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【世界史探究】古代ギリシアを図解で総まとめ—ポリス 民主政の発達 ペルシア戦争 ヘレニズム|武蔵野個別指導塾

【世界史探究】古代ギリシアを図解で総まとめ—ポリス 民主政の発達 ペルシア戦争 ヘレニズムのアイキャッチ 武蔵野個別指導塾
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アテネの民会と市民の範囲、2つの戦争の対立図、マケドニア台頭の年表を読み、民主政の発達からヘレニズム文化までを例題と練習問題で確かめましょう。

よくあるのは、夕方の台所のテーブルで教科書を開き、「アテネでは民主政が発達した」と覚えた直後に奴隷の説明が出てきて、誰が政治に参加できたのかわからなくなる場面です。さらに、ペルシア戦争では協力したアテネとスパルタが、次のページでは戦っています。人物名や戦争名を別々に覚えるだけでは、同じ地域の話なのに筋がつながりません。

古代ギリシアを読む鍵は、「政治に加わる人の範囲」と「ポリスどうしの関係」を分けて追うことです。アテネの内部では市民の政治参加が広がりましたが、全住民が平等に参加したわけではありません。外部との関係では、共通の敵に対抗する協力が、その後の支配や対立へ変わりました。この2つの動きをつなぐと、民主政、戦争、マケドニアの台頭を一続きに説明できます。最後には、ポリス中心の世界から広域の王国へ舞台が移ることで、文化にどのような変化が生じたかまで確かめます。

この単元で身につけること

中学校で学んだ民主政治の知識や、古代オリエントで学ぶ広域国家の統治とつなげると、古代ギリシアの市民共同体の特徴が見えてきます。現代の用語の意味をそのまま当てはめず、当時の制度が誰を対象にしていたかを確認するのが出発点です。

基本の考え方

ポリスは都市と農村を含む市民の共同体です

エーゲ海の周辺では、クレタ文明やミケーネ文明が栄えました。その後の社会の変化を経て、前8世紀ごろから各地にポリスが成立していきます。山地の多い地形や入り組んだ海岸線は、地域ごとの共同体や海上交通が発達する背景になりました。ただし、地形だけで政治の仕組みがすべて決まったわけではありません。農業、交易、戦争を通じた人々の関係も合わせて考えます。

ポリスの中心には、神殿などが置かれる高所のアクロポリスや、広場であるアゴラがありました。アゴラは交易や人々の交流の場でもあり、政治と日常生活が近接していました。中心市街だけでなく、そこにつながる農村もポリスの一部です。地図で都市名に印が付いていても、その印だけが国家の範囲を表しているとは限りません。

市民は共同体を構成し、その防衛や政治を担う人々でした。土地を持つ農民が自ら武具を用意して重装歩兵として戦い、密集隊形を組んだことは、市民の発言力の拡大と関係します。共同体を守る負担を負う人々が、政治にも参加する権利を求めたというつながりです。ただし、「軍役を担えば、誰でも直ちに市民になれる」という規則があったわけではありません。

ギリシア人は地中海や黒海の沿岸へ植民市を建設し、穀物や手工業製品などの交易を広げました。植民市は、近代の植民地のように本国の行政機関が一律に統治するものではなく、多くが独立したポリスとなりました。一方で、ギリシア人には言語や神々への信仰などの共通性があり、オリンピアの祭典競技もその結びつきを示します。文化的な共通性と、統一国家をつくっていたかどうかは別の問題です。

アテネでは段階的に市民の政治参加が広がりました

アテネでは、はじめ貴族が政治を主導しました。平民との対立が強まるなか、ドラコンは法を成文化しました。成文法には、裁きの基準を文字で示す意味があります。ただし、法律を文字にしただけで、その内容や政治参加の権利が平等になるわけではありません。

前594年、ソロンは債務奴隷を禁止するなどの改革を行い、市民を財産額によって区分する財産政治を進めました。借金が原因で身体の自由を失う問題への対応と、政治的な資格を財産に応じて定める仕組みを分けて覚えます。債務奴隷の禁止は、奴隷制全体の廃止ではありません。また、貴族と平民の対立を一度ですべて解消した改革でもありませんでした。

その後、ペイシストラトスは平民の支持を背景に僭主となりました。僭主とは、非合法な手段で政権を握った独裁的な支配者を指す用語です。「僭主」という名称だけで、その政策のすべてを説明することはできません。彼は中小農民を保護する政策などを行い、貴族の力を抑えました。民主政への道筋には、こうした個人による支配の時期も含まれています。

前508年、クレイステネスは血縁を基礎とした旧来の部族制を改め、地域を基礎とする新しい部族制を導入しました。貴族が従来のつながりを使って政治を支配しにくくする改革として理解できます。また、僭主の出現を防ぐための陶片追放もこの改革と結びつけて学びます。陶片追放は、犯罪の有罪判決を出す通常の裁判とは区別します。

ペルシア戦争を経た前5世紀、ペリクレスの時代にアテネ民主政は完成期を迎えました。成年男性市民が参加する民会が重要事項を決め、評議会が議案の準備などを担いました。多くの公職には抽選が用いられ、公職への手当は貧しい市民の参加を支える意味を持ちました。一方、軍事を指揮する将軍は選挙で選ばれました。「すべての役職が抽選」とまとめないことが大切です。

図1のように、アテネの直接民主政は市民自身が民会に参加する仕組みです。ただし、女性、在留外国人、奴隷には政治参加の権利がありませんでした。市民資格にも制限があり、民主政の発達を、そのまま全住民への権利の拡大と読み替えることはできません。

図1 アテネの民会への参加と政治参加から除かれた人々

図1の下段は、政治参加の対象外だった人々を示しています。上段にある民会の仕組みと、下段にある参加範囲の制限を合わせて説明すると、制度の特徴を一面的に捉えずに済みます。直接民主政という語は「決定の方法」を表し、全住民が参加できたという意味を含んでいません。

スパルタとの違いとギリシア文化を押さえます

スパルタでは、少数の市民の生活を多数の被支配民が支える社会が成立しました。ヘイロータイは隷属農民であり、市民に農産物を納めました。ペリオイコイは周辺に住む自由民で、商工業などにも従事しましたが、市民としての参政権はありませんでした。この2つをともに「奴隷」としてひとまとめにすると、身分の違いが消えてしまいます。

スパルタ市民は厳しい軍事的な訓練と共同生活を行いました。軍事を重視した背景には、外敵への備えだけでなく、ヘイロータイを支配し続ける必要もありました。政治には2人の王、長老会、監督官、民会がかかわり、アテネのような民主政とは異なる寡頭政的な性格を持っていました。スパルタにも民会があったため、「民会があるから民主政」とは判定できません。どの機関や人々が実際に強い権限を持つのかを読みます。

ポリスの生活を背景に、ギリシアでは人間や自然を考察する文化が育ちました。ホメロスの叙事詩、悲劇や喜劇、ヘロドトスやトゥキディデスの歴史叙述などが知られます。哲学では、ソクラテスが対話を通じて生き方や徳を問い、プラトンが理想的な国家などを考え、アリストテレスが政治や自然を含む幅広い分野を体系的に扱いました。3人は、ソクラテスからプラトン、プラトンからアリストテレスへという師弟関係で整理できます。

宗教的な祭典や神話の伝統と、理性的な考察は同じ社会のなかに存在していました。「ギリシア人は合理的に考えたので神々を信じなかった」とするのは誤りです。文化を学ぶときも、作品名を並べるだけでなく、市民の共同生活や公的な討論との関係に目を向けます。

例題で解き方を確かめる

例題1 改革の内容から人物を判定します

問題:次の学習用の説明文A〜Cに当てはまる人物を、ソロン、クレイステネス、ペリクレスから選び、古い順に並べましょう。A「地域を基礎とする部族制に改めた」。B「財産に応じた政治参加の仕組みを整え、債務奴隷を禁止した」。C「公職への手当などによって市民の政治参加を支え、民主政が完成期を迎えた」。

  1. まず、それぞれの文の中心になる語を拾います。Aは地域、Bは財産と債務奴隷、Cは手当と完成期です。人物名の印象より、改革が何を対象にしたかを手がかりにするためです。
  2. 次に、Bをソロン、Aをクレイステネス、Cをペリクレスに結びつけます。ソロンの改革を「平等な普通選挙」と取り違えず、財産による区別が残る段階として位置づけます。
  3. 最後に、ソロンの前594年、クレイステネスの前508年、ペリクレスの前5世紀という順に置きます。紀元前は数字が大きい年ほど古いため、594から508へと進むのが時間の順です。

この問題では、人物を当てる作業と、年代順に並べる作業が別々に求められています。人物の対応だけ書いて終わらず、設問の後半まで確認します。また、Cをペルシア戦争後に置くと、次の例題で海軍の役割と政治参加をつなげやすくなります。

答え:Aはクレイステネス、Bはソロン、Cはペリクレスで、古い順はB→A→Cです。

例題2 2つの戦争の対立関係を読み取ります

問題:図2を読み、アテネとスパルタが協力して戦った戦争と、両者を中心とする陣営が争った戦争をそれぞれ答えましょう。さらに、上段の戦争後にアテネが指導した同盟名と、下段の戦争の結末を説明しましょう。

図2 ペルシア戦争とペロポネソス戦争の対立関係

図2のように、同じ都市名が出てきても、戦争ごとに位置関係が変わります。上段の「ギリシア側」は、すべてのポリスが一様に団結したことを意味せず、アテネやスパルタなどの協力した側をまとめた表示です。下段では両都市を別々の陣営として読みます。

  1. まず、上段の相手がアケメネス朝であることを確認します。ペルシア戦争は、アケメネス朝の進出に対してギリシアの諸ポリスが抵抗した戦争だからです。イオニア地方の反乱にアテネが支援したことも、その背景にありました。
  2. 次に、戦いの順を確かめます。前490年のマラトンの戦い、前480年のサラミスの海戦、前479年のプラタイアの戦いという順です。とくにサラミスでは三段櫂船が重要で、漕ぎ手となった無産市民の役割が大きくなりました。戦い方と、市民の政治的発言力との関係を説明する手がかりになります。
  3. その後に、アテネを中心とするデロス同盟を置きます。この同盟はペルシアに備える目的で成立しましたが、アテネが同盟への支配を強めたことが、スパルタなどとの対立を深めました。前の戦争の勝利が、そのまま恒久的な協力につながったわけではないためです。
  4. 最後に、下段をペロポネソス戦争と判定します。前431年から前404年まで続いたこの戦争では、アテネ側と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟側が争い、アテネが敗れました。アケメネス朝もスパルタ側を援助しており、「ギリシア内部の戦争だから外部勢力は無関係」とは言えません。

答え:上段はペルシア戦争、下段はペロポネソス戦争で、アテネはデロス同盟を指導しましたが、後の戦争ではスパルタ側に敗れました。

例題3 戦争と民主政を因果関係で説明します

問題:「サラミスの海戦」「無産市民」「政治的発言力」の3語を使い、ペルシア戦争がアテネ民主政の発達に与えた影響を2文以内で説明しましょう。

  1. まず、誰が何をしたかを明確にします。無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として海軍を支えたことを、最初の事実に置きます。「市民が戦った」だけでは、重装歩兵との違いが読み取れないためです。
  2. 次に、軍事的貢献が政治上の主張を支えるという関係を書きます。自分たちもポリスを守ったという実績が、発言力の拡大を求める背景になったとつなぎます。勝利したという事実から、政治制度の変化へ理由なしに飛ばないようにします。
  3. 最後に、すでに進んでいた改革との関係を確認します。クレイステネスの改革はペルシア戦争の主要な戦闘より前なので、「戦争によって初めて民主政が始まった」とは書きません。「発達を後押しした」とまとめると、前後関係を保てます。

短い論述では、指定語を使っただけで説明が完成するわけではありません。「無産市民の政治的発言力が高まった」と書く前に、どのような働きがその背景になったかを示す必要があります。なお、無産市民は貧しい市民であり、政治参加を認められなかった奴隷とは区別します。

答え:サラミスの海戦で三段櫂船の漕ぎ手を担った無産市民は、軍事的貢献を背景に政治的発言力を高め、アテネ民主政の発達を後押ししました。

例題4 遠征と文化の広がりをつなげます

問題:アレクサンドロスの遠征後、エジプトのアレクサンドリアなどでギリシア語を用いる学問が発達しました。この変化を「ヘレニズム文化」「オリエント」「王国」の3語を用いて説明しましょう。

  1. はじめに、文化が広がる前提となった政治的変化を押さえます。マケドニアのアレクサンドロスがアケメネス朝を征服し、ギリシアとオリエントの間で人々が移動する範囲が広がったためです。
  2. 次に、王の死後を区別します。前323年の死後に支配領域は分裂し、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトなどの王国が成立しました。征服者が生涯に統治した範囲と、後継者の王国を同じ時点の地図として扱わないためです。
  3. 最後に、ギリシア文化とオリエントの文化の交流を説明します。ギリシア語が広域で使われ、王国の保護のもとで学問が発達したことが、ヘレニズム文化の特徴につながります。ただし、各地の言語や信仰がすべて消えたという意味ではありません。

アレクサンドリアでは、王の保護のもとにムセイオンや図書館が置かれ、学問の拠点となりました。数学のエウクレイデスや、地球の大きさを測定したエラトステネスなどを、都市と学問の結びつきとして学べます。アルキメデスの数学や物理学もこの時代の代表例です。哲学では、ストア派やエピクロス派が個人の生き方や心のあり方を問い、彫刻には動きや感情を強く表すものが見られます。

答え:遠征によってギリシア文化がオリエントへ広がり、死後に成立した王国の都市などで各地の文化と交流して、ヘレニズム文化が発達しました。

つまずきやすいところと直し方

民主政の「市民」を全住民と読み替えてしまいます

誤った書き方は、「アテネでは住民全員が民会に出席し、すべての役職を選挙で決めた」です。どこが違うかというと、政治参加の資格と、公職の選び方の両方が混ざっています。民会に参加したのは成年男性市民であり、女性、在留外国人、奴隷は除かれました。また、多くの公職は抽選で、将軍は選挙でした。

正しい書き方は、「アテネでは成年男性市民が民会に直接参加し、多くの公職は抽選で、将軍は選挙で選ばれた」です。直すときは、「誰が参加するか」と「どう決めるか」の2欄を紙に作ります。制度の対象と方法を別々に書くと、民主政という言葉から広すぎる意味を読み込む誤りを防げます。

ペルシア戦争の勝利とアテネの最後の勝利を混同します

誤った書き方は、「ペルシア戦争で勝ったアテネは、そのままスパルタを従えてギリシアを統一した」です。どこが違うかというと、共通の敵への抵抗、デロス同盟におけるアテネの優位、ペロポネソス戦争の敗北を1つの勝利として扱っています。前404年に敗れたのはアテネであり、その後もポリス間の対立は続きました。

正しい書き方は、「アテネはペルシア戦争後にデロス同盟を指導したが、ペロポネソス戦争でスパルタ側に敗れた」です。スパルタの覇権も長く安定せず、前371年のレウクトラの戦いでテーベに敗れました。諸ポリスの争いが続くなかで、北方のマケドニアが台頭します。勝者の名前を1つ覚えて終わらせず、次の対立へ移るところまで矢印で結びます。

マケドニアの2人の王と遠征後の時代を混ぜます

誤った書き方は、「アレクサンドロスがカイロネイアの戦いの主導者としてギリシアを制圧し、死後も1つの帝国が続いた」です。どこが違うかというと、父フィリッポス2世が主導した段階と、子アレクサンドロスの東方遠征、さらに死後の分裂を区別していません。アレクサンドロスもカイロネイアの戦いに参加しましたが、当時のマケドニア王は父でした。

正しい書き方は、「フィリッポス2世は前338年のカイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破り、後を継いだアレクサンドロスが東方遠征を行った」です。図3のように、前334年の遠征開始、前330年のアケメネス朝滅亡、前323年のアレクサンドロスの死を、別々の点として押さえます。

図3 紀元前4世紀のマケドニア台頭と東方遠征の順序

図3の横軸は右へ行くほど新しくなり、同じ長さが同じ年数を表します。前338年から前334年までは4年、前334年から前330年までも4年なので、点の間隔も同じです。文字は読みやすい位置へずらしてありますが、年代を示すのは軸上の点です。遠征の結果としてアケメネス朝が滅び、その後に王が亡くなったという因果と順序を、点の位置で確かめられます。

ヘレニズム時代は一般にアレクサンドロスの死から、前30年にプトレマイオス朝エジプトがローマに滅ぼされるまでを指します。文化の交流そのものは遠征中から進んでおり、政治的な時代区分の境目で文化が突然切り替わったわけではありません。年表は区切りを示し、文化の説明はその前後に続く変化を扱う、と読み分けます。

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練習問題

練習1

ソロン、クレイステネス、ペリクレスを古い順に並べ、次の内容と対応させましょう。ア「民主政の完成期」、イ「債務奴隷の禁止」、ウ「地域を基礎とする部族制への改革」。人物名だけでなく、内容の記号も添えて答えます。

練習2

次の3文のうち、正しいものを1つ選び、誤っている2文を直しましょう。ア「アテネの無産市民は奴隷であり、政治参加の権利がなかった」。イ「スパルタのペリオイコイは自由民だったが、市民としての参政権はなかった」。ウ「ソロンはアテネの奴隷制をすべて廃止した」。自由な身分と政治参加の資格を分けて考えます。

練習3

サラミスの海戦、ペロポネソス戦争の開始、カイロネイアの戦い、アレクサンドロスの死を古い順に並べましょう。また、ペロポネソス戦争の前431年の開始から前404年の終結まで、年号の差で何年あるかを求めましょう。開始年と終了年を両方数える数え方は用いません。

練習4

「ヘレニズム文化は、ギリシア本土のポリスの内部だけで発達した」という説明を、地域の広がりと政治の変化の両方に触れて、2文以内で直しましょう。「オリエント」と「王国」の2語を必ず使います。

答えと解説

練習1の答えは、ソロン・イ→クレイステネス・ウ→ペリクレス・アです。財産による区分、地域を基礎とする再編、民主政の完成期という段階を区別します。途中に僭主政の時期があったことも補うと、改革が一直線に進んだと考えずに済みます。

練習2の答えはイです。アは「無産市民は貧しい市民であり、奴隷ではなく、政治参加の権利を持った」と直します。ウは「ソロンは債務奴隷を禁止したが、奴隷制全体を廃止したわけではない」と直します。財産の少なさ、自由か隷属か、市民資格の有無はそれぞれ異なる基準です。

練習3の答えは、サラミスの海戦→ペロポネソス戦争の開始→カイロネイアの戦い→アレクサンドロスの死で、年号の差は431−404=27年です。各事件の年は前480年、前431年、前338年、前323年です。紀元前だけの差を求めるので、紀元前から紀元後へまたがる場合の年の扱いを考える必要はありません。

練習4の解答例は、「アレクサンドロスの遠征によってギリシア文化がオリエントへ広がり、現地の文化と交流しました。死後に成立した王国の都市などでも学問が発達し、ヘレニズム文化が栄えました」です。地理的な広がりに加え、文化を支える政治の単位がポリスだけに限られなくなったことを説明しています。

次の単元へのつながりと家庭での確かめ方

次にローマを学ぶときには、市民の政治参加、軍役、支配領域の拡大という3つの視点が役立ちます。ローマはギリシア世界やヘレニズム諸王国を支配下に置き、ギリシア文化を受け継ぎました。政治的に征服した側が、征服された側の文化から学ぶこともあるため、軍事上の勝敗と文化の影響を別々に追います。

家庭での確かめ方の1つ目は、5分で紙を2列に分け、アテネとスパルタについて「政治を担う人」「支えた人々」を書くことです。両者の違いを話し、混ざった用語だけを教科書で見直します。2つ目は、別の5分で「ペルシア戦争→デロス同盟→ペロポネソス戦争→マケドニアの台頭」と書き、各矢印に理由を1つ添えることです。名前を思い出せても理由が言えない矢印が、復習する箇所になります。

個別指導では、戦争名が混ざる場合は敵味方の組合せまで、市民の説明が曖昧な場合は自由民・奴隷と参政権の区別まで戻って確かめます。お子さまの説明を聞くときも、用語の数より、「誰が」「何を背景に」「どう変わったか」がつながっているかを見ると、理解の途中にある箇所を捉えやすくなります。

まとめ

教科書の「民主政が発達した」という短い文には、軍役を担う市民の変化や、政治参加を支える制度の整備が折り重なっています。同じ時代の対外関係を見ると、アテネは市民の参加を広げながら、同盟に対する支配を強めていました。この2つを同時に説明できれば、民主政という名称だけで社会全体を判断せずに読めます。

古代ギリシアの理解を確かめる決め手は、「民主政」という言葉の後に、参加できた人と参加できなかった人の両方を続けられることです。

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