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【小6社会】縄文から奈良時代を図解で総まとめ—むらからくにへ・大陸との交流・律令国家|武蔵野個別指導塾

縄文と弥生のくらしを比べる図、出来事の間隔が読める年表、奈良時代の政治の図で古代の流れを整理します。用語と理由を結びつける例題や練習問題を通して、家庭でも説明を確かめられます。
よくあるのは、塾の教材棚の脇で歴史のページを開き、「縄文土器と弥生土器は覚えたけれど、どうして次に王や天皇が出てくるの」と手が止まる場面です。道具、人物、年号を別々に覚えていると、その間にあるくらしや政治の変化が見えにくくなります。名前を思い出せても、理由を説明する問題になると、何を書けばよいか迷ってしまいます。
この単元では、食べ物の得方、集団のまとまり方、国の治め方という3つの問いを追います。たとえば、水田で米をつくるには、水を引く工事や作業の協力が必要です。こうしたくらしの変化を押さえると、むらをまとめる指導者や、さらに広い地域を治める政治の学習につながります。
保護者の方がお子さまの説明を聞くときも、最初からすべての年号を言わせる必要はありません。「何が変わったのか」「その変化を何から読み取れるのか」を一緒に確かめます。縄文から奈良時代までを、出来事の順序と人々のくらしの両方からたどっていきましょう。
この単元で身につけること
- 縄文時代と弥生時代のくらしを比べます。食べ物、道具、住まいを同じ観点で見ると、変化した点と続いた点を分けて説明できます。
- むらからくにへのまとまりを考えます。米の蓄えや土地、水をめぐる関係に注目し、指導者の力が強まった背景を押さえます。
- 古墳と大和政権を結びつけます。大きな墓をつくるために必要な人手や品物から、有力な豪族や王の力を考えます。
- 大陸との交流と政治の変化をつなぎます。技術や仏教、政治の仕組みが伝わったことを、聖徳太子やその後の国づくりと関連づけます。
- 奈良時代の都と人々の負担を捉えます。律令に基づく政治と仏教による国づくりを学び、その仕組みを支えた人々にも目を向けます。
- 年表を根拠に順序と間隔を読みます。年号の大小を比べることと、後の年から前の年を引くことを使い分けます。
これまでの学年で学んだ昔の道具や米づくりは、古代のくらしを想像する手がかりになります。ただし、現在の機械や品種をそのまま昔に当てはめず、当時の道具や作業に置き換えて考えます。
基本の考え方
縄文と弥生は「食べ物の得方」から比べます
縄文時代の人々は、狩りや漁、木の実などの採集をしてくらしていました。土器は、食べ物を煮たり、蓄えたりするために使われました。固い食べ物を煮ることができれば、食べ方も広がります。縄文土器という名前だけでなく、何に使った道具なのかまで結びつけて覚えます。
地面を掘り下げて床をつくる竪穴住居でのくらしも見られました。貝塚には、食べたあとの貝殻や動物の骨、使われた道具などが残っています。そこから、何を食べ、どのようなくらしをしていたかを考えられます。貝塚があるから貝だけを食べた、と決めつけることはできません。残された物を組み合わせることが必要です。
弥生時代には、大陸から伝わった水田での米づくりが広まりました。米づくりが広がる時期やくらしの様子には地域による違いがあります。ある日を境に日本列島の全員が同じ生活へ切り替わった、と考えないようにします。弥生時代にも、狩りや漁、採集は続いていました。
図1のように、比べる項目をそろえると変化が見えます。図では代表的なくらしを簡単に整理しており、それぞれの時代に食べ物の得方が1種類しかなかったという意味ではありません。

米づくりでは、水田を整え、水を引き、稲の世話をして収穫します。共同の作業をまとめる人が必要になり、収穫した米は蓄えられました。高床倉庫は、床を地面から離して湿気などを防ぎ、米などを保管するための建物です。図1の倉庫は、米を収穫したあとのくらしまで考える手がかりになります。
やがて、土地や水、蓄えた米などをめぐってむらの間で争いが起こり、力のある指導者が周りのむらを従えるようになりました。こうして、いくつものむらをまとめるくにが生まれました。ここでいう「くに」は、現在の日本と同じ広さの国ではありません。各地にあった小さなまとまりを指すと考えると、その後に広い地域の統一へ進む流れがつかめます。
卑弥呼は邪馬台国の女王で、中国の魏に使いを送りました。このことから、国内のまとまりだけでなく、大陸との関係にも目を向けられます。一方、邪馬台国の位置は決着していないため、現在の特定の県にあったと断定して覚える必要はありません。小学校の学習では、女王の名前と、魏との交流をまず結びつけます。
古墳から王の力と大陸との交流を考えます
古墳は、有力な豪族や王などの墓です。豪族とは、土地や人々を支配し、地域で力をもっていた一族のことです。前方後円墳のような大きな古墳をつくるには、多くの人手や土を運ぶ作業が必要でした。墓の大きさや納められた品物は、葬られた人の力を考える手がかりになります。
ただし、大きい墓を見ただけで、働いた人数や完成までの日数を正確に言えるわけではありません。資料から読み取れることと、資料だけでは決められないことを分けます。「多くの人々を動かす力があったと考えられる」という説明なら、墓の規模と政治の力をつなげられます。
大和地方を中心とする有力な豪族たちのまとまりを、大和政権といいます。大王を中心に各地の豪族と結びつき、勢力を広げました。最初から現在の日本全体を同じ仕組みで治めていたわけではありません。地域の有力者との関係を通して、支配する範囲が広がったと捉えます。
この時代には、中国や朝鮮半島から移り住んだ渡来人が、進んだ技術や文化を伝えました。鉄の道具をつくる技術、機織り、文字などは、くらしや政治に関わりました。仏教も朝鮮半島を通じて伝わりました。「大陸との交流」は物のやり取りだけでなく、人が移動して知識や技術を伝えることも含みます。
歴史の用語は、同じ種類ごとに整理すると混同しにくくなります。古墳は墓、大和政権は政治のまとまり、渡来人は大陸から移り住んだ人々を表します。この区別ができれば、「渡来人という建物」「古墳という国」といった組み合わせのおかしさにも、自分で気づけます。
聖徳太子から奈良の都へ、国の仕組みを整えます
聖徳太子は推古天皇の政治を助け、天皇を中心とする国づくりを進めました。冠位十二階は家柄だけでなく能力や功績にも目を向けて人材を取り立てるための制度で、十七条の憲法は役人の心構えを示したものです。現在の日本国憲法と同じ内容や役割だと考えず、当時の政治を担う人に向けた決まりとして捉えます。
また、小野妹子らを遣隋使として中国の隋に送りました。遣隋使は人名ではなく、隋へ送られた使いのことです。仏教や大陸の制度を学ぶことは、新しい国づくりと関わっていました。制度の名前を覚えるときは、何のために整えたのかという目的も一緒に確かめます。
645年には、中大兄皇子と中臣鎌足らが中心となって、政治を大きく変える動きが始まりました。大化の改新です。豪族がそれぞれ土地や人々を支配するあり方から、天皇を中心に国が土地や人民を治める方向へ進みました。この改革も、すべての制度が645年のうちに完成したという意味ではありません。
その後、法律に基づいて国を治める仕組みが整えられ、701年には大宝律令がつくられました。律令は、刑罰や政治の仕組みなどを定める法律です。律令に基づく国を律令国家と呼びます。都だけでなく地方にも役所や役人を置き、戸籍などで人々を把握し、税や労役を負担させる政治が進められました。
710年には奈良に平城京が置かれました。平城京は中国の唐の都にならってつくられ、道が碁盤の目のように通る都です。隋のあとに中国を治めた唐にも遣唐使が送られ、制度や文化を学びました。遣隋使と遣唐使は、相手の国の名前を確かめれば区別できます。
奈良時代には、戸籍に基づいて人々に田を与え、税を負担させる仕組みがありました。収穫した稲の一部や各地の産物などを納めるほか、労働や兵役の負担もありました。重い負担でくらしが苦しくなる人もいました。都の立派な建物を学ぶときは、それを支えた各地の人々の存在も読み落とさないようにします。
聖武天皇は、仏教の力で国を守り、社会の不安をおさめようとしました。各地に国分寺や国分尼寺をつくらせ、奈良では東大寺の大仏づくりを進めました。大仏や寺院は、信仰と政治の結びつきを示します。大仏をつくったから災害や病気がすべてなくなった、という結果まで言えるわけではありません。目指したことと、実際に起きたことを区別して説明します。
例題で解き方を確かめる
例題1 道具とくらしを組み合わせます
問題です。資料Aには「貝殻や動物の骨が残る貝塚」、資料Bには「水田の跡と米を蓄える高床倉庫」が示されています。小学校で学ぶ代表的な組み合わせとして、AとBはそれぞれ縄文時代と弥生時代のどちらのくらしに結びつきますか。Bについては、その理由も説明しましょう。
- 資料から食べ物に関係する語を拾います。Aでは貝殻や動物の骨、Bでは水田と米が手がかりです。建物や道具の見た目だけで判断せず、どのように食べ物を得たかに注目するためです。
- 基本のくらしと照らし合わせます。狩り・漁・採集を中心とするくらしをAに、水田での米づくりが広まったくらしをBに結びつけます。同じ観点で比べると、別々に覚えた言葉がつながります。
- Bの理由に「米をつくる」と「米を蓄える」の両方を入れます。水田と高床倉庫の2つを使えば、資料全体を根拠にした説明になるためです。「倉庫があるから」だけでは、何を保存したのかが伝わりません。
答え:Aは縄文時代、Bは弥生時代で、Bには水田で米をつくり、高床倉庫に蓄えるくらしが示されているからです。
この答えは代表的な特色の対応です。貝塚や狩りが弥生時代には一切なくなった、という意味に広げないことが大切です。資料の読み取りでは、示された特色を答えることと、それ以外をすべて否定することを分けます。
例題2 年表で順序と年数を読み取ります
問題です。図2にある「遣隋使を送る」「大化の改新が始まる」「大宝律令がつくられる」「平城京に都を移す」を古い順に並べましょう。また、大化の改新が始まった年から平城京へ都を移した年まで、何年ありますか。遣隋使は、ここでは小野妹子が送られた607年を示しています。

図2のように、年表では年号と位置を対応させます。この図は20年ごとの目盛りが同じ間隔で、右へ進むほど新しくなります。文字を読みやすくするため、出来事のラベルは上下に分けています。高さが違っても、出来事が起きた年は横軸上の点で判断します。
- それぞれの年号を読みます。607年、645年、701年、710年です。ラベルの上段・下段ではなく年号を確かめることで、配置による読み違いを防げます。
- 年号が小さいものから並べます。ここにあるのはすべて西暦の年なので、607、645、701、710の順です。「人物を聞いたことがある順」ではなく、年号を根拠にできます。
- 問われた2つの年だけを取り出し、710 − 645 = 65と計算します。間にある出来事の数を数えても、経過した年数にはならないためです。両端の年を含めて数える問題ではないので、1を足しません。
答え:遣隋使、大化の改新、大宝律令、平城京の順で、大化の改新が始まった年から平城京へ都を移した年までは65年です。
年表を見て「大宝律令から平城京までは短い」と読むこともできますが、それだけでは正確な年数は答えられません。710 − 701 = 9で、9年です。見た目で大まかな間隔をつかみ、年号で確かめるという順序にすると、図と計算を一緒に使えます。
例題3 古墳を根拠に政治の力を説明します
問題です。「とても大きな古墳がつくられた」という資料から、葬られた王や豪族はどのような力をもっていたと考えられますか。「人々」という言葉を使い、短い文で答えましょう。
- 古墳が何であるかを確認します。古墳は墓です。米を蓄える倉庫や都の役所と取り違えると、その後の説明もずれてしまうため、用語の意味を先に押さえます。
- 大きな墓をつくるための作業を考えます。土を運び、形を整えるには多くの人手が必要です。資料に見える大きさと、建設に必要な働きをつなぐためです。
- その作業をまとめる力を文にします。「人々を動かす力」とすれば、資料を根拠にした説明になります。人数や日数は示されていないので、具体的な数を付け加える必要はありません。
答え:多くの人々を動かして、大きな古墳をつくらせる力をもっていたと考えられます。
「強かったから」という答えでは、どのような力なのかがはっきりしません。力の内容を作業と結びつけると、政治のまとまりについて説明できます。ただし、1つの古墳だけから日本全体を支配したと結論づけることはできません。
例題4 人物の行動と目的をつなぎます
問題です。聖武天皇が国分寺や国分尼寺を各地につくらせ、東大寺の大仏づくりを進めたのは、どのような願いからですか。「仏教」「国」という言葉を使って答えましょう。
- 問いが求めているものを確かめます。「何をつくったか」ではなく「どのような願いからか」です。建物の名前を繰り返すだけでは、目的の説明にならないためです。
- 当時の社会の不安と、仏教に期待された役割を結びつけます。病気の流行などがある中で、仏教の力で国を守ろうとしました。行動の背景を押さえることで、目的を具体的に表せます。
- 指定された2語を使って1文にまとめます。「願った」「しようとした」という表現なら、目的を述べられます。すべての不安が実際になくなった、と結果を言い切ることは避けます。
答え:仏教の力で国を守り、社会の不安をおさめようと願ったからです。
聖徳太子と聖武天皇は、どちらも仏教と関係する人物です。しかし、国分寺や東大寺の大仏という手がかりは聖武天皇に結びつきます。人物名の一部だけで判断せず、行動と時代をそろえて答えます。
つまずきやすいところと直し方
「弥生時代には全員が米だけを食べました」
誤った書き方は、「縄文時代は木の実、弥生時代は米なので、弥生時代には狩りや漁はありません」です。どこが違うかというと、代表的な変化を、ほかの食べ物の得方がなくなったことに置き換えている点です。米づくりが広まっても、狩りや漁、採集は続きました。
正しい書き方は、「弥生時代には水田での米づくりが広まり、狩りや漁なども行われていました」です。直すときは、図1の右側に新しく加わった特色を探します。「前のくらしが全部消えた」ではなく、「くらしの中心や仕組みに変化があった」と読むと、時代の比較が丁寧になります。
「聖徳太子が奈良の大仏をつくらせました」
誤った書き方は、「聖徳太子が東大寺の大仏づくりを進めました」です。どこが違うかというと、仏教に関わる別の人物の行動を混ぜている点です。「聖」という字が共通していても、同じ人物でも同じ時代の仕事でもありません。
正しい書き方は、「聖武天皇が東大寺の大仏づくりを進めました」です。聖徳太子には推古天皇の政治、十七条の憲法、遣隋使などを結びつけます。紙を2つに分け、人物名の下に関係する事柄を置くと、どこが入れ替わったかを確かめられます。名前の暗記だけをやり直すより、人物と行動の組を整えることが役立ちます。
「大化の改新で奈良の仕組みがすべて完成しました」
誤った書き方は、「645年に大宝律令がつくられ、平城京へ都を移しました」です。どこが違うかというと、国づくりの流れの中にある別々の出来事を、1年の出来事にまとめている点です。大化の改新が始まった645年、大宝律令の701年、平城京の710年は区別します。
正しい書き方は、「大化の改新から天皇を中心とする国づくりが進み、その後、大宝律令がつくられ、平城京へ都を移しました」です。図2で順序を確かめたら、図3のように、できあがってきた政治の仕組みを別の図で捉えます。年表は時間の関係、図3は人々や役所の関係を示すため、矢印の意味も異なります。

図3では左側の矢印を下へたどると、都から地方へ政治の指示が伝わる関係を読めます。右側の矢印は、人々が税や労役を負担して政治を支えたことを示します。すべての税が同じ場所へ運ばれたという輸送経路の図ではありません。稲を納める税と、都へ運ぶ産物などでは扱いに違いがあるためです。
また、人々に与えられた田を、現在のように自由に売り買いできる個人の土地と同じものだと考えないようにします。国が戸籍をもとに人々を把握し、田を与え、負担を求める仕組みでした。「都が命令する」という片側だけでなく、「誰がその仕組みを支えたか」まで読むと、律令国家の説明が具体的になります。
練習問題
答えを書く前に、何を聞かれているかを確かめましょう。用語なら名前を、理由なら根拠とつながる文を書きます。年数の問題では、使う2つの年号を先に抜き出してから計算します。
練習1
次の説明に当てはまる語を答えましょう。Aは「貝殻や動物の骨、使われた道具などが残り、当時の食べ物やくらしを調べる手がかりになる場所」です。Bは「床を地面から離し、米などを蓄える建物」です。
練習2
次の3つを古い順に並べ、最初と最後の年の差を求めましょう。A「710年、平城京へ都を移す」、B「607年、小野妹子を遣隋使として送る」、C「701年、大宝律令がつくられる」です。順序だけでなく、引き算の式も書きましょう。
練習3
「大陸との交流は、品物を受け取ることだけでした」という説明を直しましょう。「渡来人」「技術」の2語を使い、人の移動にも触れて1文で答えます。
練習4
「奈良時代には都で政治が行われていたので、地方の人々は国の政治と関係がありませんでした」という説明は正しいでしょうか。図3を手がかりに、税や労役に触れて理由も書きましょう。
答えと解説
練習1の答え:Aは貝塚、Bは高床倉庫です。貝塚は残された物から昔のくらしを調べる場所で、高床倉庫は食べ物などを保管する建物です。何が残っているかと、何のためにつくられたかを分けると、用語を取り違えにくくなります。
練習2の答え:B、C、Aの順で、710 − 607 = 103より、103年です。年表のラベルの位置ではなく、年号の小さい順に並べます。701年は途中の出来事なので、最初と最後の差を求める引き算には使いません。
練習3の答え:大陸との交流では、品物だけでなく、移り住んだ渡来人によって技術なども伝えられました。人が移動して知識や技術を伝えることも交流です。具体例を加えるなら、鉄の道具をつくる技術や機織りなどが挙げられます。
練習4の答え:正しくありません。地方の人々も税や労役を負担して、国の政治を支えていたからです。政治を決める場所と、その政治を支える人々のいる場所は同じとは限りません。都の学習と地方のくらしの学習を、矢印の関係でつなぎます。
次の単元へのつながりと家庭での確かめ方
この後に学ぶ平安時代では、都の場所や政治を動かす人々、文化の特色に注目します。奈良時代までに整えられた国の仕組みを押さえておくと、何が受け継がれ、何が変わったかを比べられます。大陸の文化を学ぶことと、日本で文化が育つことの関係も、続けて考える問いになります。
家庭では、それぞれ5分ほどでできる確かめ方があります。1つ目は、図1を見て「食べ物」「道具」「蓄え」の中から1項目を選び、お子さまが2つの時代を比べて説明する方法です。言葉が出ないときは、「何を食べたか」まで戻ります。保護者の方は答えを先に言わず、図のどこを見たかを聞くと理解を確かめられます。
2つ目は、607、645、701、710と書いた紙を並べ、それぞれに出来事を添える方法です。並べ終えたら、隣り合う2つを選んで年の差を求めます。年号が言えても出来事が結びつかない場合と、出来事はわかっても順序が逆になる場合では、見直す場所が違います。
個別指導では、説明が止まったところから、用語の意味、資料の手がかり、前後の順序まで戻って確かめます。「高床倉庫」が出てこないなら建物の用途へ、「律令国家」が説明できないなら図3の指示と負担の関係へ戻るというように、言葉を支える内容を確認します。
まとめ
歴史の答えに厚みが生まれるのは、覚えた名前に根拠を添えられたときです。「弥生時代です」に水田と倉庫を、「王の力です」に古墳をつくる人手を結びつければ、短い答えでも考えた道筋が伝わります。迷ったときは、資料にある物、年号、矢印のどれを使えるかを探しましょう。
大きな古墳や奈良の都は、それを命じた人の名前だけでは説明しきれません。土を運ぶ人、米をつくる人、技術を伝える人にも目を向けると、むらから国への変化を具体的にたどれます。古代の国づくりの歴史には、政治を動かした人と、それを支えた人々の両方がいます。
本気になった日が、入塾の日。
お子様の教育、迷ったら「丸投げ」してください。必ず、期待以上の結果で返します。武蔵野で育む、武蔵境で学ぶ。
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