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【日本史探究】産業革命と社会の変化を図解で総まとめ—軽工業 重工業 財閥 労働問題 社会運動|武蔵野個別指導塾

【日本史探究】産業革命と社会の変化を図解で総まとめ—軽工業 重工業 財閥 労働問題 社会運動のアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
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製糸と紡績の工程図や産業の年表を使い、農村・貿易・労働問題のつながりをたどります。年代整序と短い論述の例題で、工場法の制定と施行の区別まで確かめましょう。

よくあるのは、体育館の隅のタイム表を見ながら、競技の開始時刻と終了時刻なら区別できるのに、日本史の「操業開始」「法律の制定」「法律の施行」を同じ種類の出来事として覚えてしまう場面です。八幡製鉄所と工場法の年を覚えていても、何が動き始め、どのような変化につながったのかを問われると、答えが止まってしまいます。

明治の産業を読むときにも、最初に出来事の種類を見分けることが役立ちます。工場が建つこと、機械で大量に生産する仕組みが広がること、働く人を保護する制度が動くことは、それぞれ別の変化です。また、都市に工場が増えても、農村が歴史の舞台から消えるわけではありません。農村から原料と働き手が送られ、工場の製品が海外へ売られる関係をたどると、用語が一つの説明につながります。生産・資金・暮らしの3つを行き来して、この時代の変化を読み解きましょう。

この単元で身につけること

前の単元で学んだ地租改正・殖産興業・松方財政・対外戦争を、生産と暮らしの面からつなぎ直すのが、この単元の学習です。制度名を知っている段階から、制度によって誰の負担や活動がどう変わったかを説明する段階へ進みます。

基本の考え方

工場ができることと産業革命は同じではありません

産業革命とは、機械を使う工場生産の発展を中心に、生産や社会の仕組みが大きく変わることです。江戸時代にも、問屋が原料を配って各家で加工させる問屋制家内工業や、人々を一か所に集めて手作業で生産する工場制手工業がありました。明治に突然すべての工業が始まったのではなく、こうした生産や商業の蓄積の上に、動力と機械を使う工場が広がりました。

工場制機械工業では、働く人がそれぞれの都合で仕事を進めるだけでは生産が成り立ちません。機械の動く時間に合わせ、多くの人が分担して作業します。体育館で複数の競技を同じタイム表に沿って進めるように、全体の時間管理が必要になるのです。ただし、工場では時間の管理が長時間労働や夜業にも結びつきました。生産量の変化と働き方の変化を、同時に見る必要があります。

政府は殖産興業の方針の下で、官営模範工場の設置や技術の導入を進めました。1872年に操業を始めた富岡製糸場は、器械製糸の技術を広める役割を担いました。同年には新橋・横浜間の鉄道も開業しています。しかし、政府が工場を設けた年を、そのまま日本の産業革命の完成年にすることはできません。1880年代後半から企業の設立が活発になり、紡績などの軽工業を中心に工場生産が発展していきました。

図1のように、産業の展開を代表する操業開始年を並べると、官営工場の設置、民間の大規模な紡績、重工業の育成という時間の幅が見えてきます。年表の横軸は等間隔で、1872年と1883年の間隔より、1883年と1901年の間隔が長くなっています。3つの点は産業全体の開始や完成を示す境目ではなく、それぞれの動きを考えるための目印です。

図1 軽工業から重工業へと展開する主要工場の操業年表

糸・鉄・鉄道と、それを支える資金

軽工業は繊維や食品などの比較的軽い製品を扱う工業で、日本の産業革命では繊維工業が大きな役割を果たしました。製糸は蚕の繭から生糸を取り出す産業です。蚕を育てて繭を得る養蚕は農家が担い、その繭が製糸業へ送られました。生糸は主要な輸出品となり、とくにアメリカ向けの輸出が重要でした。器械製糸が広がる一方、各地に小規模な生産も残り、地域ごとの違いがありました。

紡績は、綿花などの繊維をより合わせて糸にする工程です。この単元の綿紡績では、綿花から綿糸をつくります。綿糸を織って綿織物にするのは、その次の織布の工程です。1883年に操業を始めた大阪紡績会社は、蒸気力を用いた大規模経営の代表例です。原料の綿花は輸入への依存を強め、綿糸は国内の織物業へ供給されるとともに、やがて海外への輸出も伸びました。生糸と綿糸は、原料だけでなく貿易の動きも区別しましょう。

重工業には、鉄鋼・機械・造船などがあります。鉄道や船、軍需に必要な鉄鋼を供給するため、政府は製鉄業の育成を進めました。1901年に操業を始めた官営八幡製鉄所は、その重要な拠点です。建設には日清戦争後の賠償金が活用されました。ただし、操業開始によってすぐに鉄鋼の輸入が不要になったわけではありません。国内生産を拡大する過程と、なお海外の原料や技術・製品に頼る面を、両方押さえます。

鉄道は工場とは別の用語に見えますが、産業をつなぐ輸送の仕組みです。原料や石炭を工場へ送り、製品を港や市場へ運ぶ費用や時間に関わります。民間鉄道も発達し、日露戦争後の1906年には鉄道国有法が制定され、主要な私鉄が国有化されました。すべての鉄道が国有になったという意味ではありません。輸送の統一や軍事上の要請も背景として考える必要があります。

大きな工場や鉄道を動かすには、建物・機械・原料を購入する多額の資金が必要です。株式会社は株式を通じて出資を集め、銀行は預金などをもとに資金を貸し出します。渋沢栄一は、多くの企業の設立や育成に関わった人物です。企業の発達を一人の力だけで説明せず、出資者・経営者・銀行などの役割を分けると、資金がどこから来たのかを具体的に考えられます。

財閥は、特定の一族などによる支配の下で、金融・鉱業・商業・工業といった複数の事業を結びつけた企業集団です。三井・三菱・住友・安田などが知られています。明治初期に政府との関係を通じて利益を得た政商の活動、官営事業の払下げ、銀行や商業の発達などが、形成や成長の背景となりました。ただし、すべての財閥が同じ事業から同じ経路で生まれたわけではありません。「大きい工場が1つあること」と「多分野の企業を支配する集団であること」は別です。

農村・働き手・文化も一緒に変わります

工場が増えても、多くの人が暮らす農村は重要であり続けました。農家は繭などの商品を売り、工場へ働き手を送り出しました。また、地租を現金で納める必要があるため、農産物を売って現金を得ることが暮らしに深く関わりました。工業と農業は、片方が発達すればもう片方が消える関係ではありません。

1880年代の松方財政によるデフレーションは、農産物価格を下落させました。販売収入が減ると、税や借金の負担が重く感じられ、土地を手放す農民も出ました。その土地を地主が集め、借りた土地を耕して小作料を納める小作農が増える動きにつながります。自分の土地も借りた土地も耕す自小作農がいるため、農民全員を地主か小作農のどちらかに分け切るのも不正確です。耕作を直接行わず、小作料収入を得る寄生地主制が発達したことを押さえます。

紡績・製糸の工場では、農村出身の女性労働者が大きな割合を占めました。賃金収入は家計を支えましたが、低賃金・長時間労働・寄宿舎生活の厳しさなどが問題となりました。鉱山などにも厳しい労働条件があり、労働者が賃金や待遇の改善を求める動きが起こります。労働組合を組織する動きと、社会の仕組み自体を変えようとする社会主義の広がりは、関係しつつも同じ意味ではありません。

教育の普及や新聞・雑誌の発達は、情報に触れる人を増やしました。科学では北里柴三郎などが研究を進め、文学では坪内逍遥の『小説神髄』や二葉亭四迷の『浮雲』が、近代小説や言文一致を考える手がかりになります。言文一致は話し言葉に近い文体で文章を書く動きです。読者の広がりと、新しい表現を求める動きが結びついていました。

文学は一つの方向だけに進んだのではありません。森鷗外や夏目漱石は、近代社会を生きる個人の内面や人間関係を作品に描きました。短歌・俳句では正岡子規らが革新を進めました。美術では、岡倉天心やフェノロサらによる日本美術の再評価と、黒田清輝らによる洋画の展開が見られます。文化史では名前を並べるだけでなく、「分野」「人物」「表現や活動の特徴」の3点を結びつけると、産業や社会の変化とも関連づけられます。

例題で解き方を確かめる

例題1 原料と工程から産業を判別する

問題です。学習用に整理した説明Aは「農家が育てた蚕の繭から糸を取り出し、海外へ販売する」、説明Bは「輸入した綿花を機械で糸にし、織物をつくる業者などへ売る」としています。AとBに当てはまる産業名と、できる糸の名称を答えましょう。

  1. 原料を探します。Aの「繭」とBの「綿花」は、産業名を分ける直接の手がかりになるためです。「海外」や「機械」は両方の産業に関係し得るので、それだけで判断しません。
  2. 原料から製品へ進む工程を確かめます。繭からは生糸、綿花からは綿糸ができるため、製品名を先に対応させると、似た用語を取り違えにくくなります。
  3. 工程に産業名を付けます。繭から糸を取り出すのが製糸、綿花をより合わせて糸にするのが綿紡績です。Bの糸をさらに織る作業まで紡績に含めないことがポイントです。

答え:Aは製糸業で製品は生糸、Bは綿紡績業で製品は綿糸です。

図2のように、製品の手前にある原料へ戻ると、名前の似た産業を区別できます。上段の輸出は生糸の主要な販路を、下段の織物は綿糸の用途の一つを示しています。綿糸も輸出されるので、図の右端だけを根拠に「綿糸は国内専用」と判断しないようにしましょう。

図2 繭から生糸を得る製糸と綿花から綿糸をつくる紡績の比較

例題2 出来事の種類を確認して年代を並べる

問題です。次の4つを古い順に並べ、最初と最後の出来事の年の差を求めましょう。アは官営八幡製鉄所の操業開始、イは工場法の施行、ウは大阪紡績会社の操業開始、エは工場法の制定です。

  1. 何の時点が問われているかに線を引きます。「操業開始」と「制定」と「施行」を分けるためです。同じ工場法でも、法律が成立する時点と実際に実施される時点は一致しません。
  2. それぞれを年と結びつけます。ウは1883年、アは1901年、エは1911年、イは1916年です。工場法の施行は大正時代に入ってからなので、「明治の問題への対応が次の時代へ続いた」と理解できます。
  3. 年を小さい順に並べ、最後の年から最初の年を引きます。1916 − 1883 = 33となり、経過した年数を求めるので両端の年を数えて1を足す必要はありません。

答え:ウ→ア→エ→イの順で、最初と最後の年の差は33年です。

この問題では、33という数字自体よりも、33年の間に産業と制度がどう変わったかが重要です。民間紡績の発展、官営製鉄の開始、労働者保護を目的とした法律の制定・施行を分けて説明できれば、単純な年号暗記から一歩進めます。また、法律ができた年だけを覚えても、実際の労働条件がいつどこまで変わったかは判断できません。

例題3 発展を示す説明から言える範囲を決める

問題です。「生糸の輸出が重要であった」「紡績業が輸入綿花を利用して発展した」「八幡製鉄所が操業を開始した」という3つの説明があります。この説明から最も適切に言えるものを、ア「日本は原料も製品も輸入しなくなった」、イ「農村・海外市場・工場生産の間に結びつきがあった」、ウ「農業は明治の産業を支える役割を失った」から選び、理由を述べましょう。

  1. 説明に直接書かれている関係を取り出します。「輸出」は海外市場との関係、「輸入綿花」は海外の原料との関係を示すためです。発展したという言葉を、国内ですべてを供給できたという意味に置き換えないようにします。
  2. 製糸の前に養蚕があることを補います。生糸の輸出を支える繭は農村で生産されたので、農村と工場の関係を説明できます。ここでは、前に学んだ原料と工程の知識を使います。
  3. 選択肢の言い過ぎを除きます。アは輸入綿花の利用と矛盾し、ウは養蚕などの役割を無視しています。イは示された関係をまとめており、資料の範囲を超えた断定がありません。

答え:イです。農村の繭や海外の綿花が工業生産を支え、製品の輸出も海外市場と結びついていたためです。

資料の読解では、数量の増加や新施設の完成から、「完全に」「すべて」「不要になった」といった結論へ飛ばないことが大切です。八幡製鉄所の操業開始は国内の鉄鋼生産を拡大する重要な出来事ですが、それだけでは重工業の自立が完成した証拠にはなりません。示された事実と、自分が加えた推測の境目を意識しましょう。

例題4 農村と工場を短い論述で結びつける

問題です。明治の工業化と農村の関係を、「養蚕」「働き手」「家計」の3語を使い、2文で説明しましょう。「工場が増えて農村が衰えた」という一方向だけの説明にならないようにします。

  1. 農村から工場へ送られたものを2つ挙げます。養蚕によって得られた繭という原料と、工場で働く人という労働力を分けるためです。「農村が工業を支えた」だけでは、何を供給したのかが伝わりません。
  2. 工場から農家の暮らしへ戻る関係を考えます。働いた人の賃金などが家計を支える一方、長時間労働などの負担もあったため、収入の増加だけで暮らし全体を判断しない説明にします。
  3. 1文目に供給、2文目に家計と労働条件を置きます。文ごとの役割を分けると、農村と工場の結びつきと、その中で生まれた問題を短くまとめられます。

答え:農村は養蚕による繭と工場の働き手を供給しました。工場で得た賃金は家計を支えましたが、長時間労働などが問題となりました。

この答案は、すべての農家が養蚕と工場労働の両方に関わったという意味ではありません。地域や家ごとに組み合わせは異なりますが、単元全体の関係として原料・労働力・収入を示しています。論述では、指定語句を置くだけでなく、語句同士を「供給する」「支える」などの動詞でつなぐことが必要です。

つまずきやすいところと直し方

誤り1 軽工業と重工業を一度に完成したものとする

誤った書き方は「富岡製糸場と八幡製鉄所ができたので、明治初めに日本の産業革命が完成した」です。どこが違うかというと、富岡製糸場の1872年と八幡製鉄所の1901年を同じ時期として扱い、工場の操業開始を産業全体の完成に置き換えています。製糸・紡績を中心とする軽工業の発達と、重工業の育成には時間差があります。

正しい書き方は「官営工場による技術導入を経て、軽工業を中心に工場生産が発展し、のちに八幡製鉄所などで重工業の育成も進みました」です。年表を使うときは、年だけでなく、事業の主体が政府か民間かも添えます。そうすると、官営工場の払下げと民間企業の成長も、一律に国営化が進んだ話とは区別できます。

誤り2 労働運動の規制と労働者の保護を混同する

誤った書き方は「1900年の治安警察法で工場労働者の労働時間が保護されました」です。どこが違うかというと、治安警察法は政治活動や労働運動などを取り締まるための法律であり、労働条件の保護を主な目的とする工場法とは役割が異なります。法律の名称に「治安」とあっても、それを労働者の健康を守る制度と読み替えてはいけません。

正しい書き方は「治安警察法は労働運動などを制限し、工場法は女性や年少者を中心に労働条件を一定程度保護しました」です。図3のように、運動に対する規制と、工場で働く条件への保護を別の段に置き、工場法については制定と施行をさらに分けましょう。図の矢印は制度の働きや手続きの順序を表すもので、線の長さは経過年数を表していません。

図3 労働運動への規制と工場法による保護を分ける整理図

工場法は1911年に制定されましたが、施行は1916年でした。対象や内容には制限があり、これで全労働者の問題が解消したわけではありません。制度の成立、実施の開始、実際の効果を3段階に分けることが、法律を読む際の基本になります。

労働運動では、1897年の労働組合期成会が組合の結成を促しました。社会主義の動きでは、1901年に片山潜や幸徳秋水らが社会民主党を結成しましたが、直ちに禁止されました。その後、社会主義者らによる平民社は日露戦争に反対する非戦論を唱えました。1910年の大逆事件では、幸徳秋水ら多数の社会主義者らが検挙され、翌年に死刑が執行されました。検挙された年と刑の執行年も区別し、運動が弾圧によって大きな打撃を受けた流れを押さえます。

誤り3 社会問題を工場の賃金だけに限定する

誤った書き方は「産業革命の社会問題は、都市の労働者の低賃金だけでした」です。どこが違うかというと、農村の小作関係や、鉱工業が周辺の暮らしに与えた影響を見落としています。工場の敷地内だけを見ても、生産が社会に及ぼした影響の全体はとらえられません。

正しい書き方は「工業化の下で労働問題が広がる一方、農村の小作問題や、鉱毒による被害なども社会問題となりました」です。足尾銅山鉱毒事件では、鉱山から流出した有害物質などが渡良瀬川流域の農業や生活に被害を与え、田中正造が問題の解決を訴えました。1901年には天皇への直訴を試みています。公害問題を戦後だけの出来事と考えず、明治の工業化と地域社会の関係として位置づけます。

社会問題への対応は、労働組合や社会主義だけではありません。片山潜は労働運動や社会主義運動に関わり、石井十次は孤児の救済などの社会事業に取り組みました。同じ「社会」という語が付く活動でも、要求をまとめて交渉すること、社会の仕組みを論じること、困窮者を直接支援することは区別して説明できます。

ここで手が止まるなら、止まった単元まで一緒に戻ります。学年別個別指導コース/お問い合わせ

練習問題

練習1

次の説明に当てはまる語を答えましょう。ア「蚕を育てて繭を得ること」、イ「繭から生糸を取り出す産業」、ウ「綿花から綿糸をつくる産業」です。さらに、ウの製品から綿織物をつくる工程も答えましょう。

練習2

次の出来事を古い順に並べましょう。ア「工場法の施行」、イ「鉄道国有法の制定」、ウ「八幡製鉄所の操業開始」、エ「工場法の制定」です。工場法の制定から施行までの年の差も求めましょう。

練習3

「生糸輸出が伸びたので、農村の役割は小さくなり、工場の生産だけを見れば産業革命を説明できる」という文の誤りを、原料と働き手の2点から直しましょう。農村が工場へ何を供給したかを、具体的に書くことが条件です。

練習4

次の対応のうち誤っているものを1つ選び、正しい対応に直しましょう。ア「田中正造―足尾銅山鉱毒事件」、イ「坪内逍遥―小説神髄」、ウ「治安警察法―女性や年少者を中心とする工場労働の保護」、エ「財閥―多分野の事業を結びつけた企業集団」です。直した語句について、制定年と施行年も答えましょう。

答えと解説

練習1の答えは、アが養蚕、イが製糸業、ウが綿紡績業、その次の工程が織布です。原料を得る養蚕、糸を取り出す製糸、繊維から糸をつくる紡績、糸から布をつくる織布を、作業の内容で分けます。製糸と紡績の共通点は糸をつくることであり、同じ原料を使うことではありません。

練習2の答えは、ウ→イ→エ→アで、年の差は5年です。年を対応させると1901年、1906年、1911年、1916年となります。工場法については1916 − 1911 = 5です。ここで並んだ年が5年おきなのは、この問題で選んだ出来事の組み合わせによるもので、制度の変化が規則的に起こるという法則ではありません。

練習3の解答例は「農村は養蚕による繭を製糸業へ供給し、工場の働き手も送り出していたので、工業化を支える重要な役割を担っていました」です。生糸の輸出という結果から、原料が届くまでの過程へ戻って考えます。「農業も大切だった」だけでは、問われた2つの関係を示せません。

練習4の答えはウで、「治安警察法」を「工場法」に直します。工場法は1911年制定、1916年施行です。アは環境と地域社会の問題、イは文学、エは企業組織についての正しい対応です。ウを直す際には、工場法に対象や内容の制限があったことを忘れず、「全労働者を等しく保護した」と広げないようにします。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

この単元でとらえた企業の成長と社会問題は、大正時代の大戦景気、都市化、労働運動や農民運動の広がりへつながります。政治への参加を求める動きも、働き方や生活の負担と無関係ではありません。明治の工業化を背景に置くと、次の時代の社会運動を、突然現れた別の出来事として覚えずに済みます。

家庭では、5分でできる確かめ方が2つあります。1つ目は、紙の上に「繭」「生糸」「綿花」「綿糸」を書き、組になるものを矢印で結び、間に製糸か紡績かを書き込む方法です。矢印の前へ養蚕、後ろへ輸出や織布を足せれば、工程と経済のつながりまで確かめられます。

2つ目は、「1911年」と「1916年」の横に、それぞれ工場法の制定・施行を書き、違いを声に出して説明する方法です。保護者の方がお子さまと確かめる場合も、年号の正誤だけでなく、「法律ができることと実施されることはどう違うのか」と聞くと理解の位置が見えます。個別指導では、製糸と紡績の混同なら原料と製品へ、小作農の説明で止まるなら土地の所有者と耕作者の違いへ戻り、つながりを確かめます。

まとめ

工場名を見たときに、建物の姿だけでなく、原料を届けた農家、資金を集めた企業、機械を動かした労働者、その製品を買った市場まで思い浮かべられると、歴史の説明は具体的になります。年表の点と点の間にも、人々の仕事と暮らしの変化がありました。生産の拡大を示す説明と、労働条件や地域の被害を示す説明を組み合わせることで、同じ時代を複数の立場から読むことができます。明治の産業革命は、工場の外にある農村と暮らしまで結びつけて初めて説明できる変化です。

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