誤った書き方: ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌは印象派の後半の画家で、光を写す表現を完成させた。
どこが違うか: 図4のように、後期印象派は印象派の明るい色を受け継ぎながら、別の方向へ枝分かれした画家たちです。年代だけでも分けられません。セザンヌは第 1 回の展覧会に出品していますし、ゴーギャンも後の回に参加しています。分ける基準は活動した年ではなく、何を描こうとしたかです。図4の点線の矢印が示すように、浮世絵の影響は両方の側に届いているので、浮世絵を手がかりに区分を決めることもできません。

正しい書き方: ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌは後期印象派であり、印象派の後に続いて、感情、平らな色、形の組み立てへ進んだ。
誤り3 筆触分割と点描を同じものにする
誤った書き方: モネは点描で描き、スーラは色を混ぜて塗った。
どこが違うか: 色を混ぜずに並べる考え方は共通ですが、手の動きが違います。モネの筆触分割は短い筆の跡で、移り変わる光を逃さないようにすばやく置いたものです。スーラの点描は細かくそろった点で、色の組み合わせを計算しながら時間をかけて置いたものです。スーラが色を混ぜて塗ったというのも逆で、混ぜない考え方を最も徹底したのがスーラです。
正しい書き方: モネは短い筆づかいの筆触分割で描き、スーラはそれを細かい点へ徹底した点描で描いた。
用語のまとめ
テスト前は、はじめの表で語の意味を、次の表で画家と作品の組み合わせを見返してください。区分の欄を隠して自分で言えるようになれば、白板の前で手が止まることはなくなります。
| 語 | 意味 |
|---|---|
| 印象派 | 光と空気の見え方を描いた画家たちの呼び名。批評家の皮肉から広まった |
| 「印象・日の出」 | 名前の由来となったモネの作品。1874 年の展覧会に出た |
| サロン(官展) | 国が開く展覧会。印象派はこれとは別に展覧会を開いた |
| 戸外制作 | 屋外で光を見ながら描くこと |
| 筆触分割 | 色を混ぜず、短い筆づかいで並べる技法 |
| 視覚混合 | 並んだ色が見る人の目の中で混ざって感じられること |
| 連作 | 同じ題材を時刻や天気を変えて何枚も描くこと |
| 点描 | 細かい点を並べて描く技法。スーラが代表 |
| 新印象派 | 点描を進めたスーラたちの呼び名 |
| 後期印象派 | 印象派の後に続き、別の方向へ進んだゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ |
| ジャポニスム | 19 世紀後半のヨーロッパで起きた日本美術の流行 |
| 画家 | 区分 | 筆づかいの特徴 | 代表作 |
|---|---|---|---|
| モネ | 印象派 | 短いタッチで光を追う | 「印象・日の出」「睡蓮」 |
| ルノワール | 印象派 | 人物に落ちる光 | 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 |
| スーラ | 新印象派 | 細かい点 | 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」 |
| ゴッホ | 後期印象派 | うねる線と強い色 | 「ひまわり」「星月夜」 |
| ゴーギャン | 後期印象派 | 輪郭線と平らな色 | 「タヒチの女たち」 |
| セザンヌ | 後期印象派 | 色の面の積み重ね | 「サント・ヴィクトワール山」 |
練習問題
練習1 次の作品の作者を答えなさい。
-
- 「睡蓮」
- (2) 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
- (3) 「星月夜」
- (4) 「サント・ヴィクトワール山」
- (5) 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
練習2 次の文が正しければ○を、誤っていれば×を書き、誤っている文は正しく直しなさい。
- ア 印象派という呼び名は、画家たちが最初の展覧会の前に自分たちで決めた。
- イ ゴーギャンはタヒチに渡り、輪郭線で区切った平らな色の面で描いた。
- ウ 印象派の画家は、影を黒一色で塗ることを大切にした。
練習3 図3を見て答えなさい。
-
- 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、第 1 回の展覧会の何年後の作品か。
- (2) ゴーギャンがタヒチへ渡った年は、最後の展覧会の何年後か。
練習4 19 世紀後半のフランスの画家たちが浮世絵から学んだ特徴を 2 つ、短く書きなさい。
答えと解説
- 練習1: (1) モネ (2) ルノワール (3) ゴッホ (4) セザンヌ (5) スーラ。(2) と (5) は作品名が長いので、最初の数文字と作者を声に出して結びつけると残りやすくなります。
- 練習2: ア × 批評家の皮肉の言葉から、あとで広まった呼び名です。イ ○。ウ × 影も青や紫など、目に見えた色で描きました。アは作品名と組で問われるので、誰が言い出した言葉なのかまで答えられるようにします。
- 練習3: (1) 2 年後。1876 から 1874 を引きます。(2) 5 年後。1891 から 1886 を引きます。図3の目盛りを 1 つずつ数えても同じ結果になるので、計算と目盛りの両方で確かめると安心です。
- 練習4: 平らな色の面、影をほとんど描かないこと、手前の物を端で切るような大胆な構図のうち、2 つが書けていれば正解です。西洋の絵で基本だった陰影と遠近法との違いを思い浮かべると、書きやすくなります。
次の単元へのつながりと確かめ方
この単元の知識は、次の 20 世紀の美術でそのまま使います。セザンヌの形の組み立てはピカソのキュビスムへ、ゴッホやゴーギャンの強い色はマティスのフォービスムへと受け渡されていくからです。逆向きにたどれば、日本美術の単元で習う北斎と広重が、海の向こうの絵の背景として見えてきます。
家で 5 分あれば、次の 2 つで確かめられます。
- 白い紙に「印象派」「新印象派」「後期印象派」と 3 つの枠を書き、6 人の画家と代表作を 1 つずつ、何も見ずに入れていきます。手が止まった画家が、次に見直す相手です。
- 赤と緑のペンで短い線を交互にびっしり描き、腕を伸ばして紙を遠ざけて眺めます。近くで見たときと色の印象が変わるので、筆触分割のしくみが手と目で残ります。
個別指導では、作品名の暗記でつまずいているのか、色料は混ぜると暗くなるという色の単元の理解が抜けているのかを見分け、後者なら三原色の基本まで戻って確かめます。
まとめ
見たとおりに描くとはどういうことか。この問いに、モネは移ろう光で、スーラは計算した点で、ゴッホは筆の勢いで、ゴーギャンは平らな色で、セザンヌは形の組み立てで、それぞれ別の答えを出しました。テスト用紙の空欄に入る名前は、どれもその答えの持ち主の名前です。自習室の白板に線が引けたとき、並んだ名前は暗記の一覧ではなく、絵画をめぐる論争の地図に変わっています。
読んで終わりにするか、ここから変えるか。
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