
武蔵野個別指導塾の特徴
【中学受験社会】江戸時代①を図解で総まとめ—幕藩体制 参勤交代 鎖国 身分 産業と交通|武蔵野個別指導塾

幕府と藩の関係、江戸初期の年表、四つの窓口を3枚の図で整理します。参勤交代の理由を説明する例題や三都と輸送を結ぶ練習を通して、制度と人々の暮らしのつながりを確かめられます。
よくあるのは、体育館の隅のタイム表を見ながら、競技の担当と開始時刻なら整理できるのに、歴史のノートでは「家康・家光・参勤交代・鎖国」をひと続きに並べ、だれが何を決めたのか説明できなくなるという場面です。江戸時代の初めには、人の名前、法律、外交、町の発展が続けて出てきます。覚える言葉を増やす前に、それぞれが何を表しているかを分けてみましょう。
体育館の予定を読むときも、「担当はだれか」と「いつ始まるか」は別の問いです。歴史でも「支配する仕組み」「制度が整う順番」「制度が暮らしに及ぼす影響」を分けると、説明の筋が通ります。たとえば参勤交代は、大名を統制する制度であるとともに、人が街道を行き来する理由にもなりました。
この単元では、幕府が全国をどう支配したかを出発点に、海外との関係、身分、産業、交通へと考えを広げます。用語を答えるだけでなく、「なぜそうしたのか」「その結果、何が起こったか」を短い文でつなげることが目標です。
この単元で身につけること
- 幕府と藩の役割を区別します。将軍が全国の大名を従え、大名がそれぞれの領地を治めるという、2つの範囲を押さえます。
- 大名の分類と統制の方法を結びつけます。親藩・譜代大名・外様大名は徳川氏との関係による分類であり、武家諸法度や参勤交代は大名を統制する仕組みです。
- 江戸初期の出来事を順に並べます。関ヶ原の戦い、幕府の成立、大坂の陣、参勤交代の制度化を、人物とともに整理します。
- 鎖国下の四つの窓口を説明します。長崎・対馬・薩摩・松前について、窓口と相手を組にし、貿易と外交の違いにも目を向けます。
- 身分と仕事、産業と交通のつながりを読み取ります。百姓や町人の生活を一つの仕事だけで決めつけず、米や商品が村から都市へ動く道筋をたどります。
前の単元で学ぶ太閤検地や刀狩は、土地から年貢を取る仕組みや、武士と百姓の身分の区別を考える土台になります。戦国の争いから全国統一へ進んだあと、その支配を続けるためにどのような制度が整えられたのか、という問いで江戸時代につなげましょう。
基本の考え方
幕府と藩は、支配する範囲が違います
1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、1603年に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。関ヶ原の戦いは家康が力を強めた出来事、1603年は江戸幕府の成立を示す年です。2つは関係していますが、同じ出来事ではありません。さらに1615年、大坂の陣で豊臣氏が滅び、徳川氏の支配が固まっていきました。
幕府は将軍を中心とする武士の政府です。一方、大名が支配する領地と、その支配の仕組みを藩と呼びます。大名とは、原則として1万石以上の領地を与えられた武士です。石高は土地の生産力を米の量で表したもので、大名の領地の規模を示す基準になりました。面積そのものを示す単位ではないため、石高が同じなら領地の広さも同じ、とはいえません。
幕府と藩が全国を支配する仕組みを幕藩体制といいます。藩はそれぞれ年貢を集め、家臣を抱え、領内の政治を行いました。ただし、幕府と対等な独立国だったわけではありません。大名は将軍に従い、幕府の法令による統制を受けました。また、幕府が直接支配する幕領もあり、すべての土地が藩だったわけでもありません。
図1のように、幕府から大名に向かう統制と、幕領・藩領を治める関係を分けると、支配の範囲が見えます。図の線は支配の関係を示すもので、土地の広さや収入の割合を示してはいません。

幕府では老中が政治の中心となり、譜代大名がその役職を担いました。町奉行は江戸などの都市の行政や裁判などを担当し、勘定奉行は幕府の財政や幕領の支配などにかかわりました。寺社奉行は寺社を取り締まりました。京都所司代は朝廷や西国の大名の動きに目を配りました。役職名だけを覚えず、「お金や幕領」「都市」「寺社」のように担当を添えると区別しやすくなります。
大名・朝廷・人々に対する統制
大名は徳川氏との関係によって分類されます。親藩は徳川氏の一族、譜代大名は関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名、外様大名は関ヶ原の戦いのころやその後に従った大名です。外様大名には広い領地を持つ者もいましたが、幕府の重要な役職は主に譜代大名が担いました。領地の規模と、幕府の政治に参加する立場とは別に考えます。
1615年に出された武家諸法度は、大名を統制するための法令です。城の修理には幕府への届け出が必要とされ、新たに城を築くことや、無断で婚姻関係を結ぶことなどが制限されました。大名が軍事力を強めたり、大名どうしで幕府に対抗する結びつきを作ったりするのを抑えたのです。同じ年には一国一城令も出され、居城以外の城を取り壊させました。いずれも大名統制ですが、法令の名前は区別します。
3代将軍徳川家光のとき、1635年の武家諸法度で参勤交代が制度化されました。大名が原則として1年おきに江戸と領地を往復し、江戸では将軍に仕えます。妻子は江戸に住まわせられました。大名本人の出仕と妻子の江戸居住を組み合わせ、幕府が大名を統制した点を押さえます。行列での移動や江戸屋敷の維持は、大名の大きな経済的負担にもなりました。
朝廷や公家に対しては、禁中並公家諸法度が定められました。「武家」と「公家」の文字を手がかりにすると、武家諸法度との取り違えを防げます。幕府は朝廷をなくしたのではなく、朝廷や公家の行動を規制しながら支配を安定させました。
身分の面では武士が支配を担い、百姓や町人などが年貢やさまざまな負担を負いました。百姓の多くは農業を営みましたが、漁業や林業、手工業などに携わる人々もいました。町人には職人や商人が含まれます。「士農工商」という言葉だけで、人々が仕事ごとに一列の順位に並んでいたと考えるのは不正確です。公家や僧侶などもおり、差別された身分の人々も暮らしていました。身分によって権利や生活に制約があったことを、実際の仕事や暮らしと分けて理解しましょう。
村では名主や庄屋などの村役人が、年貢の取りまとめや村の運営を担いました。年貢は村単位で納める仕組みが取られ、五人組には年貢の納入や犯罪の防止などについて連帯責任を負わせました。寺請制度では、人々が寺の檀家であることを証明させ、キリスト教徒でないことの確認に用いました。村や寺とのつながりも、幕府や藩が人々を把握する仕組みに組み込まれていたのです。
海外との関係と、国内を結ぶ産業・交通
江戸幕府の初めには、朱印状という許可状を持つ船による朱印船貿易が行われ、東南アジア各地に日本町ができました。しかし幕府は、キリスト教の広まりを警戒し、貿易も統制するようになります。日本人の海外渡航や帰国を禁じるなど、対外関係の制限は段階的に強まりました。1637年に始まった島原・天草一揆では、重い年貢やキリスト教の取り締まりなどを背景に人々が蜂起し、1638年に鎮圧されました。宗教だけを一揆の原因と決めつけないことも必要です。
1639年にポルトガル船の来航が禁止され、1641年にはオランダ商館が平戸から長崎の出島に移されました。こうした対外関係の統制を、後世の言葉で鎖国と呼びます。外国との交流をすべて断った状態ではありません。幕府は相手や窓口を限り、貿易や外交、情報の流れを管理しました。窓口ごとの相手は図3で確かめます。
国内では、新田開発によって田畑が広がり、農具の改良も進みました。備中ぐわは田畑を深く耕す道具、千歯こきは稲などから穂の実を外す脱穀の道具です。干鰯や油かすなど、お金で買う金肥も使われました。綿や菜種などの販売を目的とする商品作物の栽培が広がり、農村も商品やお金の流れと結びついていきます。村では米だけを作り、都市だけで商売をした、という切り分けはできません。
林業や漁業、織物などの手工業も発達しました。農具や生産の変化が江戸時代を通じて進んだことに注意し、すべてを幕府成立の年の出来事として覚えないようにします。商品を作る人が増えると、それを集め、運び、売る人や場所も必要になりました。
江戸・大坂・京都は三都と呼ばれます。江戸は将軍のいる政治の中心で、大勢の武士や町人が暮らす大きな消費地でした。大坂には諸藩の蔵屋敷が集まり、年貢米や特産物が売買され、「天下の台所」と呼ばれました。京都は朝廷が置かれた都で、西陣織などの伝統的な手工業や文化が栄えました。3つの都市に共通するのは人や品物の集中ですが、問題を解くときはそれぞれの特徴を使い分けます。
街道では江戸の日本橋を起点とする五街道が整備されました。東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中です。宿場は旅人が泊まるだけでなく、人馬を用意して荷物や人を次の宿場へ送る役割も担いました。関所は人や物の移動を取り締まる場所です。「入り鉄砲に出女」という表現は、江戸へ入る鉄砲と、江戸から出る大名の妻などの女性を警戒したことに結びつけます。
重い米や大量の商品を遠くへ運ぶには、船も重要でした。東廻り航路・西廻り航路が開かれ、大坂と江戸の間では菱垣廻船や樽廻船が商品を運びました。五街道と海上交通は、どちらか片方だけが発達したのではありません。人の移動と荷物の量、目的地に応じて、陸路・河川・海路が使い分けられました。
例題で解き方を確かめる
例題1 法令の対象から名前を選びます
大名に対して、城や婚姻に関する決まりを示した法令は何ですか。「武家諸法度」「禁中並公家諸法度」から選びましょう。また、選ばなかった法令の主な対象も答えましょう。
- 文中の「大名」に印を付けます。法律の問題では、内容を細かく読む前に、だれに守らせた決まりなのかを特定すると候補を絞れるからです。
- 「大名は武士」と置き換え、武家諸法度を選びます。城や婚姻の制限という説明も、大名が力を強めるのを抑える統制と一致します。
- もう一方の禁中並公家諸法度について、対象を天皇や公家と確認します。対になる語まで説明すると、似た名前を字面だけで覚える間違いを減らせます。
ここで「城の数を制限したのだから、一国一城令でも同じ」とまとめないようにします。問題は城と婚姻の両方を示しており、大名への決まり全体を問うています。語の一部に反応するのでなく、説明の範囲が合うかを確かめます。
答え:武家諸法度です。禁中並公家諸法度の主な対象は天皇や公家です。
例題2 年表の位置と出来事を対応させます
次の4つの出来事を古い順に並べましょう。アは参勤交代の制度化、イは江戸幕府の成立、ウは関ヶ原の戦い、エは大坂の陣による豊臣氏の滅亡です。さらに、アのときの将軍を答えましょう。
図2では横方向の同じ長さが同じ年数に対応します。上下に分かれたラベルの高さに年代の意味はなく、各ラベルにつながる線と横軸の位置を見ます。

- 各出来事を年と結びつけます。ウは1600年、イは1603年、エは1615年、アは1635年なので、人物名だけで順番を推測する必要がなくなります。
- 年の小さい順にウ、イ、エ、アと並べます。図2の点も左から同じ順に並び、関ヶ原の戦いと幕府成立は3年の差、幕府成立と大坂の陣は12年の差と読み取れます。
- アの将軍を徳川家光と確認します。家康による幕府の成立と、家光のときの制度化を分ければ、「江戸初期の制度はすべて家康が決めた」という取り違えを防げます。
年表は出来事の間隔を示しますが、それだけで因果関係が証明されるわけではありません。家康が将軍になった時点では豊臣氏が残っており、のちに大坂の陣で滅びた、という内容も重ねると、支配が段階的に固まったことを説明できます。
答え:ウ→イ→エ→アの順で、アのときの将軍は徳川家光です。
例題3 参勤交代の仕組みと影響を分けます
参勤交代について、次の2点を説明しましょう。第1に、大名本人と妻子はどのように江戸とかかわりましたか。第2に、街道や宿場にはどのような影響がありましたか。
- 最初の問いを「本人」と「妻子」に分けます。両者の動きを同じにすると、家族全員が交代で領地へ帰るという誤答になるためです。
- 本人には「原則として1年おきに江戸と領地を往復」、妻子には「江戸に居住」を対応させます。この2つを並べると、大名の出仕と家族の居住を通じた統制の仕組みを表せます。
- 次の問いでは、人の移動から考えます。大名が多くの家臣を伴って往復すれば、道や宿泊先、人馬の手配が必要になり、街道や宿場の発達につながるからです。
- 制度の内容と社会への影響を、別の文にします。大名の統制をねらう制度だったことと、交通が発達したことを分ければ、制度の目的を「旅行を便利にするため」と取り違えません。
費用の負担を問われた場合は、往復の費用に加え、江戸屋敷を維持する費用も挙げられます。ただし、この問題では交通への影響が問われています。知っていることを全部書くのではなく、設問の語に対応する説明を選びましょう。
答え:大名は原則1年おきに江戸と領地を往復し、妻子は江戸に住みました。大名行列の往来は街道や宿場の発達につながりました。
例題4 都市の働きと輸送の方法を結びつけます
ある藩が年貢米を都市の蔵屋敷に集めて売り、その代金を藩の支出に充てました。この都市として最も適切なのは江戸・大坂・京都のどれですか。また、大量の米を遠方から運ぶときに船が役立つ理由を答えましょう。
- 「蔵屋敷」「年貢米を売る」という2つの手がかりを拾います。都市名がなくても、品物の集積と売買の機能から大坂を選べるからです。
- 米を集める目的を考えます。年貢米は食料ですが、売ってお金に換えることで藩のさまざまな支払いにも使えるため、大坂は経済の中心として重要でした。
- 運ぶ荷物の性質を見ます。米は重く量も多いので、一度に大量の荷物を運べる船が長距離の輸送に役立つ、と説明します。
「幕府があるから江戸」と答える場合は、政治の中心と米の取引の中心を混同しています。また、船の説明を「速いから」だけで済ませると、天候や経路で変わる速さを決めつけてしまいます。この問いでは、大量の重い荷物を運べるという特徴が、米の性質に合っています。
答え:大坂です。船は重い米を一度に大量に運ぶことができ、遠方からの輸送に役立ったためです。
つまずきやすいところと直し方
誤り1 鎖国なら交流はなかったと考えます
誤った書き方は「鎖国中、日本は外国とまったく交流しませんでした」です。違うのは、「制限する」と「なくす」を同じにしている点です。長崎ではオランダ・中国との貿易が続き、ほかにも外交や交易の窓口がありました。正しい書き方は「幕府は対外関係を統制し、限られた窓口を通じて交流を続けました」です。
図3のように、窓口と相手を横に対応させて覚えます。長崎で貿易したオランダと中国は、相手として一組にできますが、両者が同じ場所に居住したわけではありません。出島に商館が置かれたのはオランダで、中国商人の居住地は唐人屋敷でした。

対馬の宗氏は朝鮮との外交や貿易を仲立ちしました。朝鮮通信使は朝鮮から来た外交使節で、貿易船の名前ではありません。薩摩藩は琉球王国を支配下に置き、琉球との関係を通じて中国とのつながりも持ちました。琉球は中国との朝貢関係を続けていました。松前藩は蝦夷地のアイヌの人々との交易を窓口としました。
4行を同じ形で図にしても、相手の立場や交流の内容がすべて同じという意味ではありません。「ヨーロッパで貿易が認められた国」と問われればオランダ、「長崎の貿易相手」と問われればオランダと中国です。問いが指す範囲を読むことが、正しい知識を使うための最後の確認になります。
誤り2 身分と職業を完全に同じものと考えます
誤った書き方は「百姓は米作りだけをし、町人は全員が商人でした」です。違うのは、身分を示す語から、仕事を一つに限定している点です。百姓には農業以外の生業にかかわる人々もおり、町人には職人も含まれました。正しい書き方は「百姓の多くは農業を営み、町人には職人や商人がいました」です。
お子さまが「商人はお金を持っていたのに、なぜ武士ではないの」と疑問を持ったら、身分と経済力を別々に並べてみましょう。商売で富を蓄えたことと、武士として支配を担うことは同じではありません。米や商品の売買が広がるほど、武士の政治上の立場と、商人のお金を扱う力の違いが見えやすくなります。
誤り3 江戸時代の都市や交通を江戸だけに集めます
誤った書き方は「天下の台所は江戸で、米はすべて東海道で運ばれました」です。違うのは、政治の中心を経済の中心と同一視し、運ぶ物にかかわらず陸路だけを選んでいる点です。正しい書き方は「天下の台所は大坂で、大量の米の輸送には海路や河川も使われました」です。
直すときには、三都の名前の横に「政治と消費」「米や特産物の取引」「朝廷と伝統的な手工業」と書き添えます。そのうえで、人が移動する場面と、大量の荷物を運ぶ場面を比べます。参勤交代からは街道や宿場、年貢米の集積からは蔵屋敷や海上交通へ、と手がかりに応じて結びつけると、交通の用語が単なる名前の一覧ではなくなります。
ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ
練習問題
練習1
次の説明に合う大名の分類を答えましょう。アは徳川氏の一族、イは関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名、ウは関ヶ原の戦いのころやその後に従った大名です。さらに、幕府の老中を主に担ったのはどの分類か答えましょう。
練習2
次の出来事を古い順に並べましょう。アはポルトガル船の来航禁止、イは参勤交代の制度化、ウは江戸幕府の成立、エはオランダ商館の出島への移転です。並べたあと、ウからイまで何年経過しているかも求めましょう。
練習3
対外交流の窓口と相手の組を完成させましょう。長崎はオランダと何、対馬はどこ、薩摩はどこ、松前はだれと対応しますか。また、「鎖国中、ヨーロッパとの貿易はどの国とも行われなかった」という説明の誤りを、国名を挙げて直しましょう。
練習4
次の文の空欄を埋め、最後の問いに1文で答えましょう。「年貢米や特産物の売買が盛んで、天下の台所と呼ばれた都市は(ア)です。江戸の日本橋を起点とする主な街道をまとめて(イ)といい、街道沿いで宿泊や人馬の継ぎ立てを担った場所を(ウ)といいます。」大名の統制を目的とする参勤交代が、交通の発達にもつながったのはなぜですか。
答えと解説
練習1の答えは、アが親藩、イが譜代大名、ウが外様大名で、老中を主に担ったのは譜代大名です。親藩を「古くから仕えた家臣」と説明すると、血縁と主従関係を混同します。一族であることと、家臣として従った時期を分けましょう。
練習2の答えは、ウ→イ→ア→エで、経過した年数は32年です。年は順に1603年、1635年、1639年、1641年となり、1635−1603=32です。両端の年を含めた年の個数ではなく、経過した長さを求めるので、1を足しません。
練習3の答えは、長崎が中国、対馬が朝鮮、薩摩が琉球王国、松前がアイヌの人々です。誤りは「オランダとは長崎で貿易を続けていた」と直せます。中国も貿易相手ですが、ヨーロッパの国を問う文の訂正なので、オランダを示すことが必要です。
練習4の答えは、アが大坂、イが五街道、ウが宿場です。記述の例は「大名が家臣を伴って江戸と領地を往復し、移動や宿泊、人馬の手配が必要になったためです」です。参勤交代の説明を書いただけで終わらず、交通への影響を問われているので、移動を支える仕組みの必要性までつなげます。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
次に学ぶ江戸時代の改革では、幕府や藩の財政、米の値段、商業の発達が重要になります。年貢米を基礎とする収入と、お金を使う支出の関係をつかんでおくと、米が取れても財政の悩みが生まれる理由を考えやすくなります。また、長崎を通じて海外の知識が入ったことは、蘭学や、その後の開国を学ぶ土台になります。
家庭では、5分でできる確かめ方を2つ用意できます。1つ目は、紙を「幕府」「大名」「領民」の3つに分け、参勤交代と年貢がだれに関係するかを線で結ぶ方法です。線の上に「江戸へ出仕する」「納める」のような動作を書くと、名前だけで止まっている箇所を見つけられます。
2つ目は、図3の右側を隠し、4つの窓口から相手を答える方法です。答えたあとに「出島に商館があったのはどこ」「朝鮮通信使は何をする人々」と問いを一つ足すと、対応の暗記から内容の説明へ進めます。個別指導で取り違えを確かめる際には、幕府と藩、血縁と主従、政治の中心と商品の集まる場所という、区別の土台まで戻ります。
まとめ
江戸時代の社会を説明するときは、一つの制度から人と物がどこへ動くかをたどってみましょう。大名の出仕を定める参勤交代から街道と宿場へ、村の年貢米から大坂の蔵屋敷へと線が伸びれば、政治と暮らしが一つの社会として見えてきます。
答え直す際には、誤った用語だけを消さず、どの関係を取り違えたのかを文に残すと、次の資料を読む手がかりになります。参勤交代の一行には、大名を縛る決まりと、列島を行き交う人々の両方が入っています。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
電話は年中無休。365日、24時間、お電話可能。




