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【中学受験社会】大正 昭和前期を図解で総まとめ—第一次大戦 大正デモクラシー 恐慌 満州事変 戦争|武蔵野個別指導塾

第一次世界大戦から終戦までを年表で結び、1925年の2つの法律と戦時の生活を整理します。年代順・用語・記述の例題と練習で、出来事の理由まで家庭で確かめられます。
よくあるのは、夕食を待つ台所で、お子さまが歴史の年表を開き、「選挙に参加できる人が増えたのに、そのあと、どうして軍部の力が強くなるの」と手を止める場面です。普通選挙法も満州事変も名前は言えるのに、間にある不景気や政治の変化がつながりません。保護者の方も、年号をもう一度覚え直すように伝えるだけでは、疑問が残ってしまいます。
大正・昭和前期は、外国で起きたことが日本の仕事や食卓にまで影響した時代です。政治に国民の声を反映させようとする動きと、思想や行動を取り締まる動きが、同じ時期に見られる点も特徴です。「時代が進めば、すべて同じ方向に変わる」と考えず、政治・経済・暮らしを分けてから結び直すと、流れを追いやすくなります。
まず年表で前後を確かめ、次に「だれの、何が変わったのか」を言葉にしましょう。そうすれば、用語を答える問題だけでなく、出来事を並べる問題や理由を説明する問題にも、根拠を持って取り組めます。
この単元で身につけること
- 第一次世界大戦と日本の関係を説明します。日本が参戦した背景と、輸出の増加による好景気を、ヨーロッパの戦争とつなぎます。
- 大正デモクラシーの動きを整理します。吉野作造の民本主義、原敬の政党内閣、普通選挙法を、国民の声と政治の関係から理解します。
- 1925年の2つの法律を区別します。普通選挙法では選挙権の条件、治安維持法では取り締まりの対象に注目します。
- 恐慌と軍部の台頭を時系列で捉えます。不景気への不満と、政党政治が弱まる過程を、ひとつの事件だけで説明しないようにします。
- 満州事変から終戦までの順序と、戦時の生活を結びます。戦争の広がりに伴い、物資・労働・子どもの生活がどのように変わったかを説明します。
前の明治時代で学ぶ帝国議会や選挙権の制限が、この単元で政治参加の変化を比べる出発点になります。とくに、戦前の日本では大日本帝国憲法が続いていたことを押さえましょう。大正デモクラシーは、現在と同じ政治制度が完成したという意味ではありません。
基本の考え方
第一次世界大戦は日本の経済にも影響しました
1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まりました。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦し、中国の山東半島にあったドイツの権益や、太平洋のドイツ領の島々を攻撃しました。「主な戦場がヨーロッパだったこと」と「日本が戦争に参加しなかったこと」は同じではありません。戦場の場所と参加国を分けて考えます。
1915年には、日本は中国に二十一か条の要求を出しました。山東半島の権益などをめぐり、日本の中国での影響力を広げようとする内容で、中国では反発が起こりました。戦争中の国際関係を問う問題では、「日本と中国」「山東半島」「二十一か条の要求」をひとまとまりにすると、国内の政治運動と混同しにくくなります。
戦争中、ヨーロッパの国々は軍需品の生産などに力を向け、アジアへ送る商品の供給が減りました。そのため日本からの輸出が増え、工業が発展しました。海運業などで大きな利益を得る人も現れ、この好景気を大戦景気といいます。ただし、景気がよくなることと、すべての家庭の暮らしが楽になることは別です。物価が上がり、収入の増加が追いつかない人には生活の負担が重くなりました。
1918年には、米の値上がりに抗議する米騒動が富山県から全国へ広がりました。シベリア出兵を見越した米の買い占めなども、米価が上がる背景になりました。「米が値上がりしたから、米を買って暮らす人々が困った」というところまで説明すると、生活の変化として理解できます。同じ1918年に第一次世界大戦は終わりますが、米騒動を戦後の不景気による事件としないように注意します。
図1のように、1914年から1931年までを一本の時間の線に置くと、大戦中の出来事と戦後の出来事を分けられます。横の距離は経過した年数に合わせてあり、間隔の広い部分ほど長い時間がたっています。

大戦後の1919年にはベルサイユ条約が結ばれ、1920年には国際連盟が発足しました。国際連盟は国際協調によって平和を保つことを目指す組織で、日本も参加しました。一方、提唱したアメリカは参加しませんでした。国際連盟と、第二次世界大戦後にできる国際連合は別の組織です。名前の最後の一字だけでなく、どの戦争のあとにできたかまで結びつけます。
国民の声を政治に反映させる動きが広がりました
大正時代を中心に、民主主義を求める風潮や運動が広がりました。これを大正デモクラシーといいます。吉野作造は民本主義を唱え、国民の意向を重んじ、人々の幸福のために政治を行うべきだと説きました。天皇が主権者とされる当時の憲法のもとで、政治の運用を国民のためのものにしようとする考え方です。現在の国民主権という原則と、そのまま同じ意味にはできません。
1918年には、原敬が本格的な政党内閣を組織しました。政党内閣とは、議会の政党を基盤とする内閣のことです。原敬の場合、陸軍・海軍・外務の大臣を除く閣僚を立憲政友会の党員で構成したことが特徴です。原敬が「平民宰相」と呼ばれたことだけで終わらせず、政党が内閣を支えるという仕組みを押さえましょう。
1925年、加藤高明内閣のもとで普通選挙法が成立しました。衆議院議員の選挙権にあった納税額の条件がなくなり、満25歳以上の男子に選挙権が認められました。「普通」という言葉があっても、当時は女性に選挙権がありませんでした。年齢・性別・納税額の3つを順に確認すると、どの条件が変わり、どの条件が残ったかが見えます。この法律による最初の総選挙は1928年です。
同じ1925年には治安維持法も制定されました。国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社などを取り締まる法律です。ここでいう国体の変革には、天皇を中心とする当時の国家の仕組みを変えることが関わります。社会主義や共産主義の運動などが取り締まりの対象となり、のちには運用の範囲も広がりました。選挙への参加が広がったことと、思想や運動への取り締まりが行われたことを、両方書けるようにします。
社会の動きは選挙だけではありません。労働者は労働条件の改善を求め、小作農は小作料の引き下げなどを求めました。女性の地位の向上を求める運動も進み、1922年には、被差別部落の人々が差別からの解放を目指して全国水平社を結成しました。それぞれの運動を一括りにせず、「だれが、何を求めたか」の組で整理すると、資料に出てくる言葉を手掛かりにできます。
不景気と戦争の拡大を分けてつなぎます
第一次世界大戦後には、ヨーロッパの生産が回復し、日本は戦争中のようには商品を売れなくなりました。1923年の関東大震災は、東京や横浜を中心とした地域に大きな被害を与えました。1927年には金融恐慌が起き、銀行の経営への不安が広がりました。恐慌とは、経済活動が急に大きく落ち込み、企業の倒産や失業などが広がることです。
1929年には、アメリカの株価暴落をきっかけに世界恐慌が起こりました。日本でも輸出が減り、昭和恐慌と呼ばれる深刻な不景気になりました。たとえば、生糸を買うアメリカの需要が減ると、生糸の原料となる繭の価格にも影響します。養蚕を行う農家は収入が減り、暮らしが苦しくなりました。「外国の不景気→日本の輸出減少→工場や農村への影響」と、間のつながりを省かずに説明します。
こうしたなかで政党政治への不満も強まり、軍部が政治への影響力を強めました。ただし、不景気になれば必ず戦争になるわけではありません。経済の問題に加え、中国での権益を広げようとする動きや、軍の行動、政治家への襲撃などを確かめる必要があります。原因を「世界恐慌」の一語だけにすると、実際に何が起きたかが抜けてしまいます。
1931年、日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件をきっかけに、満州事変が起こりました。関東軍はこれを中国側の行為として軍事行動を広げ、翌1932年には「満州国」がつくられました。国際連盟は調査のためリットン調査団を送り、日本と国際連盟の対立が深まりました。日本は1933年に国際連盟からの脱退を通告しました。年表で「1933年、国際連盟脱退」と書かれるのは、この通告の年です。
国内では1932年の五・一五事件で犬養毅首相が殺害され、政党内閣の時代が終わりました。1936年には陸軍の青年将校らが二・二六事件を起こしました。事件そのものは鎮圧されましたが、その後も軍部の政治への発言力が強まりました。2つの事件を日付に似た名前だけで覚えず、「1932年・犬養毅」「1936年・陸軍の青年将校」という手掛かりを加えます。
1937年には盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、戦争は長期化しました。1939年にはドイツのポーランド侵攻をきっかけにヨーロッパで第二次世界大戦が始まりました。日本は1940年にドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結び、アメリカやイギリスなどとの対立を深めました。1941年、日本軍によるハワイの真珠湾への攻撃やマレー半島への上陸によって、太平洋戦争が始まりました。第二次世界大戦全体の始まりと、日本がアメリカやイギリスなどと戦い始めた年は区別します。
例題で解き方を確かめる
例題1 大戦景気の理由を説明する
問題:第一次世界大戦中、日本では輸出が増え、工業が発展しました。その理由を、「ヨーロッパ」「アジア」の2つの語を使って説明しましょう。
- 問われている変化を取り出します。今回は「輸出が増えた理由」なので、日本がどちらの側で参戦したかだけを答えても説明になりません。
- 商品を供給する側の変化を確かめます。ヨーロッパの国々が戦争に力を向け、アジアへの商品の供給が減ったことが出発点です。
- その変化と日本の動きをつなぎます。不足した商品を日本が輸出する機会が増えた、と書けば、外国の事情と日本の好景気が結びつきます。
「日本が戦争に勝ったから」という答えでは、戦争中に輸出が増えた仕組みを説明できません。また、「すべての日本人が豊かになったから」は結果の取り違えです。大戦景気のなかでも米価などが上がり、暮らしに困る人々がいたことと矛盾します。記述では、問いにある「輸出」という言葉を見失わないようにします。
答え:ヨーロッパの国々からアジアへの商品の供給が減り、それに代わって日本からの輸出が増えたからです。
例題2 1925年の2つの法律を読み分ける
問題:図2の左の法律について、なくなった選挙権の条件を答えましょう。また、左右の法律名と、両方が同じ年に成立したことから読み取れる当時の政治の特徴を説明しましょう。
図2のように2つの法律を左右に分けると、制定年が同じでも働きが違うとわかります。左は選挙への参加、右は思想や運動への取り締まりを表しています。

- 年号と条件を組み合わせます。「1925年」「25歳以上の男子」「納税条件を撤廃」がそろうため、左は普通選挙法と判断できます。
- 右の法律の対象を確かめます。国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社などの取り締まりなので、治安維持法です。
- 共通点と違いを一文にまとめます。同じ年に成立したという共通点を土台に、政治参加の拡大と取り締まりという違いを並べます。
「選挙権の制限がすべてなくなった」と書くと、年齢と性別の条件を落としてしまいます。図の短いラベルをそのまま写すだけでなく、本文で確かめた「満25歳以上の男子」に補って答えましょう。資料の一部だけを見て広く言いすぎないことが、この問題の要点です。
答え:なくなったのは納税額の条件で、左は普通選挙法、右は治安維持法です。選挙への参加が広がる一方、思想や運動への取り締まりも行われました。
例題3 4つの出来事を年代順に並べる
問題:次のア〜エを古い順に並べましょう。アは日中戦争の開始、イは世界恐慌の発生、ウは太平洋戦争の開始、エは満州事変の発生です。
- まず確かな年を付けます。世界恐慌は1929年、満州事変は1931年、日中戦争は1937年、太平洋戦争は1941年です。年を付けることで、名前の似た戦争を分けられます。
- 年の小さい順に並べます。1929年、1931年、1937年、1941年の順になるので、記号に戻すとイ、エ、ア、ウです。
- 出来事の内容で見直します。世界的な不景気のあとに満州で軍事行動が広がり、その後に日中戦争、さらにアメリカやイギリスなどとの戦争へと広がった流れと合っています。
1939年も知っている場合は、「第二次世界大戦がヨーロッパで始まった年」と書き添えます。知っている年号が増えるほど、何の始まりなのかという見出しが必要になります。なお、この問題は順序を問うもので、4つを並べただけで、それぞれの原因をすべて説明したことにはなりません。
答え:イ→エ→ア→ウです。
例題4 戦時の暮らしを資料から説明する
問題:ある時期の暮らしを説明する文に、「食料や衣料などを自由に買うことが難しくなり、決められた量を受け取った」「空襲を避けるため、都市の子どもが地方へ移った」とあります。それぞれに当てはまる語を答え、2つに共通する背景を説明しましょう。
- 何が変わったかを分けます。前半は物資の受け取り方、後半は人が住む場所の変化なので、同じ用語でまとめずに考えます。
- 行動と目的から用語を選びます。物資を割り当てて受け取る仕組みは配給、空襲などの危険を避けて移ることは疎開です。
- 戦争との関係を具体的に書きます。戦争の長期化による物資不足と、空襲の危険が暮らしに影響した、とすれば2つの変化を説明できます。
疎開には家族や親戚を頼る形もあり、子どもたちが集団で移る学童集団疎開もありました。「すべての子どもが、同じ方法で移った」とは書きません。また、配給は「欲しい品物を欲しいだけ受け取れる仕組み」ではありません。資料中の「決められた量」が重要な手掛かりです。
答え:前半は配給、後半は疎開です。戦争の長期化に伴う物資不足や空襲の危険が、日常の暮らしに影響したことが背景です。
つまずきやすいところと直し方
誤り1 普通選挙法で、すべての大人が投票できた
誤った書き方:「1925年には、男女とも同じ条件で選挙に参加できるようになりました」。この書き方では、女性の選挙権が戦前に認められたことになってしまいます。普通選挙法で撤廃されたのは納税額の条件で、性別や年齢の条件がすべてなくなったわけではありません。
正しい書き方:「1925年の普通選挙法で、納税額にかかわらず満25歳以上の男子に衆議院議員の選挙権が認められました」。直すときは、「普通」の意味を日常の言葉から想像せず、図2の左側に戻り、変わった条件を確かめます。女性の選挙権は戦後の改革で学ぶ内容として、時期を分けましょう。
誤り2 満州事変と太平洋戦争は同じ出来事だった
誤った書き方:「1931年、日本は真珠湾を攻撃し、満州事変が始まりました」。これは1931年の満州事変と、1941年の太平洋戦争の出来事を混ぜています。名前に「戦」や「事変」が入っているかではなく、年・場所・きっかけを組にして見直します。
正しい書き方:「1931年には柳条湖事件をきっかけに満州事変が起こり、1941年には真珠湾への攻撃などによって太平洋戦争が始まりました」。間には1937年の日中戦争があります。図3の上の列を指しながら、3つの年を別々の場所に置いて言うと、ひとつの出来事にまとめてしまう誤りを防げます。

図3の上の列は出来事の順序を示し、箱の間隔は年数を表していません。下の列は、戦争を進めるための動員と暮らしへの影響を表します。1938年の国家総動員法により、政府は議会の個別の協賛を経ずに、戦争のために労働力や物資を動員・統制できるようになりました。法律名の「総動員」は、兵士だけでなく、社会全体の人や物を戦争に向ける仕組みと結びつけます。
戦争が長引くと、学生や女性も工場などで働くようになりました。1943年には、それまで徴兵を猶予されていた文科系の学生らも軍隊に送られる学徒出陣が行われました。学生が工場などで働く学徒動員と、軍隊に入る学徒出陣は区別します。1944年には学童集団疎開が始まり、都市の子どもたちの生活にも大きな変化が及びました。
誤り3 日本の降伏と終戦後の改革を同じ年表欄に詰め込む
誤った書き方:「1945年、戦争が終わると同時に日本国憲法が施行されました」。戦争の終結と、その後の制度改革は連続していますが、同時にすべてが行われたのではありません。まず1945年の出来事を整理し、次に戦後の年表へ進みます。
正しい書き方:「1945年、日本はポツダム宣言を受諾して降伏しました。日本国憲法の施行は1947年です」。1945年には沖縄戦があり、都市への空襲も多くの被害をもたらしました。8月6日に広島、8月9日に長崎へ原子爆弾が投下され、その間の8月8日にソ連が日本に宣戦し、9日には満州などへ侵攻しました。日本は8月14日にポツダム宣言の受諾を連合国側に伝え、8月15日に国民へ終戦が伝えられました。9月2日には降伏文書に調印しました。
年表で「1945年8月15日、終戦」と学ぶときは、国民へ伝えられた日として押さえます。細かな日付を全部同じ意味の「終戦日」にせず、宣言の受諾・国民への放送・降伏文書への調印という行為を分けておくと、資料に日付が示されたときも判断できます。
ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ
練習問題
練習1
1918年、米価の上昇に抗議する動きが富山県から全国へ広がりました。この出来事の名を答えましょう。また、同じ年に本格的な政党内閣を組織した人物も答えましょう。出来事の名だけでなく、暮らしのどの部分への不満だったかも、口頭で確かめます。
練習2
次のア〜エのうち、1925年の普通選挙法による衆議院議員の選挙権の説明として正しいものを1つ選びましょう。ア「満25歳以上の男子で、納税額の条件はない」、イ「満25歳以上の男女で、納税額の条件はない」、ウ「満25歳以上の男子で、一定額以上の納税が必要」、エ「満20歳以上の男女で、一定額以上の納税が必要」です。
練習3
次の出来事を古い順に並べ、記号で答えましょう。ア「五・一五事件」、イ「日本の国際連盟脱退通告」、ウ「満州事変」、エ「二・二六事件」です。できれば各記号の横に年を書き、人物や出来事の内容とも照らし合わせましょう。
練習4
世界恐慌が、養蚕を行う日本の農家の暮らしに影響した理由を、「アメリカ」「生糸」「繭」の3つの語を使って説明しましょう。外国の出来事から農家の収入まで、間に起きた変化をつないで書きます。
答えと解説
練習1の答え:米騒動、原敬です。米価が上がると、米を買うための出費が増えます。大戦景気の時期でも暮らしに困る人がいたことを踏まえると、国内の経済の様子を一面だけで捉えずに済みます。
練習2の答え:アです。納税額の条件がなくなった点と、満25歳以上の男子という条件が残った点の両方が必要です。イは性別、ウは納税額、エは年齢・性別・納税額が当時の法律と合いません。
練習3の答え:ウ→ア→イ→エです。満州事変は1931年、五・一五事件は1932年、国際連盟脱退通告は1933年、二・二六事件は1936年です。五・一五事件で殺害された首相は犬養毅で、原敬ではありません。
練習4の答え:アメリカで生糸の需要が減り、日本の生糸の輸出が減って繭の価格も下がり、養蚕農家の収入が減ったからです。「農家が株を持っていたから」と推測するのではなく、貿易と原料の価格を通じたつながりを説明します。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
次の戦後の日本では、選挙権の拡大、日本国憲法、占領下の改革を学びます。戦前の選挙の条件や、国家総動員法による統制を知っていると、改革の前後で何が変わったのかを比べられます。国際連盟と国際連合の区別も、戦争の前後を整理する手掛かりになります。
家庭では、5分でできる確かめ方を2つ用意できます。1つ目は、紙に「1918」「1925」「1931」「1937」「1941」を書き、対応する出来事をお子さまに一つずつ言ってもらう方法です。1918年には米騒動や原敬内閣、1925年には2つの法律など、同じ年に複数の出来事がある点も確かめます。間違えたときは答えを続けて読み上げず、図のどの位置に戻ればよいかを一緒に探します。
2つ目は、食卓で「米騒動のころ、米を買う人は何に困ったか」「戦時の配給では、買い物の仕方がどう変わったか」と尋ねる方法です。どちらも食料の話ですが、時期と仕組みが違います。「米」という共通語だけで同じ事件にしない説明ができれば、暮らしと歴史を結びつけられています。
個別指導では、法律名を取り違える場合は明治時代の選挙権の条件まで戻り、戦争を混同する場合は年・場所・きっかけを別々に確かめます。説明が途中で止まるときには、たとえば輸出減少と農家の収入減少の間にある、生糸と繭のつながりを補います。
まとめ
年表に出来事を置けたら、その時代の人が何を選べたか、何に困ったかを一つ添えてみましょう。選挙権の条件、米の値上がり、工場での仕事、疎開先での暮らしは、政治や戦争の変化を具体的に捉える手掛かりになります。年号と用語が、その出来事を説明するための根拠に変わります。
1925年の2つの法律を説明できることは、歴史を「民主化が進んだ」「軍部の力が強まった」という単純なひと続きの物語にしないための土台です。政治参加の広がりと自由への制限は、同じ年表の上に並びます。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。




